書籍詳細
龍神皇帝と秘密のつがいの寵妃~深愛を注がれ世継ぎを身ごもりました~
あらすじ
陛下の激愛に予想外のご懐妊
呪われた皇帝×選ばれし運命の乙女
天界から降りた龍神が興したという清瀧(せいりゅう)帝国。龍神の末裔である皇帝には唯一の相手である“番”(つがい)がおらず、子をなすべく妃候補が集められた。候補の一人となった翠蓮(すいれん)は、思いがけず龍神皇帝・惺藍(せいらん)に見初められ…!惺藍の寵愛を受ける翠蓮は、彼への想いを自覚しつつも、自分は彼の番ではない、と切なさを募らせていた。けれど、惺藍の愛欲はますます加速し、翠蓮は永遠に続くかのような熱情で抱かれ…。最愛の彼の子を身ごもったことを知った彼女は、ある決意をする…!
キャラクター紹介
候 翠蓮(こう すいれん)
清龍(せいりゅう)帝国の属国である候玲(こうれい)国の王と下級宮女の間に生まれ、冷宮で暮らす。姉とともに龍神皇帝の妃候補となる。
惺藍(せいらん)
大陸一の繁栄を誇る清瀧帝国の現・皇帝で、龍神の末裔。後宮入りをした翠蓮の元に足繁く通うようになる。
試し読み
「翠蓮(すいれん)様、例のものを手に入れて参りました」
「笙嘉(しょうか)、待っていたわ」
差し出された包みを、翠蓮は逸る気持ちで受け取った。
早速広げて、中身を確認する。
頭から被る形の濃紺の麻の衣に、灰色の外套。
地味だが、丈夫で動きやすそうだ。
「本当にこのような衣でよろしいのですか? 翠蓮様がお召しになるには少し粗末では?」
「いいえ完璧よ! 用意してくれてありがとう、早速着替えるわ」
「お手伝いいたします」
笙嘉はしぶしぶと言った様子ながら、翠蓮の着替えを手助けしようとする。
と言っても翠蓮はひとりで身支度が出来るので、あまり頼むことがないのだが。
てきぱきと着替えをして、長い髪は後頭部でひとつに纏めた。
更に剣帯を腰に付けると、笙嘉はついに顔を引きつらせた。
翠蓮は自分の唯一の宮女を横目で見ながら、濃灰色の外套を纏う。
姿見に映った姿は、後宮に来た妃候補の面影はなく、旅の途中で見かけた剣士といった出で立ちだ。
(うん、いい感じだわ)
翠蓮は姿見の前でくるりと回ってから笙嘉に声をかける。
「そんな困ったような顔をしないで。お忍びで出かけるからなるべく目立たないようにしなくてはいけないのよ」
「はい、分かっております。ただ一国の公主様のこのような姿に動揺してしまいました」
「笙嘉ったら大袈裟よ」
「大袈裟とは思えませんが。それにしても翠蓮様の手際は素晴らしいですね。髪結はまだしも剣帯も瞬く間に装着されていましたし」
翠蓮は苦笑いをした。
(冷宮では身支度をしてくれるような側仕えの宮女はいなかったからね)
なんでも自分でやるしかなったのだ。
公主としては悲惨な境遇なのかもしれないが、おかげでこのような状況も柔軟に対応出来る。
(とはいえ、お忍びは初めての経験だわ)
そもそもまともに外出したことがない翠蓮が、後宮を抜け出して遠くの町に向かうなんて少し前までは想像も出来なかった。
(心臓がドキドキしている。でも遊びに行くんじゃないから気を引き締めないと)
そう自分を戒めたものの、心は逸る。
惺藍(せいらん)は、鉱山がある高氏(こうし)の州に行くと決めた翌日には早くも段取りを組み、決行の日を決定した。
それから五日。彼の側近と笙嘉にだけ事情を話し急ぎ準備を進めてきた。
惺藍と翠蓮は今夜王宮を旅立つことになる。
彼の側近が皇帝の不在をなんとか隠すことになっているが、許された時間はたったの二日間だ。
その間になんとかして呪具を探し出さなくてはならない。
幸い音繰(おんそう)に授けてもらった能力があるから、闇雲に探す訳ではないが、現地では何が起きるか分からないから油断出来ない。
(でもそれよりも、移動はどうするのかしら)
地図を見る限り、高氏の州は帝都から相当離れており、休まずに馬を飛ばしても片道で二日はかかりそうで、物理的に無理があった。
(惺藍様は考えがあるとおっしゃっていたけど)
どのようにするのか疑問だった。
翠蓮が用意を調えしばらくすると、いつも通り惺藍が密かにやって来た。
下級武官が身に着けるような地味な灰色の深衣姿だが、艶やかな黒髪と整った顔立ちが逆に引き立ち強い存在感を放っている。町を歩いたら思わず振り返る者がいるだろう。
そんな彼は、翠蓮の装いを見て戸惑ったように目を瞬いた。
「惺藍様お待ちしておりました。支度は出来ております」
「あ、ああ。雰囲気ががらりと変わったな」
「雰囲気が? どのように違っていますか?」
「凛々しい感じだ」
「凛々しい……そうですか。ありがとうございます?」
褒められているのか、女性らしくないと言われているのか判断がつかず、翠蓮は曖昧に言葉を濁す。
惺藍はそんな翠蓮の態度を特に気にした様子はなく、手にしていた大きな袋から小ぶりの剣を取り出した。
護身用に必要だが、後宮には武器の持ち込みが禁止されているので、惺藍に頼んであったものだ。
「これで大丈夫か?」
翠蓮は剣を受け取ってから、重さなどを確かめ剣帯にしまった。
「はい、ありがとうございます」
「翠蓮が剣を扱えるとは知らなかった」
「姐から教わりました。護身術程度ですが」
自信満々とはいえないが、惺藍の足手まといにはならずに済むはずだ。
「翠蓮は多才だな」
惺藍が感心したように言う。
「そんなことは……ただ、いつ王宮を出てもいいように、姐がいろいろ教えてくれていたんです」
候玲(こうれい)国の公主とはいえ翠蓮の立場は不安定だった。国王の気まぐれや、正妃の嫌がらせで王族から除籍されて追放される可能性がないとは言い切れなかったため、白菫(はくとう)も蘇芳(すおう)も自分の持つ知識と技を翠蓮に授けた。
「翠蓮の側には素晴らしい人がいたんだな」
「はい。厳しくも愛情深い人です」
当時は清瀧(せいりゅう)帝国皇帝の妃選びに参加するなんて予想出来なかったが、彼女たちのおかげで翠蓮は精神的に強くなれた。感謝でいっぱいだ。
「翠蓮がそれを使う危険な状況にならないように努める」
惺藍は目を優しく細めてそう言うと、部屋の隅に控えていた笙嘉に目を向けた。
「あとは頼むぞ」
「はい」
忠実な笙嘉に見送られて部屋を出る。
向かった先は王宮の北側にある高い塔だった。
建物の内部には埃っぽく人気がない。夜だからと言うよりも、日常的に使用する部屋ではないということだろう。
壁に沿う造りの階段を上る。
途中先を歩く惺藍が振り返り「大丈夫か」と翠蓮を気遣う声をかけてきた。
「はい、大丈夫です。ところで高氏の州まではどうやって向かうのですか?」
惺藍は再び前を向いて足を進めながら口を開く。
「今回は時間がないから特別な移動手段を取る」
「特別?」
翠蓮が首を傾げたとき、ちょうど最上階に辿り着いた。
惺藍が小さな扉を押し広げると、ひゅうと冷たい風が吹き込み翠蓮の亜麻色の髪を揺らす。
地上からかなり高い位置にあるせいか、風を強く感じるようだ。
「足元に気を付けて」
惺藍が差し延べてくれた手を取り扉の先に出ると、真っ暗な空を間近に感じた。
初めは周りの様子がよく見えなかったが、慣れてくると段々夜目が利いていくる。
翠蓮がいるのは塔の屋上だった。楕円の形をしているのがはっきり分かるほど狭い。
外壁近くは腰の高さまでの柵で囲んであるものの、高さといい強度といい、とても心もとなく見えた。
夜の闇、それから落ちたら絶対に助からないであろう高度。
深窓の姫ではない翠蓮でもさすがに不安になる状況だった。
そんな翠蓮に惺藍が、潜めた声で言う。
「翠蓮、ここから飛び立ち高氏の州に向かう」
「え……?」
(惺藍様ったら、突然何を言い出すの?)
突拍子もない話に翠蓮には戸惑いしかない。惺藍は少し困ったような顔をしてから、翠蓮の手をしっかり握った。そのとき。
ぶわっと外套の裾が舞い上がるほどの風に吹きつけられて、翠蓮は身を縮めた。
しかし同時に何かの気配を感じ慌てて顔を上げる。
「う、うそ……」
翠蓮は驚愕に目を見開いた。口もぽかんと開いたまま閉じられない。
それほどに目の前の光景は現実とは思えないものだったのだ。
「惺藍様! この鳥は一体なんなのですか?」
思わず隣にいた惺藍に頼るように身を寄せてしまう。
彼はそれに応えるように翠蓮の肩を抱いて引き寄せた。
「驚かせてしまったな。この鳥は初代の龍神皇帝と共に天界からやって来たと言われている神鳥(しんちょう)だ。代々の皇帝に力を貸してくれる存在で、俺は黒鷹(こくよう)と呼んでいる。見かけは恐ろしいかもしれないが害はないから安心してくれ」
「神鳥?」
翠蓮はぽつりとそう零すと、深呼吸をしてからもう一度目の前を見た。
(な、なんだか想像していたのと違う)
翠蓮は、神鳥と言われたら、神々しく美しい鳥を思い浮かべる。しかし今目の前にいるのは、それとは対極の存在だ。
翠蓮はごくりと息を呑んだ。
すぐ側で闇夜に溶け込む漆黒の神鳥が、銀色の鋭い目を惺藍と翠蓮に向けている。
大きさは人間の五倍くらい。広げた羽は殆ど動いていないのに、当然のように宙に浮いている。
(害はないのかもしれないけど、ものすごく怖い見た目だわ!)
腰が引けている翠蓮の目の前。神鳥が優雅に屋上に降り立った。
間近で見るとますます迫力がある。剣などかすりもしなそうな頑丈そうな羽に、翠蓮の手よりも大きな鋭い爪。
圧倒的な強者の貫禄を備えた神鳥は、けれどとても大人しくてその場でじっと動かない。
「翠蓮、この黒鷹の背に乗り飛んでいくんだ」
「は、はい……」
分かっていたこととはいえ、動揺する。
「行こう」
惺藍は緊張で硬くなっている翠蓮の体を支えながら、黒鷹の背に上る。
背には馬に乗るときのような鞍などはないし、黒鷹の体は大きいから背中に跨るのではなく、背中に座るような形になる。
惺藍は慣れた様子で腰を下ろし、翠蓮には彼のすぐ隣に座るように言った。
「絶対落ちたりしないから、安心しろ」
「はい」
翠蓮が頷くと、惺藍が黒鷹の背をそっと撫でた。直後黒鷹の体が夜空にふわりと舞い上がる。
「……!」
翠蓮は思わず漏れそうになった悲鳴を呑み込み、代わりに惺藍と繋いでいた手に力を込めた。
神鳥はぐんぐんと高度を上げて、雲すらも突き抜けていく。
(すごい……一体どれほど高くまで飛んでいくの?)
恐ろしくてとても地上を見る勇気はない。
いっそのこと気絶してしまいたいと思ったとき、惺藍がぎゅっと手を握り返した。
「翠蓮、こっちを見てくれ」
「え……」
それどころではないと思いながらも、翠蓮はなんとか隣の惺藍に目を向ける。
恐怖に震える翠蓮とは違い惺藍はとても寛いだ穏やかな表情だった。
「落ちないようになっているから大丈夫。風も感じないだろう?」
「……そういえば」
翠蓮は目を瞬いた。
塔の屋上で感じた風が、更に上空にいるはずの今まるで感じない。
それに黒鷹は大きな翼をゆったり動かしかなりの速度で進んでいる様子なのに、一切振動がない。
「こんなことって……どうして?」
「黒鷹の神力だ」
「神力まで操るのですか……」
翠蓮は感心して呟いた。
「風圧を感じないだけでなく落ちる心配もないから、寝ていてもいいぞ」
惺藍は軽口を叩くが、翠蓮は引きつった笑い顔になった。
いくら大丈夫と言われても絶対無理だ。
惺藍はそんな翠蓮を面白そうに見つめる。
王宮を離れたからか、いつもよりのびのびしているようだ。
「そろそろ雲が途切れる」
惺藍が言うと同時に視界が明るくなった。
「……すごい」
翠蓮は思わずそう呟いた。目の前に白銀の輝く大きな月が現れたのだ。
「なんて綺麗なの!」
上空を飛んでいる恐怖を忘れるほど翠蓮の心は舞い上がった。
地上から遠く眺める月とはあまりに違う。
手が届くと錯覚しそうなほど大きく明るい。生まれて初めて見る光景は息を呑むほど美しく幻想的だ。
「今日は満月だったな」
声に誘われてて隣に目を向けた翠蓮は、どくんと鼓動が跳ねるのを感じた。
月光を浴びる惺藍の横顔があまりに麗しいと感じたからだ。魅了されたように目が離せない。
「どうした? まだ怖いのか?」
視線に気付いたのか惺藍がこちらを向いたとき、ようやく翠蓮は目を伏せた。
それでも心臓はドキドキと高鳴ったままだ。
(惺藍様ってやっぱり素敵だわ)
自分でもどうしようもないほど、気持ちが乱れて落ち着かない。
「ほら。こうしていれば安心だ」
惺藍は翠蓮の心情など知るはずもなく、再び手を取りぎゅっと握る。
すると翠蓮の鼓動はますます高鳴る。
(私、このままでは心臓が止まってしまうかもしれないわ)
顔にも熱が集まり、意識しないようにと思ってもなかなか冷静になれない。
(……でも)
温かな惺藍の手。優しい眼差し。月が照らすふたりきりの空間。全てが愛しくて、翠蓮は惺藍の手を握り返していた。
ときめきと幸せを感じる時間をどれくらい過ごしたのだろうか。
二度目の雲海を抜けたとき、黒鷹の背にゆったりと座っていた惺藍が身動きをした。
「そろそろ着く」
「え? もう?」
翠蓮は思わず高い声を上げてしまった。いくらなんでも早すぎる。
黒鷹に乗って飛ぶという特殊な環境により時間の感覚が曖昧になってはいるけれど、空にはまだ月が柔らかな光を放っている。
「黒鷹の神力のおかげで実感がないが、とんでもない速度で飛んでたんだ」
「そ、そうなんですか」
翠蓮は戸惑いながら前方に目を向ける。
地上から空に向けて連なる大きな影が見えた。
(多分あれが鉱山ね、こうしてみると本当に高い山だわ)
候玲国から清瀧帝国との間を遮る山々だが、翠蓮たちの一行は鉱山を迂回したため、街に立ち寄らず遠目でしか見たことがなかった。
まるで壁のように前方を塞ぐ山脈を飛び越えられるのは、黒鷹くらいだろう。
「左方に灯りが見えるだろう? あそこが街だ」
惺藍が示す方向の地上に目を遣ると、かなり広い範囲にぼんやりした光が見えた。
「大きな街のようですね」
「ああ、帝都の北側では最も栄えている街だからな。この辺りで降りよう」
「はい」
惺藍が黒鷹の背をそっと撫でた。
それを合図にするように一気に降下が始まる。
風も落下の浮遊感もなにも感じはしないが、たちまち近付いてくる地上に恐怖を覚えて翠蓮はぎゅっと目を閉じた。
数秒後、落下が終わったようで惺藍に声をかけられた。
「翠蓮」
呼びかけられて目を開くと人気がない広場に着地していた。
四方は岩肌だらけだから恐らく鉱山内のどこかだろうが、街がどちらの方向にあるのか感覚が掴めない。
周囲を見回している翠蓮を惺藍が抱き上げた。
「え?」
そのままふわりと黒鷹の背から飛び降りた。
優しく地面に立たせてもらい、翠蓮は胸を押さえながら頭を下げる。
怖かったのもあるが、惺藍に抱き上げられたことの衝撃が大きい。
恥ずかしくてたまらない一方で、心が浮き立っている。
「翠蓮、大丈夫か?」
「は、はい。あの、降ろしてくださりありがとうございます」
居たたまれなさを覚えながら、その場で大人しくしている黒鷹を見上げた。長距離を飛んできたというのに疲れた様子もなく、静かに惺藍を見つめていた。
「ありがとう。助かったよ」
惺藍がそう言いながら翼をひと撫ですると、大きな黒い翼を広げ上空に舞い上がっていった。