書籍詳細
エリート社長の格別な一途愛で陥落しそうです~身代わり婚約者が愛の証を宿すまで~
あらすじ
「君もお腹の子どもも、全力で守る」別れる前提のはずが、ひたむきな求愛で身ごもって…!?
大企業の社長・理玖との縁談話がきた双子の妹に、彼との交際を代わってほしいと頼まれた愛美。誠実な理玖に惹かれていく一方で、「本気だから」と言う彼に、自分は代役だと罪悪感と切なさを募らせていた。ついに彼女は真実を打ち明けようとするが―「君を誰にも渡したくない」熱を孕んだ瞳で愛欲を刻まれ、愛美の妊娠が発覚。理玖の溺愛も増していき…!
キャラクター紹介
小峰愛美(こみねまなみ)
OLとして働く傍ら、レストランでピアノ演奏のボランティアをしている。瓜二つの双子の妹がいる。
黒瀬理玖(くろせりく)
大手企業社長。有名な高級イタリアン店を経営している。愛美の妹と見合いをすることに。
試し読み
「愛美ちゃん、お疲れ。今夜は叔父さん特製のシーフードパスタだぞ。ほら、食ってけ」
「わぁ、ありがとう。いただきます」
叔父の料理は美味しくて、ついつい食べすぎてしまう。そろそろ本気でダイエットしないと危険だ。
スツールに腰掛けスマホを手に取ると、着信の後にメッセージが入っているのに気づく。
黒瀬さんからだ! あぁ、演奏中だったから電話に出られなかったんだ……話したかったな。
そんなことを思いながら受信BOXを見てみる。
【体調のほうはどうだ? 週末は楽しかった。ありがとう。また会いたい】
また会いたい……また会いたいって!?
思わずスツールから立ち上がりそうになり、眼鏡越しにそのメッセージを食い入るように見つめる。
落ち着いて。とにかく後で返信しなきゃ。
「愛美ちゃん? どうしたの? ニヤニヤしちゃって、なんかいいことでもあった?」
「え? べ、別に」
叔父に怪訝な顔をされても今はどうでもいい。だって、黒瀬さんが【また会いたい】って言ってくれた。そんなのニヤニヤしちゃうに決まってる。
急に恥ずかしくなって、俯きながら何度も黒瀬さんからのメッセージを読み返す。
「ふ~ん、男だな?」
ドキリとして勢いよく顔を上げると、叔父が親指と人差し指で顎を挟みながら意味深に唇を歪めた。
「お、男だなんて、そんな。違うって!」
「俺の観察眼を見くびるなよ? 男に想いを寄せてぽーっとなってるときの女の顔はよく知ってるんだ」
「なんでそんなこと……」
叔父は「さぁな」と言って唇の端を押し上げると、仕事に戻っていった。茶化されるのは嫌だったけれど、なぜだかそれもこそばゆく感じてしまうから不思議だ。ふと、カウンター横の鏡の柱に映っている自分の顔を見てみる。
デートのときとは違い、髪もひとつにまとめて眼鏡をかけ、化粧もほとんどしていない地味な雰囲気に、現実を突きつけられているようでげんなりする。外見だけは装えても、中身は簡単には変えられないのだ。
やっぱり私は優香にはなれないよね、中身は全然違うもの。
もう何度目かになる重いため息をつきながら再びテラス席に視線をやるけれど、そこには黒瀬さんではなく別の男性が座っていた。
今夜は来ないのかな?
まだ一週間は始まったばかりだ。もしかしたら水曜に会えるかもしれないし、金曜かもしれない。
万が一、ここで黒瀬さんに会ったとしても、今の私は優香の姿じゃない。声をかけられることもないはずだ。もちろん私からも声をかけることもできない。
そう思うと切なさが込み上げてくる。
今度はいつ会えるのかな? また電話かかってこないかな……。
ため息に蓋をするようジントニックが入ったグラスに口をつけたと同時にバッグの中から着信が聞こえた。また優香からかと思ったけれど、電話の相手は……。
「もしもし?」
『こんばんは、もう仕事は終わったか?』
「黒瀬さん!?」
すごい。黒瀬さんのことを考えていたら本当に電話が来ちゃった!
さっきメッセージが来たばかりでこんな偶然、予想もしていなかっただけに焦る。
会いたい気持ちが伝わったのかも。なんて思うと急に鼓動が高鳴った。
『今、中野の近くに仕事で来てるんだ。あと少しで終わるんだけど……君さえよければ少し会えないか?』
「はい。今、まだ新宿なんですけどすぐに帰ります」
『急がなくていいから。じゃ、また』
通話終了をタップする。この喜びをどう表現したらいいのかわからず、ただスマホをふるふると握りしめた。
黒瀬さんに会えるなんてっ! しかも今から!
店にお客さんがいる中、降って湧いたような幸運にうっかり万歳ポーズをしそうになってしまう。
ん? でもちょっと待って、黒瀬さんと会うってことは……この顔じゃだめだよね?
今の私は愛美だ。黒瀬さんの前では優香でなければならないことを思い出し、私は慌てた。
「叔父さん、もう帰るね! ごちそうさま」
「おう、気をつけて帰れよ」
叔父に見送られながら店を後にすると、私は駅のほうへ向かって歩き出した。
時刻は二十一時。
私の地元は都心と違い、住宅地へ入ると途端に人気も少なくなる。
以前、優香からもらったリップやマスカラなどの化粧品がたまたまポーチの中に入っていたのは幸いだった。もらってそのままポーチに入れっぱなしにしていたようだ。
私はさっそく駅の化粧室で優香メイクをし、髪の毛も下ろして整えた。さすがにコンタクトは持ち合わせていなかったけれど、「ドライアイで今日は眼鏡なんです」という言い訳もバッチリ考えてある。
私の住んでいるアパートは家賃こそ安いけれど、駅から少し離れた場所にあるのがひとつ不便なところだ。電車の中で優香からメッセージが入っていて、今夜は急遽飲み会になったらしい。
早く黒瀬さんのことを優香に話したいのに、タイミング悪いんだから……。
そんなことを思いながら人通りの少ない路地に入ったところで、私はふと背後に気配を感じた。
その気配は直感的になんとなくいい気がしなかった。浮かれた気持ちにピリッと緊張が走る。
誰かにつけられてる? 黒瀬さん、じゃないよね?
歩く足を止めると足音が消える。そして再び歩き出すとまた足音がする。気づかれないような距離を保ちながら私の歩くスピードに合わせている。こんな怪しい歩き方、彼ならしないはず。
気のせい? ううん、気のせいなんかじゃ……。
コンビニでもあればそこに入って様子を窺うこともできたけれど、この辺は閑散としていてなにもない。すると、こんなときに限って週末に観た映画でヒロインがストーカーの男に追いかけられているシーンがフラッシュバックした。
――待て! お前を殺して俺のものにしてやる!
――いや、来ないで! 誰か、助けて!
こ、怖い!
ゾワッと背筋に悪寒が走る。
私は素早く横道に逸れ、別の道を辿って人通りのある駅のほうへ逆戻りしようとした。けれど急に目の前に大きな影が立ちはだかって、行く手を阻まれた。
え?
黒瀬さんかな? なんて思って恐る恐る顔を上げてみる。
私の目の前に立っていたのは、まったく見覚えのない四十代くらいのサラリーマン風の男性だった。
「こ、こんばんは……あの、新宿にあるイルブールでいつもピアノを弾かれている方ですよね?」
今まで背後にいたかと思っていたのに、いつの間に回り込んできたのだろう。その男は薄ら笑って私を見ている。全身が硬直して目を逸らすこともできない。
「あの、そこどいてください」
身長は高くなく痩せており、眼鏡をかけている。怯える私のことなんかお構いなしで男はヘラッと笑った。
「今夜はなんだか雰囲気が違いますね。いつも髪を束ねて眼鏡をかけているのに……でも、どんなあなたでも素敵ですよ。あ、僕の手紙を読んでくれましたか?」
「あ、あのっ」
「一生懸命あなたのことを想像しながら書いたんです。あ、花束も、あなた宛てに渡したはずなのになぜか店に飾られていましたが……もしかして迷惑でしたか? あの、せめて名前だけでも教えてくれませんか?」
私に言葉を挟ませたくないのか、男は立て石に水のように喋り続けた。何度も眼鏡のフレームを押し上げてどことなく落ち着かない。
「人違いです」
ここで肯定したらイルブールでピアノを弾いている演奏者であることを認めることになる。男が人違いをしたと思わせるために私は否定し続けた。この男のしていることは明らかにつきまといでストーカー行為だ。気味の悪い手紙を送りつけてきた犯人もきっとこの人だろう。
「人違いだなんて、そんなはずありません。さっき店にいたでしょう? ずっとつけて来たんですから。ああ、それにしても今夜のピアノも相変わらず素敵でした。けど、誰かと電話で話をしてましたよね? 誰なんです? あなたの頬が赤く染まっていくのを見ていたら……気になってしまって、誰と会うのか突き止めたくな――」
「もうその辺にしとけ、彼女がこれから会う相手は俺だよ」
そのとき、不意に低く鋭い声がして、その声の主がわかると恐怖ですっかり縮こまってしまった身体がふっと緩む。
「黒瀬さ……」
「な、なんだっ、お前」
ストーカー男のすぐ背後に黒瀬さんの姿が見えた。後ろめたい行為を第三者に見られたと、焦った男はその場から逃げようとした。
「おっと、待てって」
「ひっ!」
黒瀬さんがその腕をがっちりと掴み、男は身動きが取れなくなった。まるで合気道の技のようで関節を制している。〝警察に電話してくれ〟と目で合図され、私はハッと我に返るとすぐにスマホを手に取った。
「大丈夫か?」
通報した後、すぐに警官が駆けつけてストーカー男は黒瀬さんによって突き出された。
彼は慌てふためく私とは違い、冷静にその状況を対処していた。すごく頼もしくて、そしてなにより……かっこよかった。
「は、はい……なんとか。助けていただいてありがとうございます」
ストーカーに後をつけられて、まさかその本人と遭遇するなんて考えもしなかった。店に花束や気味の悪い手紙を送りつけられていても、そのうち落ち着くだろうと安易に考えていた。けれど実際、そのストーカー男が目の前に現れたら恐怖で頭の中が真っ白になってしまった。
「思ったより早くこっちに着いたから、アパートの前にあるコインパーキングで車を停めて待ってたんだ。そうしたら妙な男がうろうろしていて普通じゃないなって嫌な予感がしてさ」
すごく怖かった。
黒瀬さんはいまだに怯えながら俯く私の肩を引き寄せ、「もう平気だ」と優しく頭を撫でた。ホッとしたら全身から力が抜けて涙が出そうになる。
「もし、君に万が一のことがあったら、と思ってその男のことを陰で見てたんだよ。まさか、本当に君に手を出すつもりだったなんてな」
同じ男として呆れる、と言わんばかりに黒瀬さんは私の頭の上で深いため息をついた。
先日のデートで具合が悪くなったとき、送りのタクシーに同乗してくれていたため、黒瀬さんは私のアパートの場所をちゃんと覚えてアパートまで来てくれていたのだ。
黒瀬さんがいなかったら今頃……。
そう思うと、身の毛もよだつ。
「そういえばあの男、君が店にいたとかなんとか言ってたけど……」
「え、あ、たぶん誰かと間違われてたんだと思います。店なんて知らないし、今までずっと仕事してましたから」
イルブールで私がピアノを演奏しているなんてバレたら大変!
優香じゃないって気づかれてしまうかもしれないし、黒瀬さんが叔父に私のことを尋ねたらおしまいだ。けれど真実を隠せば隠そうとするほど嘘で塗り固めなければならず、それと同時に心苦しい罪悪感が生まれる。そうわかっていながら私は咄嗟に誤魔化すようなことを言ってしまった。
「まだ怖い? 平気か?」
違うことを考えて曇り顔をしていた私に黒瀬さんが心配そうに声をかけてきた。
「もう平気です。だいぶ落ち着きました。黒瀬さんに会えて嬉しかったです」
これは私の本当の気持ち。優香を演じての取り繕った言葉じゃない。けれど、彼の胸に届くのはすべて優香としての言葉だ。それがどうしても歯がゆい。
黒瀬さんは目を細めてふわりと笑顔になり、そうかと思うとキリッと真摯な顔つきに変わった。
「今夜会いたいって言ったのは、君に伝えたいことがあったからなんだ」
「伝えたいこと?」
まさか「本当は優香じゃないんだろ?」とか「騙したな」とか言われるんじゃ?
ドキドキしながら何度も唇を濡らして身構える。やっぱりバレたかな、思ったより早かったなぁ、ごめん優香……なんて思っていると。
「君のこと、本気なんだ」
頭に降ってきた言葉が信じられなくて、俯き加減の視線を咄嗟に上げる。まっすぐ見つめてくる黒瀬さんの視線とぶつかると、その瞳から私は逃れられなくなっていた。しばらく見つめ合い、沈黙する。
今、なんて?
「ごめん、いきなりだったな、ただ俺の本心を伝えたかっただけなんだ。それにまだちゃんと言葉にできていないだろう?」
「え?」
「俺は結婚も視野に入れて君と真剣に付き合いたいと思ってる」
ほんのり照れくさそうに小さく笑う黒瀬さんを見ていると、勘違いしそうになる。頭の中でこれは全部優香への言葉なんだとわかっているのに、まるで私への告白のようで切なくなった。
「まだ出会ったばかりだし、結婚なんて言われても困ると思う。だから俺とのことを少し考えて欲しいんだ。そして君の気持ちもちゃんと聞かせてくれないか?」
聞けば聞くほど私の顔は真っ赤になりゆでだこのようにのぼせてしまう。
黒瀬さんとは、ただの恋人同士……なんだよね?
私は最終的に、黒瀬さんからこの縁談はなかったことにしてもらおうと目論んでいた。黒瀬さんのほうから断られれば、父もうるさく言わないはずだ。それに、仕方ないと優香と恋人との関係を認めてくれるようになるかもしれない。それなのに、結婚を視野に入れた付き合いになんて発展したら話がややこしくなる。けれど、自分の気持ちはどうなんだと誰かから尋ねられたら、きっと黒瀬さんともっと深い関係になりたいと答えてしまうだろう。
どうしたらいいの?
優香として黒瀬さんとの関係を終わらせなければならない反面、愛美としては彼と一緒にいたい気持ちが勝る。そして私はいけないとわかっていながら「わかりました」と小さく頷いた。
私の前向きな返事に黒瀬さんがホッとしたように微笑む。その笑顔が私の罪の深さを疼かせた。
「すみません、なんだかストーカー騒ぎで遅くまで付き合わせてしまって」
「いいんだ。俺が会いたいって言ったんだし。それに、ああいうのは警察からしっかりお灸を据えてもらわないと、また同じことを繰り返すかもしれないしな」
聞くと黒瀬さんは合気道の有段者で、今でも時間があれば稽古をしているという。武術を身に着けているという事実に、ただでさえイケメンなのにさらにかっこよさが増す。
「君を守れてよかった。いつだって俺を頼ってくれていいんだ」
彼が笑みを浮かべる度に胸が高鳴って仕方がない。ドキドキしている心臓をぐっと拳で押さえつけると、黒瀬さんが私の顎に指を滑らせた。
え……?
あまりにも自然な動作だったから身構える隙がなかった。唇に水気を含んだ温かな感触。気づけば私は彼に唇を重ねられていた。けれどそれは一瞬で離れ、今のは一体なんだったのかと目を瞬かせると、徐々に頬が熱を持ち始める。
「どうした?」
「い、いえっ、少しびっくりしただけで……」
いつまでも言葉に詰まっている私を怪訝に思ったのか、黒瀬さんが顔を覗き込んでくる。
私はゆでだこみたいになっている顔を見られたくなくてササッと前髪で隠し、恥ずかしくて俯いた。耳朶まで真っ赤になっているのがわかる。顔が上気して眼鏡のレンズが今にも曇りそうだ。
「そういえば、今夜は眼鏡なんだな」
「そ、そうなんです。私、ドライアイで長時間コンタクト着けられなくて……」
眼鏡のことを突っ込まれたときの口実をあらかじめ考えておいてよかった。本物の優香は最近レーシックを受けて眼鏡から卒業したんだけど。
「眼鏡姿も可愛いな」
「え?」
「いや、こっちの話。さ、今日はもう遅いから君を部屋まで送っていくよ。すぐそこだけど」
紳士な黒瀬さんはそう言って部屋まで私を送り届けた後、神楽坂のマンションへ帰宅した。