書籍詳細
ヤンデレ若頭に政略婚で娶られたら、溺愛の証を授かって執着されました
あらすじ
一途愛剥き出しの極道が愛妻家な溺甘パパに!?
幼馴染みなヤクザとお嬢の暴愛婚
極道の一人娘・よつ葉は、若頭・慧一との政略婚を命じられる。幼馴染みの慧一との結婚に戸惑うも、彼の一途な偏愛を知り、愛しさは増していくばかり。ところが、ある出来事がよつ葉の心を閉ざしてしまい…。妊娠を隠し、慧一から離れるつもりが――「生まれてから死ぬまで、俺にはよつ葉しか要らない」とゾクゾクするほど重い純愛をぶつけられ…!?
キャラクター紹介
七原よつ葉(ななはらよつば)
『七原組』の一人娘。幼馴染みの慧一との政略結婚を受け入れたら、行き過ぎた超溺愛が待っていて…!?
佐光慧一(さこうけいいち)
『佐光組』の若頭。一筋に想い続けてきた初恋相手・よつ葉を嫁に迎え、制御不能な執着愛を日夜捧げる。
試し読み
秋の挙式は、都内にある有名な外資系ホテルで執り行われた。
式場は三百人が入るバンケットルーム。海外で作られた繊細かつ豪華なシャンデリアが連なり光り輝く。
他のカップルや来賓に迷惑がかからないよう、大安吉日を外した日を完全貸し切りにしたらしい。
それはまさに正解で、式場となるホテルの出入口でずらりと列をなす黒光りの高級車。ぞろぞろ降りてくるのは、高級スーツで武装した極道たち。
もし同日に式を挙げるカップルがいたら、怖がらせてしまったかもしれない。
秋の気候のいい時期に、貸し切りなんてことができたのは、相当なコネか何かがあったのだろう。
そしてそれだけの費用を想像すると目眩(めまい)がしそうだけど、気にしなくていいと慧一も佐光のおじさんも言ってくれる。
七原からも費用が出ているらしいが、父も母も私が余計な心配をしなくていいようにと教えてくれない。
話しぶりだと、どうやら和山からも出ているらしい。
当事者が何も知らなくていいはずがないのに、皆は私が当日を健康で迎えてくれるのが一番だと言ってくれる。
私は余計な詮索を一旦やめて、界隈(かいわい)の一同が集まるであろう式に集中できるようにと切り替えた。
色打ち掛けもお色直しのウェディングドレスも、選ぶ際はすべて慧一が付き添ってくれた。
オーダーするには到底間に合わないことを心底悔しがり、一年目の結婚記念日にはオーダーしたウェディングドレスで二人だけの小さな式を再度挙げようと息巻いている。
式は順調に執り行われ、慧一と私は皆の前で夫婦になった。
そのまま、その晩は予約したスイートルームに宿泊となった。
当然の流れといえばそうなのだけど、覚悟というか、とにかくまず部屋に慧一と二人きりなのが緊張してたまらない。
今夜は、つまり初夜だ。
初めてキスをした夜から慧一と少しずつスキンシップを取っていたけれど、キス以上に進むことはなかった。
私はこの初夜にひとつでも不安を取り除いた状態で挑みたくて、ブライダルエステも頑張って早起きをして通った。
そんなことを思い出しながら、広いバスルームでひとり、湯船から出たり入ったりを繰り返している。
ビューバスなので、バスルームの向こう側にきらめく夜景が広がっている。
もっと景色を楽しみたいのに、心中はそれどころではなかった。
慧一は先にお風呂を済ませたので、私がバスルームから出たら……いよいよ始まってしまうのだ。
お風呂から出た、濡(ぬ)れ髪でバスローブ姿の慧一をあまりにも意識してしまい、すごい勢いでバスルームに飛び込んでしまった。
「やっぱり……慧一って格好いいんだ」
引き締まってつるつるの自分の腕や足を見ると、担当してくれたエステティシャンのお姉さんの顔が浮かぶ。
お姉さんに、老廃物を出すためにぐいぐい揉(も)みしだかれた日々が懐かしい。そのあとのオイルマッサージが気持ちよくて、飴と鞭(むち)だったと懐かしむ。
大丈夫。慧一だって、経験がないんだから。
よっぽど変なことをしたり、萎えさせるような声を出したりしなければきっと素敵な一夜になる。
……そんな声なんて、生まれて一度も出したことないけど……ぶっつけ本番で大丈夫なんだろうか。
ううん、私は昔から本番に強いタイプだったからきっと……多分どうにかなるはず!
湯船に浸かって、十分に温まった体が水面の下でゆらゆら揺れる。
「……いつまでもお風呂に浸かっていたって、ふやけてのぼせるだけだ」
よし! よし!と心の中で無理やりに気合いを入れて、勢いをつけて湯船から立ち上がった。
バスローブを身につけてバスルームを出ると、大きな窓際のそばに設置されたソファーで慧一が待ってくれていた。
「お、お待たせしました」
「ふふ、待ちくたびれて迎えに行こうかと思ってたよ」
「ええっ、それは驚くから……まだ困る」
「じゃあ、そのうち慣れたら一緒にお風呂入ろうね。俺がよつ葉のこと、足の先までじっくり洗ってあげる」
じっと私を見上げる慧一に、バスローブの中まで透けて見られているようで咄嗟に自分の胸元の合わせをぎゅっと掴んでしまった。
「……なんか、エッチな目で見てない?」
「うん。瞼(まぶた)の裏と脳みそによつ葉の風呂上がりの姿を焼きつけたくて」
ますます、合わせを掴んだ手に力が入ってしまった。
冗談だよとも言わない慧一に「座って」と手を取られて、隣に腰を下ろす。
部屋は私がバスルームに飛び込む前より光量が落とされていて、窓からは都内に広がる数多の光の粒が見えた。
「お風呂からの景色もよかったけど、ここからの夜景もすごいね」
「そうだね。ほら、お水飲んで。だいぶお風呂にいたし汗かいたんじゃない?」
ミネラルウォーターをグラスに注いだものを慧一が手渡してくれた。
私がひとり、バスルームでバタバタしていたのがバレていたようだ。
ひと口お水を含むと、するすると喉を滑っていく。自覚はなかったけど、自分が思った以上に喉が渇いていたみたいだ。
ごくごくと水を飲み干しひと息つくと、グラスをするりと取られ、慧一に抱きしめられた。
「わっ」
「やっと、やっとよつ葉と夫婦になれた……どれだけこの日を待ちわびたか」
いつもは決して私を傷つけない慧一の遠慮のない力強い抱擁に、その想いの強さを知る。
「私も、私も慧一と結婚してよかった」
「本当に……?」
「うん。私ね、ゆっくりって言ったけど……自分が思ったよりずっと、慧一が好き。ドキドキするよ」
「俺……嬉し過ぎて心臓がもたないかも……」
慧一は私をソファーから抱き上げると、ベッドルームまで運んでくれた。
唇で、指先で、私を隅々まで愛してくれる。
息遣いも、合間のキスも、全部が愛おしくて胸がはち切れそうになる。
気持ちいい、恥ずかしい、もっと。
私がたまらずに声を漏らすほどに、慧一は私の名前を呼ぶ。
そのたびに『可愛い、好き、愛してる』と抱きしめられる。
そして――。
いよいよ……というとき。
慧一のケイイチくんは、本人の気持ちとは裏腹にこのタイミングで反抗期に入ってしまった。
慧一がいくらどうにかしようとしても、ケイイチくんは頭を垂れてどうにもならない。
さっきまで臨戦態勢だったそれは、ひとり勝手に休戦してしまったのだ。
とうとう慧一は、「よつ葉があまりにも可愛過ぎて、緊張し過ぎて勃たなくなった」なんて言い出す。
「可愛過ぎるお前が悪い、じゃなくて?」
「よつ葉に悪いところはないよ。何百回もよつ葉を抱くシミュレーションしてたのに、本番でたじろぐ俺のコレが悪い……」
指されたソレは、変わらず頭を垂れていた。
「え、何百回って……?」
「俺、よつ葉以外を想像してひとりでシたことない。生まれて初めても、昨日もよつ葉で……」
結局、ケイイチくんはその夜再び参戦の意思表示をすることはなかった。
つまり、慧一との初夜は、失敗に終わってしまったのだ。
ひたすら落ち込む慧一を励ますために語彙力をフル活動させているうちに、私はいつの間にか眠ってしまった。
自分が思っているよりずっと、挙式の緊張や疲れがあったらしい。
夢の中でも、ひたすら慧一の背中をさすり、思いつくすべての励ましの言葉をかけ続ける。
だけど慧一は決して頭を上げず、私の顔も見ようとしない。
これじゃ、ケイイチくんと同じでしょ!とつい突っ込んでしまいそうになった瞬間に目が覚めた。
パッと瞼を開くと、私の部屋とは違うクリーム色の天井が視界いっぱいに飛び込んできた。
ほのかなルームフレグランス、素肌に触れる糊(のり)のきいたシーツの感触に、ここが自宅ではなくホテルだということを思い出した。
私の右手を握る体温に、一気に昨夜のことを思い出す。
さっきの、夢でよかった……! あんな失礼なこと、夢でも慧一に思うなんて私はバカだ。
はあ、と自責の念でため息をつくと、まだ寝ていると思っていた慧一がゆっくりと覆いかぶさってきた。
「……慧一?」
「おはよう」
ちゅ、ちゅ、とおでこや頬にキスを落とされる。
「まだ起きるには早い時間だよ。やっと六時になったところ」
視線を合わせたその顔は、目元にうっすらクマが浮かんでいた。
「眠れなかったの?」
「ううん。うつらうつらしてた」
それは寝たとは言わないんだよ。そういう気持ちを込めて、両腕を慧一の首に巻きつけて抱き寄せた。
「よつ葉が潰れちゃう」
私に自分の体重がかからないようにしてくれていたのに、私がそのバランスを崩してしまった。
慧一のずしりとした重みに、潰された胸の奥、肺から空気がせり上がってくる。
苦しいけど、その分ますます愛おしく感じる。
「いいの……だって好きなんだもん。慧一はなんでこんなに可愛いんだろう」
自然に、好意がするりと言葉になった。
好きだと自覚を始めたら、どんどんスピードをつけて気持ちが現状に追いついてきた。
私をずっと好きでいてくれた人と結婚したなんて、まるで夢みたいな話だ。
「俺を可愛いなんて言うの、よつ葉だけだよ」
照れたのか、慧一は顔を見られないように私の首筋にうずめた。
鼻先や唇の感触が薄い皮膚越しに伝わってくすぐったい。
「そうだね、学生のときは狂犬なんてこっそり呼ばれてたの知ってる?」
「知ってる。『七原の番犬』とも呼ばれてた。よつ葉に近づく男皆に噛(か)みついてやったから」
『噛みついた』がどういう意味かは考えたくない。口頭での忠告……と思いたいけど、違うんだろうな。
「私なんて、モテる方じゃないから心配しなくてもいいのに。それに稼業のこともあってか、皆からはある程度距離を取られてたよ」
「……よつ葉は、なんにもわかってない。そんなの、なんとも思っていない奴なんて掃いて捨てるほどいるんだよ」
そう言われて思い出してみると、確かに気軽に声をかけてくる人もいない訳じゃなかった。
少ないけど女の子の友達もいたし、クラスメイトは用事があれば普通に喋(しゃべ)りかけてくれていた。
孤独を感じることはあまりなかったけれど、恋とはほぼ無縁だった。慧一のせいで。
「そういう慧一は、モテてたよね。女の子は度胸があるのかな、よく喋りかけてたし、囲まれてるのいつも見てたよ」
「……追い払いたかったけど、女の子には優しく接しろってよつ葉が言ったから」
「約束守ってて偉いなって思ってた。顔は笑ってるのに、目は死んでたけど」
モデルみたいな高身長に顔、おまけに家はヤクザだなんて、慧一はまるで漫画の主人公みたいだった。
制服を崩さずにきちんと着て、頭もよくて。運動だってできたから、もし稼業がヤクザでなければいろんな未来があったかもしれない。
それは、絶対に言わないけれど。
あの頃。視線を感じて探すと、いつも慧一は遠くからでも私を見ていた。
こちらから軽く手を振るまで、じっと見ていた。
昔を思い出してよしよしと後ろ頭を撫でると、慧一は顔をやっと上げてくれた。
少しは、元気出たかな?
あとひと押しだと感じて、二人でしてみたいことを提案してみた。
「あのさ、今日、二人でデートしてみない? 普通って言ったら変だけど、結婚するまでの期間も短かったしバタバタだったでしょ」
私を見る瞳に、キラキラと光が宿る。
「デート?」
「そう、夫婦になって初めてのデート。といっても突発だからプランはないんだけど、これから新生活で必要なものを慧一と一緒に見たいんだ」
慧一が用意してくれた新居への引っ越しまで一ヶ月弱。それまでに、新生活に必要なものを揃えないとね、とは話していた。
ダメかな?と聞いてみれば、「ダメな訳ない!」と返事をくれる。
「ここ、三泊四日で取ってくれてるでしょ? 二人でそこまで休み合わせるって、難しいと思うし。この時間を使って行ってみよう」
気を使う挙式後にゆっくりできるようにと、慧一がずいぶん長めに宿泊予約を入れてくれていた。
もしかしたら、部屋にこもってイチャイチャする時間のためだったのかもしれないけれど。
「……ほんとに、よつ葉大好き」
染み入るような声で呟かれて、ぎゅうっと抱きしめられたあと。
くるんと体術みたいな早業で体勢を入れ替えられて、今度は私が上になってしまった。
慧一を見下ろす格好に驚く。
「きゃっ。び、びっくりした」
「いつまでも俺が乗っかってたら、本当に潰しちゃいそうだから……ああ、ここに痕がちゃんと残ってる」
ちょん、と胸元を押される。目をやると、昨晩慧一につけられたであろう赤い痕が残されていた。
下着に、備えつけのパジャマの上だけ。慧一ははだけた胸元の痕を何度も撫でる。
「今日、デートから帰ったらリベンジさせて。またうまくいかなくても、昨日よりもっとよつ葉を愛したい」
昨晩の余韻に火をつけられちゃいそうな、甘い声色で囁かれる。
「いい?」
「うん……受けて立つ!」
跨(またが)ったまま元気に返事する私に、慧一も上半身を起こして抱きつく。
二人して笑いながら子犬のように転がっていたら、昨晩の重たい空気はすっかりなくなっていた。
ルームサービスで軽めに朝食をとりながら、今日の計画を立てていく。
「今日見たいのは、細かいものだね。お互いの家から持ち寄るよりは、いっそ新調しちゃった方がいいと思うの」
「そうだね。倉庫には新品のタオルが大量にあるけど、あれはうちの不動産屋の名前入りでお年賀用のだからなぁ」
「あれね、お父さんが柔道の道場行くときに持っていってるよ」
こんがりきつね色に焼かれたぷるぷるのフレンチトーストに、琥珀(こはく)色のシロップを垂らす。
ナイフを入れると、ほんの僅かな力でさっくりと切れていく。ふわりと湯気が上がり、甘い香りが広がった。
「じゃあ、タオルとかリネン関係は全部買おう……うん、このフレンチトースト美味しい!」
「よかった。一緒に暮らし始めるまでにフレンチトーストも作れるようにしておくね」
慧一はうちの母から私よりも料理を教わっていたから、ひと通りのものは作れる腕前なのを承知で聞いてみる。
「あのね、一緒に暮らし始めたら私もご飯作っていい? 慧一みたいにいろんなものは作れないし、美味しくないかもしれないけど」
「え、本当に!? わ……夢みたいだ、よつ葉の手作りとか小学生以来だ」
そう言われて、生まれて初めて作ったチョコレートを思い出した。
バレンタイン近くになるとクラスの女子たちの話題はその一色になり、私も作ってみたくなったのだ。
小学四年生の女子が湯煎の温度も測らずただ溶かし、百円ショップで揃えたバレンタイン用の小さなアルミカップに流し入れて冷蔵庫で冷やし固めただけのチョコレート。
もちろん、そのときにも慧一は一緒だったし、正真正銘生まれて初めて手作りチョコをあげた相手も慧一だ。
ただちゃんと固まったか確認してほしかっただけだったのだけど、ものすごく喜んでくれたのを覚えている。
その日、作ったチョコをその場でいくつかあげたあと、父と母にあげて私のバレンタインは終わった。
「よく覚えてたね。次の年からは慧一が毎年作ってプレゼントしてくれてるね。しかもなぜかホワイトデーもお菓子くれて」
「あの日もらったチョコ、記念にひとつ保存してあるんだ。型を取って食べちゃおうかとも思ったんだけど、やっぱりもったいなくて」
コーヒーに口をつけながら、懐かしむように笑っている。
「待って、まだあのときのチョコレートあるの!? 小学生のときのだよ?」
「もちろん。チョコレートの永久保存のありとあらゆる方法を調べて。そのくらい嬉しかったんだ。死んだときには、棺桶(かんおけ)に入れてほしいくらい今も大事にしてる」
何十年後かに、もしそのときが来たら。
チョコレートを棺桶に入れなければ、慧一は土壇場で私の元に戻ってきてくれるんじゃないかと想像してしまった。
第三章
よつ葉のどこが好きなのかと、今までどれだけ聞かれただろう。
『秘密』だと言ってはぐらかしてきたけれど、心の中ではいつも同じ言葉を繰り返してきた。
『生きる理由に、何を求めているのか。説明が要るのか』と。
今でも思い出す。預けられたよつ葉の家で、毎日そばにいてくれたこと。
まだ幼い子供で、俺たちは同い年なのに、よつ葉はいつも俺の面倒を見てくれようとした。
どうしても母親に会いたくて、でも言えなくて。
月の明るい、ある静かな夜。
一緒に寝かされたよつ葉に気づかれないように、俺はベッドの中で声を殺して泣いていた。
二人きりの子供部屋にカーテンの隙間から月光が差して、玩具や俺の衣類の詰められたボストンバッグを青白く照らしていた。
いつまでも慣れない空間に心細くて。預けられてまだ、一週間も経っていない頃だったと思う。
遠くに車のクラクションの音が聞こえてきて、それが心の隙間に響いて余計に寂しさを感じさせた。
このまま母親に会えず、誰も迎えに来てくれなかったら。
そんなことを考えていたら、涙が止まらなくなったのを覚えている。
男の子なんだから我慢しろ、という人はここにはいない。
だからって、他人に泣きつくような真似はできなかった。
そのとき。よつ葉は俺が泣いているのに気づいたのか、むくりと起き上がった。
俺は驚いて、慌てて目を閉じて寝たふりをしたけど間に合わなくて。
よつ葉は小さな手で、濡れた俺の頬っぺたを拭い始めた。
自分の母親に助けを求めることもなく「よつばがいるよ」と言って、頭も撫でてくれた。
薄く目を開くと、眠そうなよつ葉の姿があった。
その月の光に照らされた、まあるいよつ葉の白い頬、透けた髪、秘密とばかりに細く柔らかな声。
まるで空から降りてきて、背中に羽でも隠しているんじゃないかと思うくらいの雰囲気で。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ、いいこ」
俺に触れる慈愛のこもった指先に、神秘的で強烈で、魂を焦がす何かを感じた。
今思えば、よつ葉はひとり泣く子供を見て、ただ幼い母性を発揮していたのかもしれない。
「いいこ……?」
「うん、いいこだよ。ひとりでおとまりできて、えらいね。あした、おかあさんにあいにいこう」
「……ほんと?」
「わたしが、つれていってあげる。おかあさんに、ぎゅうってしてもらおう」
翌日、大人の目を盗んで俺の手を強く引くよつ葉の背中を見ていた。
結局はマンションのエレベーターホールですぐに大人に見つかってしまったのだけれど、よつ葉はいつまでも俺の手を握ってくれていた。
叱られている間も、離すことはなかった。
俺をかばい、俺が口にできなかった寂しさを大人に訴えてくれた。
この子と、ずっとずっと一緒にいたい。
誰も加えないで、二人だけで、俺以外の他の人にはあげたくない。
見えない特別な、優しい小さな羽を持っている子。
あの夜からよつ葉は、ただひとりの俺だけの特別な女の子になった。