書籍詳細
極上パイロットの懐妊花嫁~一夜限りのはずが、過保護な独占愛に捕らわれました~
あらすじ
「俺の子を産んでほしい」一途な愛を注がれイケメン機長の子供を身ごもりました
香港の空港でグランドスタッフとして働く心音は、ある日父の会社が経営難に陥っていると聞かされる。政略結婚をするしかないと揺れる彼女は、相手から無理やり関係を迫られるが、パイロットの斎穏寺に救われ難を逃れる。お礼も兼ねて斎穏寺に香港を案内するうち、急速に彼に惹かれていく心音。一夜限りの思い出に、斎穏寺に身を委ねるけれど……!?
キャラクター紹介
清水心音(しみずここね)
父が経営する格安航空会社の香港支社に勤務。面倒見が良く同僚から慕われている。
斎穏寺 新(さいおんじ あらた)
大手航空会社の御曹司。経営には参加せず、パイロットとして勤務している。
試し読み
翌日、約束の場所へ向かう。
青空が広がり、風があるものの清々しく、足取りも軽くなる。
白のカットソーに細身のジーンズ、くすんだブルーのロングカーディガンを羽織り、手首には昨日プレゼントされた二連のブレスレットをつけている。
『斎穏寺さんを誘惑してエッチしてくるの』
昨夜、美鈴さんがあんなこと言うから、変に斎穏寺さんを意識してしまいそうだ。
待ち合わせ場所では、すでに斎穏寺さんが待っていた。彼は手元のスマートフォンに視線を向けている。
昨日のパイロットの制服姿が強烈に脳裏に残っているが、今日の彼はクリーム色の薄手のVネックセーターに黒のジーンズを穿いている。
身長が高いからだろうか、脚の長さが際立っていて、バランスの取れたスタイルに見惚れてしまいそうだ。
「おはようございます。お待たせしてしまってすみません」
近づく私に気づいた彼は口元を軽く緩ませ、スマートフォンをジーンズの後ろポケットにしまう。
「おはよう。俺も来たばかりだよ」
「お待たせしていなくて良かったです。今日の行き先なんですが、斎穏寺さんには退屈かもしれません。行きたくないと思ったら、お帰りになってもかまいませんので」
「ククッ、俺と一緒は嫌だと思ってる?」
含みのある豊かな声色で問われて、心臓がドクッと跳ねる。もしかしたら顔が赤くなっているかもしれない。
それを誤魔化すように、慌てて首を横に振る。
「そ、そんなこと思っていません。場所は――」
「どんな所でもかまわないよ。秘密のツアーみたいで楽しい。連れて行ってくれ。さあ、どっちへ行く?」
私の言葉を遮って、斎穏寺さんは指を右左へ動かす。
「……フェリー乗り場に。少し離れているので、タクシーで行きます」
「フェリーか。面白そうじゃないか」
タクシー乗り場へ歩を進めて、待機していた青タクシーに乗り込む。
『フェリー乗り場へお願いします』
広東語でタクシー運転手に告げると、車が動き出す。
「広東語ができるのか」
「ええ、それなりに話せます。あの、広東語ってわかるのなら、斎穏寺さんも話せるのではないですか?」
「挨拶程度しかわからないよ」
目尻を下げる斎穏寺さんに私の顔も自然とほころぶ。
五分後、フェリー乗り場に着き、私がタクシー代を払おうとすると先に彼が支払ってしまった。
「あ、私が……」
「気にしないでくれ。降りよう」
促されてタクシーから降りる。
「斎穏寺さん、困ります。今日は二度も助けていただいたお礼なんですから」
「これからどこへ連れて行ってくれるのだろうかとワクワクしているんだ。支払いくらいさせてくれ」
「では、フェリー代は私に。行き先は内緒なので、ここで待っていてくださいね」
有無を言わさずに彼をその場に残して、チケットを購入して戻る。
「十分後にフェリーが来ると思います。こっちです」
大澳行きのフェリーは九龍島の最西にある屯門から出港している。
大澳まではバスも出ていて本数もフェリーより多いが、ちょうどいい時間だったので、フェリーに決めた。
それにバスでは到着まで時間がかかってしまうが、フェリーなら約三十分で行ける。
香港国際空港に離着陸する飛行機を真下から見られるのも、パイロットの彼にとって面白いのではないかと思ったのだ。
ほどなくしてフェリーが到着する。案内に従って乗り込み、窓側を譲られて席に座る。
「それにしても、斎穏寺さんがジャパンオーシャンエアーのパイロットだったなんて驚きました。しかも機長だなんて」
「ずっと若い頃に、海外で飛行を学べたから運が良かったんだ」
「運でパイロットになんてなれませんから」
軽く話す斎穏寺さんに笑う。彼と話をするのが楽しい。
そこへ飛行機のエンジン音が頭上から聞こえてきて、空が見えるように頭を動かす。
屋根があるので頭を横に倒すと飛行機が見えた。
「斎穏寺さん、エアバスです」
そう言うと、彼は私の方に体を傾けて空を覗き込むようにして見上げた。
腕を船体に置いているけれど、ものすごい至近距離に端正な顔がある。それに香水だろうか、落ち着いたウッディ系の匂いが鼻をくすぐり、鼓動が大きく跳ねた。
「近いな。面白いアングルだ。ああ、すまない。体重をかけていた」
「い、いいえ」
本当は心臓が暴れ回って飛び出そうなくらいドキドキしているけど、平静を装ってゆるゆると首を横に振った。
斎穏寺さんは元の席に戻り、長い脚を組む。
海風が当たっているが、寒さは感じず気持ちいい。
どんどん日本へ帰る時間が近づいてきて、憂鬱な気分になってくる。
だめだめ、自分で帰ると決めたんだから。
フェリーはもう一カ所の船着き場に寄り、大澳に到着した。
「大澳か。行ってみたいと思っていた場所だよ」
フェリーから降りると、あちらこちらで干している魚などが目に入り、いかにも漁村の風景が見られる。
「中心部の高層ビル群からでは、想像がつかないくらい田舎ですよね。私、ここに生息するピンクイルカを見たかったんです。以前来たときは見られなくて。でも、香港の友人が一週間前に来たときは見られたと情報をくれたので」
「海洋汚染が進んでいると聞いていたが……ピンクイルカがまだ見られるのか」
「まあ運しだいなんですが……」
海産物などを売っている店が軒を連ねている。
揚げた海老を売る店や、ドーナツやピーナッツ餡の入った大福のような食べ物など、どれも観光客に人気で食べ歩きができる。
それらの店を横目に、二十人も乗れないくらいの小さなボートに乗った。私たちを含め、五人の客が乗船してボートは動き出す。
水上の家が建つ棚屋を通り、沖の方へボートは向かう。
ピンクイルカが見られるのかドキドキしている。
隣に座る斎穏寺さんは景色を楽しんでいる様子でホッとする。
来てみたかったと言っていたから、喜んでもらえたのかも。
沖へ出て少しすると、斎穏寺さんが「あれがそうじゃないか?」と遠くの海面を指差す。
まだかなり遠いが、ピンクイルカらしきものの背が見えた。
「あ!」
そこで船頭さんが乗客に『ピンクイルカがいる』と教えてくれる。
二頭のピンクイルカが泳いでいるのが、はっきりと見えた。
じっと食い入るように、目に焼きつけるように注視していると、いつの間にかその姿は消えていた。
おそらく一分ほどの短い時間だったが、ピンクイルカを目にでき、感動に胸が震える。
「さすがパイロットですね。目がいいです」
「ピンクイルカ、見られて良かったな」
「はい。なんとなく気持ちが軽くなりました」
船頭さんはボートを運転しながら癖のある英語で『今日はラッキーでしたね。昨日は全然でした』と話す。
これで私の運も良くなったかな。
ボートは乗船した場所に戻ってきた。
もうお昼の時間だ。
「おなか空きましたよね? 少し歩きますが、旧警察署を改装した建物のレストランへ行こうと思うのですが」
そこは香港の歴史的建造物で、イギリス植民地時代のスタイルのホテルとして改装されていた。併設されたレストランなら、近辺の大衆食堂よりも斎穏寺さんに満足してもらえると思って提案した。
「そうだな。店は君に任せるよ」
「では、そこに行きましょう」
ピンクイルカが見られたせいか、隣で歩く男性が素敵なせいか、足取りも軽く会話を弾ませながら向かった。
レストランの天井は木枠にガラスが埋め込まれ、陽が入って明るい。シーリングファンがところどころにつけられており開放感がある。
席は半分ほど客で埋まり、みんな楽しそうに食事をしている。
メニューはチャーハンや麺類のような中華から、ハンバーガーやパスタなど国際色豊かだ。
私も斎穏寺さんも、ハンバーガーとポテト、デザートがついたアフタヌーンティーのようなメニューに決めた。
先にオーダーしたビールが運ばれてくる。
斎穏寺さんはふたつのグラスにビールを注ぎ、「お疲れ」と言ってグラスを呷った。
「お疲れさまです」
私もグラスを口にする。
喉が渇いていたので、おいしく喉を通っていく。
「はぁ~、今日はとてもいい気分です」
「ピンクイルカのせい? 見られると幸せになれるんだろう?」
「はい。最近の私は運気低迷って感じで、気持ちもすっきりしていなかったんです」
「あの男の件はどうなった?」
そう言って、彼はもうひと口ビールを飲む。
「彼はお見合い相手だったんです。だけど、あんなことになってしまったので、翌日、父に電話をして断ってもらうように伝えました」
「それなら運気低迷でもないんじゃないかな?」
斎穏寺さんの耳にも、わが社が危ないことが届いているのではないだろうか。
でも、そんなことは話せない。
「ふふっ、あれだけでも充分悪いですよ。あ、仕事では、座席をアップグレードしろって言って、人を突き飛ばしてくる乗客もいましたし」
「ああ、そんな客もいたな」
思い出したようにふっと笑みを漏らす。その姿が美麗すぎて鼓動が速くなった。
そこへ料理が運ばれてきた。
話題が尽きないまま、ケーキのデザートを食べているとき、テーブルの上に置いていたスマートフォンが振動した。
母からだ。何かあったのだろうか。
「すみません、母からです。大事な電話かもしれないので少し失礼します」
斎穏寺さんに断りを入れて席を立つと、スマートフォンの通話をタップして歩きながら電話に出る。
「お母さん、ちょっと待ってね。今移動するから」
レストランの外に出る。
「もしもし、お待たせ」
《ごめんなさいね、どこかへ出掛けているのね》
どことなく、いつもの声よりテンションが低いように聞こえる。
「出掛けられるのも最後だからね。どうしたの? もしかしてお父さんの容態が思わしくない?」
父は昨日退院したと、メッセージをもらっていたのだけれど。
《いいえ。お父さんの体の方は良くなっているわ》
「体の方は……?」
《ねえ、心音。星崎さんの件、もう少し考えてもらえないかしら》
「え? 断ったんじゃ……?」
嫌な予感がして眉根が寄る。
ホテルで恥をかかせたのだから、向こうからも断ってくるだろうと思っていた。
《それが……ぜひ、縁談を進めてほしいと言われて、断りきれなかったようなの。そのことでお父さんは頭を悩ませていて……》
断ってくれていなかったのだ。
それほどパートナーになってくれる会社が見つからないのだろう。
ピンクイルカを見て、さっきまで晴れ晴れとしていた心に、どんよりとした暗雲が広がっていく。
《心音?》
「……考えてほしいって、結婚してほしいってことよね?」
《お父さんの心労を考えると……ごめんなさい。お母さんも苦しいのよ。でも、会社が倒産したら……悠人もお父さんの跡を継げるように勉強を頑張っているし……》
星崎さんが私の夫になったら……。
そう思った瞬間、食べたものが胃からせり上がりそうになった。
気持ち悪くてたまらない。
吐き気を堪えて、なんとか口を開く。
「……明日帰ったら話を聞くわ」
《わかったわ。明日の夜はご馳走を作るから。待っているわね》
通話が切れた。
母は同じ女性としてわかってくれると思っていたのに。
実際、星崎さんと対面していないから、「もう一度考えて」だなんて言えるのだ。
私も頑張っているのに……。
あそこで悠人の名前を出さないでほしかったな。
暗い気持ちになったら、斎穏寺さんはすぐに気づいてしまうだろう。せっかく来てくれているのに気を使わせてしまったら申し訳ない。
大きく深呼吸をする。先ほど目に焼きつけたピンクイルカを思い出し、気持ちを入れ替えてからテーブルに戻った。
「席を外してすみません」
「いや、緊急だった?」
憂慮する視線を向けられて、胸のモヤモヤをすべて話したくなったが、笑みを浮かべて首を左右に振る。
「いいえ。たまに、たいした話じゃないのにかけてくるんです」
「仲がいいんだな。心配もしているんだろう。遠くにいるから寂しいんじゃないか?」
「そうですね。きっとそうだと思います」
「うちの妹は年が離れていて今は大学生なんだが、なんだかんだと母と出掛けてばかりだ」
「斎穏寺さんは、妹さんがいらっしゃるんですね」
大学生なら斎穏寺さんと一回り以上離れている。
「俺を産んだあと子供に恵まれず、諦めたところで妹の帆夏が生まれたんだ」
「待望のお子さんだったんですね。斎穏寺さんは妹さんをかわいがっていそう。うちは弟で大学生です」
ビールは最初の一杯だけにしたので、追加でオーダーしたミルクティーを飲む。彼はブラックコーヒーだ。
「年齢が離れすぎているせいか、時々、親みたいな気持ちになっているよ」
彼は正義感も強いし、ビジュアルも最高にかっこよくて、きっと妹さん自慢の、素晴らしいお兄さんなのだろうと思う。
レストランを出た私たちは、歴史的建造物やいくつかのウォールアートのある漁村を散策し、夕方のバスに乗って帰ることにした。
バス停に向かいながら、私はどんよりした気分に襲われていた。
楽しかった時間がもう終わる。
母の言葉が、思い出すたびに心臓を突き刺す。
つい考え事をしてしまい、良い同行者ではなかったかもしれなくて、斎穏寺さんに申し訳ない気持ちだ。
「あ!」
小石に足を取られてよろける私を、斎穏寺さんがさっと支えてくれる。
「大丈夫か? 足は痛めていない?」
支える手はそのままに、顔を覗き込まれる。
「……はい。ちょっとボーッとしてました。ありがとうございます」
「結構歩いたから疲れたんだろう」
腕を掴んでいた手がごく自然に私の手を握った。驚いて彼の顔を仰ぎ見る。
「行こうか」
「は、はい」
斎穏寺さんの手が心地いい。ホッとするような包み込まれる感覚だった。
バス停に着くと、その手は離されてしまい寂寥感に襲われた。
東涌までは一時間くらいで、到着したら斎穏寺さんとは、そこでお別れ……。
バスが到着して乗客がぞろぞろと乗り込む。
ふたり用の座席に斎穏寺さんと並んで座ると、ほどなくしてバスは動き出す。
「清水さん、東涌に着いたら夕食を食べに行かないか?」
「いいんですか?」
「ああ。ホテルに戻ってもひとりで夕食は侘しい。良かったらご馳走させてくれ」
「でも、ランチも私が払うつもりだったのに、斎穏寺さんが出してくれて……」
「前から行きたかった場所へ連れて来てくれたお礼だ。おすすめのレストランはある?」
まだ一緒にいられると思ったら、沈んでいた気分は浮上しつつある。
「どこでもかまいません」
「わかった。では俺が決めよう。疲れただろう? 肩を貸すから眠るといい」
肩を貸してくれるだなんて。うれしいけど、彼はパイロットなのだから、頭の重みで腕を痛めたりしたら困る。
「重いですよ?」
「かまわない。君の頭くらいどうってことないから」
「では……すみません。お言葉に甘えて」
男性の肩を借りて眠るなんて初めてだ。
斎穏寺さんは甘えられる安心感があって……。
そう思った瞬間、星崎さんを思い出してしまった。
あの人と結婚なんて……。