書籍詳細
敏腕弁護士のお試し恋愛が(予想外に)本気すぎます
- 【期間限定2019年4/14まで!1周年記念<600円⇒半額300円(税別)>キャンペーン実施(一部の電子書店では実施されていません)】
- Amazon kindle
- Renta!
あらすじ
俺のモノだって、もっと思い知らせたい
コンサルタント会社に勤めるゆかりには、大学時代からくされ縁の相手がいた。社の顧問弁護士で社長の実弟でもある、久我山哲。恋人とも友人ともつかない曖昧な関係を続けてきた二人だったのに……哲が真剣に付き合おうと切り出してきて!? 提案されたのは、期限を決めた「お試し恋愛」。これまでになく情熱的な彼に幸せを感じてしまうゆかりは……。
キャラクター紹介
新山ゆかり(にいやま ゆかり)
相続案件を扱う税理士。しっかりもので姉御肌だが恋愛には臆病。
久我山哲(くがやま さとし)
ニューヨーク帰りの敏腕弁護士。ゆかりとは学生時代からの縁。
試し読み
『そうだ、鎌倉に行こう』
哲が思いつきでそう言い出したのは、週の半ば水曜日のことだ。
その日、赤沢家の相続税の申告が無事終了した。申告書の控えや納付書などを手渡したあと、その報告を電話で哲にしたときだった。
「何それ? 鎌倉に何かあるの?」
資料が見つからずに、クリアファイルの中身をひっくり返していたゆかりは、仕事の話なのだと思っていた。
『デートだよ。デート。お祝いにデートしよ』
「え!……わっ」
一瞬にして仕事中だということも忘れて、喜びに胸が飛び跳ねた。
手に持っていたクリアファイルから資料がバサバサッと派手に散らばった。隣の席に座る同僚が拾ってくれる。
(もう、哲が〝デート〟なんて何度も言うから)
同僚にジェスチャーでお礼を伝えて、小さく咳ばらいをした。まだ仕事中なのに、こんな話したらダメだ。
……といいつつも、うれしさは隠せない。
「いいけど、別に」
照れ隠しのせいで、小声でしかも不愛想な言い方になってしまう。
しかしそんなゆかりの気持ちも哲はお見通しのようで、電話口で小さく笑っている。
『今週末。やっと休みが取れそうなんだ』
「いいの? ここのところ、ずっと忙しそうにしていたから、ゆっくりしたいんじゃない?」
あれから哲とは一週間会えていない。これまでそんなことはザラだったのだけれど、正式につき合い始めたばかりのふたりにとっては、少々長い期間だ。
ゆかりも忙しかったが、哲は比にならないほどだった。調停や裁判が重なり連絡もつきづらいほどだった。
彼が生きていると確認できるのは、深夜――と言っても明け方寄りにくるメッセージくらいで、ゆかりは心配することしかできなかった。
『だからこそ、ゆかりに会いたいんだろ? わかってないな』
呆れたような言い方だったけれど、うれしくてゆかりの頬が緩んだ。
(仕事中にそういうの言うのやめてほしいんだけどな)
にやける顔を必死で我慢して、電話を終えた。
そして約束の日。ゆかりと哲は電車で約一時間かけて鎌倉に到着した。
「車出すって言ったのに」
商店街を歩きながら、まだ隣でブツブツ言っている哲を見て、ゆかりは笑った。
「絶対渋滞するだろうし、哲が疲れちゃうでしょ? それともわたしが運転すればよかった?」
「いや、それはマジで勘弁して」
さすが楽天家の哲でも、免許を取ってから一度も運転していないゆかりの車に乗るのは、嫌なようだ。
「終わったこといつまでも言っていないで。あ、いいもの見つけた」
駆けだしたゆかりの後を、微苦笑を浮かべた哲が追いかける。
「二本ください」
手にしたのは、ご当地ビールの瓶。早速会計を済ませると、一本を哲に手渡した。
「いきなり、飲むのかよ?」
「うん。だって、飲めば絶対車で来なくてよかったって思うでしょ?」
「詭弁だろ……」
不満そうだったけれど、一口飲んだ哲は口元をほころばせた。
「ほら、言った通りだ」
ふふんっと得意気な顔で、ゆかりは哲の顔を覗き込んだ。
「まあ、今回はゆかりが正しかったということだな」
「でしょ?」
お互い笑い合って歩き出すと、あいている方の手が哲の手に包まれた。さも当たり前のように繋がれた手。妙にくすぐったい気持ちがしたけれど、うれしくてゆかりも握り返した。
彼の隣を歩いたのは、数えきれないほどある。けれど、やっぱりこうやって手を繋いで歩くのは、特別だ。
その大きな手が当たり前のようにゆかりの手を握っている。そのことがふたりの親密になった関係を表すような気がして、くすぐったいけれどうれしい。
ビールで喉を潤した後、土産物屋や飲食店が並ぶ道を抜けて八幡宮へ到着した。毎年初詣に多くの人が参拝するので有名だ。
長い階段を哲に手を引かれながら歩く。哲はときどき振り向いて様子をうかがってくれた。
階段を上りきると、朱い楼門がふたりを出迎えてくれる。ふたりで顔を上げて美しい彫刻を眺めながら、門をくぐり本宮でお参りをする。
並んでやっと自分たちの順番が来た。二礼二拍手をして、真剣にお願い事をする。
(仕事がうまくいきますように。それと健康でいられますように。それから……)
ゆかりはチラッと隣を見て、同じく手を合わせている哲を見る。
(哲とずっと一緒にいられますように)
小学生みたいな願い事になったけれど、ゆかりの心からの願いだった。
目を開けると哲はすでに横によけて、次の人に順番を譲っていた。あわてて彼の元へ行く。
「あんなに真剣に何お願いしていたんだ?」
「色々だよ。哲は?」
本人を目の前にして素直にお願い事を言うのは、少々はずかしすぎる。
「たぶん、ゆかりと同じことお願いした」
(ということは、哲も……?)
「な、何。わたしと一緒って」
恥ずかしくて、頬に熱が集まる。けれど彼の口からはっきりと聞きたいと、ゆかりの乙女心がうずいた。その反応を見た哲はしたり顔だ。
「知りたい?」
哲が面白がるように顔を近づけてきた。そういうことをされると、途端に強気に出てしまう。
「別に!」
ぐいっと哲の顔を押しやって、ゆかりは先に歩き出した。哲はその後をクスクス笑いながらついてくる。
「そんなに、怒るなって。おみくじ引かないのか?」
「……引く」
ピタッと足を止めたゆかりを見て、哲はまた笑った。
結局のところ、哲はゆかりの扱いがうまいのだ。手のひらで踊らされているような気もしないでもないが、それはそれで自分を理解してくれているからだと思うと、それさえもうれしく思ってしまう。
社務所にも人だかりができていて、並んで順番を待った。そのとき視線を感じて振り向くと、ゆかりたちの後ろに並んでいた女性の三人組と目が合った。
すぐに向こうが目を逸らしたので、ゆかりも首をかしげつつ前を向く。
けれどやっぱり背中にしっかり視線を感じて「ああ、そういうことか」と思う。
彼女たちは、哲を見ているのだ。そしてその隣にいるゆかりを見て、色々と感想をもっているに違いない。
(久しぶりだな、こういうの)
学生時代にもこういうことは、よくあった。あの頃は今よりも哲に対する周りの注目度が高かったせいか、品定めするような視線はあからさまだった。
ゆかりは自分と哲は、そもそもそういう関係ではないのだから、気にする必要ないと言い聞かせていた。
それが哲に対する劣等感を持たないようにするための自分なりの自己防衛だった。けれど、真正面から哲と向き合うと決めた今となっては避けて通れない道だ。
しかしそれはゆかりにとっては、結構な悩みの種だった。
実は、哲から急にデートと言われてうれしかったのと同時に、自分のクローゼットを思い出し、焦った。
自他ともに認める仕事人間のゆかりのワードローブには、黒、グレー、ネイビー、ベージュのオーソドックスなものしかない。はっきり言って華やかさとは無縁だった。
お互いの気持ちを通わせて初めてのデートだ。せっかくだから、ちゃんとおしゃれして出かけたい。そう思ったゆかりは自分だけの判断では自信がなくて、仕事終わりに知依につき合ってもらい今日の洋服を選んだのだ。
デートなのか、相手は誰なのか。そういうことの探りもとくに入れずに知依は楽しそうにつき合ってくれた。本当にいい子だと思う。
リボンベルトのついた水色のストライプのシャツワンピース。あまり気合を入れすぎていると思われるのも恥ずかしいけれど、それでもやっぱり可愛いと思われたい複雑な乙女心の結果、選んだのがこれだった。
(まあ、哲はなんとも思ってないみたいだけど。そんなものなんだろうな)
ちょっと寂しいなどと思っていたら、自分たちの順番が来た。
円柱の筒を振って、中からおみくじの棒を出す。ゆかりは早速自分の番号を見せて、札をもらった。
「……うそ」
小さくつぶやいた隣で、「おっ」という声が聞こえる。
「俺、大吉! ゆかりは……」
振り向いた哲は、黙ったままおみくじを見つめるゆかりを見て結果を悟った。
「仕事、耐えるべし、失せモノ、出ず、旅行、延期せよ、恋愛――」
「はい、そこまで」
読み進めるにつれて、どんどん悲愴感を増していくゆかりの札を、哲がさっと取り上げた。
「何するの! まだ読んでないのに」
「いいから、ほら。お前のはこれ」
哲は自分のおみくじをゆかりに手渡した。そこには【大吉】の文字が。
「だってこれ、哲のでしょ? ずるじゃない」
「こんな時まで真面目か」
破顔した哲は、さっさとゆかりの引いたおみくじをおみくじ掛に結んでしまう。ゆかりが止める間もなく、たくさんのおみくじの並ぶ一番高いところに結んだ。ゆかりではちょっと届かないところだ。
「これでOKっと。ほらゆかりこのおみくじ見てみろ」
哲はゆかりの持つおみくじを覗き込む。
「ほら、いいことしか書いてない。とくにここ、恋愛」
(万事うまくいく)
「だから安心しろって」
「でも、これは哲ので――」
それでもまだ納得できない。
「だから、俺の恋愛がうまくいくなら、相手のお前の恋愛だってうまくいくに決まってるだろ」
「いや、まあそうであってほしいけど」
ごにょごにょと言うゆかりに「違うの?」と聞いてくる。
「それに、俺はゆかりが【大吉】の方がうれしいから、これでいい。わかった?」
なんだかまるで、自分の災いをすべて代わりに受けて立ってくれると言われているような気がして、じんわりと喜びが胸に広がった。
今までも哲は優しかった。何か困ったことがあれば、相談にも乗ってくれたし手を貸してくれていた。
けれどこれまでとは違う。ゆかりの人生のすべてに寄り添ってくれるという思いが伝わってきた。
「ありがとう。哲からもらった大吉、大切にするね」
思わず胸に小さな紙を抱きしめ、幸せそうに笑ったゆかりを見て、哲もまたうれしそうに笑った。
それから七里ガ浜で散歩する犬と戯れて、疲れたと言ってはカフェに入りひとつのフレンチトーストをシェアして食べた。
あちこちの寺や店に立ち寄り、最後は夕日が落ちるのを展望台でふたり眺めていた。
相模湾の向こうには富士山が見える。空は時間が経つにつれて少しずつ色が変化する。どんな色とも表現しがたい自然の作り出した色を、ふたりは黙ったまま見つめた。
その後、ふたりでしらす丼とビールに舌鼓を打って、帰宅の途についた。一日中歩き回ったせいか、電車の中でゆかりは何度かあくびをかみ殺した。
「いいから寝てろ」
クスクス笑う哲に甘えて、ゆかりはゆっくり目を閉じた。