書籍詳細
(元)極道のエリートドクターは、身を引いたママと息子を一途愛で攻め落とす
あらすじ
「俺に愛される覚悟しとけよ」秘密で出産したのに、クールな心臓外科医の猛愛に捕まり――
息子の怪我で病院に駆けつけた朔の前に、美麗な医師が現れる。その男性・恭一郎こそ、4年前に天涯孤独の朔に手を差し伸べてくれた極道の若頭だった。容赦ない彼の愛に溺れながらも、朔は当時ある事情で身を引いたのだが――「もう二度と手放す気はない」医師になった恭一郎から一途な熱情を思い知らされると、朔の抑えてきた気持ちも疼きだし…!
※本作は2022年に魔法のiらんどで公開された『(元)極道ドクターは愛しの彼女と息子を甘く一途に愛し抜く』に、大幅に加筆・修正を加え改題したものです。
キャラクター紹介
西野 朔(にしの さく)
天涯孤独の身となり、恭一郎の家で暮らしていたことがある。現在は一児の母。
遠谷恭一郎(とおや きょういちろう)
元・遠谷組の若頭。今は心臓外科医として、高難度手術の執刀も任されている。
試し読み
「朔、いるか? 俺だ。恭一郎だ」
少しして恭一郎さんが洗面室へとやって来て、ドアをノックしながらそう言った。
さっきの一件もあって気持ちがいろいろと複雑ではあったが、今はなによりもこの目で恭一郎さんの無事を確かめたいと強く思い、ドアに手をかけた。
「恭一郎さん!」
泣いてはダメだと分かっているのに、ドアの先にあった彼の顔を見た途端、熱いものが胸に込み上げてきてじんわりと視界が滲んだ。
「ただいま。心配をかけてすまなかった」
恭一郎さんの指先がそっと私の頬に伸びる。
「ケガは……本当に大丈夫なんですか?」
私の問いに、ふわりと微笑む恭一郎さんの姿がそこにある。
ブラックスーツにダークブラウンのロングトレンチコートといういつもと変わらないお洒落な様からは、事件があったとは想像がつかないほどだ。
恭一郎さんからは動揺も感じられない。それは普段からこういったことに慣れているからなのかもしれない。
私が恭一郎さんのところにお世話になってから今まで、幸運なことにこんなことが起こらなかったので、どこかで恭一郎さんが極道の世界の人なのだという認識が薄れていた。
だが、彼が生きる世界はやはりこういう危険性と隣り合わせなのだということを再認識させられ胸が疼く。
でも今は、なにより──。
「……無事で本当によかったです」
その思いがすべてで、どっと溢れだした涙が床に落ちていく。
「泣かないでくれ、朔」
掠れた切なげな声が耳に届くと同時に彼の手が背中へと回り、気づけば私は恭一郎さんの胸の中にいた。
私が落ち着くまで彼はずっと抱きしめてくれていた。彼に包まれ少し冷静さを取り戻すと、ハッとして我に返った。
ケガを負った彼に気を遣わせてしまっていることが、申し訳なく思えたのだ。
恭一郎さんは大丈夫だと言っていたが、今は一刻も早く身体を休めてほしい。
「……あの、今日はお風呂に入れますか?」
恭一郎さんから離れ、涙を拭いながらそう尋ねた。
「今日一日は入れないそうだ」
ようやく少し落ち着いてきて、私は深呼吸して彼を見つめる。
「温めたタオルを用意するので、今日はそれで身体を拭いてください」
「分かったよ。そうする」
私の表情が切迫していたからか、恭一郎さんは、苦笑いを浮かべながら申し出を聞いてくれ、一緒に洗面室を出て歩きだした。
先ほど愁が開けていた冷蔵庫や戸棚の中を思い出しつつ、私はまた口を開く。
「あの、ここに来る前に食事は召し上がりましたか? 出来合いのものになりそうですが、なにか温かいものをお持ちできます。その間に、愁にタオルを持っていってもらうようにしますので」
「いろいろと面倒をかけてすまないな。今日ばかりは朔の言うことを素直に聞くことにするよ」
今はとにかく私ができることをしよう。
寝室に向かう恭一郎さんの背中を見ながらそう強く思い、ひとりダイニングへと向かった。
お湯を沸かして何枚かタオルを濡らし、それをトレイの上に並べてからリビングにいた愁に預けた。私が恭一郎さんの身体を拭くこともできたが、さすがにそれは彼も気を遣うのではないかと、愁に頼もうと思ったのだ。
そして愁が恭一郎さんの部屋から戻ってきてから、予告した通り、今度は愁と入れ替わる形で私がおにぎりやインスタントの味噌汁などを持って彼の部屋へと向かった。
ドアをノックし、中の様子を窺う。
「朔です。ご飯を持ってきたのですが、今開けても大丈夫ですか?」
「ああ」
返答を聞き中へと足を踏み入れると、ネイビーのシルクのガウンを着た恭一郎さんがベッドの上にいた。私が入ってくるのを見ると、ベッドから出ようとしたので慌ててそれを制止する。
「恭一郎さん、そのままで大丈夫です。サイドテーブルに置きますから」
「朔は過保護だな」
フッと恭一郎さんが笑って私を見る。
私のことを過保護だと言っているが、恭一郎さんの方がよっぽどそうじゃない、そんな風に思いながらテーブルの上に食事を並べだした。
「なにか言いたげだな?」
とっさに手が止まる。
私の心の声はどうやら表情に出ていたらしい。
「それは、その……私よりも恭一郎さんの方がよっぽど過保護だと思っただけです。見ず知らずの私を自宅に招き入れて目をかけてくれているんですから」
気づけば、恭一郎さんに向かってそう言い返していてハッとする。
「今日はずいぶんとはっきりものを言うんだな」
「……生意気な口を利いてすみません」
今日はずっと気持ちが落ち着かないせいか、攻撃的になってしまっているのかもしれない。とにかく一旦、気持ちを落ち着かせようと静かに息を吐いた。
「普段からそのくらい本音を言ってくれた方が俺としてはうれしいけどな」
「そう、ですか?」
「朔はいつも遠慮してばかりだから」
真っ直ぐに見つめられ気まずくなり視線を下に落とすと、会話が止まりシーンと部屋が静まり返った。
その沈黙に耐えられなくなり、テーブルの上にそそくさと残りの食べ物を並べ、空になったトレイを手に持ち立ち上がったそのときだった。
「……朔、もう少しだけここにいてくれないか?」
彼の指先が私の腕に遠慮気味に触れ、心臓が波打った。
恭一郎さんはいつも堂々としていて、普段、そんなことを私に求めてくるような人ではない。
それを知っているからこそ、彼の思わぬ行動に動揺せずにはいられない。
でも……。
「……私で、よければ」
求められることがうれしくて、気づけば触れられた腕をゆっくりと解き、そのまま彼の手にそっと自身の手を重ねていた。
どこか居心地がいいと思えるその空間。
彼が夕飯を口にする間、私はベッド横の椅子に座っていた。じっと食べているところを見られるのはさすがに嫌だろうと思い、きょろきょろと辺りを見回しながら時折、恭一郎さんの様子を窺う。
「やはり朔が作ってくれるご飯の方が圧倒的にうまいな」
「……そうですか?」
「ああ。早く自宅に帰って朔の手料理が食べたい」
今日の恭一郎さんはどこか甘えモードだ。普段見せないその姿に戸惑いながらも、今日襲撃を受けた彼の気持ちを考えると内心穏やかではないのだろうと思ったし、誰かにすがりたくなる気持ちは理解できる。
それでも、恭一郎さんの思いにすぐに応えて「家に戻ったらたくさん作ります」と言えなかったのは、さきほどの仁さんと恭一郎さんのやり取りが思い浮かんだから。
私がいることで恭一郎さんの立場が悪くなり、迷惑をかけているのだとすごく痛感した。本当は私のような人間は彼のそばにいてはいけないのだと思う。
でも、私は彼に強く惹かれ、恭一郎さんが私をこんな風に必要としてくれるならば、彼の近くにいたいと思ってしまう。その矛盾に心の葛藤は大きくなるばかりだ。
極道の世界に身を置く者と、ただの一般人。
どこまでいっても交わることのない線と線の上に私たちは立っている。
そして、彼がどんなに細心の注意を図ろうと、これからもこんな風な目に遭うかもしれない、そう思うだけで真っ黒な闇に支配されていく。
このタイミングで母の笑顔が頭に浮かび、胸がギュッと締め付けられた。
もう大切な人がいなくなるのだけは嫌だ。
「朔?」
「ごめんなさい」
内を巡る感情が抑えきれず雫が頬を伝う。決してこんな姿を見せたくはないのに、溢れ出す想いは止められそうにない。
「……恭一郎さんの好きなご飯をたくさん作って、信じて帰りを待ちますから。……だから、どんなことがあっても必ず帰ってきてください」
「……朔」
私の頬を伝う涙を優しく拭う恭一郎さんは、困ったように笑い私を見つめてくる。
「生意気ばかり言ってすみません……。でも……、私にとって恭一郎さんは大切な人だから。生きていてほしいんです。自分の思いばかり押し付けて本当にごめんな……」
「謝るな。朔の思いが聞けて俺はうれしい。だから……約束する。必ず朔のもとに帰ってくる」
彼は私の言葉を遮るようにそう言い、自分の胸へと私を引き寄せて強く抱きしめた。
思いもしなかった恭一郎さんの行動に一瞬、頭が真っ白になり固まる。
「朔……」
ふいに名前を呼ばれてハッと我に返りそのまま恭一郎さんの顔を見上げると、彼の瞳が間近に迫り、互いの唇がそっと重なった。
唇に触れた尊い熱に戸惑いながらもキスを拒む理由はなくて、むしろこの甘い世界にもっと溺れていたいとさえ思ってしまい、そっと瞳を閉じた。
「……んっ……」
互いの唇を貪るように何度もキスを交わすうちに恭一郎さんが私をベッドに引き寄せて、私の上に覆いかぶさった。
宙で交わった瞳は憂いを帯び、また切なげにも見えて急に不安に襲われる。
「朔、すまない」
どうして謝るのだろうと彼を見上げようとして目を逸らした。
今のキスは気の迷いだったと言われるのが怖くて、頭に浮かんだ疑問を口にすることを躊躇ってしまう。
「自分の気持ちを抑えようとしたが、もう無理だ」
降ってきた言葉は予想外のもので、思わず彼を見上げた。
「それは、どういう……意味ですか?」
不安と期待とが入り交じり、尋ねる声が震えた。
瞳を絡めたまま、舞い降りた沈黙。
シーンと静まる部屋とは対照的に、私の心臓はうるさいほどに鼓動を刻む。
「ずっとこの想いを伝えていいものなのか悩んでいたが、俺は……朔に強く惹かれている。朔のすべてを俺のものにしたいと子供じみた独占欲を抱くほどに愛おしくてたまらないんだ」
真剣な瞳が向けられる。静寂が破られると同時に初めて聞いた恭一郎さんの思いは、私の心の渇きを一瞬にして潤わせた。