書籍詳細
離婚予定の契約妻ですが、旦那様に独占欲を注がれています
あらすじ
「君の可愛さは、俺だけが知っていればいい」クールな社長と切なくも甘い契約結婚!?
カフェで働く花純は、想いを寄せていた社長・創から期間限定の契約結婚を持ちかけられ、瞬く間に新婚生活を始めることに。「円満な離婚に向けて尽力する」と言い放った創にショックを受けつつも、歩み寄ろうと努める花純。そんな彼女のウブで健気な言動に、独占欲を煽られた創の態度が豹変!かりそめ夫婦のはずが、甘く優しいキスを落としてきて…!?
キャラクター紹介
真下花純(ましたかすみ)
カフェ店員。とある出来事をきっかけに、創に想いを寄せる。
君嶋 創(きみしまはじめ)
スポーツウェアブランドを展開する『キミシマグループ』の国内事業部取締役。
試し読み
モダンな雰囲気に包まれた高級感溢れる、五つ星ホテル。
数年間ミシュランの一つ星を獲得し続けている四十四階のフレンチレストランからは、目にも美しい夜景と東京湾が望める。季節柄、店内の中心には大きなクリスマスツリーが飾られ、ライトが様々なバリエーションで光を灯している。
お任せで振る舞われるコース料理は、その日に仕入れた食材によってメニューが変わるため、ドリンクメニューしか用意されていないのだとか。
「あの、創さん……。いくらなんでも、高級すぎる気が……」
レストランに入るや否や緊張でいっぱいになった私は、気後れしながらもこっそりと訴える。けれど、創さんは「そんなことない」と笑った。
「夫婦で迎える初めてのクリスマスなんだ。これくらいはさせてくれ」
ドレスコードがあるとは聞いていたものの、これまでの比ではない雰囲気に圧倒されてしまう。必死に平静を装ってみても、気分はまるで〝おのぼりさん〟だ。
彼は、自分にはワインを、私にはノンアルコールワインをペアリングするように告げると、借りてきた猫のようになっている私を見てふっと口元を綻ばせた。
「そんなに緊張する必要はない。のんびり食事を楽しめばいいんだ」
無理です……と情けなく呟いたあと、運ばれてきたワインで乾杯をした。ノンアルコールワインはジュースのようで飲みやすいけれど、リラックスできそうにない。
ところが、アミューズのトリュフとドライフルーツのテリーヌを一口食べた瞬間、あまりのおいしさに緊張感が一気に吹き飛んだ。
「おいしい……! こんなの、食べたことないです!」
パッと瞳を輝かせた私に、創さんがクスッと笑う。「よかった」と口にした彼は、優美な瞳に私を映していた。
その後は、ゆったりとしたペースで料理が運ばれてきた。
オードブルはカリフラワーのブランマンジェとボタンエビのグジョネット、スープはかぼちゃのポタージュ、ポワソンは帆立貝と蓮根のパートフィロ包み。
ゆずのソルベを挟んだあとは、アントレにグリルされた冬野菜と牛フィレ肉のロースト、さらにはベリー系のソースに彩られたサラダと、三種類のチーズ。
アントルメには柑橘系のフルーツタルトとともにコーヒーが並べられ、フルーツには洋梨のコンポートと白いちご、最後のカフェ・プティフルールではハーブティーとマカロンが振る舞われた。
十種類にも及ぶ料理は美しい盛り付けだったのはもちろん、どれも筆舌に尽くしがたいほどおいしくて、当初の緊張なんて思い出せないまま綺麗に平らげた。
そんな私に、創さんは温かい眼差しを向けてくれている。それがまた、私の中の喜びを大きくした。
そのまま四十階にあるバーに足を運ぶことになり、窓際のテーブル席に案内されると、彼がチャイナブルーを頼んでくれた。
「初めて一緒に飲んだ夜みたいになると困るから、一杯だけ楽しもう」
「はい。さすがに一杯くらいなら大丈夫だと思います」
からかうような声音に、肩を小さく竦めながらも相槌を打つ。
ライトアップされた東京タワーを目にしつつ、他愛のない会話を交わす時間は瞬く間に過ぎ、もうすぐカクテルがなくなってしまう。
待ち遠しかった今日が終わることが、少しだけ寂しかった。
「花純。メリークリスマス」
切なさを隠すように夜景を見つめると、創さんが私の前に小さな箱を差し出した。
「え?」
「帰ってから渡そうかとも思ったんだが、花純があまりにも名残惜しそうだから」
困り顔で微笑む彼は、「開けてみて」と優しく告げた。
まさかクリスマスプレゼントを用意してくれているなんて思いもしなかった。さらに大きくなった喜びに驚きまで加わり、本当に嬉しいのに上手く笑えない。
「ありがとうございます。すごく嬉しいです……!」
それでも、感動で震えそうな声でお礼を紡ぎ、箱にかけられたリボンを解いた。
ベルベット素材の箱を開けると、ピアスが入っていた。
プラチナのふたつの輪が絡み合うようなデザインの中心には、ダイヤモンドがあしらわれている。そっと手に取ってみれば、輪が重なっている部分から吊るされたダイヤモンドが微かに揺れた。
小さなピアスはさりげないデザインだけれど、その美しさに目を見張る。
言葉にできないほどの感動で、胸が詰まってしまう。しばらくの間、キラキラと耽美な輝きを放つジュエリーから目が離せなかった。
「それならオンオフ問わずに使えるんじゃないかと思ったんだが、好みではなかったただろうか?」
「いえ、そんなこと……! すごく綺麗だし、とても素敵です!」
慌てて食い気味に返せば、創さんが安堵混じりに瞳を緩めた。「そうか」と呟いた彼は、穏やかな雰囲気を纏っている。
まるで恋人に向けるような面差しを前に、ついときめいてしまった。
「素敵すぎて、使うのが勿体ないくらい……」
「そう言わずに使ってくれると嬉しいんだが」
「はい。それはもちろんです」
大きく頷いてピアスを外し、プレゼントしてもらったばかりのピアスをつける。すると、創さんは笑みを深めた。
「よく似合っている」
いつにも増して優しい笑顔を見せてくれる彼に、幸福感が押し寄せてくる。
創さんは、私と過ごす時間を楽しんでくれているのだろうか。
せめて、私が抱いている喜びの十分の一でもいいから、彼にも同じ気持ちを感じていてほしい。おこがましいとわかっているけれど、そう願わずにはいられなかった。
帰宅後、先にお風呂に入らせてもらった私は、創さんがバスルームから戻ってくるのを待っていた。
右側に置いた紙袋を体で隠すようにしながら、ソファで膝を抱える。手持無沙汰のせいか、サテン生地のパステルピンクのショートパンツを握り締めていた。
お揃いのキャミソールの上に羽織っているパーカーは、ふわふわとしたファブリック生地が心地好く、いつもならリラックスできるけれど、今夜は落ち着かない。
「まだ起きていたのか」
三十分が経った頃、彼がリビングに姿を見せた。
「はい。その……まだ眠くなくて。それより、ちょっといいですか?」
「ああ、構わないけど」
ウォーターサーバーの水で喉を潤した創さんが、ダイニングテーブルにグラスを置いて私の傍にやってくる。ソファに腰を下ろした彼に、勢いよく紙袋を差し出した。
「これ……! 気に入っていただけるかはわかりませんが、受け取ってください!」
創さんは言葉を失くしたように瞠目し、数秒ほど静止してしまった。
「実は、渡す勇気が出なくて家に置いていたんです。でも、創さんもクリスマスプレゼントを用意してくれていたことが嬉しかったので、やっぱり私も渡したくなって」
私の説明を聞く彼が、戸惑いと喜びを同居させた瞳を緩め、次いで前者を消化させたような笑みを零した。
「嬉しいよ、ありがとう」
開けていいかと訊かれ、おずおずと頷く。
創さんが紙袋から出したラッピングバッグを開ける様子を見ながら、ドキドキしてしまう。彼が最初に手にしたのは、アンダーシャツだった。
続いて似たようなラッピング素材を開けた創さんは、ランニングウェアを取り出した。他にも、スポーツウェア用の生地で作られたナイトウェアもある。
「色々考えたんですけど、なにがいいのかわからなくて……。結局、色々なブランドを回って、それぞれのブランドで一番人気の商品や新作を選んでみたんです」
彼がいつも身に着けているものは、どれも高価なものばかり。
スーツや普段着はもちろん、時計や靴などの小物に至るまで洗練されたものを愛用している。スポーツ用品は、自社製品であるKSSのものをいくつも持っているし、シューズボックスには新作のランニングシューズだってある。
考えれば考えるほど、なにをプレゼントすればいいのかわからなくなり、一周回ってトレーニングで使えるもの――しかも、あえて他社の製品を選んだ。
「ライバル社のものを選ぶなんてダメかもしれませんが、KSSのものはきっとどれも試しているか持っているでしょうし……。その点、他社の製品なら自分では買わないかなって思ったのと、少しでも仕事で活かしてもらえるかもしれないって……」
必死に説明したけれど、なんだか言い訳じみている気がして言葉尻が小さくなる。
今になって、一番やってはいけない選択だったかもしれない……と、不安が大きくなってきた。
「……そうか」
ひとりごちるように呟いた創さんが、小さく噴き出した。ククッと笑いを嚙み殺すようにする彼に、きょとんとしてしまう。
「すまない、あまりにも予想外で驚いたんだ。でも、その考え方はいいな。俺なら、きっと思いつかなかった」
創さんはどこか嬉しそうに、私がプレゼントしたものを並べている。
「確かにライバル社のリサーチは重要だし、色々試せると参考になる。だが、一番は花純が俺のことを考えてくれたことが嬉しいよ。ありがとう」
籍を入れたばかりの頃の彼なら、きっとこんな風には言ってくれなかった。
本当の夫婦じゃないけれど、私たちの距離はちゃんと少しずつ近づいている。そしてやっぱり、この想いは強くなっていくばかりだ。
(好きだなぁ……。創さんのことが、すごく……)
創さんは自分のことを冷たいと言った。けれど、私にはそうは思えない。
私が見ている彼は、出会った頃のままの優しさを携えている。
「好きです」
そう感じた刹那、勝手に想いが言葉になっていた。
創さんは目を大きく見開き、瞬く間に動揺をあらわにしたけれど。
「あっ……! すみません……。でも、なんだか言わなきゃいけない気がして」
私は不思議と羞恥も緊張もなく、驚くほどあっさりと伝えることができた。
自然と零れた笑顔で彼の目を真っ直ぐ見つめると、勝手に口が動いてしまう。
「創さんはやっぱり冷たくなんかありません。優しくて……でも、たぶんちょっとだけ不器用で。私は、そんなあなたのことが好きなんです」
戸惑う創さんに、微笑みを向ける。
「好きになってほしいなんて言いません。ただ、こんな風に創さんを想っている人間があなたの傍にいるんだってことを、ときどき思い出してくれたら嬉しいです」
両想いになれるなんて思っていない。そうなれたら嬉しいけれど、それは夢物語だとわかっている。
それでも、私の想いをさらけ出せば、『あなたは冷たい人間じゃない』って彼に伝わるかもしれない。なにもできないけれど、小さな可能性くらいならある気がした。
「君はどうして……そう無防備なんだ」
「え?」
ところが、ようやくして口を開いた創さんは、なぜか眉をひそめていた。
「この間のキスのときも、今も……。そんな風に素直に自分の気持ちを出して、俺がそこに付け入るとは思わないのか。だいたい、その格好だって無防備すぎる」
紡がれる言葉の意味を嚙み砕くよりも早く、彼が呆れたようにため息をついた。
「花純は、男のことをなにもわかっていない。もっと目の前の男を警戒すべきだ」
ただ、私を見つめる複雑そうな眼差しの中には、温もりが混じっている――なんて受け取ってしまうのは、都合がよすぎるだろうか。
だいたい、創さんだってなにもわかっていない。
彼にならすべてを捧げてもいいと思ったからこそ、私は契約結婚なんて突飛なことを受け入れたのだ。
「なにもわかっていないのは、創さんの方です」
「え?」
「私は、創さんにならなにをされてもいいんです。契約結婚を決めたときから、それくらいの覚悟はしています」
みくびらないで、とでも言うように創さんを見据える。
彼は一瞬たじろぎ、それから程なくして深いため息を零した。
「本当に、花純はなにもかもが予想外だよ」
まるで負けを認めたかのごとく、創さんの表情が緩んでいく。
「花純の気持ちを知らなかったとはいえ、もともとは利害の一致で夫婦になったからこそ、残りの期間は君に触れるべきではないと思っていた。だが――」
わずかに目を伏せた彼が、意を決するような真剣な瞳で私を見つめてくる。
真っ直ぐな双眸に捉われ、心ごと搦め捕られてしまう。
「花純を見ていると、心が乱される。今すぐに抱きたい、なんて考えるくらいに」
戸惑いを孕ませながらもしっかりと紡がれた、低い声音。
それが今の創さんの想いなら、私の答えはひとつしかない。
「だったら、抱いてください」
息を吐くように静かに返した言葉には、一縷の迷いもためらいもなかった――。