書籍詳細
姉の代わりに推しの極上御曹司に娶られたら、寵愛を注がれて懐妊しました
あらすじ
「君を幸せにする。もちろん、お腹の子も一緒だ」美貌の旦那様は、身代わり新妻を求めてやまない
和菓子屋の娘・紗英には、伝統芸能界の御曹司・駿之介という幼馴染がいる。姉の許婚の彼を推しとして陰ながら応援してきた紗英だったが、姉が結婚を断ったことで嫁入りが決まり…! 名家の妻として努力する紗英に、駿之介もありったけの溺愛を注いでくる。ある疑惑が浮上するも、彼を信じ抜いた紗英はさらに激情を刻まれ、ついに赤ちゃんを授かり――。
キャラクター紹介
谷光紗英(たにみつさえ)
老舗和菓子屋の娘。家同士で交流があり、幼馴染の駿之介が初恋だが、ファンとして推しの彼を応援している。
松蔵駿之介(まつくらしゅんのすけ)
江戸時代から続く松蔵家のイケメン御曹司。伝統芸能の世界を背負って立つ、期待の星と言われている。
試し読み
「紗英、体調はどうだ? ちゃんと食べているか?」
駿之介は帰りつくなり玄関先に立つ紗英を気遣い、まだわずかに膨らんでいるだけのお腹の前に跪いて頬ずりをする。
「ただいま、パパだよ。長い間留守をして悪かったね」
ひとしきりお腹の子に話しかけたあと、駿之介が紗英の唇にキスをする。
「やっと、こうして紗英に触れられる……。毎日連絡は取り合っていても会いたくてたまらなかったし、源太が止めなかったら休演日に日帰りで帰京していたくらい寂しかった」
「私だって負けないくらい会いたかった。でも、お腹の子の事を考えて、どうにか我慢してたのよ」
二人は寄り添いながらリビングのソファに腰を下ろすと、顔を見合わせて何度となくキスを繰り返した。ひと月近く離れていたせいか、駿之介の温もりが身に染みる。
一年の内に舞台に立たない月はない駿之介だが、今年はもう都内の舞台を残すのみだし、来年の五月に予定されている名古屋での長期公演までは離れ離れに暮らさずに済む。
「紗英とお腹の子に、お土産を買ったよ。だけど、ぜんぶ持ちきれなくて半分以上宅配便で送ったんだ」
彼は両手にあまるほどの土産を持ち帰っており、それだけでもソファ前のテーブルがいっぱいになっている。
「そんなにたくさん? いったい何をどれだけ買ったの?」
紗英は半ば呆れながら駿之介に訊ねた。
彼は御曹司ゆえに世間知らずなところがあるし、お金にはまるで無頓着だ。
日常的に散財するわけではないが、ほしいものは躊躇なく買おうとするし、それができるほどの財力があるから始末が悪い。
これは、さすがにどうにかする必要がある――。
そう思い、二人で話し合いをした結果、駿之介がひと月に使える金額の上限を決める事になった。彼はそのほうが収支がわかりやすくなると喜び、現在はその他預貯金を含め、お金の管理はすべて紗英が管理している。
「ちょっと買いすぎたなとは思ったんだけど、紗英とお腹の子を思ったらいろいろとほしくなってしまって」
土産と言っても菓子などではなく、身体によさそうな食料品や乳児用のベビーグッズなどだ。
(ほんと、優しいんだから……)
きっと駿之介はこれらを選んでいる時、微笑んでいたはずだ。
彼は紗英と結婚して以来、表情が柔らかくなったと周りから言われているし、妊娠がわかってからはいっそう笑顔でいる事が増えた。
幼い頃から舞台優先の生活を送ってきた駿之介は、身の回りの事はほとんど付き人任せで、家事に至っては一切ノータッチだった。
けれど、家庭を持ってからはできる範囲で家の事を手伝うようになったし、この頃では身重の妻を気遣って何くれとなく世話を焼いてくれる。
それはとてもありがたいのだが、いろいろとおぼつかない様子を見ていると、つい口を出したくなってしまう。正直言って、自分でやったほうが早い。けれど、駿之介の気持ちがありがたくて、彼に任せて監督に回る事もしばしばだ。
「駿ちゃん、改めて九州公演お疲れ様でした。いろいろと大変だったでしょう?」
「紗英こそ、一人で心細かっただろうに。そういえば、お腹空いてないか? うどんならすぐに作ってあげられるけど、食べるか?」
「えっ、駿ちゃんがうどんを作るの? いつの間に、そんな事ができるようになったの?」
「今回付き添ってくれてた源太に教わったんだ。ホテルには簡単な料理ができるキッチンもついていたからね」
「そうなのね。じゃあ、お願いしようかな」
「了解。すぐできるから、ここで待っていて」
冷蔵庫のドアがバタバタと鳴ったあと、何かを刻む音が聞こえてくる。切れ切れに聞こえてくる包丁の音は、まったくリズムに乗っていない。刻んでいるのは、たぶんネギだ。コンコンと音がするのは、おそらく卵を割っているのだろう。
うどんを作る過程と聞こえてくる音を照らし合わせながら、紗英はハラハラしながらお腹を擦った。
(行って様子を見てみる? でも、せっかく作るって言ってくれているんだし……)
紗英はキッチンを気にしながらも、テーブルの上を片付け始める。
そうこうしているうちに、どんぶりを二つ載せたトレイを持って駿之介がリビングに戻ってきた。
「おっと……」
トレイにはコップも載せられており、歩くたびに中の水が零れそうになっている。
それでもなんとかテーブルまで辿り着き、駿之介がトレイをテーブルの上に置いた。
「あっ……コロッケうどん!」
紗英の前に置かれたのは、黄金色に揚げられたコロッケが載ったうどんだ。
「そうだよ。結婚前に二人でドライブに行った時に食べただろう? あれ、すごく美味しかったよな。公演中、どうしてもあれが食べたくなって劇場の近くのうどん屋に行ったんだけど、メニューになくてね――」
駿之介は、コロッケうどんを求めて源太とともに何件かうどん屋をはしごしたらしい。しかし、どこの店もコロッケうどんはやっていなかったようだ。
「そうなると、余計食べたくなる。源太に、それなら自分で作ったほうが早いって言われて、その足でうどんの材料と鍋やどんぶりを買ってきて作ってみたんだ。さすがにコロッケは作れなかったから、肉屋で買ったやつだったけど」
駿之介が、今どんぶりに入っているコロッケもそうだと言って笑った。
忘れもしない首都高速湾岸線のパーキングエリア。
あの時食べたコロッケうどんは、確かに美味しかった。そして、それは駿之介にプロポーズされた直前に食べた、想い出深い一品でもある。
「また今度どこかで一緒にコロッケうどんを食べようって約束したの、覚えているか?」
「もちろん、覚えてる。駿ちゃん、約束を破ったら針千本飲ますからなって言ったよね」
「そうだったな。これで約束を果たせた。またドライブに行って紗英といろいろなパーキングエリアでコロッケうどんを食べたいな」
「あちこち回って、食べ比べをするっていうのもいいわね」
思えば、結婚生活をスタートさせて以来まだ一度も二人きりでプライベートな外出をしていない。駿之介はそんな暇がないほど忙しいし、紗英もやる事が目白押しで息つく暇もないくらいだ。
源太に成り代わって車を運転して駿之介を送る事はあるが、それは送迎であってドライブではない。今までただがむしゃらに日々を過ごしてきたけれど、振り返って見れば、あっという間に季節が移り変わっている。
(まだしばらくは忙しくて無理だろうけど、いつか駿ちゃんとゆっくり旅行にでも行きたいな)
そういえば、落ち着いてからと思っていた新婚旅行もまだ行けていない。
しかし、かなり先まで公演の予定が入っているし、お腹にはすでに子供がいる。
なかなか気軽に旅行に行く事もままならないが、駿之介のスケジュール管理を任されている今、彼の慰安も兼ねて数日だけでも仕事を忘れてゆっくりした時間を取ってもいいのかもしれない。
「じゃあ、熱いうちにいただこうか」
駿之介に促され、紗英は彼とともに「いただきます」と言って箸を持った。
彼はすぐに箸でコロッケを崩すと、ふうふうと息を吹きかけながら、うどんを食べ始める。
「その食べ方って……」
「うん、紗英の真似だよ。九州でもずっとこうやって食べていた。たぶん、三日に一度は食べていたんじゃないかな」
「そんなに?」
「そうだよ。あ、ちなみにこの卵を落とすっていうのは僕の発案なんだ。源太と二人でかき玉にしたり今夜みたいに半熟にしたりしてね。どうかな? お腹の子のためにも、紗英には栄養を取ってもらわないと、と思って――」
嬉しそうにそう話す駿之介の顔は、まるで初めての調理実習で上手くいった時の子供みたいだ。
二人で食べた想い出のメニューを覚えてくれていた事、それにアレンジを加えて一生懸命作ってくれた事――。
それが心の底から嬉しくて、紗英は自然と笑い声を漏らした。
「ふふっ……すごく美味しい。卵はいい感じに半熟でトロトロだし、ネギもたっぷり入ってて」
箸で摘まんだネギが、ところどころ切れておらず繋がっている。
それを見て、駿之介が声を上げて笑った。
「しまった。ちゃんと切ったつもりだったのに、ちょっと急ぎすぎたかな。ネギを切るのもかなり練習したんだよ。源太に『猫の手ですよ、坊ちゃん』なんて言われて、そういえば紗英もこうやって切っていたなって……」
駿之介がうどんを食べる手を止めて、紗英のほうに向き直った。じっと目を見つめられて、またキスをくれるのかと思って自然と顎が上向く。
「紗英、これからはもっとまともに料理の手伝いもするし、新しいメニューにもチャレンジする。だから、僕に料理を指南してくれないか? 手間だし時間もかかるだろうけど一生懸命取り組んで精進しますから」
駿之介が自分の太ももに手をついて、丁寧に頭を下げる。
紗英はびっくりして口をあんぐりと開けた。
「わ、私が料理の指南を……? でも、私なんかただの素人だし、作るにもレシピがないとダメな時もあるし。と、とりあえず頭を上げて。ねっ?」
夫とはいえ、彼は灘屋の未来を背負って立つ存在であり、昔も今も変わらない紗英の最推しの人だ。
そんな駿之介に頭を下げられ、紗英は箸を持ったままあたふたする。
「僕からしたら紗英は素人じゃなくてプロだ。料理だけじゃなく、妻としてもプロフェッショナルだよ」
「そ、そんな、大袈裟だよ」
「いや、大袈裟でもなんでもない。紗英はきちんと妻としての役割を果たしてくれているし、周りからの期待に応えようと必死に努力してくれている。紗英が頑張る姿を見て、僕ももっと見習わないといけないと思えるんだ」
「駿ちゃん……そんなふうに言ってくれてありがとう。すごく嬉しいし、励みになる。でも、プロはちょっと言いすぎかな。せめて、セミプロって事にしない?」
「セミプロ? ふっ……紗英は謙虚だな。そういうところも含めてプロ級なんだけどな。ところで、さっき口がタコみたいになっていたけど、なんでだ? もしかしてキスをされるのかと思っていたんじゃないか? そうだろ」
顔をグッと近づけられ、目をじっと覗き込まれる。
駿之介の目の奥がキラリと光った。それと同時に、彼の身体全体から、そうとはっきりわかるほど強い〝雄〟のオーラが出始めた。
「えっ、えっ……それは、その……」
発せられるオーラがだんだんと強くなり、それに気圧されるように紗英の上体がうしろに倒れていく。
駿之介の手が紗英の背中を抱き込み、二人の距離がより近くなった。
「いいから正直に言ってごらん。紗英は僕とキスがしたかった。そうだね?」
夫のいつになく男性的な魅力に圧倒され、紗英は今や座りながら腰が抜けたようになってしまう。
「そうだとお言いっ!」
突然、駿之介の放つオーラの雰囲気が変わった。
色に例えれば、燃え盛り始めた炎のような赤から、仄暗い白に。
生き物で言うなら獲物を得ようとする若虎から、美しくも妖しい白狐みたいに。
「ふ……ふぇ……」
その移り変わりを目の当たりにして、紗英は目を見開いたまま動けなくなる。
今紗英の目の前にいるのは、駿之介であって駿之介ではない。
紗英は彼に魅入られたようになって、うっとりとその姿に見惚れた。すると、今度は打って変わって妖艶な表情になり、ねだるような声音で紗英を口説いてくる。
「お願いでございます。そうだと言ってくださりませ」
舞台で見る早替わりのように目まぐるしく変化する駿之介を前に、紗英はもうなすすべもなく腑抜けてぐったりと彼の腕にもたれかかった。
二人で行った初めてのドライブデートに、熱々のコロッケうどん――。
駿之介は夫婦の想い出を、こんなにも大切にしてくれている。そんな最高の伴侶である彼が、妻を裏切るような事をするはずがない。
紗英は駿之介の変化自在な色香に酔いながらも、そう確信した。
ならば、さっさと鳥居母子について訊ねて、疑惑を綺麗さっぱり払拭すればいいだけの話だ。そう思うものの、今の甘い雰囲気から抜け出すなんて離れ業は、できるはずもなく――。
「紗英、愛しているよ……紗英がそばにいてくれるだけで、僕は……」
言葉尻がキスに変わり、唇の隙間から温かな舌が入ってくる。
紗英はそれを口の中に招き入れると、静かに目を閉じて駿之介からの溢れるほどの愛情を甘受するのだった。