書籍詳細
懐妊一夜で極秘出産したのに、シークレットベビーごと娶られました
あらすじ
「絶対に逃がさない」一夜のはずが、ママも赤ちゃんも永遠に溺愛されて…!
容姿も仕事も完璧なCEO・氷雨の秘書である楓香は、密かに彼に恋をしていた。だが、ある事情で彼から離れる決心をした夜、強い瞳の氷雨に抱きしめられ、甘い一夜に蕩ける。その後、なんと妊娠が発覚!?楓香は会社を辞め連絡を絶ち、秘密で子どもを産み育てることに。ところが、あるパーティーでなぜか氷雨に見つかり「君を捕まえる」と熱いキスをされ!?
キャラクター紹介
涼野楓香(すずしのふうか)
有能だが、恋には臆病。氷雨のため赤ちゃんのため、一途に愛を注ぐ頑張り屋。
皇 氷雨(すめらぎひさめ)
大企業の御曹司でもあるエリート。冷徹に見えるが、実は愛情深く楓香を捜し続ける。
試し読み
ホテルの外は、春の嵐だ。木々がしなるほどの風が吹き、雨脚が強くなっている。
桜の花はとうに散り、街路に残った桜の花びらが完全に飛ばされてなくなったことだろう。
だが、今二人がいるホテルの一室は嵐とは無縁だ。淫らな音と切ない空気に包まれている。
衣擦れの音、荒い息遣い……そして、ベッドの軋む音。
間接照明の仄かな明かりだけが、きっと二人の行く末を知っている。
楓香の身体に触れる手は、とても丁寧だ。大事にされている。そんなふうに誤解してしまいそうだ。
彼の大きな手は、壊れ物に触れるように黒く艶やかな髪を一房持つ。そして、その髪に甘い口づけを落とした。
背中まである黒髪は、楓香の性格を表すようにまっすぐに伸びている。
――だけど、それは見せかけだけ。
何事にも冷静沈着。粛々と物事に取り組む女性。世間からはそんな評価を受けているが、実際は……弱くて脆い。まっすぐに突き進むのではなく、右往左往し続けている。
ただ、偽りの鎧を身につけ、自身を強い女性に見せかけているだけ。本当は、ずっと彼の手に守られたいと思っていた。
見かけ倒しのデキる女性ではなく、庇護を必要とする女性でありたい。
この瞬間だけは願ってもいいはずだ。いや、願わせてほしくなる。
今夜、貴方に見せる〝涼野楓香〟は、冷静沈着で何事にも完璧な秘書ではない。ただの女なのだと。
皆には、泰然としている女と思われても構わない。だけど、貴方にだけはかわいい女だと思っていてほしいと願ってしまう。
「楓香……。かわいいな」
楓香を呼ぶ彼の声はとびきり甘く、淫欲を含んでいた。
彼の声は、それこそ一年中聞いている。それなのに、どうして今夜の彼は別人のように感じるのだろうか。
見たことがない彼、聞いたことがない声。だけど、それはきっと……今夜限りだろう。
もう二度と、彼は楓香にそんな自身を曝け出してはこないはず。
これっきり。二度と見ることはない、皇氷雨の雄の顔。
「氷雨さ……んっ!」
顎を仰け反らせて快感を逃がし、淫らな声を出す。縋るように彼の背中に回すのは、派手さもかわいらしさもないベージュの模範的なネイルが施された指。
その指が遠慮がちに背中に触れたのは、一瞬だけ。
――彼は、私の愛情なんて求めていない。
悲しい現実が脳裏に過り、縋りたいと願った背中に触れることはできなかった。
楓香の躊躇をどのように捉えたのか。彼からの愛撫は、より激しさを増してくる。
何もかもを曝け出せ。そんなふうに楓香の身体を弄る彼の手に翻弄され、絶えず啼いてしまう。
彼の愛撫に蕩けてしまった思考と身体。今はもう、何も考えられなくなっていた。
「――――……っ!」
唇から零れ落ちた言葉。だが、その声を発した自身でさえ何を言ったかわからない。
ただ、それを聞いた彼の唇はより楓香を求めてきた。
嘆き悲しむようなキスの連続に、楓香は応えて縋る。
一分、一秒を無駄にしたくない。この夜があれば、これから一人で生きていける。
そんな切ない気持ちを抱きながら、甲高く甘えた声を零した。
1
「皇CEO、おはようございます」
「ああ、おはよう」
「早速ですが、今日のスケジュールでございます。このあとすぐ、九時より事業部会議が――」
手にしているタブレットを見ながら、粛々とした様子で今日のスケジュールを読み上げるのは、涼野楓香。ベンチャー企業Yエス、CEOの秘書だ。
そして、ジャケットを羽織りながら楓香の話に耳を傾ける若きCEOである皇氷雨。
ビジネスライクな関係性を表すように、淡々としたやり取りが行われている。
そんな光景は、急成長を遂げているこの会社では日常茶飯事だ。
仕事中の楓香は、常にグレーのパンツスーツを身につけ、髪はキツく夜会巻きに結い上げている。
耳には主張しないぐらい小さなダイヤのピアス。控えめなメイクにネイル。
五センチヒールの黒パンプスを履き、背筋を伸ばして立つと百七十センチほどになるだろうか。
〝皇CEOの完璧かつクールビューティーな秘書〟と周りから評価されているのを楓香自身も知っている。
そんなふうに見えるよう、これまで努力してきた。その甲斐あってか、周りにデキる秘書だという印象を持たれていることにホッと胸を撫で下ろしている。
氷雨の秘書になってから二年が経つ。
当時、楓香は二十五歳。前職では営業をしていたのだが、なぜか秘書としてこの会社に中途採用された。
経験が浅いため、Yエスに入社当時はとにかく仕事に必死に食らいついていた記憶しかない。
がむしゃらに仕事をし、社内外で頼りない秘書というレッテルを貼られないようにしていた。
今はその仮面も板につき、クールな秘書と思われている。努力が実を結んだ結果だ。
楓香は冷静な態度で、リスケ案件について氷雨に相談を持ちかけた。
Yエスは、BPO――ビジネスプロセスアウトソーシングを請け負っており、各企業の業務やビジネスプロセスを外部提供している会社である。
世の中にはこういったBPOを主戦場とする企業は多数あるが、Yエスはその中でも急成長を遂げている会社だ。
BPO企業にはそれぞれに強みを持った分野があるのだが、Yエスが得意としているのが営業戦略立案や営業支援である。
各事業部には分野ごとのプロフェッショナルが在籍しており、その都度チーム編成をしているのだ。
Yエスは、氷雨が友人たちと起ち上げた会社で設立して十年になる。
ここまで順調に業績を伸ばしてきたのは、氷雨を始めとする経営陣の手腕が大きいだろう。
トップたちが優秀ならば、自ずと人材は集まってくる。
先鋭営業軍団だと、この業界で評価され続けられている所以だ。
成長し続けるYエスの司令塔の役目をしているのが、現在楓香の意見に耳を傾けているボス、皇氷雨。
三十五歳で男盛りの彼は、楓香とは八つの年の差がある。楓香にとっては、仕事がデキて頭が切れる憧れとも言えるようなボスだ。
氷のように冷たい空気を纏っていて常にトップとしての威厳がある彼は、誰もが振り返ってしまうほどの美丈夫である。
「涼野、先日頼んでおいた資料はできあがっているか?」
「はい。共有フォルダにデータは入れ込み済みです。データはマーケティング部のチーフに依頼いたしました。チーフの話では――」
氷雨に指示されていたのは、市場調査のデータだ。
先日、仕事獲得にこぎ着けた大手菓子メーカーから都内の店舗数拡大の相談を受け、下準備に取りかかっている。
編成されたチームとCEOである氷雨とのパイプ役をしているのが楓香だ。
スムーズに進むよう、特に気をつけて業務を遂行している。
氷雨は、目元を緩ませてこちらを見つめると、自身のタブレットを手に取った。
「ああ、助かった。この前の戦略会議には出られなかったからな……」
タブレットでデータを見ながら、氷雨は真剣な目で呟く。その言葉を聞き、楓香はまた一つ自信をつけていく。
彼の秘書になり、二年。最初は秘書として右も左もわからず、何もできなかった。
しかし、そんな楓香を根気よく傍に置いてくれたのが氷雨だ。
自分にも他人に対してもとても厳しい人で、何度辞めたいと思っただろう。
しかし、彼の仕事への姿勢を見るたびに、追い越せなくても追いつきたい。そう強く願うようになったのだ。
今では、彼の右腕とまではなれないが、氷雨が楓香を信頼してくれていると自負している。
その信頼を持続するため、常に最高のパフォーマンスを見せなければならない。
それには、かなりの努力が必要だ。だけど、そんな苦労さえも厭わない自分がいる。
氷雨の近くにずっといたい。どんなに仕事がハードでも、そう願ってしまうのだ。
口元に指を当ててタブレットを見ていた彼の指が、今度はメガネのフロントサイドに触れた。
所作がとても美しく見惚れてしまう。こんなにキレイな男性を、楓香は知らない。
胸を躍らせていることを、氷雨に気づかれていないだろうか。
息を殺して、自身に「落ち着け」と命令を下す。
不安が脳裏を過ったが、彼の視線は今もタブレットにある。どうやら大丈夫そうだ。
ホッと胸を撫で下ろして心臓の鼓動をより高鳴らせながら、視線は再び氷雨の元へ。
内勤の場合、オフィスカジュアルが推奨されている。だが、営業など外勤の社員はスーツ着用が基本だ。
もちろん、我が社の顔である氷雨は常にスーツ姿である。いつでも営業に飛び込めるようにと準備に余念がない。
今、彼が着ているスーツは、オーダーメイドなのだろう。光沢のあるグレーのスーツは、彼の魅力をより引き立てているように思える。
チタンフレームのメガネがより彼の顔をシャープに、そしてクールに見せていた。
見惚れてしまいそうになる自身を叱咤し、楓香は背筋を伸ばす。
冷淡で仕事がデキるCEOの隣には、何事にも動じず涼しい顔でサポートをする秘書が似合うはず。
そのためには、楓香が己のスキルを高めなくてはいけないだろう。
改めて気を引き締めていると、氷雨が顔を上げた。
ビジネス時の鋭い目だ。だが、一瞬だけ視線が緩まった気がした。
二人の視線が交じり合い、トクンと心臓が高鳴る。
「涼野、ありがとう。マーケのチーフには、俺が直接話す」
「畏まりました」
先日は急遽取引先会社に行かなければならない事案が出てしまったため、彼は事業部会議に出席できなかった。だからこそ、氷雨は直接チーフと話すつもりなのだろう。
仕事はチームで行う。それが、このYエスの真骨頂だ。
色々な人材が集まり、その中で新しい考えを提案していく。それをモットーとした社風を、トップ陣も守っている。
傲ることなく、我先にとトップ陣自らがチームに入っていく。
フットワークのよさ、そしてチームワークのよさが我が社の強みでもある。
ふと氷雨を見れば、すでに彼の頭は違う思考に切り替えられている様子。
彼の邪魔にならないよう、静かに一礼し部屋をあとにした。
CEO室の扉を開けたそこは秘書が待機している秘書スペースで、楓香は常時ここのデスクを使い仕事に励んでいる。
マーケティング部チーフに氷雨からの言付けをメールで送り、今朝までに届いているCEO宛てのメールをチェックした。
会合を開いてほしい、打ち合わせに同伴してほしい。そういった類いのメールは、緊急性なども加味してリストアップしておく。
そうしておけば氷雨の手が空いたときにチェックを入れてくれ、ある程度の対処を示してくれるのだ。
それを確認したあとに、楓香がスケジュールの調整をし相手側に返信メールをするのだが……。
――これは、明らかにプライベートよね?
女性からのメールだ。内容も仕事ではなく、個人的な誘いのメールが多数送られてきている。
こういったことは日常茶飯事で、全て削除して構わないと氷雨に指示されていた。
氷雨は、彼女らに目を向けない。それはわかっているのだが、どれほど氷雨が女性たちの目に魅力的に映っているのか。
それをまざまざと見せつけられて、焦りのようなものを感じてしまう。
楓香が、それにヤキモチを焼くのはお門違いだ。何度も自分に言い聞かせているのだが、なかなかうまくいかない。
ただ、楓香が氷雨に憧れとは違う感情を抱いているだけ。その時点で、本来ならアウトだろう。ビジネスとプライベートを分けて考えられなければダメだ。
――絶対に私の気持ちは悟られてはいけないわ。
マウスを持つ手に力が入る。気持ちが波立っているのを落ち着かせるために、小さく息を吐き出した。
彼を意識したのは、いつだっただろうか。恐らく、働き始めてすぐの頃だったと思う。
圧倒的な存在感に息を呑んで近寄りがたいという印象を覚えたが、一緒に仕事をし始めるとそれだけの人物ではないと気がついた。
仕事にかける情熱は人一倍ある人だ。でも、だからといってできない人を置いていくことなく、手を差し伸べてくれる。
厳しさの中にも優しさと温かみがあり、そのギャップが素敵なのだ。
それに、彼はどんな小さなことでも気がついてくれた。
彼の体調を気にしてスケジュールを立て直し、身体に優しい昼食を用意したとき。
さりげなく気遣いをしたとしてもこちらの意図を汲み取って、ぶっきらぼうだがお礼を言ってくれる。それが、とても嬉しいのだ。
それに結構恥ずかしがり屋な一面があるのが、またいい。
彼の一挙一動から目が離せない。心が浮上したり、落ち込んだり。楓香を惑わせてくる。
氷雨への気持ちは、間違いなく恋と呼ばれるものだろう。それに気がついたときには、愕然とした。
理想としている秘書像とはかけ離れている感情に、どうしたらいいのかわからなくなる。
彼の傍にいたいのならば不必要な感情だ。だからこそ、彼への恋は秘めておこう。そう誓ったのである。
この恋は、叶わない。それがわかっているので切なくもなるが、それでも彼の傍から離れる方が辛く感じるのだから忍ぶ恋に徹するしかないだろう。
もう一度小さく息を吐いていると、目の前の内線が鳴る。その電話を取ろうとすると、部屋から氷雨が出て来るのが見えた。そろそろ会議の時間だ。
楓香を見て、そちらを優先しろと目で指示をしたあと部屋を出ていく。
そんな彼を見送りながら、電話に出た。
「はい、CEO秘書室。涼野でございます」
『おおっ! 楓香ちゃんか』
「皇会長! おはようございます」
『そんな他人行儀な名前で呼ばないでくれないかな、楓香ちゃん。儂と楓香ちゃんの仲じゃないか』
電話口の彼から戯けた様子が伝わってきて、思わず噴き出してしまった。
「では、いつものように泰造さんとお呼びいたしますね」
『うんうん、それで頼むよ』
気のいいおじいちゃんといった雰囲気の泰造だが、実は国内屈指の大企業である皇鉄鋼の会長だ。そして、氷雨の祖父でもある。
泰造とは氷雨に出会う前からの知り合いで、ちょっとした友人関係なのだ。
この会社に転職した折、泰造が氷雨の祖父だと聞いたときは、ひっくり返りそうになるほどに驚いた。
〝泰造〟という下の名前しか知らなかったので、彼と皇鉄鋼の会長とが結びつかなかったのだ。
そんな彼は、楓香を気に入ってくれていて「氷雨の嫁にならないか?」などと言ってくれている。もちろん、社交辞令だと受け流しているが。
頬を緩ませていた楓香だったが、慌てて泰造に用件を聞いた。
「皇CEOに、ご用事でしょうか?」
『ああ、そうなんだ。氷雨はいるかい?』
「申し訳ありません。ただいま、席を外しておりまして……」
今し方会議室へと向かったばかりだが、すでに会議は始まっているはずだ。
言葉を濁すと、泰造は『いい、いい。大丈夫』とカラッと笑う。
『楓香ちゃんに氷雨のスケジュールを聞けば事足りるから。ところで、氷雨の今夜の予定は?』
「少々お待ちください」
タブレットをタップし、氷雨のスケジュールを再度確認する。
今のところは、夜に会食などは入れていない。それを泰造に伝える。
『そうかそうか。アイツも忙しいヤツだからな。またすぐにスケジュールが変更になる可能性もあるかのぅ』
「そう……ですね。今のところは大丈夫とだけしかお伝えできないですね」
泰造の言う通り。急に会合やら会食が入るのは、日常茶飯事だ。それは泰造も心得ているのだろう。
しかし、いつもなら「スケジュールが空いていればでいいよ」と言うのだが、今日の泰造はなかなかに強引だった。
『楓香ちゃん。悪いんだけど、今夜は確実に空けておいてほしいんだ』
「泰造さん?」
『アイツも、そろそろ年貢の納め時でね』
「え?」
『許嫁がいるんだが、彼女を待たせておくのも申し訳ないからね。久しぶりに会わせようと思っているんだ。氷雨の仕事が忙しすぎてね。今まで流れに流れていたんだけど、本格的に結婚の話を――』
ドクン。胸がイヤな音を立てた。泰造の声が微かにしか聞こえなくなるほど、胸の鼓動が煩くなる。黒く重苦しい感情が流れ込んできて、息がしにくくなってしまう。
『楓香ちゃん?』
「っ!」
泰造の気遣う声を聞き、ようやく我に返った楓香は慌てて取り繕った。
「スミマセン、ちょっと電波の調子が悪かったみたいで」
『今、車で移動中だから電波が悪くなっていたのかもしれないね』
特に不審がられず、ホッと胸を撫で下ろす。
泰造には、氷雨のスケジュールを押さえると約束して通話を切った。
誰もいない秘書スペースには、楓香の悲痛な声が小さく響く。
「わかっていたことじゃない……」
氷雨の実家は、大手企業である皇鉄鋼。彼は家を出て起業したが、皇家の一人息子だ。
いずれ、この会社は他の役員に任せて家業を継ぐだろう。
そうなったとき、彼の隣に楓香はいられない。
何より、彼が他の女性と結婚を決めたとき、クールな秘書の顔を保てなくなるだろう。
どんな形になるのかわからないが、氷雨とは近い将来離ればなれになる。それだけは確実だ。
女として見てもらいたい。そう思う反面、彼の傍にずっといたいとも思う。
そんなふうに願ったからこそ仕事を粛々とこなし、彼の力になれるよう秘書に徹してきた。
でも、もう……。そろそろ、彼の傍にはいられなくなるだろう。
彼の隣に、笑顔で立てない。どう頑張っても無理だ。
結婚おめでとうございます、などとお祝いの言葉を告げる勇気はいつまで経っても出てこないだろう。
楓香にとっても年貢の納め時が、やってきたのかもしれない。
涙が零れ落ちそうになるのをグッと堪え、控えめな色の口紅を塗った唇を横に強く引く。
震える唇を必死に止めることしかできない楓香は、弱虫だろうか。
彼にぶつかる勇気があればいいのにと思いながら、ぶつかってどうするのかと嘆息する自身がいる。
背筋を伸ばしてクールな秘書を演じる努力をするしか、今の楓香にはできない。
「私は、皇CEOの秘書。……大丈夫、私は頑張れる」
お別れの日が来る、その日まで。完璧な秘書で居続けることが、楓香にとってのプライドだ。
小さく頷き、会議室へと向かった。