書籍詳細
政略夫婦の秘め婚事情~箱入り令嬢が狡猾な求婚で娶られて、最愛妻になるまで~
あらすじ
政略結婚なのに、策士な御曹司から熱烈求愛!!
親に勧められるまま、突然のお見合いで政略結婚が決まった社長令嬢の七海。夫婦になったのに会社では秘密。しかも旦那様になった御曹司・良知は仕事第一のクールな性格で、愛のない淡白な新婚生活の始まり…と思いきや、想像以上の溺愛が待っていて!?甘く刺激的に囁かれ、大人の手練手管で迫られ、ウブな七海は初めて知る極上の愛から逃れられず…。
キャラクター紹介
梶浦七海(かじうらななみ)
コンサルティング会社社長令嬢。控えめな性格だったが、良知に愛されて変化が…!?
天嶺良知(あまねよしとも)
七海の夫。イケメンで有能だが合理主義者のため、冷たい印象を与えることも。
試し読み
「まさか、ここ……ですか?」
案内された建物を前に、絶句する。三階まである建物は落ち着いた洋風デザインで、街中でもひと際目立つ。入口横にある店名ロゴを二度見してしまった。
ここは世界的に有名な海外ジュエリーブランドのお店。各国の著名人が婚約や結婚発表の際に、このブランドの指輪を着けているのを見たことがある。それほど洗練された高価なジュエリーを扱っている場所だ。
「良知さん。確認なのですが、今日は仕事の一環でこちらを利用するだけですよね?」
わかりきったことでも、ここまでのハイブランドショップを前にしたら確認しなきゃ不安になる。自分がハイクラスのジュエリーを身に着けている想像ができないもの。
ジュエリーショップの外観を茫然と眺めたまま、良知さんの返答を待つ。
「いいや? 仕事は一切関係ない。今日は七海に似合う指輪を見に来た」
「えっ。だって今朝……」
「リサーチ云々と言っていたのは七海だ。俺はひとこともそんなことは言ってない」
唖然として言葉が出てこない。よくよく回想すると、良知さんは私の発言に対して肯定も否定もしていなかったかも……。
一気に青褪め、ぼそっと返す。
「そんな……だとしたら私、こんなに素晴らしいブランドは似合わない気が」
「そういうとこ」
厳しい目と声に委縮し、咄嗟に首を竦める。
良知さんって、元々こういう冷厳な人だった。一歩オフィスを出れば、そういう雰囲気を感じさせないから忘れていた。
私は上司に注意されるときのような心境で視線を落とす。
「七海は謙虚すぎる。俺が七海に似合いそうなブランドだと誘ったんだから、遠慮せずにいろいろ見てみればいい」
「そう言われましても……」
怖々言葉を返すと、ふいに「ふ」と笑われて顔を上げた。
「本当、仕事以外は欲がないんだな」
どうかしてる。私、この間から良知さんの笑った顔を見るたび、ドキッとして……。オフィスで絶対見せない顔だから? だけど、良知さんの意外なところを見て驚く気持ちに、別の感情が隠れている気がする。これは……うれしい感情?
自分の心情に寄り添いつつ、彼をジッと見つめる。
もちろん大概の人は冷たくされるより笑ってくれるほうが断然うれしいはず。でも今の私はそれだけではなく、どこか落ち着かないそわそわした感覚が……。
途端に良知さんと目を合わせていられなくなって、軽く俯いた。
「結婚したんだから、もっといろいろ欲しがってもいいのに」
彼がなにげなく発したその言葉が、私の心をかき乱す。
私は別に地位とか財産とか多くを求めてはいない。お見合いの相手も、両親が安心できる人であればこだわりはなかった。
でも、良知さんがふいにやさしく笑いかけてくるから——。
いつもちゃんと私の話を聞いて、寄り添おうとしてくれているのが伝わってくる。そのたび私は、いつの間にか甘えてしまいそうになる。
「前に知り合いに付き合って来たんだけど、華美すぎない上品な印象のものが多かった。きっと七海も気に入ると思う」
そもそも気に入るとかそういう以前に、ジュエリーショップの中でもトップクラスのハイブランドを前に怯んでいるというか。世界各国の有名人が好むオシャレなブランドのジュエリーを自分が着けるなんて恐れ多い。
良知さんなら誰が見てもカッコいい人だから、どんな指輪でも似合いそうだけど。
いろいろと考える傍ら、良知さんがわざわざ提案して連れて来てくれたことを考えると、無下にはできないとも思う。
「エスコートをお願いしても、いいですか? 緊張しすぎて転んでしまいそうです」
精いっぱいの返しだった。
良知さんは目を瞬かせたあと、「ふっ」と笑って右腕を軽く曲げ、こちらに差し出してきた。
「もちろん」
私はそっと彼の腕に左手を添える。
自分から彼に触れるのが初めてのせいか、とてもドキドキする。自分の心音がこんなに大きく聞こえたことなどない。あまりに心臓が跳ね回るものだから、隣の彼にまで伝わってしまうのではないかと心配になるほど。
「じゃあ行こうか」
彼の言葉を合図にショップへ向かう。お店の入口まで歩みを進めれば、ドアマンが一礼して重厚な扉を開けてくれた。良知さんのエスコートでふかふかした絨毯に足を踏み入れると、煌びやかな店内に息を呑んだ。
豪華なシャンデリアがショーケースの中を照らし、整然と並ぶジュエリーは幾多の光を放っている。もはや照明がまぶしいのかショーケースの中がまぶしいのかわからない。
「いらっしゃいませ。ご予約のお名前をお伺いいたします」
私が店内に気を取られている間に、黒いスーツ姿の女性が恭しく頭を下げて声をかけてきた。私は店内の装飾だけでなく、彼女の美しいお辞儀にも見入ってしまう。
「天嶺と申します」
「天嶺様。お待ちしておりました。ご案内いたします。どうぞこちらへ」
女性スタッフは上品に口角を上げ、エレベーターまで案内してくれた。その後私たちだけエレベーターで二階まで向かうと、再び同じスタッフが待機していた。
うちのオフィスにあるエレベーターと比べ、扉が閉まる速度や上昇するスピードがゆっくりだったとはいえ、階段で先回りをするのは地味に大変だと思う。ましてパンプスで……。
私が感嘆している横で、良知さんが話を進めていく。
「予約時にお伝えしてはいますが、結婚指輪を探しています。妻の好みを優先して選びたいなと」
「承知いたしました。奥様はお好みのデザインなどございますか?」
「私は……あまり詳しくないんです。でもそうですね。シンプルなものが好きです」
私のたどたどしい答えにもかかわらず、女性スタッフはすぐにいくつもあるショーケースの中から厳選したリングをトレーに乗せて持ってきた。
「では、こういったデザインはいかがでしょう? 形はストレートタイプでとてもシンプルかと思いますが」
紹介してくれた二種類の指輪は、確かに形はシンプル。けれども、どちらも照明をキラキラと反射させていて眩すぎる。
「これって、全部ダイヤモンドですよね……?」
「はい。フルエタニティです。三百六十度ダイヤが埋め込まれておりますが、ひと粒が小さめなので主張もしすぎず、当店で人気の商品なんですよ」
やっぱり結婚指輪の定番といえばダイヤモンドなのかな。おすすめしてくれた指輪はダイヤモンド自体は大きくないものの、輝きが素晴らしすぎて自分にはもったいない気がする。
「ほかにもこのようなV字デザインで、両サイドにダイヤをあしらっているタイプなどはいかがですか?」
さらに別のトレーで提案された指輪は、それこそ大きなダイヤモンドひと粒と両側にも小ぶりだけど綺麗な光を放つダイヤモンドがあるもの。とてもじゃないけれど、分不相応だ。
たとえば桜さんみたいな凛々しい女性なら、存在感のあるジュエリーもさらっと着けこなせるのだろう。私はどちらかといえば幼い容姿だし、ピンク色とかを選んでしまうようなタイプだから、あまり背伸びするようなデザインのものは……。
そうかといって、あまり店頭で遠慮しすぎるのもスタッフに申し訳ないかと悩んでいると、良知さんが口を開く。
「どれもそれぞれ目を引くデザインで素敵ですが、妻は今仕事もしているのでもう少し落ち着いたデザインもあれば参考に見せていただきたいのですが」
「お仕事をされているのですね。失礼いたしました。でしたらさらにシンプルなデザインがよろしいでしょうか。向こうのショーケースにいくつかおすすめのものがございますので、お待ちくださいませ」
女性スタッフが一度頭を下げて離れていく。私はショーケースの上に置かれたままのトレーに目を落とし、小さく息をついた。
それにしても、良知さんはやっぱりご実家も立派だし本人もしっかりしている人だから、こういったブランドショップでも堂々とした振る舞いができるのね。私なんか、
ときどき父に高級料亭やフレンチには連れて行ってもらっていても、ここまで格調高い雰囲気だと緊張しちゃうし、大人の女性には程遠い。
ショーケースの中で煌めくペアの指輪をぼんやり眺める。すると、ひとつ気になる指輪を見つけて意識が吸い寄せられた。
「お待たせして申し訳ございません。こちらの指輪はいかがでしょうか」
そこに先ほどのスタッフがやってきたので意識を戻す。
私がトレーに乗せられた新たな指輪を視界に入れたとき、隣にいた良知さんがさりげなくスタッフにお願いした。
「すみません。これも出していただけますか?」
「承知いたしました。こちらですね」
『これも』と良知さんが指示をしたものは、今しがた私が見つけた指輪だった。
私は驚いて良知さんを見上げる。彼は私の視線に気がついて微笑を浮かべた。良知さんの反応から察するに、私があの指輪が気になっていたことに気づいていたみたい。
「こちら二種類の材質を組み合わせた少々めずらしいデザインで、主な素材はプラチナとブラウンゴールドでございますね」
指輪のトップ部分に向かってねじれているウェーブデザイン。ねじれの途中でプラチナからブラウンゴールドに変化している。
私はトレー上のその指輪をまじまじと見つめた。二色が対になっているデザインも素敵だし、なによりもブラウンゴールドの綺麗な色味に心を惹かれる。
この色……良知さんの瞳の色にちょっと似ている。光が当たったときの綺麗な薄茶の瞳に。
「こちらを試着してみても?」
「ええ。もちろんです。わたくしが拝見しましたところ、今お出ししているものは奥様のサイズとぴったりかと思います」
「七海。手貸して」
良知さんに言われるがまま左手を差し出す。スタッフに見守られる中、指輪をはめてもらうのはものすごく照れくさかった。
「素敵……」
宝石はなにもついていなくても、私にとってはこの指輪がどの指輪よりも印象的で輝いて見えた。なにより自分の左手の薬指につけられた指輪に、特別感を抱く。
「気に入った?」
「はい……あっ。いえ、でも」
「それじゃあこれにしよう」
恍惚としていてうっかり本心で返事をし、慌てて取り繕おうとするも後の祭り。良知さんが次々と話を進めていく。
「そんな。良知さんの好みとか」
「こういうのはインスピレーションで決めるのがいい。俺の好みは七海が選んだものだから問題ない」
ずるい。涼しい顔してさらりと殺し文句を言うのだから。
結局、試着した指輪を購入することになり、彼は刻印のオーダーまでお願いした。
本当に抜かりない人だなと感心していたら、バッグの中のスマートフォンが振動しているのに気づく。ディスプレイを見てみると、《お母さん》と表示されている。
「お義母さん? なにか急用かもしれないし、出たほうがいい」
隣にいた良知さんはたまたまディスプレイが見えたらしく、そう言ってくれた。
私は「はい」と、エレベーターの前まで戻って小声で応答する。