書籍詳細
離婚前夜の執愛懐妊~愛なき冷徹旦那様のはずが、契約妻への独占欲を我慢できない~
あらすじ
「君を閉じ込めて、離したくなくなる」
極秘出産が見つかったら、溺甘な愛を刻まれて――
家の巨額の借金を知らされた仁菜。肩代わりを提案してくれた御曹司・真尋の交換条件は、彼との契約結婚!?しかも愛はないはずなのに、過保護な溺愛に戸惑うばかり…。彼をこれ以上好きにならないために別れを決意するものの、離婚前夜に真尋の独占愛が暴発!「生涯をかけて守らせて」――妊娠が発覚した仁菜に、彼の熱情は止まることを知らず…!
キャラクター紹介
広院仁菜(ひろいんにな)
大学在学中から個人事業主としてぬいぐるみ作家として活動中。幼い頃から内気で、恋愛経験はゼロ。
四条真尋(しじょうまひろ)
高級ブランドの御曹司で、〝次期後継者〟と名高いデザイナー。子ども時代に創業者の祖父に引き取られた。
試し読み
「仁菜さん……っ」
「お、かえりなさい、まひろさん」
「ぐっ……。こんなことになるなんて」
真尋さんは眉をきゅっと寄せて悲痛そうな面持ちで、私の手を握る。
「だいじょぶ、ですよ。ただのかぜです」
そう告げるも、彼の表情は曇るばかり。「そんなの、わからない。なにか大きな病気の初期症状かもしれない」と真尋さんは迷子になった子供みたいに呟いて、私の額にそっと大きな手のひらを乗せた。
「ふふっ、おおきなびょうきって。おおげさです」
冬の冷気をまとった手が、ひんやりとしていて気持ちいい。
彼の身にまとっているチェスターコートからは外の匂いがする。
あたたかい部屋にいる時にふと、ふんわりと香る冬の匂いは好きだ。気づかぬうちに感じていた心細さが、たちまちに消えていく。
安心するなぁ……。
と場違いにも考えながら、無意識のうちに真尋さんの手に自分の熱い手を重ねて頬に当てる。
冷たい手にすりすり顔を寄せて熱を持つ頬を当てていると、真尋さんが息を呑んだ気配がした。
「……薬は飲みましたか」
「いえ、いまからです。そこの、テーブルに……ゆずちゃと」
「わかりました。待っててください」
彼は立ち上がって踵を返すと、チェスターコートを脱いでキッチンへ向かった。
胃に少し食べ物を入れるために、柚子の皮や果肉がたっぶり入った甘い柚子茶を飲んで、病院から処方された風邪薬を白湯で飲む。
用意してくれた真尋さんは、まだ不安そうに私を見ている。
「ふぅ……。ありがとうございます。帰ってきてすぐにお手数をおかけしました」
「いえ。他に必要なものは?」
「ないです。どうぞお風呂に行ってきてください」
「なにかあったら、遠慮なく呼んでくださいね」
うーん、バスルームに呼びに行くのはハードル高いです。
いつもお風呂上がりに『すぐにトップスを着るのが暑くて嫌なので』という理由で、上半身裸でリビングルームにやってくる彼を目撃するたび、私はそのだだ漏れの色気に緊張して身体を強張らせてしまう。
タオルを片手に持って少し乱雑な仕草で髪の毛に残る水滴を拭きながら、冷蔵庫に常備している瓶入りの炭酸水を飲む時に晒される喉の、上下する喉仏があまりにも色っぽくて……!
すぐに見ちゃダメっ! と視線をそらすけれど、心臓がドキドキしっぱなしで、話しかけられたりしたら変な態度を取ってしまう。
だって、本物の夫婦じゃないから、その……見ちゃった背徳感がすごくて、くらくらするのだ。
それだけでもあたふたしてしまうのに、バスルームに彼を呼びに行って、心配した彼がお風呂のドアを突然開けちゃったりしたら〜〜〜っ。
想像するだけでも心臓が持たない。体温も急激に上がって、それこそ倒れそうだ。
「あはは、なにかあったら」
だから私は苦笑しつつ、一応肯定の意を示すために頷く。
真尋さんは不服そうだったが、やわらかな優しい手つきで私の髪を撫でるように梳いてから、バスルームに向かってくれた。
ふう。一息つくと、また眠くなってきたなぁ……。
壁掛けの時計を見ると、もう二十三時前である。
私はそのままソファで寝ることにした。
ふと、寝苦しさを感じて次に目を開けた時、私はなぜだかベッドの上にいた。
どうやら眠っている間に真尋さんが私を運んでくれたらしい。
置き時計に表示されている時刻は、午前四時。隣ではすうすうと、寝息を立てて真尋さんが眠っている。
「……もう。風邪、うつっちゃったらどうするんですか。真尋さんの代わりになれる人はいないんですよ?」
小さな声で呟いて、彼の顔にかかっていた前髪を指先でそっと払う。
「仁菜……」
すると身じろぎした真尋さんが、その腕の中に私を捕らえて閉じ込めた。
「……いなく、ならないで」
真尋さんはそんな寝言を呟いて、ぎゅうっと抱きしめる力を強める。
「……っ」
普段の彼ならば口にしそうにない言葉に、私は驚いて息を呑んだ。
こんなにも真尋さんが無意識の中で心細そうにしているのは、もしかしたらお祖母さまを突然亡くしたという過去に、関係しているのかもしれない。
真尋さんは、彼の知らないうちに進行していた病によって、突然家族を奪われるのが……きっと怖いのだ。
「本当にただの風邪ですから。真尋さんの前からいなくなったりなんて、しませんよ」
眉目秀麗な大人の男性が、こんな風に子供みたいに甘える姿に、不謹慎だけれど『可愛いな』と思ってしまう。
その日。私はこの家に来てから初めて、彼の腕の中で眠りについた。
風邪をひいてから三日目。そろそろ熱も下がってきていい頃だが、まだまだ症状が改善する兆しがない。
私は仕事を休むほかなく、アトリエには行けずにいる。
テレビを点けると、どこもかしこもクリスマス特集だ。ついつい気持ちが焦ってくる。
だけど今の私にできることは、薬を飲んでぐっすり寝て休むこと。
全力で風邪を治すしかないのだ。
そんなことを考えていると、こんこんこんと規則的に寝室の扉がノックされる。
「どうぞ」
声を出したためか喉が引きつって、返事の後には「けほっけほっ」と咳き込んでしまう。
トレーに白湯とお薬などを乗せて入ってきた真尋さんは、咳き込んだ私を見て、心配そうに眉をハの字に下げた。
「仁菜さん、薬の時間です。その前になにか食べられそうですか?」
「ありがとうございます。今日も少しなら食べられそうです……」
真尋さんはトレーをベッドサイドにあるテーブルの上に置く。
布団にくるまっていた私が起き上がり、ベッドボードを背もたれにして上半身をくたりと預けると、私のそばに腰掛けた真尋さんが甲斐甲斐しくこちらへ体温計を手渡してきた。
風邪をひいた家族の看病を経験したことのない真尋さんは、私が風邪をこじらせないか心配らしい。
朝昼晩と『体温を細かく把握するように』と言い、まるで飼い主が病で倒れて心配でたまらない大型の黒犬みたいに弱りきった顔で、薬の時間には体温計を必ず差し出してくる。
それにしても最近の真尋さんは、本当に表情が豊かになってきたと思う。
まあ、もしかすると私の〝真尋さんの表情読みスキル〟がレベルアップしただけかもしれないけれど。
この間、リビングルームのテーブルに置いてあったハイブランドを扱うファッション雑誌を見たら、ちょうど東京であったファッションショーの特集記事が掲載されていて、関係者席に座る真尋さんをアップにした写真の下に、【マヒロ・シジョウはいつもの無表情。クールな視線でショーを評価している】とコメントが書いてあったが、私に言わせれば『満足そう』なお顔だった。
先日、彼のコレクションが大成功したと話していたから、私の想像もあながち間違いではないだろう。
脇に挟んでいた体温計が、ピピッと計測終了の音を鳴らす。
「何度ですか?」
「ええっと、三十七度五分です」
「昨晩よりは下がってきましたね。解熱剤が効いてよかった」
「すみません、真尋さんに看病してもらうなんて……」
「いいえ、気にしないでください」
彼だって繁忙期で忙しいだろうに、この二、三日は帰宅してからつきっきりで私を介抱してくれている。
寝る時も別々がいいかなと思ったけれど、『もし呼吸が止まったらどうするんですか。心配だから隣で寝てください』なんて言う始末。
一応、私はマスクをして風邪をうつさないように努力しつつ眠っているけれど、こればかりはなにからうつるかわからないから、心配と申し訳なさでいっぱいだ。
ある真夜中には、喉が渇いてキッチンへ行った私が結局なにもできずに、そのまま力尽きてソファでぐったりしていると、『隣に君の気配がなかったので、起きてきたら案の定だ。……大丈夫ですか』なんて真尋さんがベッドから起き出してきて、あたたかいレモネードを作って飲ませてくれた。その上、額に貼っている熱冷ましのシートを交換してくれて……。
最後にはなんと、お姫様抱っこでベッドまで運ばれてしまった。
真尋さんが無表情の中に優しさを隠しているのはなんとなく感じていたものの、ここまで甲斐甲斐しくて過保護な介抱をしてくれるだなんて想像もしていなかったから、この数日間は彼の見せる不意打ちの優しさにドキドキしっぱなしだった。
「日中も一緒に過ごせたら、もっと仁菜さんの体調もよくなるかもしれない。明日は土曜日ですし、俺がつきっきりで看病します。というか見張ります」
「ええっ、そんな」
見張るって。逆に寝づらい気がするんですが。
「けほっ、けほっ。いいですよ、真尋さんに風邪がうつったら困ります」
遠慮すると、真尋さんは不服そうな様子でムッと口をつぐんだ。
「君が心配なんだ。病状を隠していたり、目を離した隙にいなくなったりしたらと思うと、仕事も手に付かない」
「そんな、大げさですよ。病状は知っての通りただの風邪です」
病院から出してもらった薬も、普通の解熱剤と風邪薬だ。
「それにいなくなったりしませんよ? 病院に行く時は真尋さんにちゃんと連絡しますから」
「でも……。放っておけないんです」
真尋さんはそう言うと、大きな手のひらでそっと私の頭を撫でた。
ゆっくりと、規則正しく髪の上を滑る彼の手のひんやりとした冷たさが気持ちよくて、思わず目を閉じる。
撫でられていると、どうしてだか眠くなってくる。
彼から無条件に与えられる優しさが、心地いいからかもしれない。
「そんなに無防備な姿を見せられると困るな。……我慢できなくなる」
小さく呟いて、彼は私のつむじにちゅっと触れるだけの口づけを落とす。
そうして一回では飽き足らず、なぜだか二度、三度、と続けざまに額や耳の裏にキスをされた。
うとうとしていた私は彼の唇の感触に驚いて、「きゃっ」と瞼を開いて彼を非難するように見上げる。
「少しなにか胃に入れてから薬を飲んでください。そしたら寝かせてあげますから」
「むう。なんだかうやむやにされた気が」
悪戯っぽく口角を上げた彼の濃灰色の瞳は、甘く優しく凪いでいる。
……私が風邪をひいて寝込んでからの真尋さんは、はっきり言って変だ。
具体的に言うと、無表情の冷徹悪魔だった頃とのギャップがすごい。
なんというか、その、仕草のひとつひとつが心臓に悪いくらい甘々すぎて、私の胸が痛いのだ。
真尋さんに叶わぬ恋をしているこっちの身にもなってほしいぃぃっ。
再び頬が熱を持つ中、私はじーっと、責めるような視線で真尋さんを見つめる。
するとなぜだか真尋さんは、『仕方のないひとだ』と言いたげな表情で私を抱き寄せ、自らの膝の上に乗せた。
「わわっ」
彼は横向きに座らせた私の肩を抱いて、熱で力の入らない私の身体を彼の胸板にくたりと倒す。
「え? あ、あのう」
「眠そうだったので」
眠そうだったので?
全然文脈が通じないんですがっ。
真尋さんに触れている部分を意識してしまう。喉にきゅうっとときめきがせり上がってきて、ドキドキが止まらない。
身体を預けた彼の胸板が想像よりも分厚くて、広くて、否が応でも真尋さんが男性なんだなぁと感じさせられて……。
さっきまであんなに頭痛がひどかったのに、甘やかしてくる真尋さんのせいで、頭の中は真尋さんのことでいっぱいになってしまった。
真っ赤になっているだろう私の顔を、真尋さんが覗き込む。
「風邪をひいている時くらい、もっと甘えてください。俺と君は、これでも一応家族ですから」
「そう、ですね」
家族だから、真尋さんを支えたいと言ったのは私だ。
それを自分の方は拒否したら、信頼に足らない人物になってしまう。
「うぐぐ、こんなに甘々で過保護な看病を私は家族にしたことはないですが」
「そうですか。それじゃあこれを四条夫婦の前例としてください」
「えぇぇっ」
「俺が風邪で寝込んだ時はよろしくお願いします」
真尋さんはいい笑顔でそう告げた。
まあ、確かに新婚夫婦なら……こういう庇護欲全開な看病もありなのかもしれない。
でも自分が真尋さんにやるとなると、また違う羞恥心で押し潰されそうだ。
けれども、恩義には報いなければならない。
「わ……わかりました。その時は甘々な看病頑張ります。でも、できるだけうつらないようにしてくださいね?」
「楽しみだな。その時のためにも前例を増やしておかないと」
「こ、これ以上はやめてください……。恥ずかしくて死にそうです」
へろへろの私が首を振ると、真尋さんはなぜか得意げな顔をした。
もしかしたら彼は私を甘やかして、家族っぽいことができて嬉しいのかもしれない。
確か、真尋さんのご両親は彼が幼い頃に離婚していて、お祖父さまのお屋敷で育ったって、話してたよね。従兄さんとも仲が悪いそうだし……。
そんな真尋さんの家庭環境を思えば、彼は遠慮して、家族にあまり甘えられなかったのかもしれない。
恋人でも友人でもない私という存在は、案外気の置けない存在だったり?
ふふふっ。本当にそうだったら嬉しいな。
「さて。今日の夕飯はこれを買ってきました」
彼はベッドサイドのテーブルの上に置いていたお皿と先割れスプーンを手に持ち、手元に引き寄せて見せてくれる。
「メロンとイチジクのカットフルーツの盛り合わせと、ピンクグレープフルーツのゼリーです」
それは銀座にある創業百五十年の老舗高級フルーツパーラーの、お持ち帰りメニューだった。
風邪をひいた初日に食欲がなくて柚子茶と薬しか飲まなかったら、翌日から真尋さんが『これなら食べられそうですか?』と購入してくるようになったものだ。
初日はなぜか『カロリーを取るべき』とプリンアラモードを買ってきて、その次はなぜか『一番人気だそうです』とフルーツパフェを買ってきた。
『す、すごいチョイスですね……』
『風邪で食欲がない時はフルーツと、プリンとアイスもおすすめだとネットに書かれていました』
甲斐甲斐しくお世話してくれる真尋さんのどこかズレまくったチョイスに、『あははっ、ふふっ』と声をあげて笑って、盛大に咳き込んだものだ。
そして昨日は『本当にフルーツとゼリーだけでいいですよ? コンビニとかスーパーで買ってきてもらえたら嬉しいです』と伝えていたのだが……。
どうやらその結果がこれらしい。
きらきらしたカットフルーツは繊細に盛り付けられていて、一目で極上の逸品だとわかる。
ピンクグレープフルーツの皮を残してくり抜き、果肉を贅沢にまるごと一個使ってゼリーに仕上げたこちらも、きっと極上の逸品に違いない。
「ひ、ひええ。このカットフルーツ盛り合わせって、これだけで三千円はしますよね? というかグレープフルーツゼリーも二千円はするはず……っ。風邪の看病で食べさせるやつじゃない……」
「ゼリーとフルーツなら食べられそうだと昨日話していたでしょう。君のご注文通りじゃないですか。わがまま言わないで食べてください」
「さっきは『もっと甘えてください』って言ってたのに」
「そうでしたっけ? もう忘れました」
真尋さんが意地悪な顔をする。
この確信犯の、悪魔みたいな美しい表情に圧を感じて怯えていた頃が懐かしい。
今では『この悪魔めっ』とは思うものの、きゅんとしてしまう要素の方が強い。
真尋さんのこと、こんなに好きになっちゃったんだなぁ。
……ここまでくると重症だと思う。
「というか、わがままを言ってるわけじゃないんですよ? こんな高級なの、もったいなくて」
「……高級? これで高級だなんて、俺に言うことじゃないな」
それは確かにそう。むしろ失礼なことを言ったかもしれない。
五億円をぽんっと肩代わりしてくれる、世界のプレタポルテの御曹司の総資産額がいくらかは知らないが、私みたいな一般人としてはやっぱり高級だし、こんな時に食べるのはもったいないのだ。
「私にとっては十分高級なんです。それに、あまり私に無駄遣いしないでください。ここでの生活費も支払ってもらっていますし、その……借金もありますし」
真尋さんが訝しげに眉をひそめる。
「まだそんなことを。今の君は俺の妻です。君がいちいちお金のことを気にする必要はない。それに、これは俺がしたくてしているんですから」
そう言って彼は先割れスプーンでみずみずしいゼリーを掬った。
「ほら、口開けてください。あーん」
甘い声音で唇を開くように言われて、もう三日ほど続けている行為だけれど緊張してしまう。
い、いちいち食べさせてもらわなくても、私ひとりで食べられます……!
心の中でそう叫びながらも、普段は無表情でツンが強い真尋さんの甘々なギャップにくらくらしている私は、ついこのむずむずするようなスイートな時間を享受してしまうのだ。
おそるおそる「あーん」と口を開く。
「いい子だ」
耳元で彼が低く囁いて、ゼリーを食べさせてくれる。
グレープフルーツの果肉が弾けて、ほどよい甘さと酸味が美味しい。
どうしよう……。こんなの、まるで本物の夫婦みたいだ。
「ほら、もう一度」
真尋さんに愛されることなんてあるはずないのに。
こんな風に過保護に接されたら、溺愛されているんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。
どうしよう……っ。
ぎゅっと唇を噛み締めて、彼の膝に抱っこされた状態のまま上目遣いで真尋さんを見つめる。
真尋さんは息を詰めて、私から視線をそらさずに、無意識的な様子で手に持っていたお皿をサイドテーブルにコトリと置く。
「そんなに物欲しそうな目で見ないでください」
彼は私を、ぎゅっと逞しい両腕の中に閉じ込めて抱きしめた。
「……君を、このままめちゃくちゃにしたくなる」
はあっと、熱い吐息とともに吐き出された言葉に、きゅうっと胸が苦しくなった。
「め、めちゃくちゃって」
「そのままの意味です」
私を抱きしめていた真尋さんが、私の首元に顔を寄せる。
こんなに近くで触れ合ったのは、初めてキスをしたあの夜以来だ。
だけど今は風邪をひいているから、本来ならばこんな風に近づかない方がいい。
「ま、真尋さん」
心臓がドキドキしているのを気づかれないよう、制止の意味を込めて名前を呼ぶ。
だけど彼はぎゅっと抱きしめる力を強くしただけだった。
首元に埋められた彼の高い鼻梁が、私の肌に触れるか触れないかの部分を、つうっと首筋に沿って悪戯になぞっていく。
そのじわじわと夜の雰囲気が侵食するような感覚に、思わずびくびくと背中を反ってしまう。
「仁菜さん」
「あっ、真尋さん……、やめ……っ」
晒された私の白い喉に、彼の大人の色気たっぷりのため息が触れた瞬間。
ベッドに押し倒されて、真尋さんから唇を塞がれた。
「ふ……っ」
性急で貪るようなキスに、熱かった体温がさらに上昇していく。
深く深く口づける息もつけないほどの甘いキスに翻弄されながら、私の身体はとろとろにとろけて、どんどん力が抜けていった。
ちゅ、ちゅっ、と寝室に甘いリップノイズが響く。
もっとキスして、やめないで。
そう願いそうになって、私は慌てて自分が今、風邪をひいているんだと思い出した。
くたくたに力の抜けた手を持ち上げて、キスの合間に、真尋さんの唇にぴとりと指先を当てる。
「んぐっ」
「……風邪、うつっちゃうから、これ以上はダメです!」
強制ストップをかけられた真尋さんは、きょとりと目を丸める。
それから彼も私が病人だったことを思い出したのかハッとして、ばつが悪そうに起き上がった。
「すみません。こんなつもりじゃなかったのに」
彼はさらさらの黒い前髪を、片手でくしゃりとかき上げる。
「本当ですよ。熱が上がった気がします」
「うっ」
「罰として、私にフルーツを食べさせる刑に処します」
わざとらしく鷹揚な態度で私が言うと、真尋さんはなぜか愛おしげに目を細める。
「仰せのままに」
そしてこの後、私はむちゃくちゃに甘やかされてしまうのであった。