書籍詳細
契約蜜婚~冷徹な御曹司に溺愛されています~
あらすじ
「早く俺のことを、男として好きになってくれ」
契約のはずなのにあま~い新婚生活!?
義従兄に力ずくで迫られ実家を飛び出した穂乃花は、有能な上司・諏訪に声をかけられる。悩みを打ち明けると「お互いの利益のために契約結婚をしないか?」と冷静な態度で誘われ、彼を信頼して同居をすることに。諏訪が創業者一族の御曹司だと知り驚くが、風邪で倒れた彼を必死に看病した穂乃花は「俺は君が可愛い」と初めて甘く熱い告白をされて!?
キャラクター紹介
早川穂乃花(はやかわ ほのか)
控えめで芯が強い。自分にだけ見せる諏訪の甘さに戸惑いときめく。
諏訪柊吾(すわ しゅうご)
打算で契約結婚をするが、純粋な穂乃花を本気で愛するようになる。
試し読み
その後、いつもどおりに雑事をこなした穂乃花は、入浴を済ませて眠りにつく。
普段は朝まで起きることはないが、夜半に物音が聞こえた気がして、ふと目を覚ました。
(何だろ……室長……?)
諏訪がまだ、起きているのだろうか。
かなりの広さがあるこのマンションは、元々生活音が聞こえにくい。時刻を確認すると、深夜一時半だった。喉の渇きをおぼえた穂乃花は、ベッドから起き上がる。そして部屋をそっと出て、キッチンに向かった。
廊下の足元にはフットライトがあるため、真っ暗ではない。リビングに入り、その脇を通り抜けようとした穂乃花は、ふとソファに黒い人影を見つけてビクッとした。
思わず心臓が跳ね、その場に立ちすくむ。
(びっくりした……何……?)
明かりのないリビングの中、よく目をこらすと、そこに仰向けに横たわっているのは諏訪だ。
「し、室長……?」
恐る恐る声をかけてみるが、彼は反応しない。寝ているのかと思ったが、片方の腕を額に載せた諏訪ほ、どこか様子がおかしい。
穂乃花はソファに近づき、薄闇の中で彼をじっと観察する。彼はTシャツにスウェットという部屋着姿で、眉をひそめて目を閉じている顔はどこか苦しそうに見えた。息遣いが少し荒く、穂乃花は思い切ってその首筋に触れてみる。
(……熱い)
諏訪の体温が、明らかに高い。夕食後、彼が少し具合が悪そうにしていたのを思い出した穂乃花は、じわじわと顔色を変える。そしてその耳元で呼びかけた。
「室長、大丈夫ですか? もしかして熱があるんじゃ」
「――……」
諏訪がうっそりと目を開ける。
眼鏡を掛けていない彼と視線が合い、穂乃花はドキリとした。諏訪は緩慢なしぐさで額に触れ、わずかにかすれた声で答える。
「水を飲みに来て……そのままここで寝てしまったみたいだ。熱っぽいから解熱剤を飲もうと思ったんだが、ちょうど切らしてて」
「熱を測ってみたほうがいいです。体温計はありますか?」
「ああ。あっちの棚の、上から二番目の引き出しに入ってる」
穂乃花は立ち上がり、彼が指示した引き出しから体温計を取り出す。
それで熱を測ってもらうと、すぐにピピッという電子音が鳴った。表示された数字を確かめた穂乃花は、息をのんでつぶやく。
「すごい熱……三十八度八分もあります。夜間診療の病院に行きましょう、わたしが付き添いますから」
「いや……それには及ばない。寝てれば治るし、君ももう休んでくれ」
何度か説得したが、諏訪はなかなか首を縦に振らない。仕方なく穂乃花は、別の提案をした。
「じゃあ、わたしの部屋にある市販の解熱剤を持ってきますから、それを飲んでください。寒気はありますか?」
「……少し」
急いで自室に行き、ポーチから普段持ち歩いている市販薬を取り出す。そしてタオルケットなどを抱え、リビングに戻った。
彼の身体にタオルケットを掛け、冷蔵庫から出したミネラルウォーターで薬を飲ませる。先ほど体温計を出した引き出しの中を見たが、どうやら冷却シートなどはないようだ。
ソファに横たわった諏訪が目を閉じているのを確かめ、部屋着から私服に着替えた穂乃花は、財布を持って外に出た。
エレベーターで一階まで降りると、ホールを足早に通りすぎる穂乃花に対し、カウンターに二十四時間常駐するコンシェルジュが「いってらっしゃいませ」と声をかけてくる。足を向けたのは、徒歩二分ほどのところにあるコンビニだった。
(熱の冷却シートと、スポーツドリンク……それに栄養ドリンクとヨーグルトも買っておこう。あ、食欲がないときのためにゼリー飲料もいいかな)
思いつくかぎりのものを買い物かごに放り込み、会計をする。
マンションに戻って足を忍ばせながら入ったリビングでは、諏訪が静かな寝息を立てていた。穂乃花は買ってきたものを冷蔵庫にしまい、冷却シートを彼の額にそっと貼る。
冷たさに驚いたらしい諏訪が一瞬目を開けたものの、すぐにまた眠ってしまった。
「…………」
ソファの脇の床に座り込んだ穂乃花は、じっと彼を見つめる。
いつもはきっちりセットされた髪がラフに崩れていて、高い鼻梁に掛かっていた。閉じられた瞼から、睫毛がシャープな印象の頬に影を落としている。
こうしてじっくり見ると、諏訪は本当に端正な容貌の持ち主だ。眼鏡を掛けているときは理知的な印象だが、素顔の彼は少し野性味があり、そのギャップが穂乃花をドキドキさせていた。
(わざわざ起こしてベッドに移動させるのはつらいだろうし、このままにするしかないかな。さっき飲んだ解熱剤、早く効いてくるといいけど……)
日々多忙な彼は、疲れが溜まっていたのだろうか。
風邪を思わせる症状は特になかったようだが、熱が高いのが心配だ。朝になっても下がっていなかったら、やはり病院に連れて行ったほうがいいだろう。
深夜にリビングで倒れているのは予想外だったが、気づいてよかった――と穂乃花は考える。もし一人だったらもっと重篤な状態になっていたかもしれず、見つけて介抱できたことにホッとしていた。
症状としては今のところ熱だけで、いきなり容態が急変する可能性はなさそうだ。でも心配で、一人にはできない。穂乃花は額の熱さで乾いてしまった熱さましのシートを貼り替えたり、諏訪の様子を見ながら時間を過ごした。
やがて朝方の三時を過ぎると、次第に眠くなってくる。起きていようと思うのに、どうしても瞼が重く、気づけばうとうとと舟を漕いでいた。室内に何の音もなく、彼の寝息しか聞こえない状況のせいか、規則正しいそれが眠気をどんどん強めていく。
(ちょっとだけ……ちょっとだけ、仮眠をするだけだから……)
床に座り込み、諏訪が眠るソファの座面に突っ伏した形の穂乃花は、目を閉じる。
気づけばそのまま、深い眠りに落ちていた。
*第七章
深い水底から浮上するように、ぼんやりと意識が覚醒する。
目を開けてすぐに飛び込んできたのは、寝室ではない天井だった。どうやら自分は自室ではなく、リビングのソファで眠っていたらしい。
何度か瞬きをした諏訪は、自分が深夜に具合が悪くなり、水を飲みにキッチンに行ったままソファで行き倒れたことを思い出す。
(そうだ。確か解熱剤を切らしていて、それで――)
買い置きの薬を切らしていたのは、痛恨のミスだ。
だがそうしてソファで横になっていたところ、リビングに来た早川に声をかけられた。彼女が体温計を持ってきたり、自身の薬を分けてくれたことが脳裏によみがえり、諏訪は真顔になる。
そして起き上がろうとした瞬間、自分の横に突っ伏す形で彼女が座っているのに気づいた。
「…………」
床に脚を崩して座り込み、ソファの座面に腕枕をして顔を伏せている早川は、すうすうと静かな寝息を立てている。
その脇のテーブルには、冷却シートや体温計、薬や栄養ドリンクなどが置かれていた。諏訪は先ほどから違和感のある自分の額に、指先で触れてみる。そこには半ば干からびたシートが貼られており、触るとすぐに剥がれた。
(……もしかして、買ってきてくれたのか? 深夜にわざわざ外に出て)
冷却シートや栄養ドリンクはこの家にはなかったもののため、そうとしか考えられない。
おそらく深夜に買い物に出た彼女は、諏訪の額に貼ったそれを何度か取り換え、自分の部屋には戻らずに夜通しここで看病してくれていたのだろう。
諏訪は眠り込む早川を、じっと見つめる。柔らかそうな栗色の髪が乱れ、顔の半分ほどを隠していた。長い睫毛が伏せられたその顔は、化粧っ気がなくとも充分かわいらしく、普段より少しあどけない印象になっている。
ふと、身じろぎした諏訪に気づいた彼女が薄目を開けた。顔を上げた早川は起きているこちらを見て飛び上がらんばかりに驚き、あたふたとした様子で言う。
「し、室長、起きてらっしゃったんですね」
「ああ」
「気分はどうですか? 一度熱を測ってみてください。水分を取ったほうがいいと思うので、今持ってきますけど、スポーツドリンクかお水、どちらがいいですか? ゼリーやヨーグルトもあるので、食べられそうだったら……」
「君が買ってきてくれたのか? この冷却シート」
諏訪の問いかけに、彼女が「……はい」と答える。予想外の献身ぶりに、諏訪は何ともいえない気持ちになった。
(……そこまでしなくていいのに)
自分はただの同居人なのだから、熱程度なら薬を飲ませるだけで放置していい。なのに彼女は、夜通し付き添ってくれたという。
なぜここまでしてくれるのだろう――そう考えながら、諏訪は早川をじっと見つめる。すると彼女は落ち着かない様子で視線を泳がせ、うつむきながらモソモソと言った。
「あ、あの……あんまりこっちを見ないでください」
「なぜだ」
「わたし、今はすっぴんなんです。だから……」
何とも居心地の悪そうな顔の早川に、諏訪はあっさり答える。
「充分可愛いが? 化粧をしているときとほとんど差がないし、強いて言えば、違うのはいつもより少し若く見えるところくらいだ」
「……っ」
彼女の顔が、じわじわと赤らんでいく。それを目の当たりにした諏訪は、初心な様子を好ましく思った。
すると早川が気を取り直し、遠慮がちに進言してくる。
「あの――やっぱり病院には、一度行ったほうがいいと思うんです。診察を受けて、薬もちゃんとしたものを処方してもらったほうが安心ですし。週明けからの仕事に差し支えても困りますから」
「……そうだな」
これほど迷惑をかけておいて病院に行かないのは、かえって無責任だ。
熱を測ってみると、三十七度九分だった。彼女が買ったスポーツドリンクをありがたく飲み干し、身支度をした諏訪は、早川と一緒にタクシーで病院に向かう。
――診察の結果は、軽い風邪だった。「慢性的な疲れも、免疫力を低下させる原因になる」と医者に言われ、解熱剤や抗生物質を処方される。
自宅に戻ったあと、早川が諏訪をソファに寝かせて言った。
「室長はここであったかくして寝ていてください。雑炊かうどんを作りますけど、どっちがいいですか?」
「ああ、……雑炊かな」
「じゃあ、待っててくださいね」
彼女はクッションで諏訪の頭の角度を調整してテレビが見えるようにしたあと、身体の上にタオルケットを掛け、手の届くところに氷が入った水差しとグラスを置いていく。
まだ若干熱があるせいか身体が重く、諏訪はクッションにもたれかかったまま気だるくニュース番組を見た。やがて十五分ほどして、早川が一人用の土鍋が載ったお盆を手にやって来る。
「食べられるだけ食べてください。お口に合えばいいんですけど」
蓋を開けると、卵入りのしらす雑炊がホカホカと湯気を立てていた。上に鰹節と梅干し、万能ねぎが載っていて、食欲をそそる香りを漂わせている。
デザートとして刻んだ苺とオレンジ、キウイが混ざったヨーグルトが添えられ、諏訪は起き上がって言った。
「ありがとう。……いただきます」
雑炊はしらすの旨味とほんのりとした生姜の風味、だしつゆの味付けが美味だった。梅干しの酸味がいいアクセントになっており、思いのほか食が進む。
熱々の雑炊を食べ終えたときは、軽く汗をかいていた。処方された薬を飲むのを見届け、彼女がお盆を手にして言う。
「安静にしててくださいね。何か欲しいものがあったら、遠慮なく言ってください」
微笑んでキッチンに向かう早川の後ろ姿を、諏訪はじっと見つめる。
少し遅れてあとを追うと、彼女は食器を洗っているところだった。こちらを見た早川が、不思議そうに問いかけてくる。
「どうしました? 何か飲み物とか――……」
彼女の言葉が、不自然に途切れる。
諏訪は背後から腕を回し、覆い被さるように早川の肩口を抱きしめていた。蛇口から流れっ放しの水を止めることもできず、驚いて固まる彼女の耳元に、諏訪はささやきかける。
「昨夜から一生懸命看病してくれて、本当に感謝してる。――ありがとう」
「い、いえ……」
「疑問なんだが、なぜそこまでしてくれるんだ? 俺は契約上の〝夫〟にすぎないのに」
諏訪の問いかけに、早川は身体をこわばらせながら小さく答える。
「それは……同じ家に住んでいるのに、具合が悪いのを放置するなんてできないからです。自分にできるかぎりのことはしたいって思います」
彼女は言葉を探すように一旦口をつぐみ、「それに」と付け足した。
「室長は……行き場のないわたしを助けてくれました。同居を始めてからも、家賃や光熱費を一切受け取らず、食費まで出してくれています。そこまでしていただいてるんですから、室長が具合が悪いときにわたしができることをするのは、当然です」
「…………」
あくまでもギブアンドテイク、義理でやっているということだろうか。
そもそも自分たちの関係は、期間限定の〝契約結婚〟だ。そこに愛情はなく、互いのメリットのためだけに入籍したが、今の諏訪はそれでは我慢できなくなっている。
思えば契約結婚を持ち出す前から、早川には好感を抱いていたのかもしれない。丁寧な仕事ぶり、控えめながら気遣いができるところは長所として映っており、一緒に暮らし始めてその印象は強まった。
可憐な容姿も、楚々とした見た目に反した頭の回転の速さも、料理の上手さも好ましく思える。極めつきが、昨夜からの看病だ。あくまでも便宜上の〝妻〟である彼女に、諏訪は異性として強く心惹かれていた。
肩口を抱く腕に力を込め、諏訪は早川に向かって言った。
「――この結婚生活は実情を伴わない〝契約〟だと最初に言ったが、俺との関係を一歩進めてみる気はないか?」
「えっ?」
「俺は君が、可愛い」