書籍詳細
冷徹非情な次期総帥は初心な彼女に求愛の手を緩めない
あらすじ
「俺のものになる覚悟はしてるよな」難攻不落の怜悧な御曹司が溺甘に豹変!?
しがらみを抱える令嬢の恵が出会ったのは、麗しい美貌のホテル支配人・千石。冷徹非情と噂される彼だが、迷い込んだ子猫を育てる優しい一面を知り…!?クールだけど、本当は情熱を秘めた千石に抗いようもなく惹かれていく恵。「俺のそばに置くためなら、どんな手も使う」策士な彼の手腕で家の因縁から救い出された恵は、激愛のままに求められて――。
キャラクター紹介
葉山崎恵(はやまざきめぐみ)
書道家の助手として働く24歳。一見淑やかな大和撫子だが、内に秘めた意志は強い。
千石 怜(せんごく れい)
自らの手腕でエリートホテリエの座に就いたが、実家は大企業。冷徹と言われているが、恵の前では甘い顔を見せる。
試し読み
最高のスイーツと美味しい紅茶をごちそうになり、幸福感で満たされていた。
「ここは朝も昼も、静かなんですね。時間がゆっくり進んでいる感じがして、しーちゃんも居心地がよさそうです」
タワーマンションというところに訪れるのは、千石さんのおうちが初めてだった。
ここまで高層階にもなると、街中の喧騒の音もそう届かず、静かなのかな。
「地上三十階だし、防音対策してるらしいから、外の音はあまり入ってこないんだろ」
「そうなんですね」
私の相槌を最後に、しばし無言の時間が流れる。
リビングに通された直後は、とても緊張していたが今はそうでもない。
隣のリビングで仔猫がたまに歩き回り、それを気にするように、千石さんは目だけを向ける。時折、コーヒーを飲みながら。
私はその光景を、なんだかずっと見ていられる気がした。
しかし、私がここにいられるのはティータイムの間だけ。残りわずかの紅茶を飲み終えたら、お礼を言って席を立たなくちゃ。ここにある穏やかな時間を少しでも共有できただけ、よかったと思わなきゃ。
カップの底にうっすら残る紅茶を見る。密かに抱く名残惜しい気持ちと一緒に、全部飲み干した。
「ごちそうさまでした」
深く下げた頭をゆっくり戻す。そして、ちらりと後方のしーちゃんを見た。
「確認しておきたいのですが、しーちゃんの付き添いはもう大丈夫なんですよね?」
だからこそ、今日私をお茶に誘ってくれたのだと思っていた。
区切りとして、お礼のスイーツも用意してくれていたのはそういうこと。
「ああ。朝に家を出て、昼の二時、三時くらいの休憩時間までなら大丈夫そうだな」
「よかった。でしたら、もう……私の出番はないですね」
おもむろに席を立ち、静かにしーちゃんのもとへ近づいていく。寛いでいたしーちゃんは、ピクンと耳を立て、私が身体に手を伸ばすと一瞬で逃げてしまった。
結果はほとんどわかっていたものの、最後かと思ったらチャレンジしたくなって。
ダイニングテーブルまで戻り、苦笑する。
「うーん。まだ撫でさせてはくれないかあ。残念です。一度は撫でてみたかったんですけどね」
すると、千石さんは私を見てさらりと言う。
「焦らなくても、そのうち逃げなくなるだろ」
「きっとそうでしょうけれど、私はもう会えないので」
「はあ?」
いつも以上に険しい表情で返され、さすがにビクッと肩を揺らした。
どの部分が千石さんの怒りの琴線に触れてしまったんだろうか。
とりあえず、たどたどしく説明をする。
「えっと、さっき……もう付き添いは不要だと聞いたので」
彼は目をぱちくりとさせたのち、元の雰囲気に戻って淡々と言葉を並べる。
「面倒を見る仕事はもうないが、来るのは自由だ。そいつに会いたいなら、いつでも来ればいい」
思いも寄らぬ提案をされ、思考が追いつかない。
返答できずに固まっていたら、彼はさらにさらりと続ける。
「俺がいるときなら、お茶くらいは出してやる。というか、あの茶葉は恵専用のつもりで用意したから来ないと困る」
「私……専用?」
え? わざわざ買ってきてくれたの? ううん。そうだったとしても、別に紅茶はどのお客さんにだって出せる。それをわざわざ『専用』って……。
信じられない言葉に耳を疑う。
話はきちんと聞き取れたけれど、千石さんの考えがまだわからない。
戸惑う気持ちが顔に表れていたのかもしれない。千石さんが私の顔をジッと見て、席を立った。
「うちに来る人間は誰もいない。いや。正確に言うなら〝いなかった〟。物怖じせずに俺に近づいてくる人は、そうそう……」
そして私の前に立ち、まっすぐな目で告げる。
「恵くらいだ」
真剣なまなざしを向けられ、胸の奥がきゅうっとしめつけられる。
「だが、『知りたい』なんて宣言したわりに、大したことも聞いてこなかったな。ま、心変わりはして当然だろうから、責める気はさらさらないけど」
「その欲求は変わっていません」
私は即座に答えた。
もちろん変わらず、彼を知りたいと思っている。だからこそ、こうして取り繕わずに不器用ながらも本音を伝えてくれる今がうれしくて仕方がない。
負けじと彼の双眼を覗き込んで、切々と訴える。
「でも、一問一答をしたいわけではないんです。同じ時間を過ごして、自然と見えてくる部分とか……私の『知りたい』とは、そういうことを言っているんです」
口頭のみの質疑応答なんて、なんの意味も持たない。特に千石さんは、自身の価値を下げる発言をして真実を隠すから。
千石さんは一笑する。
「そう言って、今日を最後に、もうここには来るつもりがなかった。だろ?」
「それは! ……私だって、できたら好きな人に嫌われたくはないんです」
咄嗟に反論しかけたものの、最後には言い訳がましい内容を口にして俯いた。
「嫌われる? 俺はありうる話だが、恵はないだろ。そんなこと」
「いいえ。仮に前に仰っていた通り、千石さんが誰かに煙たがられたりしていたとしても、私はその『誰か』には当てはまりませんよ」
ほら、やっぱり。千石さんは、どうしてプライベートとなると、そうやって自己評価が低くなるんだろう。
「私にとって千石さんは、ちょっと不器用なだけのやさしくて素敵な人です」
彼が自身をどう見ているかや、周囲の人が感じる彼の人柄は、完全に否定することはできない。でも、私が抱いている彼への印象だって、誰にも否定できない。
もちろん、千石さんにだって。
にっこりと笑いかけると、彼はばつが悪そうな表情をして目を逸らした。それから、再びそろりと視線をこちらに戻し、一瞬だけ『降参だ』といった顔をして微笑んだ。
――可愛い。
大の大人にそんな感想を持ってもいいものなのか。けれど、瞬時に思ってしまった。
仕事中の笑顔に所作に、彼の書く文字に惹かれたように、今私を映すその瞳に引き込まれる。
「え……」
瞬きも忘れて見入っていたら、あっという間に距離がなくなって唇を重ねられていた。目を閉じる余裕もないうちに、彼はそっと唇を離す。
時間差で心臓がこのうえなく騒ぎ出す。手も頬も全部に熱が灯った感覚に陥って、触れられた感触を反芻しながら上目で彼を見つめた。
そのとき、千石さんがぽつりとこぼす。
「……甘」
自分の唇を確かめるようにしてつぶやかれたことに、初めは頭が追いつかなかった。
しかし、それはさっき私が食べていた抹茶のケーキの味だろうと考えると、たちまち恥ずかしさで瞳が潤む。
「ご、ごめんなさい。でも、私も……」
急だったし、どうしようもなかったと訴えようとした矢先、千石さんが相好を崩した。あまりの驚きに、言葉も途中でなくなる。
すると、千石さんが「ふっ」と笑って言う。
「『苦かった』って?」
ぼーっとして理解が遅れる。直後、自分が赤面していくのがわかった。
きっと、私は私で千石さんからコーヒーの苦みを訴えようとしたと思われたんだ。
正直、そんなところまで感じられる余裕はなかった。聞かれてやっと、そういえばコーヒーの香りが微かにするかも……と思う程度で。
そんな質問、千石さんは意地悪するつもりで聞いてきたのかな……。いや、単純に思ったことを口にしただけな気もする。
「全然……大丈夫、です」
小声でぼそぼそと返し、徐々に顔を下げていく。過剰に意識しないようにと思っても、やっぱり恥ずかしさが勝った。
キスをしたあとって、どんな表情でいたらいいのかさっぱりわからない。なんなら、自分がどんな顔をしているかさえも。ううん、今は自分のことはどうでもいい。照れや混乱や……なにを差し置いても、まず知りたいのは彼の理由。
なぜ、私にキスをしたのかという――。
「あの……どうして?」
勢いだとか、弾みとか、そういう答えが返ってくるかもしれない。
いろんな覚悟をして、彼の回答を待つ。
「稀少なタイプの君のせいで、こっちまで予想外のことが起きた」
抽象的な答えにますます謎は深まる。
「それって、つまり……?」
少しずつ目線を上げていき、彼を見る。
「好奇心の目を向ける相手は俺だけでいいってこと」
千石さんの言葉は、全部自分に都合のいい解釈をしてしまいそうになる。
困惑して固まっていると、千石さんはさらに付け加える。
「俺も恵に興味を持ったって話だ」
瞬間、胸の奥が熱くなった。
千石さんも、私に……?
思いも寄らない告白に、喜びよりも驚きのほうが大きくてなんの反応もできない。
本当は別の意図で言っていることを、私が曲解していたりして。だって、こんな奇跡みたいなこと――。
現状に頭も心もついていかず、挙げ句に疑心暗鬼にまでなってしまう。
そのとき、ふいに腰に手を添えられ、さらにグッと引き寄せられる。
彼の身体が触れて密着状態。こんな体勢、目のやり場も手の置き場もない。
「放心してる理由はどっちだ? 喜びか、後悔か」
後悔だなんて。だけど、急展開に思うように口が動かない。
どうしたらいいの……? これほどの近さなら、もしかするとこの信じられないくらいの大きな心臓の音が届いてしまうかも。
そろりと視線を上げていく。千石さんの喉元までいくも、ドキドキしすぎてそれ以上は動けない。二十四年生きてきて、こんなにも緊張したことはなかった。
現状に堪えきれなくなり、瞼を伏せてどうにか平常心を取り戻そうとした。その途端に顎を触られ、思わず目を開ける。
捕らわれた顎を上向きにされ、綺麗な瞳に意識を捕らわれた。
「俺、性格悪いから。気長に答えを待ってやれなくて悪いな」
意地悪く鼻で笑いながら言われても、これっぽっちも性格が悪いだなんて思わない。
ただ、新たに知る一面に胸が高鳴っていくだけ。
「でも、こんなところまで来て、俺に近づいてきたのは恵だろ? 仕方ないよな」
千石さんは口角を上げてそう挑発するなり、私の顔に影を落とし始める。彼の高い鼻が頬を掠めるのを感じ、上擦った声をあげた。
「あ……っ、ま、待って」
私の制止に千石さんはぴたりと止まる。
「千石さんこそ。もう一度……したら、私は都合よく解釈してしまいます……。後悔しませんか?」
一度目のキスで、すでに意識はもうそっち側に転がりかけていた。千石さんも、私と同じ、特別な感情を抱いてくれているって。
恋愛未経験な私のことだ。遊びだったとしても安直な考えに走ってしまうから。
けれど、経験のある男女なら、もしかして『事故』とか『ただの勢い』などで済ませる場合もあるのではないかなと、ギリギリのところで頭を過った。
だから、これは彼への気遣いでもあり、自分への防御線。
至近距離で見つめ合う。まるで時が止まっているみたいなのに、心臓は緊張で早鐘を打っている。
彼の表情の変化を見落とさずに見ていたら、わずかに口の端が上がるのを捉えた。
「くくっ……。問題ない。こちらにも都合がいい話だ。これで恵は逃げられない」
彼は笑いを噛み殺しながら答えたのち、瞬く間に鼻先を交錯させる。そう自覚したときには、すでに二度目のキスを交わしていた。
ついさっき、意地の悪そうな笑い声を漏らしていた彼だけど、触れる唇はとても繊細でやさしかった。