書籍詳細
墜ちて、溺れる~極上御曹司と独占蜜夜~
あらすじ
「もう俺以外、誰のことも見るな」
彼の腕の中で、甘すぎる情熱に蕩かされて
転びそうになった百合香は、強く抱きとめてくれた端整な蒼馬に密かにときめく。その蒼馬が百合香の会社の社長代理として現れ、なぜか百合香を秘書に指名する!初対面とは違う冷徹な蒼馬に戸惑うが、アパートを追われた自分を同居させ甘やかしてくれる彼の優しさに触れ、次第に惹かれていく。更に「こんなに可愛い百合香が悪い」と甘くキスをされて!?
キャラクター紹介
高梨百合香(たかなしゆりか)
純粋で芯の強い23歳。密かに慕う蒼馬に振り回されながらも、彼を支える。
一条蒼馬(いちじょうそうま)
大企業を統べる御曹司。ある目的で百合香を秘書にするが、その一途さを愛してしまう。
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するとさっきまでの和やかな空気は瞬く間に消え去り、社長室は一気に緊迫した空気に包み込まれる。
「さて……と。そんなとこに突っ立ってないで座ったら?」
恐怖で固まる私に、一条さんが優雅な振る舞いでソファを勧めた。
けれどその顔には、さっきまでの温和な表情は跡形もない。
甘さを感じさせる端正な顔立ちにはどこか皮肉めいた微笑が浮かび、何を考えているのかも全く分からない。
――こ、怖い。……もう家に帰りたい……。
「そんなに怖がられると困るね。まるで僕が苛めてるみたいだ」
「あ、あの、そんなつもりは……」
――いったい何を考えているの? それに……。
「……どうして神宮寺さんにあんな嘘をおっしゃったんですか?」
「嘘?」
「わ、私を運命の相手だって」
恐怖に震えながらどうにかそう告げると、正面に腰を下ろした一条さんが鋭い視線で私を見つめた。
切れ長のくっきりした二重には、こちららに対する不信感がありありと浮かんでいる。
「君はいったい何者なのかな」
「え……あの、何のことをおっしゃっているんですか」
「誤魔化すつもり? ……まぁいい。どちらにしても君はもう、逃げることはできないんだからね」
一条さんは長い指先で唇を撫でながら、まるで値踏みするような視線を向けてきた。
「混乱しているようだから、一つずつ整理していこうか。まずあの夜のこと。モルガン・ホテルの屋上庭園に君がいた件だけれど、あの場所にいったいどうやって入った?」
あの夜、ホテルのVIPしか入れないという庭園に入れたのは、偶然助けた老婦人にカードキーを貰ったからだ。
けれど、彼女に迷惑をかけてしまうかも知れないという想いが、本当のことを告げることを躊躇わせる。
口をつぐんだ私に、一条さんの口調が厳しくなった。
「あの庭園のキーはホテルが認めた特別な人間にしか渡されていない。まさか……盗んだとか?」
「違います!!」
――盗むだなんて。そんな言い方酷すぎる!!
一方的にこちらを責めるばかりの一条さんのやり方にフツフツを怒りが込み上げ、思わず言い返そうとしたところで、さっきの神宮寺さんとのやり取りが脳裏によみがえる。
――穂積はあなたの社長代行を切望しておりましたが、私たちはグループ企業で一番多忙なあなたが、多々ある列会社のひとつでしかない我が社の社長代行など引き受けて下さるわけがないと諦めておりました――。
――しかしあなたはなんの躊躇もなく我々の願いを聞き入れて下さった。社員一同、心から感謝しております――。
私には難しい経営の話は分からないけれど、我がマジック・ランドの重大な局面に、目の前にいる一条さんが大きくかかわっていることは変えようのない事実だ。
彼はマジック・ランドの救世主。神宮寺さんだってそう言っていたではないか。
「……なに? 言いたいことがあるなら、はっきり言えば?」
「いいえ。……申し訳ありません。あのカードキーは……拾ったんです。それに、どこかに落としてしまったみたいで、もう持ってはいません」
カードキーを失くしてしまったのは本当のことだ。おそらくあの屋上庭園で一条さんともみ合っているうちに落としてしまったのだろう。
唇を噛みしめながら俯くと、一条さんの呆れたようなため息が耳をかすめる。
「ずいぶん都合の良い話だな」
「……本当のことです」
短く息を吐いた一条さんは、今度は上着の内ポケットから何かを取り出し、彼と私の間にあるガラス製のテーブルに無造作に放り投げた。
数枚のポラロイド写真が、透明なガラスの上を滑るように散らばる。
「これは……?」
「君が僕に与えたいくつかの損害のうちの一つだ」
深く背もたれに倒れ込んだ一条さんに目で促され、私はその中の一枚を手に取った。
写真には、豪華な宝石が写し出されている。
精巧な細工が施された台座には見たことも無いほど大きな色石がセットされ、周りをぐるりとダイヤモンドと思われる石が取り巻いている。
思わず見入ってしまう色石は、深い海の底を思わせるブルー。
――これは……サファイヤ?
「あの、これは……」
「我が家に伝わる家宝の指輪だ。一条は元々旧公爵家が出自でね。これは明治の初めに金融業で成功を収めた当主が、ヨーロッパ貴族から買い求めたものだと聞いている。もとはある王家ゆかりの品物らしくてね。値段のつけられない代物だけれど、以前あるオークションで、同様の物が数十億で落札されたと聞いたことがある」
「すっ……じゅうおく?」
見当もつかない額を言い放たれ、一昨日人気のない廊下で一条さんに言われた言葉を思い出す。
『少なくとも君が一生かかっても返却できないくらいの額かな。ざっと見積もっても数十億、いや、それ以上かも知れないね』
私は思わず持っていた写真をテーブルの上に放り出すと、のけぞるようにソファに座ったまま後ずさった。
「あ、あの、私、こんな豪華な宝石知りません。見たこともありません!!」
「あの夜、莉奈が指にはめたまま持ち去ってしまったんだ。彼女はあれ以来行方不明でね。方々手を尽くして探しているけれど、今のところまったく手がかりが掴めていない」
「莉奈……?」
「あの夜君が助けた女性だ。そこに写っているだろう?」
テーブルの上に散らばった複数の写真には、一条さんに腕を絡める女性の姿も映しだされている。
それは紛れもなく、あの夜私が助けた女性だった。
「本当は彼女と結託してたんじゃないのか? だから僕を妨害して、彼女を逃がした」
「違います!」
――あの時、一条さんに責められていたように見えた女性が、本当は泥棒だったっていうの!?
言葉を失って呆然とする私を一瞥すると、一条さんはテーブルに散らばった写真を長い指でつまんで席を立った。
そしてゆっくり私のそばまで歩み寄ると、密着しすぎるほど距離を詰めて隣に座る。
ソファのスプリングが深く沈み、バランスを崩した身体が一条さんの方へ傾いた。
彼にもたれかかりそうになってとっさに出した右手首を、彼の長い指にキュッと掴まれる。
指先に巻かれたバンドエイドが自然に目に入り、怪我をさせてしまったあの日のことが脳裏を過ぎる。
私の視線に気づいた一条さんは、口角を上げながら傷を負った指をひらひらさせた。
「そうだ。この怪我も……誰のせいだったかな」
「あ、あの、本当に申し訳……」
謝罪の言葉を口にする私に構うことなく、一条さんはぐいっと顔を近づけて宝石の写真を私の眼前に突き付ける。
「このサファイアは一条家にとっては家宝、いやそれ以上の存在だ。それに実は今、一条では身内のもめ事が絶えなくてね。一族の誇りとも言える家宝が無くなったことが分かれば、彼らはきっと騒ぎたてて僕や原因を作った者たち、もちろん君の責任だって追及してくるだろう。おそらくこの件は警察沙汰になり、僕を失脚させたい一族の連中によって一条の醜い骨肉の争いが瞬く間に世間に晒されることになる。一条ホールディングスの株は大暴落、もちろんマジック・ランドにだって甚大な被害が及ぶ」
「まさか……」
何の考えもなく彼女を助けたことが、こんな大事件に発展するなんて。
動揺のあまり震える私を冷やかに見つめながら、一条さんの言葉は続く。
「僕が言っていることは脅しではないよ。そんなことになるのは君だって本意じゃないはずだ。莉奈はどこにいる? 本当は知っているんじゃないのか」
「知らない……本当に知らないんです。あの人とは、あの夜に会ったのが初めてで」
「本当かな。あんなに身体を張って助けようとしたんだ。初対面の人間にそこまでするなんて、俄かには信じがたいね」
鋭い眼差しと執拗な尋問に、思わず身体が固くこわばる。
泣き出しそうになりながらその手から逃れようとすると、苛立たしげに目を眇めた一条さんが不意に手首の拘束を緩めた。
反動で身体が背もたれに沈み込む。しかしホッとする間もなく、立ち上がって私を囲い込むように顔の横に両手をついた一条さんが、その綺麗な顔を息がかかるほどの距離まで近づけた。
何もしなくても漂う威圧的なオーラ。顔が整っている分、更に怖い。
「とにかく、君を僕のそばに置いて監視させてもらう。莉奈がいつ君に連絡を取ってくるかも分からないし、今回のことを他人に漏らされるのも面倒だ。……それに、僕の身の回りの雑用をする人間だって必要だしね。神宮寺さんや秘書室の人間には頼めないような仕事が山ほどある」
「でも私、企画制作部でやりたいことがまだたくさんあるんです。絶対に誰にも言いませんから、元の部署へ返して下さい!」
縋るように見上げるも、一条さんは冷ややかな表情を崩さない。
「君に選択権なんてあるのかな? 僕は窮地を救うために乞われて来た社長代理、君は一介の新入社員だ。さっきの神宮寺さんの対応を見ても、君が取るべき行動はひとつだと分かるはずだけれど?」
「そんな……」
「それにあんまり君がダダをこねると、企画制作部も困るんじゃないかな。あの部署については、色々と整理しなくちゃいけない件もあるようだし」
「え……」
「採算の取れない、しかもかなり規模の大きな案件をゴリ押ししているという噂が、僕の耳にも入っている」
一条さんの口から冷たい言葉が吐き出され、背筋寒くなった。
一条さんが言っているのは、あの新しい企画のことだろう。
確かにあの企画は通常の倍以上の経費が必要とされ、そのことで上層部が難色を示していると聞く。
それに、私が一条さんの秘書に抜擢されたことで、結果的に私がいた企画制作部は社内でとても目立ってしまっている。
私と一条さんとのトラブルは会社とは関係ないことだけど、もしも部長の監督不行き届きだなんて判断されてしまったら? それで部長が責任を問われるようなことがあれば、きっと部内の混乱は避けられないだろう。
先輩たちが苦労を重ねて進めてきた案件が、私のせいで反故にされるなんてことは、絶対に避けなければならない。
――悔しいけど、今はこの人の言いなりになるしか、無いんだ。
キッと視線を上げると、すぐに一条さんの刺すような視線に捉えられる。気圧されて視線を逸らさないよう、歯を食いしばって受け止めた。
「……いいね。それくらいでないと、僕の秘書は務まらない」
すぐ目の前のくっきりした二重が、フッと緩められた。綺麗な唇が三日月の形にきゅっと引き上げられる。
その息を呑むほどの美しさに、何もかも押し流されてただ見惚れてしまう。
抗いようもなく惹きつけられてしまう。それは忘れたくても忘れられない、街角で彼と初めて出会った瞬間と同じ感覚で……。
言葉を失ってただ彼を見つめるだけの私に笑みながら、一条さんはバンドエイドを巻いた指で私の頬にそっと触れた。
「今から君は僕専属の秘書だ。ファーストネームでいいよね? よろしく、百合香」