書籍詳細
跡継ぎ目当てのお見合い夫婦ですが、旦那様の執着が始まって最愛の子を授かりました
あらすじ
「きみが可愛すぎるから、独占欲が強くなる」加速する妻恋でご懐妊!?
初心な茜に、老舗呉服商の御曹司・睦月との縁談が舞い込む。跡継ぎのための子作りに緊張しつつ、昔から憧れていた彼に、甘いときめきを与えられ…。一方、普段はクールなはずの睦月も、ある出来事をきっかけに、箍が外れたかのように執着愛全開に!?さらに茜の妊娠が発覚。愛の結晶を宿した茜に注ぐ睦月の独占欲と情熱は、ますます溢れて止まらず――。
キャラクター紹介
大井 茜(おおい あかね)
聡明で仕事熱心、周囲の信頼も厚い営業の若手エース。学生時代に憧れていた睦月と交際0日婚が決まり…!?
夏目睦月(なつめむつき)
江戸時代から続く呉服商の息子。常にスマートで周囲を魅了しているが、茜にだけは独占欲の強い一面を見せる。
試し読み
「全然、口に出してくれないから……わからなかったよ」
ひとり呟きながら、心の奥では否定する。正直に言えば、私だって少しは睦月さんの気持ちを感じていた。
日々の細やかな気遣いや、見せてくれる柔らかな笑顔。その優しさはもともとの人柄なのだろうと思っていたけれど、もしかしたら、私にだけ特別に甘いのかもしれないと感じていた。
初夜が強引だったと反省し、なかなか触れてこなかったのも私を大事に扱ってくれているから。私を抱きしめ、夢中でキスしてくれる彼は、確かに男性としての欲求を感じているように見えた。
だけど、それらすべてを統合する『好き』というたったひと言を、私は昨晩初めて聞いたのだ。
「好きでいてくれたなんて」
どうしてもっと早く言ってくれなかったのだろう。今、私がこれほど嬉しく感じているのを知らずに、彼はいなくなってしまった。
ふと思った。
彼が私へ気持ちを伝えなかったのは、私が彼に対し愛情を示さなかったからではないだろうか。
私がいまだに〝夏目先輩〟〝夏目部長〟として見ていると、睦月さんが思っていたとしたら、踏み込むのは怖かったに違いない。居心地よく暮らせるパートナーの立ち位置を取り、あの熱い想いを見せるのを控えた気持ちはわかる。
「私だって睦月さんが好きなのに、伝えなかった」
高校時代の憧れはお見合いで恋に姿を変え、ともに暮らすうちに着実に愛へと変化していっている。あなたが好きだと伝えるチャンスはたくさんあったのに、言葉にしなかったのは私だ。
私もきっと怖かったのだ。
契約みたいに始まった関係を、恋の感情で覆すのは。片方が拒否したら成り立たない関係だもの。
身体の快楽でごまかしてぼやかして夫婦になるには、私も彼も真面目すぎた。
だから、言わないといけないのだ。昨晩、踏み込む勇気を出してくれた彼に後悔させてはいけない。
私は立ち上がりバスルームへ向かった。手早く身支度を整え、家を出る。なつめ屋本社に向かうため。
日本橋のオフィスには来慣れているけれど、今日は休日。一般のエントランスは開いていない。オフィスの前まで来て、そもそも睦月さんはここにいるだろうかと考えた。
一応、電話をかけてみるが出ない。
避けられているのではないといいなと思いつつ、メッセージアプリを起動させる。
【会社の近くにいます。少し時間を取れませんか?】
既読もつかないので、スマホを近くに置いていないか、手が離せない状況か。
少し考えて、なつめ屋の本店に行ってみることにした。本社ビルの近くになつめ屋本店はある。江戸時代から変わらぬ立地の旗艦店は、佇まいこそ和風だが現代風の建築様式だ。上はテナントビルにしていて、サロンや企業が入っている。
店舗に入ると、すぐに女性店員が近づいてきた。
「いらっしゃいませ」
「あの、夏目睦月は今日こちらに来ていますか。妻の茜と申します」
応対した年嵩の女性が目を丸くし、すぐに顔をほころばせた。
「奥様でいらっしゃいましたか。はじめまして。睦月さんでしたら、先ほど開店時にお見えになって、すぐに裏手のご実家に向かわれました。社長と相談があるとのことで」
「ありがとうございます。行ってみます」
挨拶もそこそこに店舗を出た。この店の裏手、日本橋のど真ん中に夏目家はある。大きな土地を有した門扉を前に、一瞬悩んだ。ご実家は結婚前に何度か睦月さんと来たけれど、ひとりで訪ねるのは初めてだ。
嫁が追いかけるようにやってきたら、睦月さんのご両親はなんと思うだろう。スマホを確認するが、やはり睦月さんはメッセージを読んでいない。お義父さんと話をしているのかもしれない。
「あら、そこにいるのは茜さんかしら」
背後からかけられた声に私はびくんと肩を震わせた。振り返ると腕を組んでいる葉月さんの姿。おそらく今一番会いたくない人だ。私を疎ましく思っている義妹……。
「どうしたの? うちに何か用? 兄さんと来たの?」
「あの、睦月さんと出かける約束をしていて、ご実家で待ち合わせを……」
咄嗟に嘘をついてしまい、余計慌てたが、私と睦月さんのいざこざを話すわけにもいかない。すると、葉月さんはにやーっと笑い私の腕を取った。
「それなら、家の中で待ちましょう。私が兄さんに伝えておくから」
「ちょ、ちょっと待ってください。葉月さん」
年はひとつ下だけど、私より上背のある葉月さんは、私の腕をつかんでぐいぐいと引っ張っていく。門を抜け、平屋の邸宅にどんどん入っていくと、応接間や居間などではなくおそらくは彼女の自室であろう和室に私を放り込んだ。彼女が結婚した今も生活感のあるその部屋は、頻繁に使われているように見えた。
「お茶を持ってくるわぁ。待っててね」
その不気味なほどの笑顔に、私は困った事態に陥ったのを感じた。このまま、今日は睦月さんに会えないなんてこともあり得るのではなかろうか。余計こじれたらどうしよう。
すぐに思い直す。葉月さんは関係ない。私は睦月さんに気持ちを伝えるために会いに来たのだ。
「お待たせ。これ見て見て」
葉月さんは日本茶と和菓子の乗った盆を手に戻ってきた。以前来たとき、お手伝いさんが準備をしてくれたものと一緒なので、用意してもらったのだろう。
彼女が小脇に抱えているものこそが彼女自身が準備したもののようだ。その雑誌が畳にどさどさと落とされる。拾ってみると、表紙には美しいアジア系の女性がいた。
経営雑誌のようでその女性もスーツ姿だけれど、あまりにスタイリッシュでモデルを起用したファッション誌にしか見えない。
「この人が映見利さん。兄さんの元カノなの」
ひゅ、と吸う息で喉が鳴った。そんな気はしていたけれど、やはり。
私は冷たくなった手を膝で握る。葉月さんが我がことのように自慢げに微笑んだ。
「兄さんと同じ大学で三年から卒業頃まで付き合っていたの。交際当初からモデルをしていて、卒業後はアメリカに渡ってモデルと実業家の二足の草鞋で頑張っていたみたい。今や、経営誌の表紙を飾る人よ。すごいでしょう」
「それは……すごいですね」
他になんと答えたらいいかわからない。私に話す内容じゃないのは間違いないのに、敢えてしているのだから悪意しか感じられない。
「すごくお似合いのふたりだった。兄さんはイケメン中のイケメンで由緒正しいなつめ屋の後継者、映見利さんは資産家のお嬢さんでモデルかつ経営者志望。……兄さんがなつめ屋の跡取りだったのが、活動の舞台をアメリカに置きたい映見利さんには足枷だったんでしょうね。それで別れちゃった」
ぎろっとこちらを見た葉月さんの表情に笑顔はもうない。
「茜さん、兄があなたを選んだのは従順だからよ。父親が勧める、独立心が薄そうでまあまあ馬鹿じゃなく役に立つ女があなた。あなた自身が好かれたわけじゃないわ」
私はぐっと唇を噛み締めた。元カノと比べて明らかに見劣りするのは隠しようがない。しかし、睦月さんは私を好きだと言ってくれたのだ。
葉月さんがさらに声高に言う。
「私は映見利さんのような義姉が欲しかったわ。あなたみたいに胸ばかり大きくて愛嬌勝負の狸顔の女じゃなくてね! なつめ屋に嫁いだからって偉そうにしないでちょうだいよ。兄さんだって、あなたを妥協で選んでるんだからね」
「偉そうに振る舞うつもりはありません。私と睦月さんの夫婦関係にまで口出しをしないでください」
強く出るつもりはなかった。仮にも義妹だ。そして、話が通じるタイプにも見えない。
だけど、これ以上好き勝手言われたくなかった。
私と睦月さんにはまだ短いけれど積み重ねてきたものがあり、これからふたりで重ねていきたい日々がある。それは私たちにしかわからないものだ。
「お互いを尊重し、歩み寄り、夫婦になっていく過程にあるんです。私は睦月さんに信頼されたい。睦月さんを信頼したい。できたら、愛を育てていきたい。私たちのこれからを踏みつけにするようなことは言わないでください」
「はあ? 兄さんに愛されると思ってるの? あなたみたいなつまらない女。映見利さんとスペックを比べてみなさいよ。恥ずかしいと思わないの?」
「元カノさんは関係ありません。私は、私として睦月さんの妻でいます」
ばたんとふすまが開いた。
そこに立っていたのは睦月さんだ。青い顔は、血相を変えてという表現が近い。
「睦月さん」
「茜、嫌な思いをさせてすまない」
睦月さんはそう言うと、畳に座っている私を抱き起こした。それから葉月さんに向き直る。
「義姉への暴言の数々、どういうつもりだ」
「真実を言っただけで怒られるなんて意味がわからない」
葉月さんは目を吊り上げたまま、ぶっきらぼうな口調で言った。兄に怒られ、納得がいっていないという子どもじみた表情をしている。
「それを真実だと思い込み、自分の思う通りにいかないなら、掻き回して踏みにじっていいと思っているその性格。改めないと、周りに誰もいなくなるぞ」
冷たい声音は兄妹喧嘩ではない。これは睦月さんからの一方的な叱責なのだ。睦月さんがものすごく怒っているのが口調からも見上げた表情からも伝わってくる。
「自分の理想だからととっくに別れた女性を持ち出して、俺の大事な妻を傷つけようとしたおまえを許せない。俺は茜が好きだから結婚したんだ。見合いをしたのも俺の意思だ」
「わ、私も睦月さんが好きなんです!」
気づいたら、葉月さんに向けて叫んでいた。
「高校時代は憧れの人でした。再会して、結婚のご縁をいただいて、今では大好きな大好きな旦那様です。葉月さんは気に入らないかもしれないけど、私は睦月さんの妻の座を誰にも譲りません」
葉月さんは呆気にとられた様子で、なかば口を開けて私と睦月さんを見つめていた。いきなり夫婦そろっての告白大会に巻き込まれた格好なので、ぽかんとしても無理はないかもしれない。
「葉月、またうちの妻を傷つけようとしたときは、おまえとは縁を切る。肝に銘じておけ」
睦月さんはそれ以上葉月さんと問答をする気はないようで、私の肩を抱き、ふすまを開けた。玄関まで廊下を進み靴を履いて外に出るまで睦月さんは無言だった。
「睦月さん」
土曜のオフィス街、路地を黙々と歩いた。通りかかる人は平日よりは少なく、影になった路地は寒い。睦月さんは私の手を繋いで歩き続ける。
「睦月さん、さっきの……私、話がしたくて」
「逃げてごめん」
睦月さんの歩みが止まった。冷たい風の吹く、オフィス街の裏通り。自動販売機とエアコンの室外機が並ぶ古いビルの前で、ゆっくりと振り向いた。
「片想いを、言わずにきみと結婚してごめん」
「そんなの……いいじゃない」
「重い男だって思われたくなかった。あくまでライトな関係だから、きみは喜んで結婚してくれたんだと思っていた」
私は一歩近づき、ぎゅっと両手で彼の手を握った。
「高校時代あなたに憧れていた。でも、一度手放した片想いだったから、結婚できただけで奇跡みたいだったの。あなたに好かれているかもって感じたときに、私から踏み出せばよかったのに。私も勇気がなかった」
少し背伸びして彼の身体に腕を回す。冷たい風から庇うように彼の背を撫でた。
「欲しい気持ちばかりが暴走して、何度もきみに……」
「睦月さんに求められて嬉しかった。女として欲しがってもらえるって、自己肯定感上がるんだよ。それだけで幸せなのに、心まで伝えてくれた」
彼の頬に手を伸ばす。私の手は冷たいだろうか。触れると彼はかすかに震えた。
「ゆうべ、あなたに縋り付いて逃がさないで伝えてしまえばよかった。好きです」
「茜」
「葉月さんに先に宣言しちゃったから、締まらないけど、私は睦月さんが好き。大好き」
睦月さんの腕が私の背に回される。それから強く抱き寄せられた。
「私たち、ちゃんと伝え合おう。好きだって気持ち、ずっと一緒にいたいって想い」
「茜、ありがとう。好きだ。きみのことを愛してるんだ」
睦月さんの抱擁はきつく、今までのすべての感情がこもっていた。私は寄り添い目を閉じ、苦しくなるほどの恋を感じた。愛しいという気持ちには際限がないのだ。伝え合っても伝え合っても足りない。もっと与えたいし、欲しい。
タクシーで帰宅しリビングで上着もシャツも脱がせ合った。手を引かれ、ベッドへ向かうのも嬉しくて苦しいくらいだった。
肌と肌を密着させ、唇を重ね、強く思った。ああ、そうか。愛を伝え合う手段にセックスがあるのは、そういうことなんだ。言葉でも視線でも満ち足りるのに、もっと伝え合いたくて苦しいから、人間は身体を繋げるんだ。
「茜……、優しくしたい」
「いいの。私が好きなら遠慮しないで」
「煽らないでくれ」
「全部、あなたの思うようにして。私もあなたに返すから」
与え合い奪い合うのが愛なら、私もそこに溶けてしまいたい。
睦月さんの腕の中で声をあげながら、私は幸せのすべてを知ったような心地だった。
目覚めると日が傾いていた。冬の日暮れは早いので、時計を見ればまださほど遅い時刻ではないとわかるだろう。だけど、身体がけだるくて指一本動かすのも大変だ。シーツが鉄で、私の身体は磁石になってしまったみたい。なかなか布団から起き上がれない。うつ伏せの格好でシーツに頬を押し付けているだけ。
ぼやけた視界に睦月さんが映る。
「起きたかい」
「むつきさん」
「身体、痛くない?」
「平気」
額にキスをされ、くすぐったくて笑ってしまう。
「キスはこっち」
唇を差し出すと、形のいい唇を重ねてくれた。甘く優しいキスだった。
「止まれなかった、きみが好きすぎて」
「愛を感じました」
反省したように言う睦月さんを私はくすくすと笑う。
「幸せ。どこもかしこも全部あなたのものになったみたい」
「俺の全部もきみのものだよ」
互いの髪に触れ、頬に触れる。満たし合うという感覚がわかる。恋を叶えた瞬間、世界はこれほど鮮やかなのかと驚く。
「ありがとう、睦月さん。結婚してくれて」
「お礼を言うのは俺だ。結婚してくれてありがとう。俺を好きになってくれてありがとう」
けだるい身体を抱き寄せ合って、私たちは目を閉じた。ずっとこうしていたいと思った。