書籍詳細
偽装結婚のはずが、愛に飢えたエリート社長に美味しくいただかれそうです
あらすじ
「君をつまみ食いしたい」
旦那様からの強引独占愛!
勤務先の社長・遼一から、手作りのお弁当に興味を持たれた梢。結婚を急かされている彼は、梢に偽装夫婦になろうと提案!病床の祖母を安心させるため、結婚を決意した梢だが、彼は予想外に甘やかしてきて…。過労で倒れた際、梢に看病されたことで独占欲に目覚めた遼一に、「君をつまみ食いしたい」と囁かれ、家でも会社でも彼の溺愛は止まらず…!
キャラクター紹介
那賀川梢(なかがわこずえ)
IT会社勤務の27歳。料理上手で優しい性格。人気モデルの弟と比べられてきたため、自信が少し足りない面も。
藍住遼一(あいずみりょういち)
新進気鋭のイケメン経営者で、梢の勤務先社長。熱心なあまり、寝食を忘れ仕事に熱中してしまうこともある。
試し読み
建物正面の車止めに車を停めると、店の前に立っていた男性スタッフが近づいてきて助手席のドアを開けた。
「いらっしゃいませ。足元にお気を付けください」
「は、はいっ」
まだお店にも入っていないのに、丁寧な扱いをされ戸惑う。こういう扱いに慣れていないのが丸わかりだ。
おどおどしている私の隣に、遼一さんがすっと立つ。そこで初めて小声で問いかけた。
「あの、ここ何のお店なんですか?」
「ジュエリーショップ」
「なるほど、ん? どうして私を連れてきたんですか?」
自然に出た疑問を口にすると、遼一さんが呆れた顔をした。
「もちろん、俺たちの指輪を買うためだ」
そうか、そのためね。……いや、ちょっと待って。
私は目の前にある店をあらためて見て、焦った。ブランドに疎い私でも知っている、芸能人やセレブ御用達のブランドだ。まさか、ここで買うと言うのだろうか。
さっさと歩いて行こうとする彼の腕を引っ張って止め、小さな声で伝える。
「あの、指輪必要ですか? 期間限定なのに。もし買うにしてもこんな高級なものは……」
「あのなぁ、前にも言ったけれど〝真実味〟が大切なんだ。結婚式や披露宴がないのはまだしも、指輪すらないとなるとそれっぽさが薄れる。それにこの俺が安っぽい指輪を妻に贈ったとなると、沽券にかかわる」
「そんな大げさな……あっいえ、そうですね」
彼の逆らうなという意味のこもった視線を受け取り、ここはもう素直にうなずくことにした。
彼が私の背中に手を添えて歩き出した。
ハッとして彼を見ると「逃げられたら困るからな」と私にだけ聞こえる小さな声で伝えてきた。
「ほら、待たせてるから行くぞ」
彼の視線の先には、店のスタッフが扉を開けて待っていた。
店内に入ると、迎賓館かと思うほど立派な室内にしり込みしそうになる。さっき「逃げられたら困る」と言った彼の言葉もあながち間違いではない。
「藍住様、こちらにどうぞ」
すぐに奥の部屋に案内されてそれに従う。
そこには他の客はおらず、私と遼一さんのふたりだけだった。彼が早速ショーケースの中身をじっと見ている。ぼーっとしていると、ほら君も、と促された。
「私、あまりこういうのはわからなくて」
私が唯一持ってるのは幹が成人のお祝いに贈ってくれた一粒ダイヤのネックレスだ。彼が働いたお金で贈ってくれた大切なもので、いつも身に着けている。
しかしそれ以外に宝石に触れる機会がなかったので、「いい」も「悪い」も判断ができない。
「好きかどうかだけ、教えてくれ。ほら、これなんかはどうだ?」
選べないと言った私を助けるように、彼がいくつか勧めてくれる。
「それに似た感じでしたら、こちらなどはいかがでしょうか?」
「少し、石が邪魔じゃないか。結婚指輪と重ね付けできるものがいいな。彼女にはいつも身に着けていてほしいから」
周囲にそれっぽく見せるためなのに、スタッフはいいように誤解したようだ。
「こんなに素敵な奥様ですもの、自分の贈ったもので美しく飾りたいですよね」
「そうだな」
彼もそれを否定せずに、笑ってみせている。こういうときは余所行きの顔をしているのだとわかる。
「ほら、梢。どれも君に似合いそうだ」
「こちらは、いかがですか?」
大きな一粒ダイヤを中心にリングの周りにぐるっと小さなダイヤが囲んでいる。きらきらまぶしい。
こんなの普段使いできない……。
「ああ、妻はそっちじゃなくて、こっちの方が似合いそうだ」
それは一粒ダイヤは変わらないが、その周りを四つの小さなダイヤが支えるように並んでいる。ごくシンプルなものだ。
「それに、結婚指輪はこっちの少しカーブになっているのが、重ね付けするのにいいんじゃないか? ほら、着けてみれば?」
「はい」
白い手袋をしたスタッフが、私の指にはめた。あまり宝石に興味のない私だったが、不思議なもので身に着けてみると自分の指で輝くジュエリーに心が躍る。
「単独でも綺麗ですけど、重ねるともっと素敵」
思わず口から感想がポロっと出た。彼の方を見ると優しい笑みを浮かべてこちらを見ていたので、思わず心臓がドキッと音を立てた。
「俺もそれがいいと思う、それにしよう」
「はい」
直前までいらないだの、もう少しグレードを落としたものがいいだの言っていたのに、素敵な宝石を前にあっさりうなずいてしまう。
隣の遼一さんの満足そうな顔を見て、これでよかったのだと思うことにした。
帰宅後、夕食の準備に取り掛かる。十月に入って冷え込み始めたので今日は温まる寄せ鍋にするつもりだった。
出汁を用意している間に、着替えを済ませた遼一さんがキッチンにやってきた。
「鍋?」
「はい。お嫌いではないですか?」
「うーん。たぶん大丈夫だと思う」
珍しく歯切れの悪い答えに、首をかしげた。
しかし彼は気にする様子もなく冷蔵庫からミネラルウォーターを取り出すと、書斎に入っていった。おそらく食事の用意ができるまで仕事をするつもりなのだろう。
彼が部屋に入った後、キッチンで料理を始めた。野菜を切り、タラとつみれを用意した。鍋の中には澄んだ出汁が出来上がっている。我ながらなかなかよくできた。
ダイニングテーブルに、鍋のセットと午前中に作り置きしていた総菜をいくつか並べる。
もともと一通りの食器や調理器具はそろっていた。これも私が来るまでのわずかな時間にそろえられたのかと思うと、本当にお金持ちのすることは理解できない。
勢いで受け取ることになった指輪もそうだ。ありがたいけれど、やはり分不相応なのではとまだ考えてしまう。
「結婚指輪はそう時間がかからないみたいだけど、エンゲージリングはもう少し時間がかるって」
遼一さんが部屋から出てきた。ジュエリーショップから連絡があったようだ。最終的に石の種類を変更したので時間がかかるみたいだ。婚約指輪と結婚指輪の順番が逆だが仕方ない。
「そうなんですね。出来上がったら私が取りに行きましょうか?」
忙しい遼一さんの手を煩わせるのは気が引ける。そういう思いから出た発言だったが、彼は「いいや」と頭を振った。
「こういうものは、男の俺が取りに行くべきだ。それくらいかっこつけさせてくれ」
たしかに遼一さんからのプレゼントを私が店で受け取るのは、味気ない。
「すみません、私こういうことに気がまわらなくて」
不快な気持ちにさせたのではないかと、はらはらする。
「気にしなくていい。そういうことに慣れているよりよっぽどいい」
二十七にもなって、男性に対してスマートな対応をとれない自分が恥ずかしくなる。でも遼一さんがそれでもいいと言っているので、とりあえずはほっとした。
「それより、もう食べられそう?」
「あ、はい。ちょうどいいころだと思いますよ」
土鍋の蓋を開けると、湯気とともに出汁のふわっといい香りが漂った。
「ビール、出しましょうか?」
「いいね。久しぶりに飲みたいな」
接待が多いため、プライベートではあまり飲酒しないのだと聞いた。しかし明日は休日なのでリラックスするために少しならと勧めてみた。
急いで冷蔵庫から冷やしておいたビールを持ってきて、彼のグラスに注ぐ。彼が手を差し出したので、ビールの瓶を渡すと私のグラスにも同じように注いでくれた。
「じゃあ、お疲れさま」
グラスを掲げて、一口飲むとなめらかな泡ときりっとした爽快感が口の中に広がる。普段はあまり飲まないが、たまに飲むとすごく美味しく感じる。
私はグラスを置くと、取り皿に鍋の具材をよそった。野菜やタラ、つみれなど、偏りなく入れる。
「はい、どうぞ」
「ありがとう」
彼は箸でつまんで少しだけ冷ますと、少し熱そうに顔をしかめながら口に運ぶ。その様子を見ていると彼がふいにこちらを見た。
「そんなに見なくてもちゃんと食べるさ」
ちょっと呆れたように笑う彼。どうやら誤解させてしまったようだ。
「別に監視をしているわけじゃないんです。ただあまり家族と食事を一緒にしなかったって言っていたので、雰囲気だけでも楽しんでもらえるかなって」
「なるほどな。そんなことまで気遣ってくれていたのか」
「あ、私が食べたかったってのもあるんですよ。鍋は絶対誰かと食べた方が美味しいんで」
ひとり鍋をすることもあるが、やはりこういうのは誰かと一緒の方がいい。
「ただ、誰かと同じ鍋で食べるのに抵抗がある人もいるのでさっき『大丈夫ですか?』って聞いたんです。でも『たぶん』って返事があってどうなのかなって」
曖昧な返事の理由を聞きたい。
「それは君の指摘通りで、家族でこんなふうにひとつの鍋を囲んだことなんてないから。どういうものなのかわからなかったんだ」
あぁ、そういうことかと納得する。
「感想は、いかがですか?」
「なかなかいいな。家族でこうやってあったかい鍋を食べるのは」
湯気の向こうで彼が笑みを浮かべているのを見て、私も自然に顔がほころんだ。
「では、たくさん食べてくださいね」
私が手を差し出すと、彼は空になった取り皿を差し出した。私は食べごろになった具材を盛り付けまた彼に渡した。
食事の間、彼との話が弾んだ。仕事の話や好きなものの話。本来なら結婚する前にするであろう、他愛のない話をしているとあっという間に時間が過ぎた。
片付けを済ませた私を、彼はリビングに呼び寄せた。そしてふたりしてソファに座る。
「それで昨日から過ごしてみてどうだった?」
「どうって……まだ始まったばかりなので夫婦っていう実感がないです」
「そうだな、かなりぎこちない」
それは仕方ないだろう。夫婦といっても一緒に過ごしたのはわずかな時間だ。それまでは社長と社員という関係でしかなかったのだから。
「君はおいおい慣れていけば、なんて思ってるんじゃないだろうな」
図星を指されて言葉に詰まる。
「俺たちには時間がない、だから悠長に構えてる場合じゃない」
彼が急に私の頬に手を添えて、顔を近づけてきた。
ち、近いっ……。
緊張して思わずごくりと唾液を飲み込んだ。
「こうされたら、どうすればいいかわかるか?」
私はどんどん近づいてくる彼を見つめて、左右に首を振った。
「仕方ないな、俺が教えてやる。黙って目を閉じるんだ」
「でも、そんなこと」
私は心臓をドキドキさせながら、視線を泳がせた。
「周囲から夫婦に見えなければ、俺も君も困るだろ」
たしかにそうだ。遼一さんがどうしても欲しい契約も、祖母の手術も何もかもダメになってしまう。
私はもうどうにでもなれという思いで、目を閉じた。すると彼の唇が私の唇に重なった。
何度か角度を変えて口づけられた。胸が苦しいくらい音を立てている。
「唇、開いて」
頭がぼーっとしていて、何も考えずに彼の言う通りにすると、私の唇をなぞっていた彼の舌先が唇を割り開き中に入ってきた。歯列をなぞっていたかと思うと、私の舌を見つけ出して絡めるようにする。
「んっ……ふあぁ」
自分から漏れる声に熱がこもっているのがわかる。頭の中までくらくらするキスは私の羞恥心を完全に溶かしていた。
でも、キスってこんなに気持ちいいんだ。
気が付けば拙いながらも、彼のキスに必死になって応えていた。
唇が離れて、目を開ける。思考が奪われていてぼーっと彼の顔を見つめる。
「なんだ、もうまいったのか?」
からかうような彼の言葉に羞恥心が煽られた。
「だって、慣れてないんだから、仕方ないです」
これまでの恋愛経験の浅さを指摘されたような気がした。
「他の男で慣れていても意味ないだろ。君の夫は俺なんだから、これから俺のやり方を覚えていけばいい」
彼が私の頬にかかっていた髪を優しく撫でつけた。
「遼一さんのやり方?」
「あぁ、そうだ。全部俺が教えてやる。今からでもいいけど、どうする?」
いや、今日はもうさっきのキスだけで限界だ。心も体も持ちそうにない。
「い、いえ。また今度で大丈夫ですから」
慌てて彼とソファの間から抜け出た私は、立ち上がって距離をとる。
「遠慮しなくてもいいのに。まぁ、今日は初心者だから見逃してやるか」
彼がバスルームに向かったのを見て、体の力が抜けソファにもう一度座る。
「はぁ、もう刺激が強すぎる」
ずいぶん恋愛とは距離を置いてきたのに、いきなりあんなキスして心臓が張り裂けるかと思った。
しかも嫌じゃなかった……っていうより、途中から積極的に受け入れていたような気もする。
頭の中にさっきの光景が浮かんできて、頭を振って追い払う。顔の熱を冷ましたくて手でパタパタとあおいだが効果はそうなかった。
これから……大丈夫なのかな。
結婚すると決めてから、何度目かの「大丈夫かな」が頭の中に思い浮かぶ。しかしそれと同時にもう前向きにやるしかないという気持ちにもなる。
考えても仕方のないことは考えない。
そう決めて私は明日の朝食の下準備に取り掛かった。体を動かしている方が、色々悩まなくてすむ。冷蔵庫の中を確認して明日の献立を考えた。