書籍詳細
捨てられたはずが、切愛蜜夜で赤ちゃんを授かり愛されママになりました
あらすじ
「君と子どもを必ず幸せにする」一夜で身ごもったら、御曹司に容赦なく愛されて!?
恋人に手酷く裏切られた穂乃果は、その場を助けてくれた副社長・右京に偽装婚約を持ちかけられ…!婚約者のふりのはずが、身も心も情熱的に揺さぶってくる彼と熱く甘い一夜を過ごす。そして子どもを授かるが、とある理由で別れを考える穂乃果。「君は俺の心を際限なく奪う」――溺甘パパに豹変した彼から、不安を打ち消すほどの激愛を注がれて…。
キャラクター紹介
相良穂乃果(さがらほのか)
海外商品を輸入販売する『大島貿易』の社員。結婚を意識している恋人がいたが…。
篠崎右京(しのざきうきょう)
『大島貿易』の親会社『篠崎コーポレーション』の副社長。行動は大胆だが、優しい。
試し読み
随分、遠くまで来ちゃったな……。
気づけば車は高速を下り、海岸線を走っていた。
大きく湾曲した堤防の向こうはどこまでも続く大海原。大小様々な島が点在し、西日を受けた水面がキラキラと輝いている。
「景色のいいところですね。篠崎副社長、この辺りはよく来るのですか?」
妹さんと……と言いかけて慌てて口を噤む。
「いや、当てもなく走っていたらここに辿り着いた。たまたまだよ」
「えっ? 適当に走っていたんですか?」
「ああ、行先を決めずドライブするのもいいものだな。おかげでこんな絶景を見ることができた」
綺麗に整備されたバイパスは車が殆ど走っていない。まるで私達専用の道路のようだ。
「そうですね。実は私、海が大好きなんです」
私がそう言った直後、車が減速し、少し開けた場所に停車する。
「もうすぐ日暮れだ。それまで見ていくといい」
お言葉に甘えてシートベルトを外し、リラックスした状態で夕日に染まる美しい海を眺めていたのだけれど、辺りが徐々に暗くなってくると無性に寂しくなり、自然に涙が溢れ景色が滲み始めた。
脳裏を去来するのは、初めて愛した人との楽しかった日々。
つい数時間前まで冬悟さんの妻になれると思っていたのに……。
これって未練なのかな? あんな強烈な振られ方をしたのに、私はまだ心の中で彼を求めている……。
そんな自分が許せずギュッと瞼を閉じれば、辛うじて留まっていた涙が音もなく膝の上に零れ落ちる。
その頃には日が落ち、ライトを点けていない車内もかなり暗くなっていたから、泣いていることを隣の副社長に悟られることはないと思っていた。でも……。
「……好きなだけ、泣くといい」
「えっ?」
「我慢などする必要はない。あんな辛い思いをしたんだ。気が済むまで泣けばいい」
そんな優しい言葉をかけられたら……ダメだ。気持ちが抑え切れなくなる。
鎖のように心に巻きついていた体裁や羞恥といった理性が裂断し、厭世的な感情が一気に解放される。気づけば滂沱の涙を流していた。
篠崎副社長は何も言わず、泣き続ける私の背中を優しく撫でてくれている。副社長にこんなことをさせて申し訳ないという気持ちはあったが、溢れ出した涙は止まらない。
泣いている時にこんなに優しくされたの、初めてかもしれない。冬悟さんは私が泣くと凄くイヤな顔をして不機嫌になっていたもの。
それからどのくらい泣いていたのだろう。フロントガラスから見えるのは瞬く無数の星とまん丸のお月様。月明かりの中、魂が震えるくらい号泣した私は腫れあがった濡れた目で篠崎副社長を見上げた。
「篠崎副社長に……お願いが……あります」
実は、泣きながらずっと考えていたことがあったのだ。でも、どんなに考えても答えは出なかった。彼なら、大人の篠崎副社長ならその答えを知っているかもしれない。
「なんだ?」
「冬悟さんを吹っ切る方法を教えてください。どうやったら未練を断ち切ることができますか?」
縋る私の頰を副社長がゆっくり撫でる。
「俺にはひとつの方法しか思い浮かばない。しかしこれは結構な荒療治だ」
「構いません。教えてください」
少しの沈黙の後、彼は私の目を真っすぐ見つめ口を開いた。
「それは……他の男に抱かれること」
まさか副社長の口からそんな言葉が出るとは思わなかったから動揺して言葉を失う。だから、私の周りに冬悟さんを忘れさせてくれるような男は居るのかと聞かれても、まともに返事ができなかった。
「……愚問だな。普通はそんなヤツ、居ないよな」
「ああ……は、はい……」
さっきまでの勢いはどこへやら。オドオドしながら視線を泳がせていると、突然腕を引っ張られ広い胸に引き寄せられた。
「……俺ならどうだ?」
「えっ……」
「俺がその相手になって大島冬悟を忘れさせてやると言ったら、どうする?」
ど、どういうこと? まさか、本気じゃない……よね? そうだよ。篠崎コーポレーションの副社長がそんなことを言うわけがない。
「悪い冗談はやめてください」
力を込めて篠崎副社長の胸を押すも、彼は一層強く私の体を抱き締めた。
「冗談でこんなことが言えるわけがないだろ? 俺は本気だ」
まだ会ったばかりでよく知らない人にそんなことを言われたら、不快に思って警戒するのが普通だ。でも、副社長に抱き締められても全然イヤじゃない。むしろ癒されホッとする。そう、初めて彼と会った時からそうだった。副社長には人の心に安寧をもたらす不思議な力がある。
なんとも言えない安心感に包まれ無意識に瞼を閉じると、自信に満ちた声が聞こえてきた。
「――絶対に後悔はさせない」
あっ……。
熱い何かが胸を貫き、一瞬呼吸が止まる。
彼は私の体を解放すると素早くシートベルトを装着し、返事を待つことなく車のエンジンをかけた。そして来た方向ではなく、反対側の岬の方へとハンドルを切る。
そこからは私達の間に会話はなかった。こんな状況になったことがないから何を話したらいいか分からなかったし、他の話題を持ち出す余裕もない。だから黙って必死に考えていた。
篠崎副社長の言っていることは本当なんだろうか? 他の男性に抱かれれば、この心の傷は癒えるの?
でも、考えれば考えるほど頭の中が混乱してネガティブ思考になっていく。
仮に副社長に抱かれたとして、なんの効果もなかったら……心の傷は更に深くなり、それこそ立ち直れなくなる。
恋愛感情のない人に抱かれること=過ちを犯すこと、のように思え、身震いするほど怖かった。でもその反面、副社長の言っていることが正しかったらと考えると気持ちが大きく揺れ、決断できない。
気づけば車は岬の近くまで来ていて、その先端にはいくつもの明かりと白亜の建物が見える。車のライトに照らされた案内板には『会員制リゾートホテル シーサイド・ディア』と書かれていた。
「君の気持ち次第だ。どうする?」
答えを迫られいよいよ追い詰められた。
このまま引き返し、時が経って冬悟さんを忘れるのを待つか、それとも篠崎副社長を信じて彼に抱かれるか……。
おそらく何時間考えても自分では答えは出せない。ならば、彼の次の答えに賭けてみよう。
「本当に……忘れさせてくれますか?」
「言ったはずだ。絶対に後悔はさせないと……俺を信じろ」
その力強い一言で私の気持ちは決まった。
一度だけ。そう、一度だけだ……この人の言葉を信じてみよう。
私達が案内されたのは、最上階にあるオーシャンビューのロイヤルスイート。
このホテルは会員制でビジターは宿泊できないということだったが、篠崎副社長が持っていたブラックカードを使用すれば準会員扱いになるそうで、たまたまひとつだけ空いていたこの部屋に通されたのだ。
部屋は淡いブルーと白を基調とした広々とした洋室。シーサイドということもあり、海を臨む窓は想像以上に大きく、ベッド横のガラス扉の向こうには露天風呂も見える。中でも一番私を驚かせたのは、キングサイズのベッドとその位置だ。ベッドが配置されている場所は大きな窓のすぐ前。ベッドに寝たまま美しい海を眺めることができるようになっている。
こんな豪華で贅沢なホテル、初めて……。
「シャワーを浴びておいで。なんなら、そこの露天風呂でもいいよ」
その言葉で現実に引き戻され、ここに来た目的を思い出す。
「い、いえ、シャワーで結構です」
そうだ。私達は恋人同士じゃない。私は過去を忘れる為にここに来たんだ。ある意味、これは儀式のようなもの。
バスルームに駆け込むと、ここから先は何も考えないようにしようと決め、無理やり思考を停止した。でも、私がバスルームから出て篠崎副社長がシャワーを浴びに行くと途端に狼狽してバスローブの下の胸が早鐘を打つ。
あぁ……口から心臓が飛び出そう。
ベッドの隅にちょこんと座り、震える体を抱き締めていると後ろのドアが開く音がして大理石の床の上を歩くスリッパの足音が近づいてくる。そして……。
「穂乃果……」
低く掠れた声に名前を呼ばれた次の瞬間、後ろから強く抱き締められ、不意を突かれた私の体がビクッと跳ね上がる。
「震えてる……俺が怖いか?」
「い、いえ、大丈夫です」
副社長は私の肩に顎を乗せ、軽く頰ずりすると「はぁ……っ」と熱い息を吐き出した。
その悩ましげな吐息と一緒に、まだ少し湿っている副社長の髪から彼には似合わない甘いトリートメントの香りが漂ってきて、そのギャップにキュンとする。
今からこの甘い香りがする篠崎副社長に抱かれるのだと思うと頰が熱く火照り、胸が疼くのを感じた。
その時、副社長が私の耳元で「キスは? イヤじゃない?」と囁く。しかし私はその言葉の意味が分からず、首を傾げる。
「あの、それはどういう……」
「体は許してもキスはしたくない……そう思っているんじゃないかと思ってね」
あ……そういうことか。篠崎副社長は私を気遣ってくれているんだ。
「それと、必ず避妊はする。だから君は何も心配せず、安心して好きなだけ感じてくれればいい」
好きなだけ感じてくれればいいだなんて、副社長の言葉はいちいち私をドキドキさせる。けれど、その甘い言葉より私を驚かせたのは、こちらが何も言わなくても自ら進んで避妊をすると言ってくれたこと。
冬悟さんはいつも避妊を嫌がって自分の快楽を優先していた。私が頼み込んでようやく応じてくれていたのだ。男の人は皆そうなのだと思っていたのに、副社長はそれが最低限のマナーで普通のことだと言う。
「普通……なのですか?」
「相手の女性を大切に想っているなら当然だ。普通のことだよ」
その言葉が私と冬悟さんの関係を明確にした。
あぁ、そういうことか。冬悟さんにとって私は普通以下の女だったんだ。愛されていたと思っていたのは私の妄想で初めから愛など存在しなかった……。どうでもいい女だから私がプレゼントしたスーツを着て他の女性と婚約発表ができたし、平気で愛人になれなんて言えたんだ。
深く納得した瞬間、ふっと体の力が抜け、もう後戻りはしないと強く思う。
「構いません。キス……してください」
覚悟を察した彼が真っ白なシーツの上に私を静かに寝かせ、切れ長の目を細める。
「キスする前に教えてくれるか? 君のフルネームを」
下の名前はホテルの廊下で奈美恵が〝穂乃果〟と呼んでいたから分かったが、苗字はまだ聞いていないとくすりと笑う。
「あ、相良です。相良穂乃果」
「相良穂乃果か……いい名だ」
私の頰を撫で頷くと、ゆっくり顔を近づけてきた。
「気が変わったらいつでも言ってくれ。すぐにやめるから……」
どこまでも優しい人。あなたとなら、きっと大丈夫。
重なった唇はとっても温かく、その温もりが傷ついて崩壊寸前だった私の心を優しく癒していく。
こんなに時間をかけ、大切に抱かれたのも初めてだ……。
そして全てを解放し、彼を受け入れた時、得も言われぬ高揚感に体が痺れ、今まで経験したことのない快感が全身に広がっていくのを感じた。
こんなの知らない。これが男の人に抱かれるってことなの?
この二年間、数え切れないくらい冬悟さんに抱かれたけど、こんなにも我を忘れ求めたことはない。
断続的に与えられる甘い刺激に頭の中が真っ白になり、何も考えられなくなる。
私の中の熱い彼が心の隅に残っていた負の感情を一気に浄化し、跡形もなく消し去ってくれたのだ。
後悔など微塵も感じない。あるのは感謝だけ。だって、この交わりで私は救われたのだから……。
朝、目を覚ました時、篠崎副社長は私の体を抱き締めてくれていた。
まだ甘い香りがする彼の髪に触れ、苦笑いをしながら心の中で呟く。
こんなに優しくされたら誤解しちゃうよ。
でも、昨夜は恥ずかしくて明かりを絞ってもらったからよく見えなかったけど、副社長の体は見惚れてしまうくらい逞しく、美しい。
ほどよい厚みがある硬い胸板。綺麗に割れた腹筋。きめ細かく滑らかな肌は羨ましいくらい艶々だ。そして無防備な寝顔が妙に可愛い。
ヤダ……私ったら何考えてるの? 篠崎副社長は私のことが好きで抱いたわけじゃないのに……。
そう自分を戒めた時、私は大切なことを忘れていたことに気づく。
昨夜は自分のことで頭がいっぱいだったからすっかり忘れていたけど、篠崎副社長には愛する女性が居たんだ。なのに、私とこんなことになって……。
妹さんの顔が浮かび、彼に抱かれたことを初めて後悔した。
これって、やっぱり浮気になるんだよね? あぁ……どうしよう。
副社長から離れなくてはと焦り、ベッドに座ったままズルズルと後ろに下がっていると……。
「わわっ!」
ドスンと大きな音がして気づけばベッド下の床に大の字になって倒れていた。
「いったーい」
強打したお尻を擦りながら体を起こすと、視線の先にはキョトンとした副社長の顔が……。
しまった。起こしちゃった。
「何やってんだ?」
「あわわ……なんか、落ちちゃって……」
しかし彼は私の失態をちっとも驚いていない。それどころか「やっぱり落ちたか」と納得の表情だ。
「君の寝相は尋常じゃなかったからな。このままでは危ないと思って抱き締めて動きを封じたんだが……そうか、落ちたか」
「えっ! 私の寝相ってそんなに悪かったんですか?」
知らない。知らない。そんなの初めて言われた。てか、抱き締めてくれていたのは、それが理由?
「夜中に何度も蹴られ殴られ、まるで格闘技をしているような気分だったよ」
噓……私、篠崎副社長を殴って蹴っ飛ばしたの?
慌てて立ち上がって何度も頭を下げ謝っていると、なぜか副社長がニンマリと笑う。
「朝から刺激的だな。いい眺めだ」
そう言われ、自分が全裸だということに気がついた。
「ひーっ!」
血相を変えて叫んだ後、ベッドの陰に隠れるようにしゃがみ込む。
見られた。明るいところでバッチリ裸を見られちゃった。
恥ずかしくてベッドの縁から目だけを出して様子を窺うと、篠崎副社長が寝起きとは思えない爽やかな笑顔で言う。
「自信を持っていいよ」
「えっ?」
「君は小柄で痩せているが、スタイルはいい。胸は想像以上に大きかったし、くびれもちゃんとある。とても綺麗で魅力的な体だよ」
噓……褒められちゃった。
嬉しくて顔が綻ぶも、それ以上に恥ずかしくて立ち上がることができない。すると、彼がこちらに背を向けてヘッドボードに置いてあった自分のスマホに手を伸ばした。
今がチャンスとばかりに、掛け布団の上で丸まっている昨夜私が着ていたバスローブを手繰り寄せる。その時、副社長の「参ったなぁ……」という小さな声が聞こえた。
実は私、視力だけは抜群にいい。そんなだから、副社長のスマホの画面がはっきりくっきり見えてしまったのだ。
表示されていたのは着信履歴。並んでいたのは全て〝篠崎エミリ〟という女性の名前。
篠崎副社長と初めて会った時、彼は妹さんのことを〝エミリ〟と呼んでいた。
副社長は気怠そうに体を起こすと、スマホの画面をタップする。
「……あ、俺だ。んっ? 婚約者? あぁ、父さんに聞いたのか……そんなに怒るな。見合いを断れと言ったのは、お前だぞ」
間違いない。電話の相手は妹さんだ。
「昨日はパーティーがあったホテルでたまたま大学時代の友人と会って朝まで飲んでいたんだ。……バカ、男だよ」
一緒に居るのは男だと偽り笑っている彼を見て、なぜか胸に激しい痛みが走った。
この感情って、もしかして……嫉妬? ヤ、ヤダ。どうして私が妹さんに嫉妬しなきゃいけないの? そもそも私と篠崎副社長の間に恋愛感情なんてないんだから。
彼がお見合いを断る為に私に婚約者の振りをしてくれと言ったのは、妹さんとの愛を貫こうと決めたから。彼が愛しているのはあの綺麗な妹さんなんだ。ここで私と一夜を共にしたのは、冬悟さんを忘れさせようとしてくれただけ。言わば人助けのようなもの。
それが分かっていても驚くほど心が乱れて凄く寂しい……。
ホテルの二階にあるレストランで朝食を終え、チェックアウトした私達は眩しい陽光を受けながらバイパスを走っていた。
朝日に輝く海もとっても綺麗だけれど、昨日ほどの感動はない。それはきっと、他のことで頭がいっぱいだったから。
私はまだ、さっきの電話のことを気にしていた。
妹さんに悪いことをしたと思う反面、篠崎副社長ともっと一緒に居たいと願っている自分が居る。冬悟さんのことがあんなに好きだったのに、今は自分を優しく抱いてくれた篠崎副社長のことしか考えられない。人の気持ちって、こんなに簡単に切り替わるものなのかな?
そうなることを望んでいたはずなのになんだか凄く罪深いことのように思え、心の中が罪悪感でいっぱいになる。
助手席の窓から波の穏やかな湾を眺めてため息をついた時、隣から彼の声が聞こえてきた。
「なんだか元気がないね。もしかして……大島冬悟をまだ吹っ切れてないとか?」
「いえ、彼のことは……ちゃんと吹っ切れました」
「ならいいが……他に何か心配ごとでも?」
心配ごとというより、これは恐れ。自分の気持ちが篠崎副社長に傾いていくのが無性に怖かった。でもそれを本人に言えるわけもなく、首を横に振って再び車窓の外へと視線を向ける。
「心配ごとなんて……ありません」
少し強い口調で返すと彼はそれ以上何も言わなかったが、そうなると今度は怒らせてしまったのではと不安になってくる。
突然の沈黙は居心地が悪く、逃げ出したい気分だった。