書籍詳細
初恋夫婦の契約結婚~策士な社長が理性を捨てて溺愛したら~
あらすじ
「叶うなら本能のままに君を抱きたい」幼馴染みじゃ我慢できない両片想い婚
同窓会で十年越しに再会したまちこと耀は、結婚観がぴったりマッチしたことから契約結婚を前提にお試し新婚生活を送ることに。かつて冴えなかった耀はすっかり極上の男になっていて、まちこはときめきに抗えず…。清い関係に焦れ始めてしまうが、実は初恋相手である彼女への独占欲に火がついていた耀も、熱く昂る本能を抑え込むのに必死で――!?
キャラクター紹介
板築まちこ(ほうづきまちこ)
まつ毛と眉毛のサロンを経営。男を見る目がないと恋愛には消極的。
棚澤 耀(たなざわあきら)
まちこの中学の同級生。現在は優秀な業績を上げるIT企業の社長。
試し読み
私、これからアキラと一緒に暮らして、夫婦になっていくんだ。ということは、抱き合ったり、キスをしたり、それ以上のスキンシップをしたりもするようになるのだろう。恋愛感情がないのに、そういうことができるのだろうか。
「まちこ?」
なかなか手を離さない私を、アキラが訝る。
「あのさ、アキラ」
「うん?」
「このプロジェクトがうまくいくかどうかを見極めるために、ひとつ提案があるんだけど」
「なに?」
「キス、してみない?」
いつかなにかで読んだことがある。女の唇はとても敏感で、キスをすることによって相手がどんな人か、自分が求める人なのか、遺伝子レベルで見極めることができるらしい。
ただし私は、恋愛相手に恵まれなかったこともあって、自分に見極められるほどの能力はほとんどないと思っている。だけど今までと同じかそうでないかくらいはわかると思うのだ。
今までの人とはうまくいかなかった。もしアキラとのキスが今までと違ったら、それは彼とならうまくいくということかもしれない。それを試してみたい。
「えっ……」
アキラは露骨に動揺した。チクリと胸が痛む。
「ごめん。その気になれないならいいの」
ちょっとショックだけれど、恋愛感情があるわけではないから当然だ。だから別に、傷つくようなことじゃない。
「違う! そうじゃなくて、驚いただけ」
アキラが慌ててフォローしてくれる。私がうっかりショックを顔に出してしまっていたのかもしれない。
「気を遣わなくていいよ。私たち、そういう関係じゃないんだし。ほんと、ただの興味本位だし。そういうのはお互いがその気になってからって決めたもんね」
強がりでつい早口になる。自覚して虚しくなってきた。
「ほんとに違うんだって。俺もしたいと思ってたし!」
「へ?」
思わず変な声を出してしまった。アキラは照れを含んだ真顔で私を見つめている。
「いいの? キスしても。ほんとにするよ?」
丸っこくて優しげな目に、意思と情欲が感じられる。
アキラってこんな顔もするんだ。十代の頃はもっとクールだったのに。
この個室の豪華な調度品とムーディーな照明のせいか、アキラの髪も肌も唇もキラキラして見える。唇の艶に目が行くと、もうその感触への興味を捨てることはできない。
「私からしようって言ったんだよ?」
アキラがぎゅっと眉を寄せ、立ち上がった。手を握ったままの私も釣られるように腰を上げる。座っていた時より距離が近くなって、緊張ともときめきともとれるビリビリした感覚が、胸から首、顔、耳へとぶわっと広がった。
アキラが私の腰に腕を回し、体の距離がゼロになる。ヒールを履いているので顔の距離も近い。
アキラの顔が少しだけ傾いて近づいてくる。
あ、キス、来る。
そう思って目を瞑った時には、もう唇が触れ合っていた。
「んぅ……」
喉から小さく声をあげてしまったのは不可抗力だった。触れ合った瞬間。得も言われぬ感覚に襲われて、反応せずにはいられなかったのだ。
アキラのつるんとした唇が、一回、二回、三回と私の唇を食む。私はそのたびに小さく体を震わせ、また小さく声を漏らした。
大人になってカッコよくなった彼と再会して以来、私は依ヶ浜にいた頃の彼の面影を探しながら接していたような気がする。アキラは見た目こそ都会的なハイスペックイケメンになってしまったけれど、中身はきっとあの頃の素朴なアキラのままだと思い込もうとしていたんだと思う。
でも違った。全然違った。アキラはいくつもの恋を乗り越えて成熟した大人の男性だ。そうでなければ、こんな色っぽいキスができるはずない。
唇が離れる。顔が熱い。鼓動が激しくなっている。自分が彼にしがみつくように抱きついていることに、今気づいた。
「ヤバい。ドキドキしてる」
照れ隠しでおどけたように言うと、アキラはクスッと笑った。
「俺もだよ」
彼に主導権を握られている感じが悔しい。中学の頃は私の方がグイグイ話しかけていたのに。
「私たち、契約結婚を目指しているわりには、夫婦らしい夫婦になれるかもね」
「うん。俺もそう思う」
こなれた感を演出しながら告げた言葉に、アキラは色っぽい顔のままサラッとそう答えた。
もしかしたら彼には敵わないかもしれないと、この時初めて思った。
キスの余韻を残したままレストランを出て、各々呼んでもらっていたタクシーに乗って解散した。方向が同じなのだから一緒に乗ろうと言ったのだけど、アキラは寄りたい場所があると言って別の車に乗った。
検証結果。アキラとのキスはこれまでの人たちと全然違った。
これまでとは比べ物にならないくらいときめきと幸福感があった。それと同時に大量の恋愛ホルモンが全身を巡り、理性が崩壊していく感覚がした。
いけない。私、チンパンジーになりかけている。
──ペシッ
タクシーの中、私は自分の手で自分の両頬を叩いた。
ダメダメ、しっかりしなくちゃ。私たちは理性的な結婚のためにパートナーを組んだばかり。たかだかキスで理性を失うなんて浅ましい。こんなの、アキラへの裏切り行為だ。
車が西麻布の交差点で左折。すぐそこの細い道を上ったところにアキラの住む──近々私も暮らすマンションがある。
私は自分の気を引き締めるように、誰に見られるともなく背筋を伸ばした。
◆ ◆
まちこをタクシーに乗せ見送ったあと、俺は別のタクシーに乗り込み運転手に告げた。
「愛宕神社の出世の石段前までお願いします」
運転手は「かしこまりました」と告げ、俺がシートベルトを装着したのを確認したところで発車。
気持ちを落ち着かせるため、大きく息を吸いゆっくりと吐き出した。体内に残っている興奮の熱がわずかに抜ける。
まちこがかわいすぎてヤバい。キスを求められた時は頭が真っ白になってしまった。
俺はあの時、必死に理性を手繰り寄せ、可能な限りカッコつけて、クールを装いキスをした。いかにもこなれた風に、大人びてはいるけれどディープにはならない程度の、ライトだけど密着度の高いキス。本能が求めるままに触れてしまいそうになるのを必死に我慢した。しかしその結果、心と体がその気になってしまい、それをありったけの理性で封じ込めるという最高にしんどい状態に見舞われる結果となった。
ムラムラしていたなんて、まちこに悟られてはいけない。俺たちはあくまで〝理性的で理想的な契約結婚〟を目指すパートナーだ。
「そんなの俺にできんのかよ……」
とにかくこの煩悩だらけの頭をなんとかしよう。そう思って神社へと向かっている。
己を律しなければ、まちこの夫は務まらない。今の俺はほぼ獣。いつかのまちこの言葉を借りるならチンパンジーだ。人であり続けるために修行を積まなければ。
俺はもう一度深呼吸をして、また少し熱を吐き出した。
間もなくタクシーは目的地に到着。電子マネーで運賃を支払い、車を降りた。
二十三区内で最も高い天然山である愛宕山。その頂上にある愛宕神社。そこへ上るために設けられている長くてとても急な石段は「出世の石段」と呼ばれ、ちょっとした有名スポットだ。この石段を一度も休むことなく上りきるとご利益があると言われている。今の煩悩まみれの俺にはベストな修行場所だ。
お辞儀をして鳥居をくぐり、石段のふもとへ。多少の照明があるとはいえ、聳え立つように急な石段はなかなか恐ろしい雰囲気がある。足を滑らせたりすればタダでは済まないだろう。
「……よし!」
俺は気合を入れ、背負っているリュックのショルダーストラップの位置を調整。
暗くて見えない頂上を睨みつけ、石段を踏みしめた。
我が社こと株式会社ディアスタンダード、通称ディアスタでは、出勤時の服装は自由だ。俺はたいていTシャツにジョガーパンツという、軽い運動ができそうなほどラフな服装でいることが多い。
我々のようにパソコンに長時間かじりつく仕事をしていると、体が凝り固まりやすい。健康のためにもラクな服装で働ける方がいいだろう。だから社員にもそのようにしてもらうことにしている。
自由とはいえ、ふたつだけルールがある。
ひとつめはTPOを弁えること。顕要なクライアントや客人を迎える時はジャケットを羽織るし、必要な場面ではフォーマルなスーツも着る。社員の私物を入れるためのロッカーを設置しているが、俺を含め、そこにジャケットを掛けている者も多い。
ふたつめは通勤時のサンダル禁止。以前は完全に自由としていたのだが、通勤時に満員電車で足を踏まれて軽傷を負った人が立て続けに出たため、ルール設定をするに至った。なお、オフィス内は土足禁止(室内用スリッパ可)としている。
せっかくうちに入社してくれた社員たちには、安全で快適に働いてほしい。そのための制度や仕組みを作るのも、社長である俺の仕事であると思っている。
翌朝、俺はいつもより三十分遅く出社した。
「おはようございます、社長」
靴を脱ぎ社長室へ向かっていると、秘書のようなことをしてもらっている部下、夏目莉里が声をかけてきた。
彼女は二十六歳の女性で、いつもフェミニンな格好をしている。鎖骨にかかるくらいの茶髪は日替わりでアレンジされていて、男の俺にはあまりよくわからないけれどメイクも上手いらしい。
ふんわりした見た目に反して気が強く、仕事ができて、社長の俺にもハッキリとものを言う。そういうところを見込んで、秘書──というより細かい事務作業や時間の管理が苦手な俺の世話係を頼んでいるというわけだ。
「おはよう夏目」
「いつも早いのに今日は珍しく始業ギリギリですね。それになんだか、動きがおかしいような」
「うん。ちょっと、筋肉痛で」
情けない話だが、昨夜出世の石段を二往復したところ、下半身が重度の筋肉痛になってしまった。階段を上ったり下りたりしている時は、息が上がり足が少し張るくらいだった。二往復したあとも運動後の心地よい疲労感があって、むしろ爽やかな気持ちだった。
ところが、だ。ぐっすりと眠って目覚めてみたら、こんなことになっていた。
多少は覚悟していたけれど、まさかここまで酷いことになるとは。一往復でやめておけばよかったのだが、一往復では頭の中の煩悩を捨てきれなかった。
俺は一応、週に三回自宅で筋トレをしている。しかし最近は下半身のトレーニングを疎かにしていた。まったく体は正直だ。