書籍詳細
身代わり政略婚なのに、私を愛さないはずの堅物旦那様が剥き出しの独占欲で迫ってきます
あらすじ
「俺の妻であることを自覚しろ」御曹司の急加速する溺愛で、赤ちゃんを授かって…!?
密かに憧れていた、姉の元婚約者である御曹司・尊の妻になった依茉。しかしなかなか縮まらない距離に、自分は姉の代わりに過ぎないと痛感しては、切なさを覚えていた。ところが、ある出来事で尊の抑えていた独占欲が暴発!――「もっと夫婦らしくなろうか」激情の溢れ出した尊に蕩かされていく依茉。妊娠が発覚した彼女に、尊の溺愛は増すばかりで…。
キャラクター紹介
東雲依茉(しののめえま)
真面目で心優しい女性だが、幼い頃から優秀な姉と比較されて育つ。姉の婚約者である尊に密かに憧れを抱いている。
宝生 尊(ほうしょう みこと)
大企業の御曹司で、グループ内の社長も務める。他人と打ち解けないタイプだが依茉には甘く、激しい執着も見せる。
試し読み
翌日、パーティーの開始時刻に余裕を持って家を出た。
宝生堂の運転手が運転する車で最初に向かったのは、ラグジュアリーブランドの本店だった。
「宝生様、いらっしゃいませ。ご用命のものは奥にご用意しております」
尊さんは、慣れた様子で私の腰に手を添えて歩いていく。
反して、私は彼の手にもこの状況にも落ち着かなかった。
奥にあるVIPルームに通されると、その広さと高貴さに圧倒された。
実家でもドレスを購入したり着物を仕立てたりすることはあったけれど、ここまでの扱いを受けることは初めてだ。
「依茉はどれがいい?」
「えっと……」
ずらりと並んだドレスとバッグを一瞥した尊さんが、私を見下ろす。
けれど、私は選べそうになかった。
「俺が選んでもいいか?」
すると、彼は私の戸惑いの理由を察するように微笑み、一着のドレスを手にした。
それを体にあてがわれ、たじろぎながらも大人しく待つ。
「依茉は肌が白いから、どんな色を着ても映えそうだな」
誰に言うでもなく呟いた尊さんに、スタッフが笑顔で相槌を打っている。
「奥様は華奢でいらっしゃいますし、デコルテが綺麗に見えるデザインなんかもお似合いになるかと思います」
「確かにそうですね。……色は淡いものの方がよさそうだ」
前半はスタッフに、後半はほぼ独り言のように言われ、私は彼に渡されたドレスを持って試着室に足を踏み入れた。
パステル系のラベンダーカラーのドレスは、オフショルダーになっている。
シンプルなデザインだからこそ、上品さが際立っている気がした。
スカート部分は柔らかく、くるりと回ってみるとふわりと揺れる。それでいて、膝下丈であることによって、可愛さと美しさを醸し出していた。
鏡を見ても、素敵なドレスだなと思う。
ただ、私に似合っているのかがわからなくて、尊さんに見せる勇気がなかった。
「依茉? 着替えたか?」
「あっ、はい……!」
試着室の中でまごついていたけれど、声をかけてくれた彼を待たせるわけにはいかなくて、緊張しながらもドアを開ける。
「ああ、いいな。よく似合ってる」
しみじみと零した尊さんに、スタッフも大きく頷いた。
私は面映ゆいような感覚を抱きつつも、「ありがとうございます」と返した。
「次はバッグだな。靴は本当にそれでいいのか?」
「はい。これは尊さんにいただいたものですから」
私が履いてきたのは、尊さんに初めて会った日にプレゼントしてもらったもの。
ベージュ系でシンプルなデザインながらも、上品さがあってヒールは八センチのため、パーティーにもふさわしい。
彼は「そうか」と微笑み、バッグをいくつか手にしていった。
尊さんにとっては、あの日の出来事はとりとめもないことだったに違いない。
それをわかっていても、私にとっては彼との大切な思い出の靴だから、丁寧に手入れをしながら使ってきたものだ。
程なくしてバッグも決まり、ついでに……とジュエリーまで選んでくれた。
美しい艶を纏うパールのネックレスは、先日発売されたばかりの新作なのだとか。
主張しすぎない定番のシンプルなデザインで、今日のドレスや靴にもよく合っている。
「次はヘアメイクだ。すぐ近くのサロンを予約してある」
車に乗ると、芸能人御用達とも噂のサロンに連れて行かれ、個室に案内された。
背後のソファに腰掛ける尊さんに見守られながら、ヘアメイクが施されていく。
彼はタブレットで仕事をしていたけれど、ときおり視線を感じて……。何度か鏡越しに目が合い、そのたびに恥ずかしさと照れくささでドキドキしていた。
パーティー会場は、都内にあるグラツィオーゾホテルだった。
奇しくも、ここは尊さんと姉がお見合いをした場所でもある。
あのときとは違って夜だし、今の彼の隣にいるのは私だけれど……。あれ以来、初めて訪れたため、懐かしさを感じた。
そんな私を余所に、尊さんはいつも通りの様子でいる。
「今夜は依茉を紹介する機会でもあるし、父たちのこともあるから、基本的には俺の傍にいてくれ」
「はい」
「なにかあれば、俺を頼ってくれればいい。依茉は転ばないようにだけ頼むよ」
意地悪く唇の端を上げた彼を見て、それがからかいを含んだ冗談だと悟る。
「頑張ります……」
思わず唇を尖らせそうになったけれど、前科がある私は眉を下げた。
「冗談だ。依茉が転びそうになったら俺が支える。依茉は笑顔だけ忘れないでくれ」
上質な三つ揃えのフォーマルスーツを身に纏う尊さんの頼もしい表情に、鼓動が小さく高鳴る。
ドキドキしていることを隠すように瞳を伏せながら頷き、彼に差し出された腕にそっと手を添えるように絡めて会場に入った。
パーティーは天羽グループの会長の挨拶に始まり、和やかなムードだった。
私は尊さんについて回り、紹介された人たちに挨拶をしていく。
『はじめまして、妻の依茉です。夫がお世話になっております』というセリフを、頬が引き攣りそうなほど繰り返した。
並べられたご馳走を口にする暇なんて、ほとんどない。
手に持っているグラスにときどき口をつけ、渇いてばかりの喉を潤すだけで精一杯だった。
「疲れただろ。あともう少しだから」
「大丈夫です。まだ頑張れます」
「依茉はよくやってくれてる。予想以上だよ」
私はただ、笑顔で挨拶をしていただけ。
それなのに、彼に労ってもらえたことが嬉しくて、疲労感が吹き飛んだ。
パーティーも終わりの時間に近づいてきた頃、お義父様がやってきた。
これまで尊さんから挨拶に行く素振りはなく、ずっと会場にいたお義父様も私たちに冷たい目を向けていただけだった。
にもかかわらず、お義父様の方から私たちのもとに来たということは、なにか言いたいことがあるのだろう。
ちょうど周囲には人がいなくて、ずっとタイミングを窺っていたのだと察した。
「私が結婚を認めていないのに、よく尊の妻としてパーティーに来られたな」
予想はすべて当たっていたようで、お義父様は彼を一瞥してから私を睨んだ。
「父親も姉も身勝手で、厚顔無恥な一家だ。恥を知れ。私が君を認めることはない」
挨拶よりも先に一気に投げつけられた拒絶に、怯んで言葉が出てこない。
「俺の妻を侮辱しないでください。父親と姉のことは依茉には関係ない。それに、今日の俺たちは祖父の代理で来ています。それは了承済みのはずです」
尊さんは私を庇うように立ち、きっぱりと言い放った。
「私は納得も了承もしていない。会長の意向だから黙っていただけだ」
「だとしても、わざわざここで言うことではないでしょう。祝いの場ですよ」
真っ直ぐにお義父様を見つめる横顔には、意志の強さが表れている。
一歩も譲る気はない、と告げているようでもあった。
「まだ話があるなら、また改めて本邸でお聞きします。それから、俺たちのことを認めていただけていないのはわかってますが、近いうちにあなたを納得させるだけの成果を必ず出してみせます」
何事もなかったかのように振る舞う彼が、「行こう」と私の腰に手を添える。
尊さんが私を守ってくれたことは、とても嬉しかった。
けれど、お義父様に頭を下げることしかできなかった自分自身が情けない。
なによりも、彼の役に立てなかったことに密かに落ち込んでしまった。
そのままパーティーは終わり、尊さんは出席者の藤園拓真さんのもとに行った。
藤園さんは、『sorciére』というコスメブランドのCEOをしているのだとか。
国内シェアで上位を誇る『LILA』の御曹司で元専務でもあると、尊さんが教えてくれた。
パーティー会場に入ってすぐに紹介されたため、私も挨拶だけはさせてもらったけれど、グレーが混じったような碧い瞳が印象的な男性だった。
ロビーのソファに腰掛けた私は、緊張と疲労いっぱいの息を吐く。
(結局、ほとんど食べられなかったな……。お腹空いちゃった)
帰ったらなにか作ろうと考えていると、「尊はどうした」という声が降ってきた。
「お義父様……!」
「その呼び方はやめろ。気分が悪い」
傍に立っていたのはお義父様で、その隣には女性もいた。
力強い二重瞼の目に、高い鼻筋。腰まで届きそうな、ストレートのブロンドヘア。
姉とはまた違った美しさを持つ彼女は、外国の血が入っているように見えた。
「申し訳ありません……」
咄嗟に立ち上がって頭を下げたけれど、心臓がバクバクと鳴り始めたせいで不安と緊張が顔に出てしまったのがわかった。
「それより尊はどうした」
「今、出席者の方とお話に……。少し時間がかかるようです」
私は女性の存在を気にしつつも、恐る恐るお義父様と視線を合わせる。
すると、お義父様は不服そうな顔のままため息をついた。
「先に言っておくが、尊が仕事で結果を出そうが出すまいが、私がこの結婚に賛成することはない」
お義父様の目が隣の女性に移り、彼女が微笑む。
「尊には、君よりも遥かに宝生家にふさわしい女性と結婚してもらう」
「はじめまして、奥様。長妻エレンと申します」
優雅で余裕のある表情に、私はたじろいでしまいそうになった。
「今のうちにせいぜい覚悟しておくことだ」
お義父様が、私を見下すように鼻先でふっと笑う。
「尊だって、いずれは君との結婚が無意味なものだと気づく。そこまで愚かに育てた覚えはないからな」
まるで、刃のような言葉たちに胸の奥を抉られているような気分だった。
同時に、現実を突きつけられた。
たとえば、尊さんが仕事で成果を出し、周囲の人たちを納得させられたとしても、私がお義父様に嫌われている以上は私たちの結婚が認められることはないのだ……と。
彼の役に立ちたいと思っているのに、私にはその力がない。
なにもできないどころか、相変わらず足を引っ張るばかりだ。
身を小さくすることしかできずにいると、エレンさんがお義父様に笑顔を向けた。
「お父様、そろそろ行きましょう。父が待っています」
「ああ、そうだな。こんなところで油を売ってる暇はない」
「ええ、お父様のおっしゃる通りです」
お義父様は穏やかに微笑んでいて、こんな表情もする人なのか……と驚いた。
「エレンさんまで付き合わせてしまってすまなかったね。行こうか」
仲良く並んで立ち去るふたりは、まるで家族のように見える。
義父と息子の嫁という関係性だと言われても、まったく違和感がなかった。
尊さんが戻ってきたのは、それから五分も経たない頃のこと。
「依茉、待たせてすまなかった」
「いえ、そんなに待ってませんから」
笑顔を向けると、彼は「今夜は泊まっていこう」と言い出した。
「え?」
「部屋を取っておいたんだ。家に閉じ込めてばかりだから、たまにはこういうところで息抜きをするのも悪くないだろ」
驚く私の手を引き、尊さんはエレベーターに乗り込んで上階へと向かった。
どうやらチェックインは済ませていたようで、彼がカードキーで開けた部屋の中に促される。
地上四十階から見下ろす景色は、美しい以外の表現が見つからなかった。
「わぁっ……! すごく綺麗ですね!」
お義父様の言葉が頭から消えなくて、素直に楽しめない。
それでも、なんとか笑顔を繕うと、尊さんが私を真っ直ぐ見据えた。
「なにかあったか?」
一瞬、動揺を浮かべてしまったと思う。
「話したくないならこれ以上は訊かないが、無理に笑わなくていい」
心配してくれる彼に、どう言えばいいのかわからなかった。
今はまだ戸惑いや混乱で処理し切れていなくて、お義父様に言われたことを口にできなかったのだ。
「会場でお義父様にお会いしたとき、私……なにも言えなくて……。尊さんの役に立てなくて、申し訳なくなってしまって……」
これも本当のこと。
だからなのか、尊さんは疑う様子もなく「そんなことか」と苦笑を漏らした。
「気にしなくていい。父は頭の固い人だし、今は誰がなにを言っても俺たちのことを受け入れる気はないんだ。依茉のせいじゃない」
「でも……」
言い淀んだ私の頭を、彼がポンと撫でた。
「悪いのは、未だに周囲を納得させられていない俺だ。依茉には本当に申し訳ないと思ってる」
「そんなこと……!」
咄嗟に首を横に振れば、尊さんの瞳が穏やかな弧を描いた。
「依茉に嫌な思いをさせてしまったが、一緒に来てくれて本当に感謝してる。依茉は俺の妻としてしっかり役目を果たしてくれた。本当にありがとう」
「え?」
「だから、なにも気にしなくていい」
優しく微笑む彼に、どうしようもないほどに胸の奥が戦慄く。
そのうち本心を隠し切れなくなるんじゃないか……と思ったとき、尊さんの腕が伸びてきた。
「あのときと違って、今夜は俺のために着飾ってくれたと思ってもいいか?」
閉じ込められた腕の中で、鼓膜に甘やかな声音が響く。
背筋がぞくりと粟立って、このあとに起こることを安易に想像させられた。
顔を上げられないまま、恥じらいを抱えて小さく頷く。
すると、彼の指が私の顎を掬い、唇が降ってきた。
最初は、触れ合うだけのキス。
そして、唇を優しく食まれ、舌を搦め取られる。
吐息交じりに漏らした甘い声が、ふたりきりの部屋に響く。
抱き上げられてベッドに連れて行かれたときには、もう尊さんのことしか考えられなくなっていた。
肌に触れる唇が、私の体を丁寧にたどる指が、愛されていると錯覚しそうなほどに優しくて。それが嬉しくてたまらない反面、彼の心は決して私のものになることはないんだ……と思い知る。
傍にいられるだけでいいと思っていた。
けれど、今はもうそんな風に思えなくなっている私がいて、このままだと欲張りになっていく心に抗えそうになかった――。