書籍詳細
一夜限りのつもりが、再会した御曹司に愛し子ごと包まれました
- 【初回分限定‼】書き下ろしSSペーパー封入
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あらすじ
「本気だから身も心も全部欲しい」深愛に目覚めた御曹司に甘やかされ、ご懐妊!?創刊5周年マーマレード文庫初回分限定SSペーパー付き!
家も仕事も失い、夢を諦め故郷に帰った風花は、リゾート開発会社の怜悧な社長・春海と思いがけず再会する。彼はかつて、寂しさに堪えかねて一夜だけ身体を重ね、孤独を癒してくれた相手だった。春海の別荘に同居しながら、管理人の仕事をすることになった風花。春海との身分差に戸惑いつつも、熱く甘い彼の求愛に蕩かされ、さらに新しい命も授かり…!?
キャラクター紹介
北守風花(きたもりふうか)
東京で写真家を目指しながら派遣社員として働いていた。ひたむきで真面目な性格。
久織春海(くおりはるうみ)
大手ゼネコン「久織建設」御曹司。長く心を閉ざしていたが風花と出会って変化が…。
試し読み
「それ、ロングアイランドアイスティーでしょう? ご自分でオーダーを?」
彼はそう言って、私のグラスを見た。
「いえ。こういう場所にひとりで来るのは初めてで。バーテンダーの方におまかせしたんです」
私たちの話がたまたま耳に入っていたらしいバーテンダーは、ニコリと笑って言う。
「一般的にそちらはアルコール強めのカクテルですが、念のため今回はソフトドリンクを少々多めにしていますからご安心を」
そこに、私たちから一番離れた席のお客さんが片手を上げてバーテンダーを呼んだ。彼は会釈をしてそちらに向かっていった。
「あちらのバーテンダーさん、とてもいい方ですね。話しやすいし」
「ああ。でも、評判の悪いバーでは今回みたいなオーダーは控えた方がいい。強い酒を出してよくないことをしようとするやつもいるから」
「あ、そ、そういう話だったのですね。すみません。私が強いお酒をオーダーしたせいで余計なご心配とご迷惑を」
危険な場合もあるとは知らなかった。なんとなく気まずくなり、話題を変える。
「バーテンダーの方と親しいんですね。よく来られるんですか?」
「月に一、二回は」
「へえ。いいですね。定期的にこの雰囲気を味わえるだなんて」
毎月こんな素敵な場所でお酒を飲める生活だったなら、仕事も頑張れそう。なにより、私生活が充実しそうなイメージだ。
「お店の内装も景色も特別感があって、カクテルも美味しい。クリスマスイブだから、窓から見えるイルミネーションがとても綺麗だし」
「イブ、ね。もしかして誰かと待ち合わせ中だった?」
「いいえ。ひとりです。今日は思うままに好きなことをしようって決めて」
彼はグラスを口に運んだあと、微笑を浮かべて言う。
「ああ。自分へのご褒美的な?」
「ご褒美というか……。自分を甘やかしてあげる特別な日です」
〝頑張ったご褒美に〟というたとえも、まるっきり外れてはいない。でも、なんとなく自分の中ではニュアンスが違った。
頑張りはしたが思うようにいかなかった――敢闘賞的な感覚が近いかもしれない。
それから私は暗い話題を避け、仕事や趣味の話は一切出さず、自分のお気に入りであるイタリア街の景色を眺めて過ごしていたことだけを話した。
それがとても充実した時間で、その流れでここへ訪れたということも。
彼は見ず知らずの私の話に、時折耳に心地いい低い声で相槌を打ってくれた。
そのうち、話す内容はお酒についてや学生時代の面白いエピソード、子どもの頃のクリスマスの日の話題に流れていった。
印象的だったのは、彼は昔からクリスマスプレゼントになにもリクエストをした記憶がないという話。
なにをお願いしたのかを忘れたということではなく、欲しいものが浮かばなくて、いつもその時期の流行りのものやお菓子がプレゼントされていたらしい。
ちなみに彼にはお兄さんがふたりいて、一番上のお兄さんは大人顔負けの電子機器、二番目のお兄さんは多種多様な本、そして彼はサンタクロースにおまかせという三者三様のプレゼントだったと笑って話してくれた。
そんなたわいない話が楽しく、そしてこちらの現状をなにも知らない相手と交わす会話は、とても気が楽だった。ひとりきりよりふたりの方がお酒もより美味しくて、唯一のカクテルももう残り僅かになる。
「すみません。長々と話し相手になっていただいて」
お酒のせいか、はたまた〝今日は特別〟だなんて自分で思っているせいか、相手の都合も考えずについ話し込んでしまった。
「興味のある人の話は聞いていてこっちも楽しいから、時間も忘れていたよ」
彼の反応にほっと胸を撫で下ろすと、「ふっ」と短い笑い声を漏らされる。
「本当は今日、イブだから店は混んでいると思って、ここへ来るかどうしようか悩んだんだ。でも、『一杯だけ』と来てみて正解だったな」
さっきよりも少し砕けた口調と、こちらに向ける親しげな眼差しにドキッとする。
すると、彼はさらに動揺させるひとことを放つ。
「君に会えたから」
耳を疑った。ううん。耳だけでなく、彼との出会い、会話そのものを。いつの間にか、お酒に酔いつぶれて見ている夢なのではないかと思うほどの衝撃だ。しかし、現実にはまだ酔っていないし、氷が残るグラスの温度も手のひらにリアルに伝わっている。心臓が脈打つ感覚だって、確かなもの。
だけど、今の私は社交辞令という言葉を知っている。
有名モデルと言ってもおかしくないほどの端正な彼の顔を食い入るように見つめ、やっとの思いで言葉を返す。
「そんなセリフをいただけて、予期せぬクリスマスプレゼントをもらった感じです」
ああ。勇気を出して決断して、ここへ足を運んでよかったな。ひと時だけでも楽しい気分を味わえた。大丈夫。鵜呑みになんかしたりしない。場の空気に合わせて甘い言葉をかけてくれただけだと理解している。大人の世界ではよくあることで、こういう上辺の会話を楽しむのも一興とわかるくらいには歳を重ねたつもりだ。深く捉えず、今を楽しめたと思えばいい。
「私、今日だいぶ背伸びしてここへ来たんです。正直、自分もお財布も痛いなって思ってましたけど、最高にいい日になりました。滅多に言われないようなリップサービスが聞けて、可愛くて美味しいお酒が飲めて。本当いい思い出になる」
私は笑顔で答えたあとストローを咥え、最後まで飲み干した。
腕時計に目を落とすと、午後九時になるところ。三十分くらい滞在できたらいいかなと思っていたのが、あっという間に一時間経っていた。
ちょうど店内に新しいお客さんが入ってくるのに気づき、席を立つ。瞬間、酔いが回って視界が歪んだものの、どうにか持ち直して平静を装った。
「それでは、私はお先に失礼します。あ、すみません。お会計お願いします」
彼にひとこと断り、スタッフに声をかけている時も頭の奥がぼんやりした感覚だった。たった一杯だけだったはず。しかし、アルコール度数の高いお酒をオーダーしたのもあり、思いのほか酔ってしまっているようだ。もしここで具合でも悪くなったり倒れたりすれば多大な迷惑をかける。
私は気持ちを強く持ち、バッグからお財布を出した。ところが――。
「会計はこちらにつけてくれ」
「えっ」
さっきまで話し相手をしてくれていた男性が、急に私の分まで支払いをしようとするものだから声をあげてしまった。そんなことまでしてもらう義理はないと思いつつも、こういうシチュエーションでは頑なになるよりも、せめてこの場だけでも受け入れた方がスマートなのかと困惑する。
彼は判断に迷う私を見て、耳元に唇を寄せた。
「俺もそろそろ出るよ。この時間からはディナーを終えたカップルが増えるだろうし、さすがにこれ以上長居するのは気が引けるしね」
肩を並べて話をしていた時にも、低くてセクシーな声だなと感じてはいた。だから、ふいに耳に直接ささやかれると、いっそうドキドキする。
落ち着きのある魅力的な声を無意識に反芻しているうちに、会計が済んでしまったみたいだ。私はとりあえず財布を戻し、スタッフからコートを受け取って彼と一緒にバーをあとにした。
エレベーターホールへ向かいながら、一歩前を歩く彼に言った。
「待って。あの、お支払いを……」
一度立ち止まり、バッグの中を探るために真下を向いた途端、目が回る。
今になってあのカクテルが普段飲んでいるお酒と比べて相当強かったとわかるも、もう遅い。平衡感覚がなくなって、自分の身体が傾くのを感じた。
倒れ込むのを覚悟したのにどこも痛めずに立っていられるのは、彼が瞬時に私を支えてくれたから。
「――っと。危なかった。やっぱり酔ったんだろう?」
「なんか急にグラッと……すみません。もう大丈夫です」
慌てて彼の腕から離れた拍子に、今度は後ろに身体が傾いた。咄嗟に目を瞑ったと同時に左腕を引っ張られ、その勢いのまま彼の胸の中に収まった。
「ほら。大丈夫なんかじゃないだろ」
彼は呆れ交じりに言うものの、面倒見のいいやさしい声に聞いて取れる。それに、この匂い。さっきバーで隣の席に着いた時にも惹かれた香り。
彼の胸に寄りかかり、じっくり香りを追いかけていると、ほのかな甘さに安らぎを感じてこのまま縋りつきたい衝動に駆られた。
「さて、どうするか。少し休んでからタクシーで帰――」
私は彼の言葉もまともに聞かず、逞しい身体に腕を回してジャケットを掴んだ。
「……お願いです。今夜、このまま一緒にいてくれませんか」
ああ。なにを口走っているんだろう。
もしも、明日いつも通り仕事があったなら……。強いお酒を飲んでいなかったなら、理性を働かせてこんな非常識なお願いなど言わなかったはず。けれども、あの極上な空間で珠玉のお酒を飲んで、今なお夢うつつになっているのかもしれない。
いっそ、なにもかもすべて夢だったなら。
仕事も生活も趣味も夢も、憧れだったこの東京で全部手放す。それが二十代最後のクリスマスイブだなんて。あまりに自分が滑稽で不甲斐なくて……。カッコ悪くても虚しくても、一夜だけでいいから慰めてほしい。
明日の予定も、その先の予定も将来も白紙の状態だ。無条件に甘やかされ、慰められたい気持ちにもなる。それらをお酒のせいにする都合のよさや、狡さもすべてわかっているうえで、今夜だけ。
神様。もう二度と、こんなふうに堕落するようなことはしないと誓うから。
「いいよ」
私はびっくりして彼を見上げた。
私だけが心の中で強く慰めを願っていても、彼にとってはあずかり知らぬことなのは理解している。だから、てっきり拒否されると思っていた。
放心していると、彼は笑うでも揶揄するでもなく、真摯に受け止めたような顔つきでまっすぐ向き合っている。
東京で過ごす最後のクリスマスイブ。勇気を出して背伸びをして、素敵なホテルのバーを利用して出会った彼は、私にとっては奇跡としか表現できないほど完璧な人。まさに神様かサンタクロースからのプレゼント。しかし、彼にとっては貧乏くじを引いた感じだろう。そう思っていた。
彼の熱を孕んだ瞳を見るまでは。