書籍詳細
溺愛宣言~イジワル社長の秘書に指名されました~
あらすじ
「お前は俺のそばにいればいい」
傷心OL×イケメン若社長 強引アプローチに抗えない……
結婚寸前の彼氏に婚約者がいることを知った咲菜は、仕事を抜け出して一人、泣いていた。「俺ならお前を泣かせない」という言葉とともに現れたカリスマ若社長の権丈は、咲菜に突然の秘書抜擢を言い渡す。さらに、強引な人事異動に自宅で悩んでいた咲菜を迎えに来た権丈に、そのまま二人きりの「お泊り出張」に連れ出され……? 大人の独占欲全開ラブ
キャラクター紹介
小宮咲菜(こみやさな)
大手エンターテインメント会社の企画部に勤めるOL。結婚寸前と思っていた彼氏がいたが……。
権丈透吾(けんじょうとうご)
咲菜の会社のイケメン二代目若社長。強引で俺様だが、やり手で面倒見もよく、社員から慕われている。
試し読み
そんなの、全部信じられない。
いつの間にか賑わっていたプールの水際に人の姿はなくなり、康太さんの姿も見えなくなっていた。
でも、さっき確かに自分の目で見た光景が目に焼き付いて離れない。
残像が動悸を引き起こし、上手く呼吸ができないほど嗚咽が込み上げる。
じゃあ、康太さんが私に言っていたことの全ては、嘘だったの……?
私と一緒になりたいなんてあの言葉は、全部、嘘……。
騙されていた、初めからそんな気はなかったなんて、思いたくもなかった。
だけど、突き付けられた現実は残酷で、奈落の底へと私を貶めていく。
私にとって、康太さんは何もかも初めての人だった。
男の人とのお付き合いも、キスも、その先も……。
『咲菜の全部、俺にちょうだい』
康太さんになら、私の全てを捧げてもいいと思ってた。
それなのに……こんなのって酷すぎる……。
「うっ……っ、なんで……」
テラスを囲う手すりに突っ伏して、私は止まらない涙を流し続けた。
この涙と一緒に、今の複雑な感情もこれまでの思い出も、全て流れてしまえばいいのになんて思う。
顔を上げると、泣きすぎた目はライトアップされた照明の鮮やかな色だけをぼんやりと映す。
これから、私は一体どうしたらいいの……?
どうしたら、忘れられるだろう。
やけ酒?
好きなものを好きなだけバカ食いする?
失恋の傷を癒やす方法だって、初めてだからよくわからない。
いや、その前に、康太さんを直接問い詰めるべき?
でも、『お前は遊びだった』なんて言われたら、それこそ立ち直れない……。
まだまだ涸れない涙を拭っていると、背後に近付く足音に気が付いた。
今、この園内にいるのは関係者だけ。
それなのに、こんな泣いている顔を誰かに見られるのはバツが悪い。
「それだけ泣けば、すっきりしただろ」
しかしその声の主は、すでに私が泣いていたことを知っている口ぶりだった。
思わずバッと振り返る。
が、そこに見えた顔に、途端に驚きで全身が硬直してしまった。
「あっ、おっ、お疲れ様です!」
慌てて泣き腫らした顔を両手で覆う。
当たり前だけど一瞬で泣き顔を消せるはずもなく、ぐしゃぐしゃの顔で深く頭を下げた。
緊張が下げた背中を這い上がるように駆け抜けていく。
恐る恐る頭を上げて、再び目の前に立つ姿に自然と姿勢が正された。
見るからに仕立てのいいスリーピースのブラックスーツに、グレーシルバーの織り柄タイ。
ちょうど視線の真っ正面にある、ホワイトのポケットチーフに目が留まる。
見上げた端整な顔を、こんなに近くで目の当たりにするのは初めてのことだった。
ジャパンエンターテイメント株式会社、現代表取締役社長、権丈透吾。
昨年、現会長が社長を辞任して、息子である彼が会社を引き継いだ。
会長は、社長の座を息子に譲るほど老いぼれではない。
歳の頃はまだ七十手前といったところだろう。
でも、社長交代式の日、社員に向けて言っていた。
『我が社のさらなる飛躍には、息子への世代交代が不可欠だ』と。
そうして彼は、三十二歳という若さで新社長となったのだ。
耳にした噂では、彼は社長に就任するまで、海外を飛び回る生活をしていたという。
世界中のエンターテイメント業を自社に取り入れるべく、自ら各国を巡り、様々な事業を学んでいたと聞いている。
スーツ姿が様になるスタイルのいい長身と、目鼻立ちの美しい整った顔立ち。
ラウンドショートの艶のある髪はパーマをあてているのかサイドと襟足が緩くカールをしていて、黒髪でも重くなくオシャレでセンスのいい好印象を与える。
でも、その社長がこんな場所で私に直接話しかけてくるなんて、一体何事だろう。
社長の姿をはっきりとこの目で見たのは、社長交代式以来のこと。
それ以降は社内で、かなり遠くの位置から数度見かけた程度だ。
もちろん、直接対面して会話をしたことなんて今まで一度もない。
契約社員として働く私にとっては、芸能人とかと同等な雲の上のような人だ。
社長という階級の人ということ。加えて、この完璧な容姿の人を前に、無駄に緊張で体が強張る。
社長は黙りこくる私を見てか、ポーカーフェイスで小首を傾げた。
「そこまで泣けるほどショックか」
「え……?」
真っ直ぐ私を見据える社長の口元に、微かに意味深な笑みが浮かぶ。
不思議に思う。
私が泣いていたことも、それがショックを受けて泣いていたなんて、どうして社長が知っているのだろう。
言葉を交わすのも初めての私のことを、一契約社員の私のことを、社長が知っているはずなんかない。
でも、社長の口ぶりはまるで全ての事情を知っているかのようだ。
「あの……すみません、私」
それはひとまず置いておいて、めでたい新施設お披露目の場で、こんなに酷い顔を晒している従業員もいない。
弁解の余地もないくらいの顔面だけど、口だけででも謝罪しておこうと再度頭を下げかける。
地面に顔を向けたタイミングで、正面から「それなら」と声がかけられた。
「そこまで泣けるショックな気持ち、俺が忘れさせてやろうか」
下げかけた頭を上げると、社長はやっぱり不敵な笑みを浮かべて私を捉えていた。
向けられた眼差しにドキンと鼓動がはねる。
「あの……おっしゃることの意味が――」
思わず「きゃっ」と声が出かかるほど、瞬間的なことだった。
距離を詰めた社長の手が私の腕を掴み、引き寄せるようにして腰に手が回される。
すぐそばに迫った私を見つめる整う顔に、咄嗟に息を止めてしまっていた。
これは一体どういう状況なんだろう。
身動き一つ取れず、私を見下ろす社長の顔を見つめ返すしかできない。
息苦しさに胸の苦しさも手伝って、顔を逸らしかける。
だけど、腕を掴んでいた手が今度は顎に触れ、背けようとした顔を強引に上向かせた。
「忘れたいなら抗うな」
囁くその言葉は、唇に振動するほど近く、全身に緊張が襲う。
「抗うな」と言った社長は、私の唇を深く包み込んでいた。
重なった唇は、私の唇を撫でるように食む。
ビクンと体が震え上がると、腰に回されている手で更に強く引き寄せられた。目を見開いたまま、目前の霞む社長の顔に頭がクラクラとしてくる。
顎に添えられた指が離れると、塞がれていた唇もゆっくりと解放された。
勢いあまって、社長の胸元についていた手が体を離すように押し退ける。
今更もう遅すぎる反応だけど、ガードするように両手で口元を隠していた。
「なっ、何を……!」
あまりの衝撃的展開に抗議の文句一つまともに出てこない。
やっと安全な距離を保って目にした社長は、余裕の微笑みを浮かべてまた小首を傾げた。
「思ってた以上に新鮮な反応だな」
「はっ、はい?」
フッと笑いを漏らすその表情には、悪戯心しか窺えない。
「ショック療法ってやつだ。ちょっとは紛れただろ」
噂では小耳に挟んでいた。
新社長はかなりの変わり者……希代の変人だと。
その完璧な容姿からは全く想像もつかないけど、まともな人から見たら理解のできない発言や行動を起こすなんて、社内で誰かが言っていた。
会社の発展のために海外を飛び回っては、普通の人が絶対に拒否する信じられない絶叫アトラクションを、自ら進んで体験したりしてしまうような変わっている人。
そして、自分が愉快だと思えば人が恐怖を感じようとも、『これを参考にしよう』なんて平然と実行に移してしまうような〝ちょっとズレている人〟だと。
それは仕事に拘わらず、プライベートでもそうなんだと確信する。
でも、従業員の、しかも面識もない私なんかに、なんてことをするのだろうか。
忘れさせてやるって、こういう意味だったの?
「紛れたって……なんのことをおっしゃってるんですか」
一歩、また一歩と、あとずさりで社長との距離をとる。
社長は悪びれた様子もなく、さっきと変わらぬ微笑を浮かべて私を見つめている。
いきなりキスなんかしてきたくせに、だ。
やっぱり、うちの社長って普通じゃない?
かと思えば急に笑みを消し、射貫くような真っ直ぐな視線で見つめられる。
「未来の約束もできない男なんか、忘れた方がいいと言ってるんだ」
え……?
「お前は俺と、幸せになればいい」
そう言った社長の言葉と、その背後にそびえ立つ観覧車のライトアップが目に美しく映り、不覚にもキュンときてしまう。
……って!
いやいやいや、胸キュンしてる場合じゃないでしょ!
というか、未来の約束もできない男、なんて……どうして私の事情を社長が知っているの?
「あのっ、さっきからおっしゃる意味がわからないと言ってるんです!」
話が一人歩きしすぎて、全くついていけてない。
突然現れて『ショック療法』だなんてキスされて、挙げ句の果てには『お前は俺と幸せになればいい』なんて、展開がぶっ飛びすぎている。
これじゃあまるで、衝撃的シーンを集めたドラマの予告編でも見ているみたいだ。
何がどうなってそうなったのか、理解不能。
というか、この社長とまともに話せる気がしない!
「まぁいい。週明け、また会おう」
「えっ、あの!」
結局、立ち去る社長を引き止めることもできず、その広い背中を見送っていた。
何一つ解決しないまま、突然落とされたキスの柔らかい感触だけがはっきりと残っていた。