書籍詳細
海運王の身代わり花嫁~こんなに愛されるなんて聞いてません!~
あらすじ
「この結婚から逃げられると思うなよ」交際0日婚で始まる恋は反則級の甘さ!?
政略結婚を破談にしたい従姉妹の代役として、海運会社の冷徹なイケメン社長・隼人との婚約披露パーティーに、無理やり出席させられた渚。隼人の婚約者役を必死で演じると、その健気さを彼に見初められ、「俺は君と結婚する」と一方的に宣言されて!?激しく迫ってくる隼人に戸惑うも、甘い独占欲にほだされ、渚の心も体も彼への愛で満たされていき…。
キャラクター紹介
藤間 渚(ふじまなぎさ)
カフェで働くバリスタ。素直で思いやりのある性格。
深川隼人(ふかがわはやと)
海運会社の社長。強引なところはあるが誰よりも渚を大切に思っている。
試し読み
オーナーにコーヒーを淹れながらそんなことを思い出していた。面接を受けた時は、まさか自分がこうやってオーナーにコーヒーを淹れる日が来るとは思っていなかった。
「何考えてんの?」
「え、ああ。就職面接の帰りにオーナーとここで話をしたなって……」
「ああそうだったっけ? 何年前」
「四年……でしょうか」
「もうそんなに経つのか。藤間はまだ大学生みたいなのにな」
「少しは成長してます」
むっとした私を見てオーナーが笑った。
「そうだな。間違いなく、コーヒーを淹れるのはこの店で一番美味い」
味にうるさいオーナーに褒められるなんて、うれしい。
「またそうやって、すぐに藤間ちゃんを甘やかす」
ふたりのやり取りを聞いていた店長の菊田さんが笑っている。
「別に藤間だけ甘やかしているわけじゃないだろ。菊田、お前もかわいがってやろうか」
「あなたのおもちゃになるのは、まっぴらごめんです」
「ひどいな、菊田は」
ふたりのやり取りを見て笑っていた私は、入り口のドアを開けて入ってきた人物を見て声を失った。
どうして……ここに?
「いらっしゃいませ」
菊田さんが声を上げながら、私の方を横目でちらっと見ているのはわかる。
いつもの私ならば、誰よりも先にお客さんに気が付き声をかける。しかし今は驚きで固まってしまっているのだ、不思議に思われても無理はない。
「藤間ちゃん、どうかした?」
腕を肘でつつかれて我に返る。オーナーも心配そうな顔でこちらを見ていた。
「いら……しゃいませ」
私がやっと声を発した時には彼はもう目の前にやって来ていた。ここに来るはずのない人、隼人さんが。
うそでしょ。だってまだ私、心の準備ができてないのに。
しかし彼は私の気持ちなんてお構いなしだ。
「ここいい?」
彼はオーナーが座っているところからひとつ席をあけたところを指さした。
「他のお席も空いておりますよ。あちらの窓際の席なんかおすすめです」
気を利かせた菊田さんが隼人さんに奥にあるテーブル席を勧めた。しかし彼はそれを無視して私をまっすぐ見てもう一度言った。
「ここいい?」
オーナーも菊田さんも、私たちの尋常でない様子を見て少し驚いたようだった。
「どうぞ」
私が声をかけると隼人さんが座った。
「コーヒーを。君が淹れてくれるかい?」
私に名指しでコーヒーを淹れさせるのは、オーナーくらいだというのに。
「かしこまりました」
軽く会釈をしてカウンターの奥に向かう。オーナーや菊田さんが何事だと、成り行きを見守っていた。
サイフォンの用意をしていると菊田さんが隣にやってきて小声で尋ねた。
「知り合いなの?」
「はい」
短く返事をした。菊田さんはきっと彼がどういった知り合いなのか聞きたかったと思うけれど、私はそれに気が付かないふりをした。
しばらくするとサイフォンからコポコポと音が聞こえはじめた。それをいいことに私はコーヒーを淹れることに集中しているふりをする。だが内心は……。
どうしよう、どうしよう、どうしよう!!
冷汗をかいていないのが不思議なくらいパニックで、これからのことを考えなくてはいけないのに混乱していてそれどころではない。
なんでこんなところまで来たの? そもそも社長さんってそんなに暇なの?
そんな今考えても意味のない疑問しかわいてこない。
そんなことよりも、早く帰ってもらわなきゃ。とりあえずの目標をそこに定めて、私は出来上がったコーヒーを隼人さんの元に運んだ。
「お待たせしました」
カウンター越しに彼の前にカップを置いた。彼はそれにすぐ手を伸ばし一口飲んだ。
一瞬目を軽く開いて、口元を緩めた。
「これは、美味いな」
「ありがとうございます」
色々考えながら淹れたけれど、うまくできたみたいだ。毎日淹れているので体が覚えているおかげだろう。
それから彼はゆっくりとコーヒーを飲んだ。一口一口味わうように。自分の淹れたコーヒーをそうやって丁寧に飲んでくれるのはうれしい。
けれど、今はそれどころではない。フロアにいる従業員全員が、私と隼人さんに注目している。菊田さんはもちろんカウンターにいるオーナーだって、いつもならコーヒーを飲んだらすぐに事務所で仕事をはじめるのに、今日はスマートフォンを触ったり時計を見てみたり、明らかに時間稼ぎをしている。
こんな中で話をするのは本当に気が引けるんだけど、隼人さんだってわざわざコーヒーを飲みに来ただけではないはずだ。
「それで、今日はどうなさったんですか?」
私は仕事中だ。いつまでも隼人さんに時間をとれるわけではない。
「どうして連絡してこない?」
「えっ?」
聞き違えたかと思って、もう一度確認した。
「どうして俺に連絡してこない。連絡先は知ってるだろ」
「はい……あの、でもまだあれから数日しか経ってませんし」
隼人さんからは連絡先を書いた名刺をもらっている。しかし結論がまだ出ていないのに連絡したところで何を話せばいいのかわからない。
「それに伯父には一週間待ってほしいとお願いしました。それをそちらに伝えてもらうようになっていたはずなんですが、聞いていませんか?」
「聞いている」
だったらどうしてここに来たの?
思わず声に出して詰め寄りそうになったのをぐっと抑えた。ここは周りの目がある。近くにいるオーナーなんか野次馬根性丸出しで、私たちの話にじっくり耳を傾けている。
はぁ……お店には迷惑かけるけど仕方ない。
「オーナー、少し休憩いただいてもいいですか」
「お、おう。いってらっしゃい」
いきなり呼ばれたオーナーはびくっと肩を震わせた。じっくり私たちの話を聞いていたので気まずい笑みを浮かべて、それでも私の休憩を許可してくれた。
カウンターから出た私は「こっちです」と隼人さんを引っ張って会社の屋上に向かった。
エレベーターで屋上に上ると太陽は西に傾きはじめていた。オフィス街を見渡せるここは、屋上庭園にもなっていてお昼休みなんかは社員が休憩に使っていたりする。
ちょうど今は誰もいないみたいでほっとした。
隼人さんは、ため息をつきながら腕を組みフェンスにもたれかかった。
「なんだよ、こんなところに連れてきて」
「あそこで話をするわけにはいきませんから」
「なぜ?」
「なぜって、私の同僚に聞かれたら困るので」
「俺たちの婚約のこと?」
「な、私はまだ了承していません!」
冷静に話をしなくちゃいけないってわかっている。けれど煽るような隼人さんの言い方にのせられてしまう。
「何を考えることがあるんだ? どうせ結婚することになる。悩むだけ無駄だ」
彼の言葉にカチンとくる。そういう立場にないのはわかっているけれど、それでも我慢できなかった。
「どうせってなんですか、人の結婚を」
「俺の結婚でもある。それにこの〝どうせ〟という意味は遅かれ早かれという意味で、結婚自体を軽んじているわけではない」
「あの、わかってます、わかってますけど! でも普通は付き合って何度もデートしてお互いの好きなもの嫌いなものとか把握して」
「体の相性も確認して?」
「そうそう、いや待ってそれは!」
流れで頷いてしまったけれど急いで否定した。しかし隼人さんはクスクスと笑っている。
もう! 真面目な話をしているのにからかったりして。ひどい。
しかし私は気を取り直して話を続ける。
「ある程度の時間をかけて互いのことを知って、そこから結婚のスタートラインに立つものじゃないんですか?」
たまたま代理で来た相手と藪から棒にする結婚なんてありえないだろう。
「それは〝普通〟の場合だろ? 俺たちの場合は普通じゃない」
たしかにそれはそうだけど。
「いくら普通じゃないっていってもこんなのおかしいです。第一結婚してからわかっても遅いってこと、色々あるでしょう?」
「なんだ、やけに相性にこだわるな」
冷やかすような視線に怒りがこみ上げる。
「だから、そういうことじゃ――んっ!」
それは突然のことだった。私が必死になって隼人さんに反論しようと思っていたその唇は、彼に奪われて一言も話せなくなった。
しっかりと重なる唇。彼は何度か角度を変えて私に口づける。最初は驚きしかなかったがそのキスがすごく優しくて思わず目をつむり彼を受け入れた。
強引で傲慢。隼人さんを表すのにぴったりの言葉。
でも彼のキスは優しくてあったかくて、突き放すどころかそれを受け入れてしまった私の胸はドキドキとうるさいくらい鼓動する。
「……んっ」
下唇をチュッと吸われた時、脳内までしびれた。キスをされているだけなのに立っているのもつらい。そんな私に気が付いたのか彼はそっと私の体を支えてくれた。
ダメ……このまま流されちゃ。
私は理性をなんとか取り戻し、彼の体を自分から引き離す。唇を押さえて涙目のまま彼を見る。頬が熱く、鏡を見なくても赤くなっていることがわかる。
「いきなり何するんですか!」
うまく言葉が出てこない。なんとか彼を非難したつもりだったけれど、彼はなんとも思っていないようだった。
それどころかむしろうれしそうにしている。
「これで俺たちの相性の良さが少しは証明されたんじゃないのか?」
「そんなこと――」
「ないって言えるのか?」
彼の問いかけに私は「ない」とはっきり言えなかった。だってきっと、さっきの態度と今の赤い顔で彼にはすべてお見通しなのだから。
私が彼とのキスを嫌がっていなかったこと、いや受け入れていたことを。彼の言う通り私たちのキスの相性はいいんだと思う。
「わからなかったなら、もう一回」
「だ、ダメ!」
私が声を上げて抗議しようとすると、それまで私に向けられていた隼人さんの視線が私の背後に移る。それが気になり後ろを見ると、オーナーが屋上にやってきていた。
「オーナー?」
「藤間、そろそろ休憩は終わりだ。彼女まだ仕事中なので、よろしいですか?」
途端に隼人さんが目を細め、不機嫌をあらわにした。
「話はまだ終わってない」
「それは仕事が終わってからにしてください。なんなら下の店でお待ちいただいても結構ですよ」
さすがにそれは、私が集中できないので困る。
「いや、遠慮させてもらおう。これから顔を合わせる機会が増えると思いますので。こちらを」
隼人さんはオーナーに名刺を差し出し受け取られたのを確認すると、私の隣をすり抜けざまこう言った。
「逃げられると思うなよ」
それって婚約するかもしれない相手に言うセリフ?
言い返そうにも彼は屋上を出て行ってしまった。背中が見えなくなるまで見て、はぁと特大のため息をつく。
「大丈夫か?」
「あ、オーナー。すみません仕事中に抜けてしまって」
オーナーは名刺を確認して少し驚いた顔をしたが、すぐにいつもの表情に戻る。
「いや、別にそれは構わないんだが、君が困っているような気がして首を突っ込んだ。迷惑だったか?」
「いいえ、むしろ助かりました」
あんなキスの後に冷静に物事を考えるなんて無理だ。それが狙いかもしれないけれど……。
「だったら、よかった。何か困ったことがあれば、相談するんだぞ」
「はい」
オーナーってば本当に面倒見がいいんだな……プライベートのことなのにこんなふうに親身になって考えてくれて。とはいえ……相談したからって何も解決するわけじゃないんだけど。答えは自分で出すしかない。わかっているけれど私はまだ決心ができずにいた。