書籍詳細
離婚必至の仮面夫婦ですが、官能初夜で宿した赤ちゃんごと愛されています
あらすじ
「この命にかけて、君とお腹の子を大事にする」
独占欲を刺激され、クールな旦那様が溺愛全開に!?
とある事情を秘め、好きな人ができたら離婚OKという条件で、お見合い相手の御曹司・星司と愛なき結婚をした季里。ところが季里の秘密が、彼の嫉妬と独占欲を煽り!?「君の心に、身体に、僕を刻み込みたい」――激しい情欲を滾らせた星司に迫られ、熱い初夜を過ごしてしまう。さらに季里の妊娠が判明し、彼はいっそう過保護に季里を甘やかし尽くして…!
キャラクター紹介
深海季里(ふかみきり)
自ら会社を立ち上げるほど仕事に励んでいたが、父の厳命で星司と見合いをすることに。幼少期から辰巳を慕う。
龍川星司(たつかわせいじ)
メガバンクの御曹司。恋愛しないと決めていたが、ありのままの自分を受け止めてくれた季里に急速に惹かれる。
試し読み
「ショッピングにでも行こうかなー」
意味深にちらりと彼を見て、歩き出す。もし追ってもきてくれないのなら、そういう人だと諦めて割り切ろう。だいたい、星司さんは無反応がデフォルトなのだ、それに期待した私が間違っている。
「季里さん」
けれどすぐに、星司さんは追いついてきた。
「なに?」
どんな言葉が出てくるのかわからないまま、彼の顔を見上げる。
「僕が一緒だと楽しめないですよね。なら、季里さんはひとりで行ってきてください。僕はホテルで待っていますから」
それだけ言って星司さんはホテルに戻ろうと踵を返す。これってもしかして、飛行機の中と同じように気を遣ってくれている?
「待って!」
去ろうとする彼の腕を掴み、引き留める。
「ちゃんと言ってくれなきゃ、なに考えてるかわかんない」
少し考えればたぶんそうなんだろうという推測はできたが、それでなくても星司さんは無表情なんだから察してくれなんて困る。
「それは……」
言い淀み、俯くように星司さんが私を見下ろす。
「季里さんが僕に怒っているようだったので、僕はいないほうがいいんじゃないかと思いました」
「えっと……」
確かに、星司さんの反応が薄くて苛ついていた。それを指摘されるとなにも言い返せなくなる。
「気を遣ってくれたのは嬉しい。ありがとう。でもさ」
一度言葉を切り、レンズ越しに真っ直ぐ彼の目を見る。
「星司さん、ずっと『そうですね』しか言ってくれないし。そういうのはそれしか返事をしないロボットにでも向かって話しかけているみたいで、淋しくなっちゃう」
「それは……」
星司さんはまた、そのまま俯き黙ってしまった。あまりにも返事がないし、なんだかなにもする気がなくなってホテルに帰ろうかと思った瞬間。ようやく星司さんが口を開いた。
「すみません、でした。季里さんが僕と話すのは迷惑そうだったので、なるべく黙っていようと思ったんですが……」
「へ?」
彼がなにを言っているのかわからない。いつ、迷惑だって……あ。飛行機の中であまり仕事の邪魔をしてくるものだから、声をかけないでほしい的なことは言った。まさかそれをずっと、実行しているなんて思わない。
「あのときは仕事をしていたから、頻繁に声をかけられるのが困る、って話で。今は状況が違うじゃない」
「すみません」
あまりにも融通が利かなさすぎて呆れてしまう。それでも、これも彼なりに気を遣ってくれたのだと遅まきながら気づいた。
「ま、まあ。飛行機の中でも今も、気を遣ってくれたのは嬉しい、けど」
「ありがとうございます」
なんとなく気まずくて顔を伏せる。それでようやく、星司さんの顔が上がった。相変わらずの真顔で、なにを考えているのかはさっぱりわからない。でも、たぶんいい人なんだと思う。
一連のやりとりで観光もショッピングもどうでもよくなり、ホテルに帰る。途中、美味しそうなお菓子屋を見つけ、適当に買った。
ホテルは星司さんからの反対もなかったし、スイートを取っていた。
「僕がやりますよ」
戻ってきて部屋に備え付けのコーヒーマシーンでコーヒーを淹れようとしたら、止められた。
「そう? ありがとう」
素直にお礼を言い、ソファーに座る。窓の外には荘厳な遺跡が広がっていて、このホテルにしてよかった。
「どうぞ」
「ありがとう」
少しして星司さんが私の前にコーヒーを置く。さらにはお皿とフォークまで持ってきてくれた。意外と気が利く。
買ってきたお菓子をお皿の上にのせた。見た目はパイケーキっぽい。しかし、フォークを入れるとこれでもかっ! ってくらい、シロップが染み出てくる。なにも考えず、ひとくち食べて……悶絶した。慌ててカップを掴み、中身を流し込む。
「……ヤバい、これ」
「ヤバい、とは?」
全力疾走でもしたかのようにぜーぜーと息をする私を、星司さんは真顔で見ている。これを食べればさすがの彼でも、表情が変わるのでは? そんな好奇心が湧き、早速お皿を押しつけた。
「食べてみて?」
「はぁ……」
若干、不思議そうにそれを受け取った彼が、フォークを口に運ぶのをわくわくして見ていた。それが彼の口に入ったが、なにも起こらない。これでもダメなのかと思ったが、次の瞬間。
「……!」
カッ! とそのレンズの幅に迫らんばかりに目が見開かれる。お皿は持ったまま大慌てでカップを掴み、私と同じようにコーヒーを流し込んだ。
「な、なんですか、これ……!?」
出会ってから今まで真顔しか見たことのない彼が、驚愕の表情でむせ込んでいるのが面白くて堪らなくて、笑い転げていた。
「ね、死ぬほど甘いでしょ?」
甘い生地にたっぷり甘いシロップを染み込ませたそれは、頭が痛くなるほど甘い。あいだにナッツが挟まれているが、それでは全然中和しきれていなかった。
「世の中にはこんなお菓子があるんですね……」
感心した彼が、お皿をテーブルの上に置く。もったいないがこれ以上、暴力的に甘いそれを私には食べられそうにない。
「びっくりだよねー」
まだ甘さの残る口を、コーヒーですすぐ。そっか、星司さんでも驚いたりするんだ。それはちょっと、いい発見だ。
「あの、さ。星司さん」
空になったコーヒーカップをソーサーに戻し、改まって彼を見る。彼もすぐに、座り直して私を見た。
「新婚旅行のあいだ、夫婦ごっこをしませんか」
そのまま、レンズ越しに彼の目を見て返事を待つ。
「……夫婦ごっこ、ですか?」
少しの間が開き、彼が聞き返してくる。それに黙って頷いた。
「仮面夫婦とはいえ、一緒に暮らすのよ? 他人ではいられないわ。それに、いざ夫婦のフリをするときに互いのことを知らなければボロが出る。だから、夫婦のフリの練習をしましょう、ってこと」
お見合いから半年。いまだに私は星司さんを全然知らないのだと気づいた。きっと星司さんも、また。たぶん、いい人なんだと気づいたのはついさっき。鉄仮面でできているかのように表情の変わらない彼でも、感情の振り幅が大きいとさすがに出るのだと知ったのもついさっき。こうやって少しずつ、知っていったらいい。
じっと私の顔を見つめたまま、星司さんは黙っている。干渉されたくないなどとも言っていたし、反対なのかと失望しかけたものの。
「わかりました」
ゆっくりと彼が頷く。星司さんが同じ気持ちで、ほっとした。あと彼は、融通が利かないほど真面目な人なんだと思う。
夕食を済ませ、部屋に戻ってきて気づいた。
……〝夜〟はどうするんだろう?
ツインのタイプの部屋を取ってあるので、ベッドは別……のはず。でも、夫婦ごっこをしているし、夫婦となればアレがつきものだし、そして一応、私には記憶がないがもうすでに彼には抱かれている。今晩も……スる、の?
寝る支度をしてベッドに座りながら悶々と悩む。そのうち、星司さんも寝室へやってきた。
「おやすみなさい、季里さん」
しかし彼は眼鏡を置き、あっさりと隣のベッドへ入った。
「へっ?」
おかげで思わず、変な声が出る。それに気づき、星司さんは起き上がって再び眼鏡をかけた。
「どうかしましたか?」
「あっ、えっと。……シないのかな、って」
どうかしているのはあなたのほうでしょ、とか言えたらいいが、それはさすがに無理だった。代わりにそろりと上目遣いで尋ねる。
「なにを? ……って。もしかして、おやすみのキスですか?」
「ちっがーう!」
少し考えたあと、ぱっと顔を上げた彼に間髪入れずツッコむ。それもあるが、そうじゃない。
「違うって、じゃあなんですか」
「うっ」
こんなことを至極真面目に聞いてこられても困って、言葉に詰まってしまう。
「だからー、その。一応、夫婦? なわけだし?」
察してくれといわんばかりに、ちらっ、ちらっと星司さんをうかがう。
「ああ。季里さんはシたいですか?」
やっとわかってくれたのは助かるが、聞かれるとは思っていなかった。それでもぶんぶんと勢いよく首を横に振る。
「季里さんがしたくないなら、しません。無理にするようなことじゃないですから」
しないと言われてほっとした。けれど。
「でも、夫婦っぽいことはしたほうがいいかもしれませんね」
星司さんがこちらを向き、私と向きあうようにベッドサイドに座る。そのまま彼の顔が近づいてきて、唇が――触れた。
「おやすみなさい、季里さん」
呆然としている私を無視して星司さんが眼鏡を置き、また布団に潜る。目を閉じたもののなにか思い出したのか、すぐに開いた。
「そうだ。キスするときは目を閉じるものですよ。じゃあ、おやすみなさい」
彼の指摘でつま先から一気に熱が頭まで上ってくる。
「……キ」
怒りでわなわなと身体が震えた。腕を伸ばし、手近にあった枕を掴む。
「キスしていいとか言ってないしー!」
それを私は、星司さんに思いっきり投げつけた。
鼻息も荒いまま一旦部屋を出て水を飲み、気持ちを落ち着けて寝室へ戻る。そこではベッドにきちんと枕が戻してあり、それをなんとも言えない気持ちで見つめた。
「……はぁっ」
短くため息をつき、私もベッドに潜る。あんなことを言うなんて、星司さんは意地悪だ。しれっと枕を戻してあるのも。でも、私がしたくないならしないって言ってくれたのは嬉しかった。けれどならなんで、結婚式の夜は抱いたのかという疑問は残る。が、あの日の私は辰巳から結婚を祝われかなりヤケになっていたので、滅茶苦茶にしてくれとか頼んでいても不思議ではない。だとしたら、星司さんには悪いことをした。
「……そういえば」
あのときもキスするときは目を閉じろって、星司さんに同じ台詞を言われた気がするな……。
翌日はアテネ観光をしてもう一泊し、その翌日はサントリーニ島に渡った。白い建物と青い屋根が美しい。
「どうぞ」
差し出された手を無言で見つめる。そのまま星司さんの顔へと視線を移動させ、これがどういう意味なのか考えた。……たぶん、これが正解だよね?
そろりと手をのせると彼が握り返してくる。やはり、手を繋ごうという意味だったらしい。
星司さんはとにかく表情が乏しいので、なにを考えているのかわかりにくい。でもそれが私にはクイズのように思えて、次第に楽しくなってきた。
手を繋いで街の中を見てまわる。
「うわっ、可愛いー」
入ったお店では、アクセサリーがたくさん売られていた。
「どう?」
青い石のピアスをひとつ取り、耳に当ててみる。
「いいと思います」
でも、星司さんの返事は素っ気ない。いや、これが彼のデフォルトなんだけれど。
「ふーん。星司さんが可愛いって言ってくれないから、やーめよっと」
「えっ、あっ」
急に星司さんが、眼鏡を触り出す。わかっているのにこんなふうに言って、彼が慌てる姿を楽しんでいる私は、性格が悪い。
「嘘よ。私がするにはちょっとチープかな、って思ったの」
星司さんの腕を取り、店を出る。可愛いなとは思ったが、本気で欲しいとは思っていない。でも、星司さんが可愛いって言ってくれたら、気がよくなって買っていたかもしれないが。
次のお店では石けんが売られていた。
「オーガニックオリーブオイル……。これはぜひ買わなきゃ」
石けん、というか化粧品関連は私の血が騒ぐ。なんといっても私は、好きが高じて化粧品会社を経営しているくらいだ。
「……季里さん」
あれも、これも、と物色していたら、後ろから控えめに声をかけられて振り向いた。
「店を買い占める気ですか」
そう言われて、星司さんの腕を見る。そこには私の選んだ石けんが、こぼれ落ちんばかりにのっていた。
「……ごめん」
いくら夢中になっていたからって、これはやりすぎだ。
「少し、戻すね」
「いいんですよ」
さすがに多すぎだと彼の腕からいくつか取ろうとしたが、止められた。
「これは季里さんの仕事に必要なものなのでしょう? なら、全部買いましょう」
そのままさっさとお会計に向かい、星司さんは本当に全部、買ってしまった。
「すみません、なんか」
大荷物を下げた彼と一緒に店を出る。
「いいんですよ。季里さんの欲しいものは僕がなんでも買ってあげます。……夫婦、ですから」
下がってもいないのに、星司さんは眼鏡を上げた。これは、……照れている? いや、それはないか。
散々歩き回り、景色のいいお店でお茶にする。
「すみません、ちょっと外します」
ちらっと私に携帯を見せ、星司さんは店を出ていった。もしかして職場からの電話かな。エリート銀行マンだもんね、新婚旅行中も仕事とは大変だ。私は珪子がしっかりやってくれているから、そのあたりは安心だけれど。あー、でも、帰ったら鬼のように仕事が溜まってるんだろうな……。
「すみません、おまたせしました」
帰国してからの仕事を思い、憂鬱な気分でレモネードを飲んでいたら星司さんが戻ってきた。
「お仕事、大変ね」
「ええ、はい」
なんか今、誤魔化された気がするけれど、もしかして仕事じゃなくて女だったとか? だとしても私たちの場合は問題ないんだよねー。なにせ、仮面夫婦だし。
夕食は夕日の見えるレストランを予約してあったので、そこで食べる。空と海を赤く染めながら、少しずつ落ちていく夕日が美しい。
「うわーっ、すごーく綺麗な夕日ね」
「そ、そう……だね」
星司さんがぎこちない笑顔になる。それについ、噴き出していた。
「……笑わなくてもいいじゃないですか」
すぐに彼の顔が、真顔に戻る。
「ごめんなさい」
苦手なのに私にあわせて笑ってくれた彼を笑ったのは悪かったな。
この二日でなんとなく、星司さんは感情が乏しいのではなくて、表情に出にくいだけなのだと気づいた。あとは。
「ねえ。もしかして、年下の部下にも敬語なの?」
「そうですが」
なんでもないように彼が答える。
「ふぅん。そうなんだ」
夫婦なんだし、私のほうが年下なんだから敬語じゃなくてもいいと言っても、星司さんはいつも敬語だ。真面目な彼らしい。
「おかしい、ですか」
手を止めて聞いてきた彼は、若干不安そうに思えた。
「別に。星司さんらしいな、って思っただけ」
こういう真面目なところは、好感が持てた。
部屋に戻ったら、星司さんが小さな紙袋を差し出してくる。
「よろしければ」
「なあに、これ?」
受け取ったそれを早速ガサガサと開けた。
「季里さんが可愛かった、ので」
傾けると今日、買わなかったピアスが出てくる。
「え、わざわざ買ってきてくれたの?」
ヤバい、嬉しくて顔がニヤけそう。たぶん、お茶したときに少し席を外していたのは、これを買いに行っていたんだ。着けているピアスを外し、それに変える。
「どう?」
買ってくれたピアスを装着した耳を、星司さんに見せた。
「か、可愛い、……です」
彼が俯いて眼鏡を上げる。
「ありがとう、星司さん」
「僕は、別に」
星司さんの視線が明後日の方向を向く。たぶん、照れてるんだろうな。それで凄く、気分がよくなっていた。