書籍詳細
エリート御曹司の最愛シンデレラ~家政婦になったら溺愛が待っていました~
あらすじ
「愛している。これからは君を全力で守る」家政婦なのに、極上御曹司の甘いアプローチに陥落して――。
両親が残した借金を返すため、仕事を掛け持ちして歳の離れた弟を育ててきた真緒。弟の留学費用を捻出できず悩んでいたとき、ビル清掃の仕事で重役フロアの担当となり、副社長の黒瀬怜司と出会う。深夜のオフィスで交流を重ね惹かれあうふたり。怜司から家政婦として同居を提案されるけど、真緒には怜司に言えない秘密があって!?
キャラクター紹介
作宮真緒(さくみやまお)
両親に先立たれ、歳の離れた弟をひとりで育ててきた。少しブラコン気味の二十六歳。
黒瀬怜司(くろせれいじ)
黒瀬ホールディングスの敏腕副社長。愛人の息子で正妻から疎まれている。三十二歳。
試し読み
カートをしまい、溜まったゴミをまとめてある場所へ置き、着替えを済ませてビルを出る。
あと五分で終電が行ってしまう。
あきらめずに駆け出したところで、車のクラクションがプッと鳴るが、気にしてなんていられない。
ところが、再び連続してクラクションが鳴らされ振り返る。
あ……。
通用口近くに止まっていた車の運転席から出てきたのは、黒瀬副社長だった。
「送っていく」
「いえ、まだ三分あります! ありがとうございますっ!」
時計を確認して走りだそうとすると、「いいから、乗れ」と命令に慣れた声がした。
仕方なく車に近づき、自分で助手席のドアを開けて乗り込む。黒瀬副社長も運転席におさまった。
「シートベルトを」
車に乗り慣れていないので、慌ててシートベルトを装着する。
「副社長の帰宅が遅くなってしまうのでは……」
「俺がいいと言っているんだ。それにあと三分で本当に乗れると思ったのか?」
「全速力で走ればギリギリいけるかと。今までもそうでしたし」
黒瀬副社長は微かに眉をひそめる。
「転んだりしたらどうするんだ」
「子どもじゃないんですから……」
黒瀬副社長に気に掛けてもらって心苦しい。
……ちさ子叔母様の件がなければ、こうして送ってもらえることが嬉しかったに違いないのに。
車が走りだす。黒瀬副社長の運転は、ブレーキやハンドル操作が滑らかで安心できる。
「弟にメッセージを送らなくていいのか?」
「あ! そうでした!」
今日は車の方が早く着くだろう。そのときはそのときで、早く終わったと言えばいい。
そのため、スマートフォンから送ったメッセージは【電車に乗ってます】にした。
すぐに潤平から【OK、気をつけて】と返事が戻ってきた。
「副社長のお住まいは、どちら方面なんでしょうか……?」
前回は気づかなかったが、座席から高級な革の匂いがする。車種はわからないけれど、高級車に違いない。
「代々木だ」
「ええっ!? 反対方向すぎます!」
「道が空いていれば、君の家までは二十分くらいだ。それくらいの回り道は問題ない」
私のことなんか放っておけばいいのに、どうして……?
困惑するが、清掃部のアルバイトに何かあったら、責任を問われるのは会社だ。だから、無視できないのだろう。
「本当に申し訳ありません」
「気にするな。ところで、君は昼間、何をしているんだ?」
黒瀬副社長は前を見たまま尋ねる。
「税理士事務でアルバイトをしています」
「バイト? 社員じゃないのか?」
「社員ですと副業ができませんから。その理由は聞かないでください」
彼のような立場の人間には、ふたつのアルバイトを掛け持ちすることは理解できないだろう。そう思ったが、意外な言葉が返ってきた。
「俺も大学時代はいくつもバイトを掛け持ちしていたのを思い出したよ。懐かしい」
「副社長がいくつも……?」
驚いたが、ちさ子叔母様の言葉を思い出す。
黒瀬副社長は愛人の子どもだと。
今は副社長として恵まれた生活を送っているように見えるが、大学生の頃は苦労していたのかもしれない。
だから、私のような者に優しくしてくれるのかも。
「そういうことなら、なおさら先日の提案を受け入れた方がいいんじゃないか?」
「先日の提案……?」
なんのことか思い出せずに首を傾げる。
「十分早く仕事を終わらせることだ。そうすれば余裕をもって終電に乗れるだろう?」
「それは……」
ちさ子叔母様へ一刻も早くお金を返すのなら、このアルバイトではなく夜の世界へ行くしかないだろう。
だから、まだこのままでいい。
「……今は考えられません。とりあえず日々しっかり仕事をするだけです」
そこで最寄り駅を通り過ぎたのがわかった。
「すみません。降ろしてください。ここから歩いて行きます」
歩いて帰れば終電に乗ったのと同じ時間で帰り着けるだろう。
「いいや、家まで送る。こんな夜中に途中で降ろして、何かあったらどうする?」
「それは私の責任――」
「黙れ。少しは甘えることも学んだ方がいいな」
黒瀬副社長の言葉は胸に突き刺さり、じわりと目頭が熱くなった。
両親が亡くなってから、甘えることなんて許されなかったのだ。この先だってわからない。
返事ができずにいたところで、アパートの前に車が静かに止まった。ドアのロックが解除される音がした。
「あの、ありがとうございました。お気をつけておかえりください」
「ああ。おやすみ」
「おやすみなさい」
座ったまま頭を下げて、シートベルトを外して外へ出た。
黒瀬副社長の車が去って行き、階段をノロノロとした足取りで上がる。先ほどの彼の言葉が、心に重くのしかかっている。
バッグから鍵を出して鍵穴に差し込もうとしたとき、いつものように内側からドアが静かに開いた。
「姉ちゃん、おかえり。お疲れ」
「ただいま。卒業式はどうだった? 卒業生代表で答辞したんだよね? やっぱり仕事を休んで行けばよかったって後悔していたの」
「別に見るもんでもないよ。あ、でも将司の親がビデオ撮ったからDVDにおとして後でくれるって。写真も」
「よかった。楽しみだわ」
コートを脱いでハンガーに掛け、自分の部屋の鴨居にぶら下げる。
「あ、そうだ。留学の話はどう? 先生、喜んでくれたでしょう?」
振り返って、うしろにいる潤平に尋ねる。
「うん。卒業式が終わってクラスに入ったとき、みんなに発表してた。書類も預かってきたよ」
「キッチンのテーブルの上に置いておいてね。後で見るから」
タンスを開けて、下着を手にする。
「あのさ、帰宅して先生から電話がきたんだけど、マディソン・リチャード教授が四月中に来ないかって。特別に研究室で勉強すればいいって……」
「四月中……」
本来なら、アメリカの大学は九月の入学のはずだけど、リチャード教授は潤平に対して、とても期待してくれているみたいだ。
「無理だったらいいんだ。これから九月までめいっぱいアルバイトして、少しでもお金を稼がないとダメだし」
絶句した私に、潤平は顔の前に両手を伸ばしてぶんぶんと振る。
「ううん、行った方がいいよ。教授がそう言ってくれているのは幸せなことよ。四月中だと、潤平と一緒にいられるのはあと一カ月くらいしかないと思ったら寂しくなったの。お、お風呂入ってくるね」
涙が溢れてしまいそうだ。そんな自分を見られたくなくて、俯きがちに潤平の横を通りすぎる。
「姉ちゃん、無理してない?」
「無理なんてしてないよ。潤平がやりたいようにしていいんだよ」
「俺、向こうでバイトするから。できるだけ迷惑かけないように頑張るよ」
先ほどの黒瀬副社長とのやりとりからメンタルがおかしくなっていて、声を出して泣きたいほど悲しくなった。
「……うん、お風呂入ってくる。先に寝てね。おやすみなさい」
無理やり笑顔を張りつかせて、潤平へ顔を向けてからお風呂場へ向かった。
着ていた服を脱いで浴室へ入り、いつものようにかけ湯を体にあててからバスタブに入る。
湯船の中で足を抱え込んで体を丸めて、顔をつける。手の甲を口元にあてて嗚咽を堪える。
ものすごく寂しくて、心が折れてしまいそうだった。
潤平が大人になっていくのは嬉しいことなのに……。
その週の金曜日。いつもどおりの時間に黒瀬ビルの清掃を始め、二十八階のあちこちを動き回り、秘書室へ入った。秘書室には、いつものふたりがいた。
ということは、今日、黒瀬副社長は執務室にいるかもしれない。送ってくれた日から姿がなかったので、彼の繁忙期も去ったのだと思っていた。
今日、お礼を言わなければ。
デスクに着いているふたりの横のゴミ箱を手にしたとき、文乃さんと呼ばれる秘書が隣の女性に英語で話しかけた。
『まさか男漁りに来てただなんて、心底呆れるわ』
『本当に彼女が黒瀬副社長に取り入ろうとしているの?』
英会話が私にわからないと思っているのだろう。
黒瀬副社長に取り入る……?
一瞬、手の動きが止まったが、我に返ってゴミを回収する。
『間違いないわ。掃除カートの上にあった紙袋が、執務デスクの上にあったもの。プレゼントなんて古い手よね』
あのときのクッキーのことだ。
わからないフリをしてゴミ箱を戻しに行く。
そのとき、黒瀬副社長に好意を寄せている秘書が、座っている椅子を乱暴に動かした。椅子のキャスターが私のスニーカーにぶつかり、鋭い痛みが走る。
「っう……!」
「あら、危ないじゃないの」
つんとつました彼女は私を一瞥する。
スニーカーの上からとはいえ、キャスターに踏まれた左足の小指がズキズキ痛む。
「故意ではないとはいえ、ぶつかったんですから謝ってください」
「故意ではない? なんか意味深じゃない? 気づかなかったのよ」
彼女はムッとして椅子から立ち上がる。
「掃除のおばさんのくせに、ずいぶん生意気ね」
「掃除の仕事をしているからといって、蔑んでもいいのですか?」
まさか反論するとは思ってもみなかったのだろう。彼女は一気に顔を真っ赤にして、眦をつり上げた。
「真美子さん、落ち着いて」
もうひとりの秘書が立ち上がって彼女をなだめにかかる。
「私たちにたてつく気? 生意気なことをしていると、首になるわよ」
「……生意気なことって、黒瀬副社長にプレゼントすることですか?」
「え?」
彼女は一瞬、怯んだ表情になる。
「掃除のおばさんだからといって、あなた方の会話がわからないとは限らないんです。首にさせたいのならどうぞ。失礼しました」
きっぱりと言い切って彼女たちの元を離れると、カートを押して廊下に出た。
はぁ……。つい我慢できなくて言っちゃった……。
彼女たちに比べたら底辺で生きている私だけれど、だからといって見下す態度は許せない。
まだ足の小指がズキズキしている。
カートを押してエレベーターに乗り、二十九階で降りる。
足の痛みを気にしないようにして、いつものように掃除を始めた。
副社長室が最後の掃除だ。
いつものようにIDカードで入室すると、執務机に座り受話器に向かって話す黒瀬副社長がいた。彼の目線がパソコンの画面から私の方へ向けられる。目と目があって、会釈してから入室した。
電話中の彼の口から淀みない英語が聞こえてくる。
外国と通話中なんだ。
ふいに黒瀬副社長は話を止めた。
「今日の掃除はやらなくていい。お疲れ」
そう言われたからには、掃除はせずに部屋を出なくてはならない。私に指示を出した黒瀬副社長はすぐに会話に戻ってしまった。
私は頭を下げて副社長室を出た。
時間に余裕ができたので各部屋のドアを丁寧に拭き、それが終わると帰宅時間になった。
いつもより早くにエレベーターを呼べたので、順調に地下一階へ下りてゴミの集積所に袋を置き、カートを戻してから更衣室で着替えを済ませる。
足の小指はまだ痛かった。でも、靴下を脱いで確認する時間はない。
まだ更衣室にいる人たちに「お疲れさまでした」と声をかけると、急いで通用口から出た。
地下鉄の駅へと向かいながら、いつの間にか黒瀬副社長の車を探している自分に気づく。そして、そんな自分をバカみたいだと窘める。
二度も送ってくれたのは、帰れなくなった私を見かねてのことなのに……。
そのとき、一台の高級車が横を通りすぎていく。
ハッとした私の目に、助手席に座る文乃さんと呼ばれていた秘書の姿がしっかりとうつった。
あの車は黒瀬副社長の……。
そう思った瞬間、胸がギュッと鷲掴みされたみたいに痛みを覚えた。
一瞬立ち止まったが、すぐに我に返り足の小指の痛みを堪えて改札に向かって走りだした。
混み合った終電に乗り込み、空いていたつり革に手をかける。
走ったせいなのか、黒瀬副社長の車の助手席に女性が座っていたことがショックだったのか、胸のもやもやは落ち着いてくれない。
私はなぜこんな気持ちになるの?
助手席に二回乗せてもらったからって、黒瀬副社長の「特別」にでもなったつもりだったの?
そこへポケットに入っていたスマートフォンが振動し、電車に揺られながら手にする。メッセージの着信は潤平からだった。
【無事に電車に乗ってる?】
潤平へメッセージを送るのを忘れていた。
【ごめんね。忘れてた。ちゃんと乗ってるよ】と打って返せば、潤平からOKのスタンプが送られてきた。