書籍詳細
あなたの赤ちゃんですが、結婚しません!~エリートSPの我慢できない愛妻欲~
あらすじ
妊娠発覚で、離婚前提の契約夫婦!?一夜の関係で過保護なSPの懐妊妻に…
甘い一夜の過ちで身ごもった美都。その相手であるSPの剣に、一人で子どもを産み育てると告げた。ところが剣は「結婚を申し込ませてくれ」と熱く求婚!何度拒否しても迫ってくる剣の情熱にほだされ、二人は育児のパートナーとして結婚することに。すると愛のない夫婦生活のはずが、剣の一途な庇護欲が覚醒!?美都は赤ちゃんごと過保護に溺愛され…。
キャラクター紹介
石川美都(いしかわみと)
ヨガスタジオ運営会社勤務。初対面の剣と勢いで一夜をともにした後、まさかの妊娠が発覚し…!?
正木 剣(まさき けん)
警視庁警備部警護課のエリートSP。美都の妊娠を知り、結婚を拒まれても何度も求婚する。
試し読み
帰り道で産婦人科に寄り、つわりを相談すると、吐き気止めと水分補給の点滴をしてくれた。水分が補われたせいか吐き気はやや軽くなり、帰宅するとようやくぐっすりと眠れた。ここ数日は吐き気で眠れなかったものなあ。
そのまま滾々と眠り続け、次に意識が戻ったのは周囲がすっかり暗くなってからだった。時刻は十九時。かなり眠ってしまった。吐き気は変わらずあるものの、休めたせいか多少マシだ。
通勤服で眠ってしまったが、しわしわのスカートやカットソーを見てもどうでもいいこととしか思えない。全部洗濯しちゃえばいいんだわ。
スカートの裾を引っ張りながら立ち上がる。よろよろとトイレに向かい、戻ってきた。何か口に入れようか。だけど、またあの強烈な吐き気が来るかと思うと怖くて何も口に入れたくない。
インターホンが鳴ったのはそのときだ。なんだろう。荷物など心当たりもない。
「……はい」
「正木剣です」
名乗らなくても、一階エントランスを映したカメラモニターで見えている。
「なんの用ですか。会いたくないと言いました」
「ひとまず、部屋で話してもいいか? あんたが嫌なら外でもいいけれど、体調がきついんだろう?」
「あなたには関係ないので帰ってください」
ふと、彼の後ろに宅配業者の姿が見える。剣の通話終了を待っているようだ。さらにエントランスには他の部屋の住人たちの往来もある。こんなプライベートな会話をしていてはいけない。
「わかりました。開けます」
渋々ロックを解除する。間もなく玄関先に現れた正木剣に、腕組みをして精いっぱい偉そうに言い渡した。
「手短にお願いします」
「塩原さんから連絡をもらったんだ。体調不良で早退したと」
剣は上がり框に立ち、部屋に上がろうとはしない。私も上げる気はない。
「これ、食べられるものがあればいいんだが」
彼が手渡してきたレジ袋の中には、ゼリー飲料とスポーツドリンクの他に、生のトマトとレモン、そしてプラスチックの食品保存容器が入っている。
「この前は本当にすまなかった。命を軽んじたわけじゃない。だけど美都のつらそうな顔を見ていたら、代わってもやれないし、つい口に出てしまった」
剣は頭を下げて謝り、それから緊張感のある硬い表情で私を見る。気遣ってくれていることは感じられる。
「変よ。私たち、出会ってふた月も経ってないし、お互いに好意があるわけでもない。それなのに、どうして私のことを大事に思えるの? あなたは自分の罪悪感を薄めたくて私に結婚しようって言ったり、気遣ったふりをしてるのよ」
つわりの苦痛もあってか、私の口調は辛辣だ。自分でも止められない。
「善人の常識人ぶってるだけだわ」
「否定しきれねぇな。いきなり子どもができたって言われて、俺もどうしたらいいかわからなくなってるところはある」
素直な言葉が返ってきて驚いた。剣が自嘲気味に言う。
「俺は責任を取ったふりをしたいだけなのかもしれない。だから、堕胎なんて簡単に言えちまったんだろうな。腹の子に悪いことを言ったよ」
「それは……」
「あんたは先に親になってるんだ。その子を守ろうとしてる。それってすごいことだよな。尊敬するよ」
怒りだされたり不快な顔をされたりするかと思っていたら、穏やかで殊勝な反応をされ、私の中のドロドロがわずかに緩んだ。
「……もう、いいわよ。私に関わらないでいてくれればいい」
「それはできない」
剣は言い、それからいきなり私の両手を取った。驚く私の目を鋭い眼光で射貫く。
「美都、あらためて結婚を申し込ませてくれ」
私は言葉を失い、ただ首を左右に振った。結婚はできないと何度も言った。
「こんなことがなければ、俺は自分の子どもを持つ機会には恵まれなかっただろう。授かった命にはきっと意味がある。俺も人をひとり育てるという仕事をしてみたい。あんただけがそれを味わえるのはずるい」
「随分ポジティブな考え方ね。絶対にそんなに甘くないわ」
「だから、美都とふたりでやっていきたい。恋愛じゃなくていい。パートナーとして一緒に育児はできないか?」
剣は大真面目な顔をしている。おそらく、私に会いに来る前に彼なりに考えたのだろう。どうしたら、私を孤立させないか。どうしたら、親として責任を全うできるか。
「好きでもない男と結婚はできないって言ったけど、あんた、誰かと恋愛したいのか? 全然そんな感じに見えねえけど」
「失礼ね。……いや、まあ。恋愛は……あまり興味ないけど」
「なら、俺でちょうどよくないか? 打算的に考えてくれ。育児は手を貸す。生活費もしっかり入れる。俺の面倒は見なくていい。自分でだいたいのことはできるからな」
彼の表情の厳しさと強い声調から、真剣さが伝わってくる。
まずい。私の頭の中で、好条件の結婚生活にぐらりとくる気持ちが芽生えている。
「……あなたこそ……私みたいな女と結婚しちゃっていいの?」
ふてくされたいわけじゃないのに、口調が拗ねたものになってしまう。
「見た目ばっかりで中身がないって言ったじゃない。本当は私なんかと結婚したくないでしょ? 子どもの責任のために、あなたの未来まで奪う気はないのよ」
「中身がないって言ったのは謝る。すまん!」
剣が私の手を掴んだまま、がばっと頭を下げた。
「俺にとっちゃあんたは高嶺の花すぎて、別世界の人間なんだよ。何考えてんのかわかんなくて、憎まれ口をたたいた。悪かった」
「そんな……」
それなら私だって、たくさん憎まれ口をたたいた。わけもわからずこの男が気に食わなくて、言葉でやり込めてやりたくて……。
「……美都と関係を持ったのは俺としてはただのラッキー。はなから相手にされるわけない。一夜限りって言われても仕方ないって思ってた」
剣がじっと私を見つめる。おそらく照れているせいで、普段より険しい顔になっている。
「あんたは俺にはもったいない。恋人や嫁に望める相手でもない。でも、あんたが子どもを産むならせめて支援したいんだよ。人生をねじ曲げちまった詫びに」
「随分、卑屈ね」
私の目から見たら、正木剣は充分男前だ。SPという立派な職業に就き、頼り甲斐があるのも知っている。私こそ、この男に絡んで勝負だなどと寝て、人生をねじ曲げてしまったと思っているのに。
「上がって」
私は観念して呟いた。
「条件を決めましょう」
「美都、それは」
剣の焦ったような声に、振り向いた。
「恋愛じゃなくパートナーシップに基づいた夫婦。友情婚って感じかしら。お互い過度に干渉しないならいいかもしれない」
正直に言えば、私はこれほどまで熱心に言い募ってくれる剣に、感謝の念を覚え始めていた。意固地で頑固な私を面倒くさいと切り捨てずに、どこまでも寄り添おうとしてくれる彼はきっと心根がまっすぐなのだ。
恋愛感情じゃないけれど、この人は信頼できる。
室内に招き入れる。お茶の準備もできないうちに、吐き気が込み上げてきた。
「ごめん、ちょっと座ってて」
トイレに飛び込み、胃液しかないのにげえげえ吐ききってしまう。出てくると、ローテーブルにさっき剣が持ってきた保存容器が乗っていた。
「大丈夫か? クエン酸がいいって聞いたから酸っぱいものを持ってきたんだけど」
「それは?」
「うちのお袋が漬けた梅干し」
梅干し……渋い差し入れが来た。
私はよろよろとテーブルの横に座り、容器の蓋を開けてみる。中には南高梅で作られた大粒の梅干しがある。ふと、口に運んでみたい衝動に駆られた。気持ち悪いはずなのに、口内をじゅわっと唾液が潤す。
ひとつつまみ上げ、口に運んだ。
「美味し……」
「あ、食べられるか?」
「久しぶりに、固形物が美味しく感じられた……」
種をコロコロと口の中で転がす。縮んだ胃にはつらいかと思ったのに、不思議なもので身体が満たされるような心地がする。
「せっかく部屋に上げてもらったけれど、美都の体調的にはよくなさそうだし、また明日来る。結婚の条件を決めよう」
「わかった」
「あと、無理するなよ。有休あるなら使え。塩原さんや周りは美都が胃腸炎だとでも思ってるんだろう。ちょうどいい」
「まあ、そうね」
確かに有休は溜まっている。他のスタッフのピンチヒッターも頻繁に務めているし、私が体調不良で休んでも誰も文句は言わないに違いない。タチの悪い胃腸風邪だと言って休ませてもらおうかな。
「剣、ありがとう。……その」
玄関先で靴を履く剣を見送りながら、私は言いよどむ。
「これからよろしくな。相棒」
にっと微笑まれ、言いたいことを先に言われてしまったと思った。
翌日、剣は本当に仕事の後にやってきた。
「どうだ? 休んだか?」
「うん……。あ、梅干し、いただいてます」
「お袋に頼めばまだいくらでもあるぞ」
「本当? もう少し欲しいかも」
なぜだか知らないが、剣のお母さんの作った梅干しは食べられる。丸ごと口に入れたり、お湯の中で潰して飲んだり。まだ吐いてしまうし気持ちが悪いけれど、口に入れても抵抗がないものが見つかっただけ気持ちがラクになった。
「それでだ、昨日の確認。俺と結婚してくれますか?」
若干乱暴なプロポーズに私は苦笑いした。
「そんな怖い顔で言う言葉じゃないでしょ」
「顔変えられるかよ。恋愛なしの協力関係夫婦ってことで頼む」
私はうーんと唸ってから頷いた。
「女に二言はないと言いたいけど、私、本当に人と暮らすのに向いてないわよ? 自分のケアとか優先しちゃうし。食事も剣が望むようながっつりしたものは食べなかったりするし」
長年マイペースに自分主体に生きてきた私が、今さら他人と暮らすことには不安しかない。そもそも、それが結婚に対する何よりの懸念材料だった。
「ケア? 肌とか髪を構うのは普通だろ。メシもこの前ラムチョップに豪快にかぶりついてた女の言うことかよ。食いたいもんは昼に外で食うよ。それに夕飯も作れなんて言わない。各自別々だっていい」
「不経済だし、私が食べるときは一緒に作るわよ。剣が遅いなら翌朝食べて」
……と、ここまで言って私はすっかり自分がこの結婚に乗り気であることに気づく。不安に感じつつ、先のことを考えてしまっている。
「あと私、割と口うるさいかも……」
「それはすでに感じてるから大丈夫だ。美都よりうるさい上司は死ぬほどいるから問題ない。男所帯の寮暮らしも長いし、他人と合わせるのは得意な方だ」
軽く失礼な返しをされた気もするけれど、剣はかなり私に寄ってくれようとしている。ここまで言われて頷かなかったら、ただの我儘だ。
「わかったわ。まずは半年、一緒に同棲してみるのはどう? お試し期間ということで」
「そこが一点問題だな。同棲はうちの会社からおおっぴらには認められていない。同棲するなら責任取れ、結婚しろって感覚の組織なんだよ」
「な……面倒くさいのね、あなたのところ」
「微妙に一般社会と違って面倒だぞ。子どもの籍の関係もあるし、美都が不都合じゃなければ一度入籍した方が安全だな」
入籍……生活がうまくいかなければ離婚して、バツがつくことになる。
でも、考えてみれば私は剣と別れても誰かと結婚するつもりはないし、バツイチでも問題はない。むしろ子どもの戸籍的には入籍しておいた方がいいかもしれない。
「わかったわ。駄目なら離婚でいいのね」
「ああ、いい。一緒に暮らして不一致が出てきたら仕方ないだろ」
「子どもの物心がつくまでに判断したいんだけど」
「三年以内くらいかな。いいと思うぞ。あとは個人的理由だけど、一度バツがつけば、上司たちも俺に結婚を勧めてくることはなくなるな」
そう言ってニヤリと笑う剣。
私たち、前向きに離婚前提で話している。あらためて変な関係だと思う。
「まあ、そうならないように俺も努力する」
「私も努力するわ。考えてみたら、私ひとりで育てるよりあなたと育てた方が進学や将来に幅ができるものね」
「メリットを感じてもらえたら何よりだ。じゃあ、結婚の方向で動くぞ。うちは面倒なことに結婚にも上長決裁がいる。美都の名前や住所を警視庁に報告するが、いいな?」
「問題ないけど、やっぱり面倒なのねぇ」
私たちはしみじみと頷いた。
ここで、体調がよくないので私はベッドへ。剣がいることを気にせず、布団の中でミノムシみたいに丸まりながら顔だけ彼に向けている格好になる。化粧もろくにしていないし、我ながらだらしないけれど、今だけは勘弁してもらいたい。
剣は私のためにお湯を沸かし、マグカップに梅干しを潰して持ってきてくれた。
「これ、二日酔いにもよさそうだな」
「今は梅干しが生命線。早くつわりがよくなるといいんだけど」
おそらくつわりはピークで、これ以上ひどくなることはないと信じたい。
あ、と私はお布団からずるずるはみ出して、ベッド横のハンドバッグを手にした。
「はい、これ。心拍確認できたのよ。順調ですって」
昨日見せそびれた超音波写真を手渡すと、剣が目を丸くした。
「うお。実際に超音波写真を見るの初めてだ。このちっこいのが、そうか?」
「そうそう。まだお豆みたいよね」
「へえ、生きてるんだなぁ」
感慨深そうに微笑む剣の顔はいつになく優しげだ。こんな顔もできるのだと思うと面白い。今の剣は全然怖そうじゃない。
「あらためて、よろしくね。剣」
私はミノムシ状態のまま剣に微笑んだ。彼が写真から顔を上げて、私の顔をまじまじと見つめる。
「あんた、そんなに優しく笑うんだな」
どうやら彼も同じことを考えていたようだ。私はむっとして眉をひそめた。
「あなたこそ、さっき超音波写真を見たときが、今までで一番ちゃんとした笑顔だったわよ」
「怒るなよ。悪かったって。よろしく、美都」
私たちは近いうちに互いの家に挨拶に行くことにし、入籍はその後と決めた。
剣はその週には上司に結婚を報告し、翌週には結婚の決裁を取った。