書籍詳細
秘密で赤ちゃんを産んだら、強引社長が溺愛パパになりました
あらすじ
「愛してる、もう二度と離れるな」過保護な育メン御曹司とシークレットベビーラブ
大企業の御曹司・蓮と付き合っていた紗雪は、彼との子を身ごもるも、とある理由で彼から離れ、極秘に出産。一人で息子を育てていた四年後のある日、偶然蓮と再会!強引に彼の超高級マンションに連れていかれ、“期間限定”で住まわされることに。「俺の恋はまだ終わっていない」と過保護に甘やかしてくる彼に、抑えていた愛しい想いが熱く再燃して…!?
キャラクター紹介
名取紗雪(なとりさゆき)
IT系企業に勤めながら、息子・耀太を一人で育てている。治安のいい場所に引っ越したい。
秋月 蓮(あきづきれん)
自動車用品メーカー・秋月工業の御曹司であり紗雪の元恋人。一途でまじめ。
試し読み
蓮が車のトランクに買った物を詰め込んでくれた。
礼を言って、紗雪は耀太をチャイルドシートに乗せる。
耀太の隣に座りシートベルトをつけていると、運転席からふいに蓮の手が伸びてきた。小さな紙袋をぶら下げている。
「これ、耀太にやるよ」
「……これ以上、なにかもらうわけにはいかないよ」
紗雪はやんわりと遠慮した。
蓮には昔からこういうところがあった。とにかくプレゼントが多いのだ。誕生日でもクリスマスでもないのに、贈り物を買ってくることが多々あった。
もらいすぎていると感じたとき、『どうしてこんなにたくさんプレゼントをするの?』と聞いたことがある。
すると彼は、なにを当たり前のことを、といったような顔で答えた。『紗雪の喜ぶ顔が見たいからに決まってるだろ』と。
「紗雪じゃなくて耀太にあげるんだよ。それならいいだろ」
「そういう問題じゃないから。そもそもいつ買ったの?」
「おまえがトイレに行ったときだよ。耀太はまだ寝ていたから俺が選んだんだ。別にいいじゃないか、目についたのを買っただけのことなんだから」
紗雪と蓮がまた言い合いをはじめると、耀太がみるみる困り顔になった。
だから紗雪は、ここでも折れざるを得なくなる。
「わかった。でもこれきりにしてね」
「よし、お許しが出たぞ。ほら耀太」
嬉しそうな蓮の声に、耀太が紗雪の様子を窺ってくる。
紗雪はほほ笑んで頭を撫でた。
「よかったね、耀太」
「うん」
ほっとした顔になり、耀太は両手を伸ばして受け取った。
「出発するぞ」と蓮が言って、エンジンがかかる。
紙袋を開けようとしたものの、小さな指はまだまだ不器用で、うまく開けられないようだ。
紗雪が引き取って、袋口を開ける。中を見て驚いた。
手のひらに乗るくらいの小さな置き物だ。目つきの悪い子豚が、こたつに入ってぐうたらと寝そべっている。一見して可愛いと言えるような姿ではないが、コミカルな愛嬌があった。
「わあ、可愛い」
耀太が嬉しそうな声を上げた。
「可愛いねぇママ。ブタさん、ねんねしてるね」
「……そうだね」
かすれた声で紗雪は言った。耀太には紗雪の好みが遺伝しているらしく、紗雪と同じでブサ可愛好きだった。
『どういうつもり?』と蓮を問い詰めてもよかった。でも、できなかった。
――『紗雪の喜ぶ顔が見たいからに決まってるだろ』
あのときと同じ回答が返ってきたらと思うと、できなかった。
「あのマンションは殺風景だから、置き物でもあれば多少は和むんじゃないか?」
言い訳をするような口調で、蓮は言った。
「雑貨屋の店頭で、それがいちばんに目に入ったから手に取ったんだ」
きっとそれは本当のことだろう。蓮はいつも素直だ。本心を包み隠すことが苦手な人だ。感情と思考と行動が一直線につながっていて、ブレがない。
そういうところも好きだった。
紗雪は心を落ち着けるように目を閉じた。
それからまぶたを開き、バックミラー越しに蓮を見る。
「ありがとう、蓮」
「ああ」
ほほ笑む紗雪に、蓮はほっとしたように瞳をゆるめた。
「耀太の好みに合っているか、わからなかったんだけどな。ふたりに喜んでもらえてよかった」
蓮の、飾り気のない素直な気持ちにふれた気がした。紗雪は胸の痛みをこらえて目を伏せた。
マンションに帰りつき、蓮は車を地下駐車場に停めた。
例によって眠ってしまった耀太と大量の荷物をふたりで部屋に運び終え、最後に紗雪は、子豚の置き物を玄関のシューズボックスの上に飾った。
「今日は蓮にたくさんお世話になったね」
革靴を履く広い背中を見つめながら、紗雪は告げた。
「どうもありがとう」
「いや、気にしないでくれ」
履き終えて、蓮がこちらを振り返る。
端整な面差しにやや気怠げな雰囲気が漂っていて、紗雪はどきりとした。蓮にはつい目を奪われてしまう。
自分の動揺を隠すように、紗雪は言った。
「疲れたでしょう? 休日出勤の日に、ごめんね」
「これくらいのことでは疲れないよ。それよりも俺は」
そこで言葉を切って、蓮は紗雪から目線を外した。なにかを言いあぐねているような様子だ。
紗雪はなんとなく嫌な予感がした。
蓮の視線が戻ってくる。
憂いと熱を帯びたまなざしに、鼓動が速まった。
蓮の、男らしく引きしまった唇がゆっくりと動く。
「俺は今日一日、紗雪と耀太と過ごしていてすごく楽しかった。嫌なことなんてひとつもなくて、充実して、ただ楽しかったんだ」
「小さい子供と出かける機会なんてそうそうないもんね。珍しい体験だったからそう感じるんじゃない?」
内心の動揺をなんとか隠しながら、紗雪は笑った。
けれど蓮は笑わなかった。彼のまなざしはこちらの心を射抜いてくるようだ。それでいて苦しみや痛みをも、含んでいるように見えた。
「そうじゃない。珍しいからじゃない。今日一日紗雪たちといて、もしかしたらこの一日が、俺の毎日だったかもしれないと思った。俺はこの四年間、見当違いの道を歩いてきたんじゃないかって」
「そんなことない。蓮の四年間は蓮のものだよ。見当違いなんかじゃない」
紗雪は首を振った。
「蓮もわたしも、お互いがいなくたってちゃんと生きてきたでしょう?」
「俺は――、くそ」
蓮は奥歯を噛みしめた。前髪を片手でかき上げて、顔を歪める。
「すまない。情けないことを言った」
「蓮……」
「紗雪を困らせたいわけじゃない」
蓮は肺からすべての呼気を吐き出すように息をついた。そうして目を上げたとき、彼は口元に苦笑めいた感情を浮かべていた。
「この四年間、紗雪に対する怒りがずっとあったよ」
「……うん」
わかっている。それだけのことを自分はしたのだから。
「けれど実際、こうやって顔を見て、しゃべったり笑顔を見たりすると、怒りの感情なんてどうでもよくなる。なんでだろうな。すごいよ、おまえは。耀太の可愛さと同じくらいすごい」
「わたしはすごくなんてないけど、耀太が可愛いのくだりは同意かな」
あえて冗談めかして言うと、蓮も笑った。
「親バカだな」
「どうせそうですよ」
「耀太を産んでくれてありがとう」
サラリと告げられた言葉に、紗雪は目を見開いた。
「ありがとう紗雪。おまえが産んでくれたから、俺はあの子に会えた。ひとりきりで心細かっただろうに、それでも紗雪は産んでくれた」
「お礼なんていらないよ。わたしは……自分が産みたかったからそうしただけ」
声がかすれた。感情があふれ出しそうで、胸が痛い。
「感謝するに決まってるだろ」
蓮はほほ笑んだ。裏表のない、まっすぐな想いが伝わってくる。
「ひとりでしんどかっただろうに……おまえはとくに、自分で全部抱え込む性格をしているから」
視界がぼやけてくる。いけないと思っているのに、目の奥が熱く痛んでくる。
(まさか、感謝されるなんて)
耀太を産んでくれてありがとうだなんて、言われたことはなかった。生まれてきてくれてありがとうと、紗雪自身が耀太に何度伝えたか知れない。
けれどそれだけだった。
耀太を否定されたことはあれど――堕胎を迫られたことはあれど、誰かから感謝されることはなかった。
紗雪は彼を、四年前、ひどく傷つけたというのに。
「ひとりで産んで、その上あんないい子に育ててくれて。ありがとう、紗雪」
自分が父親だと名乗れないのにもかかわらず、礼を言ってくれる。
この人はどこまで優しくて、大きな人なのだろう。
胸が詰まって言葉を返せなくなり、紗雪はうつむく。うつむいたのは涙を隠すためでもあった。
お腹の子をあきらめてくれと言われたときからずっと、自分の心には癒えない傷があり続けていた。
その傷が蓮の言葉にふれて、癒されていく心地がする。
「紗雪? どうしたんだ?」
うつむき続ける紗雪に、戸惑ったような声で蓮が言った。
ややあって、大きな手が肩に置かれる。
「……泣いてるのか?」
「ごめ……、なんか、止まらなくて」
「いいよ」
肩の手に力がこもった。もう片方の手が紗雪の右頬を包み込む。その温かさに、胸がぎゅっと締めつけられた。親指が、頬にこぼれる涙をたしかめるように拭う。
「紗雪」
かすれる声で呼ばれて、肩をつかんでいた手が腰に下り、そのまま抱き寄せられた。広く硬い胸板に片頬が埋まって、たくましい両腕で抱き竦められる。
紗雪はとっさに、彼から離れようと体を動かした。
「ダメ、蓮――」
「紗雪。おまえ、痩せたよ」
紗雪の抵抗を力で抑えて、蓮はグッと抱きしめてくる。
彼の声は優しかった。やるせないような響きも含まれていた。
「いまも俺の言葉なんかでこんな風に泣いて。精いっぱいなんだろ。精いっぱい耀太を守っているんだろ。なら、おまえのことは誰が守るんだよ」
息が止まった。誰かに守られることなど、耀太を産んでから一度も考えたことがない。
耀太を育てていくのだと、この暮らしを守っていくのだと、そればかりを考えてきた。
「俺が四年前、もっとしっかりしていたら。あんな風に絶望せず、おまえのことをあきらめずに探し出していたら」
抱きしめてくる腕の強さが苦しい。
それ以上に、彼の言葉はいっそう苦しげに響いた。
蓮の片手が濡れた頬に戻ってくる。いたわるように優しく撫で、涙を拭い、紗雪の顔を上向ける。
目が合った。
男らしく、完璧に整った造作の面差し。
それ以上に惹き込まれるのは、彼の双眸に宿る熱情だった。四年前と変わらない、狂おしいほどの恋情だった。
「紗雪――」
求めてやまないような声と共に、蓮の熱い吐息が唇にふれる。彼の気配が濃密になり、限りなく近づいた。
紗雪は身を硬くした。
拒絶しなければならない。
いますぐ彼を突き飛ばして、ふたりの境界線を明確にしなければならない。そう思うのに、体が動いてくれない。
かすかに、ほんのかすかに、蓮の熱と唇の感触が紗雪のそれにふれた。
瞬間、彼とのあいだに置いた手で、硬い胸板を小さく押し返す。
「ダメだよ」
かすれた声が自分の唇からこぼれた。
蓮の動きが止まる。腕は紗雪の腰に絡んだままだ。見上げると、彼は傷ついた目をして紗雪を見下ろしていた。
胸がずきりと痛む。
蓮は小さなつぶやきを落とした。
「……すまない」