書籍詳細
跡継ぎ目当てのはずが、転生聖女は氷の大公から予想外の溺愛で捕らわれました
あらすじ
「何度でもきみを愛し抜く」恋愛未経験のバリキャリ女子が転生したら、初めての熱情を刻み込まれて――
継母に虐げられてきた王女・セラフィナは、実母の故郷の皇国に養子が決まったその日、前世を思い出す。それは仕事一筋の恋愛未経験女子だったというもので、少し落胆してしまうが、皇国に着いたセラフィナは前世の記憶を持つ聖女として迎え入れられ…! その上、婚約者になった大公・オスカリウスは、前世の初恋の人にそっくりで…!? 「氷の大公」と呼ばれる冷徹な彼の評判を忘れるほど、過保護に溺愛されるうち、セラフィナの身も心も甘く溶かされていき――。
※本作は魔法のiらんど他Web上で公開された『アラサー聖女は懐妊するまで氷の大公に溺愛される』に、大幅に加筆・修正を加え改題したものです。
キャラクター紹介
セラフィナ
バランディン王国の王女で、ひたむきな強さを持つ女性。生まれたときから胸元に雪の結晶の形をした痣がある。
オスカリウス
極北の大国・アールクヴィスト皇国で騎士団を率いる。クールな容姿と言動で「氷の大公」と呼ばれ恐れられている。
試し読み
衛兵により正門が閉められる。
はらりと舞い降りてきた粉雪を見上げた。
オスカリウスは淡いブルーのポンチョをまとったセラフィナを促す。
「寒いだろう。ティールームでお茶を飲まないか」
「ええ、いただくわ」
ティールームは宮殿にいくつかある談話室である。
室内に戻ると、控えていたマイヤがポンチョを脱がそうとするが、それをオスカリウスが制した。
彼はセラフィナの背後から、ポンチョをそっと脱がせる。
どきんと胸が弾んでしまう。オスカリウスはセラフィナの体に触れないよう、慎重かつ繊細な仕草で脱がせた。それがいっそう羞恥を煽られた。
マイヤにポンチョを手渡したオスカリウスは平然としているので、他意はないのだろう。淑女へのエスコートのひとつに過ぎない。意識するほうが気にしすぎなのかもしれない。
頬を染めているセラフィナを目にしたオスカリウスは、わずかな動揺を見せた。
彼は気まずそうに咳払いを零す。
「皇配候補としての義務だ」
もはやオスカリウスの決め台詞となっているその言葉に、セラフィナは笑みを浮かべる。
「そうね。義務よね」
「うむ。――椅子にかけたまえ」
セラフィナの背に、大きなてのひらが添えられる。触れるか触れないかくらいの丁重さでエスコートされて、セラフィナは椅子に腰を下ろした。
暖炉の火が暖かく部屋を包み込んでいるティールームは、深い緑色をした天鵞絨張りの椅子に趣がある。重厚なティーテーブルには、サモワールと呼ばれる湯沸かし器が置かれている。
黄金色の蛇口から、沸かした湯をティーポットに注いだマイヤは、サモワールの上端にポットを置いて蒸らした。こうしておくと紅茶が冷めないのである。
その間にレモンの輪切りや砂糖、ジャムを入れた壺がテーブルに並べられた。
やがて茶葉が蒸らされると、青い薔薇が描かれた陶器製のティーカップに濃いめの紅茶が注がれる。
オスカリウスが指先でテーブルの手前を指し示した。その優雅な仕草は生まれながらの貴公子らしさが滲み出ていて、思わずセラフィナは見惚れる。
するとマイヤが丁寧な所作で、ふたつのティーカップをオスカリウスの前に差し出した。
あら、とセラフィナは首を捻る。
ティーカップは二客あり、それぞれがオスカリウスとセラフィナの分だと思われるが、どういうことだろうか。
オスカリウスは砂糖壺の蓋を取ると、スプーンを手にした。
「砂糖はいくつかな?」
「……ひとつ」
そう言うと、彼はふたつの紅茶に一杯ずつ砂糖を入れる。
オスカリウスが自ら砂糖を入れるために、二客のティーカップを自分の前に持ってくるよう指示したのだ。
「レモンはいかがかな」
「それじゃあ、いただくわ」
彼は別の壺の蓋を取り、サービングトングで挟んだ瑞々しいレモンの輪切りをふたつのティーカップに入れる。
これまで不遇だったセラフィナは、紅茶を飲んだ経験すらほとんどなかった。
それなのにこうしてオスカリウスが世話を焼いてくれることに、感激を覚える。
冷遇されていたセラフィナでなくとも、男性にこうして女性が気遣われるのは稀有なことだろう。
ティースプーンで緩やかに飴色の紅茶をかき混ぜると、オスカリウスはひとつのティーカップをセラフィナの前に差し出した。
「ありがとう……」
「礼には及ばない」
冷然としてそう言う彼だけれど、本当に義務と思っているのなら、もっと迷惑そうな素振りが表れるのではないか。
オスカリウスなりの思いやりなのだと解釈したセラフィナは、精緻な模様が描かれたティーカップを手にした。
芳しい紅茶の香りが、心を落ち着かせてくれる。
ひとくち紅茶を口にすると、ほっとする優しさを感じた。
「とても美味しいわ……」
感慨深く述べると、マイヤが悪戯めいた笑みを見せる。
「ありがとうございます」
「ふふ。マイヤが淹れてくれた紅茶だものね」
オスカリウスは肩を竦める。
「そのとおり。俺は砂糖とレモンを入れただけだからな」
セラフィナが笑うと、嘆息を零したオスカリウスは紅茶に口をつけた。
ティーカップを置いたセラフィナは、改めて彼に話す。
「クロード夫人の件では、皇国に迷惑をかけて本当に申し訳ないわ。私が至らないために、夫人を増長させてしまったの」
ヴィクトーリヤは主のセラフィナに責任があるとはひとことも言わなかったが、それがなおさらセラフィナを猛省させた。
白磁のティーカップを手にしていたオスカリウスは、つとソーサーに戻した。
「きみのせいではない。俺は初めからクロード夫人の態度に不審なものを感じていたので、マイヤに見張らせていたのだ。料理長からも様子がおかしいという証言を得ている。夫人の悪行を暴くには証拠が必要だったため、すぐに庇うことができず、こちらこそ申し訳なかった」
深く頭を下げる彼からは誠実さが表れていた。
はっとしたセラフィナは、慌てて手をかざす。
「頭を上げてちょうだい。こうして解決に至ったのは、オスカリウスのおかげだわ。マイヤが来なかったら、私は危ない目に遭っていたから」
顔を上げたオスカリウスは紺碧の双眸に真摯な光を宿す。
そこには最悪の事態を想定した険しさがあったが、同時にセラフィナへの憐憫も含まれていた。
「これからは、つらい思いはさせない。俺がそばにいないときは、マイヤが身を守るから安心してくれ」
オスカリウスの言葉を受けて、そばに控えているマイヤは薄く微笑んだ。
夫人の一件以来、マイヤはセラフィナ専属の侍女として忠実に仕えてくれている。
そういえば、クロード夫人に叩かれそうになったときの対処の仕方が常人離れしていたが、彼女はほかの侍女とは異なるのだろうか。
「マイヤはいったい、何者なのかしら……? なんだか訓練された兵士みたいな俊敏さがあるわよね」
「――もうお気づきかもしれませんが、わたしはふつうの侍女とは少々異なりまして……」
ティーポットから紅茶を注ぎ足しながら、マイヤはちらりとオスカリウスの顔をうかがう。
咳払いを零したオスカリウスが補足した。
「ここだけの話だが、マイヤの本来の職務は侍女ではない。彼女は宮廷専属の聖女騎士団の所属で、俺がスカウトして直属の部下にしたのだ。つまり、諜報員のようなものだね。格闘技にも長けているので、暴漢が現れたときなど重宝するよ」
「まあ……そうだったのね」
宮廷専属の聖女騎士団員は、一般的な騎士団とは異なり、正体を隠して活動しているという。暗殺を恐れる皇族などが専属で雇うこともあるので、宮廷でも暗躍する存在だ。
まさか小柄で少女のような容貌のマイヤが凄腕の聖女騎士団員とは意外だったが、彼女がいてくれたからこそ、セラフィナはクロード夫人の魔の手から逃れられたのだ。そしてなによりも、マイヤを派遣してくれたオスカリウスのおかげだった。
彼らの恩に報いるためにも、この国で立派な皇女になろうとセラフィナは誓った。
数日後、いよいよ女帝に謁見する儀式の日がやってくる。
儀式を通過すれば、正式な皇女として内外に認められるのだ。
セラフィナは緊張を滲ませつつ、オスカリウスから贈られたアイスグリーンのドレスに身を包む。
純白のロンググローブをつけて、髪は皇国式に結い上げる。品のある化粧を施し、儀式用のティアラを冠すると、支度は完了した。
楚々とした気品がありながらも、芯の通った美しさだ。
着替えを手伝った侍女たちは感嘆の息をつく。微笑んだマイヤは褒めそやした。
「お美しいです。セラフィナさま」
「ありがとう、マイヤ」
鏡に映っている姿は自分とは思えないほど輝いていた。
もう、背を丸めていた惨めな王女はどこにもいない。
セラフィナは誇らしく背を伸ばし、前を向く。
微笑を浮かべて堂々と歩み、セラフィナは謁見の間へ入場した。
壮麗な謁見の間は、白亜の大理石の床と柱が眩く煌めいている空間だった。
真紅の絨毯が敷かれているその先の玉座に、女帝ヴィクトーリヤが鎮座していた。
彼女の頭には、大粒のダイヤモンドがちりばめられた王冠がのせられている。それはアールクヴィスト皇国の君主のみが戴冠することを許された、女帝の証だ。
もしセラフィナが女帝になる日が来たなら、白銀に輝く王冠を戴くことになる。
その覚悟をもって、一歩一歩を踏みしめた。
絨毯の両脇に豪奢な衣装で佇む皇族や貴族、大臣たちの視線を受ける。
彼らの先頭にいて、こちらに熱い眼差しを向けているのはオスカリウスだ。
女帝の甥であり、セラフィナの皇配候補である彼も、儀式に参列している。
目で挨拶を送ったセラフィナは、オスカリウスが顎を引いて、小さな頷きを返してくれたのを受け取る。
女帝の側近が、セラフィナの名を呼び上げた。
「バランディン王国、王女セラフィナ――」
講義で習ったとおり、セラフィナは玉座の階段下まで辿り着くと、歩みを止めた。
両手でドレスの端を抓み、やや頭を下げる。これが皇国式の、淑女の礼だ。
すると、玉座の女帝がセラフィナを優美な仕草で手招いた。
「もっと、こちらへ」
命じられたので、セラフィナは階段を一歩上る。
だが、そこで止まる。
階段は五段ほどあるが、ヴィクトーリヤは玉座まで来るようにとは命じていないからだ。
これは講義で教えられたことではなかった。セラフィナはそう感じ取った。
謁見の間には緊迫が満ちた。
女帝はセラフィナ王女が帝位を継ぐに足る覚悟があるかを、今一度問いかけている。
「もっと」
セラフィナはもう一段、階段を上がった。
あと、三段。
残りの三段を上がれと女帝は命じることなく、自ら立ち上がった。そしてヴィクトーリヤは、すっと右手の甲を差し出す。拝謁を許すという所作だ。
手の届くところまで階段を上ったセラフィナは、女帝の右手を両手で持つ。忠誠を込めて、白い手の甲にくちづけを落とす。
この行為は、セラフィナが女帝に次ぐ地位にあることを認めるという表れだった。
女帝が命じなければ、拝謁するのは許されないのである。
ヴィクトーリヤは高らかに宣言した。
「たった今、わたしは娘を得ました。アールクヴィスト皇国の皇女セラフィナは、帝位継承者の地位を有します」
セラフィナは深くお辞儀をした。
参列した人々から拍手が湧き起こる。
正式に皇女となったセラフィナは、女帝への一歩を踏み出したのだった。
帝位継承者が誕生した祝賀行事として、その夜は女帝主催の夜会が催されることになっていた。
儀式を終えたセラフィナは、控え室に戻った。一息ついて椅子に腰を下ろす。
無事に終わって、よかったわ……。
皇女として認められた感慨が胸に沁みた。これからはアールクヴィスト皇国の一員として、皇国の発展と平和のために残りの人生を捧げよう。
セラフィナはもう虐げられた王女ではないし、バランディン王国に所属する人間ではなくなった。
虐げられていた自分がバランディンに対してできる務めはもう果たしたことが、心からの安堵をもたらす。
控え室として宛てがわれた宮殿内の一室では、侍女たちが夜会の支度に取りかかっている。これから夜会用のドレスに着替え、髪を結い直すためだ。
そこへ、オスカリウスが入室してきた。
「おつかれさま。素晴らしい儀式だった」
「オスカリウス! この日を迎えられたのはあなたのおかげだわ。本当にありがとう」
それに、彼が贈ってくれたドレスがなければ、セラフィナは儀式に参加できなかっただろう。
セラフィナが椅子から腰を上げると、彼は軽く手を上げる。
皇女であるセラフィナからオスカリウスのもとへ向かうのは、宮廷内では礼儀に反するのだ。
立ち上がったまま留まっていると、オスカリウスはセラフィナのそばへやってきた。ただし、紳士として適切な距離を保つ。
「陛下はきみを帝位継承者として認めた。すなわち俺も、正式にきみの婚約者と認定されたといっていい」
ごくりと唾を呑み込んだセラフィナは、重責を噛みしめる。
ふたりは未来をともにする正式なパートナーとなった。
オスカリウスの将来が幸せなものになるかどうかは、セラフィナが女帝になれるかにかかっている。
帝位継承者だからといって、必ず帝位を継げるとは限らない。
セラフィナの魔法がわずかなものであることには変わりなかった。
すなわち、ほかに皇族の血を引く有能な魔法の使い手がいたならば、その人物がセラフィナの地位を脅かすことになりかねないのだ。
それに、帝位を継承する条件には懐妊も含まれている。
今後はそのことについても相談が必要だが、セラフィナにはまだ考えられなかった。
自分の命運が、オスカリウスの将来も決めてしまうという重みを背負うので精一杯だ。
「――そうね。オスカリウスを皇配にするため、私は努力するわ」
オスカリウスは双眸を細めて、毅然と言うセラフィナを見つめる。
「野心があるわけではないが、俺は皇配になる必要がある」
「……そうなのね」
彼の思惑はまだわからない。今は聞かないでおこうと思った。彼から明かしてくれるまでは。
オスカリウスが手を差し出したので、セラフィナはその手を握る。
ふたりは固い握手を交わした。
彼の紺碧の双眸と視線が絡み合う。
なぜか羞恥が込み上げてきたセラフィナは視線を外す。
握手をほどくと、オスカリウスは気まずそうに咳払いを零した。
婚約者とはいえ、ふたりの間には未だたどたどしい空気が漂う。
「そういえば――夜会に着てもらいたいドレスがある。あのときは間に合わなかったが、別で用意していたそれを持参したのだが、見てもらえるだろうか」
「ええ、もちろん」
オスカリウスが控えていた従者に合図を出す。従者は抱えきれないほどの大きな箱を持ってきた。
心得たマイヤがトルソーを用意する。
侍女たちの手により、箱のリボンが解かれ、蓋が開けられる。
中から現れたのは、鮮やかなサファイヤブルーのドレス。
セラフィナは感嘆の声を上げた。
「なんて素敵なドレス……! これはまさか、オーダーメイドでお願いしたドレスなの?」
きらきらと光を受けて輝くサテンのドレスには繊細なレースやリボンがあしらわれ、幾重にもフリルが施されている。
なによりもセラフィナの心を躍らせたのは、ドレスが寸分違わず、オスカリウスの紺碧の瞳と同じ色だったことだ。
「そのとおり。ぜひ夜会で着てほしくてね」
「嬉しいわ……ありがとう。なにかお礼をさせてちょうだい」
「礼はいらない。このドレスをまとったきみを俺に見せてくれるだけでいい」
「ええ。今日の夜会で着させてもらうわ」
侍女たちがトルソーにサファイヤブルーのドレスを飾る。
美しく光り輝くドレスをうっとりと眺めるセラフィナに、オスカリウスはしばらく逡巡していたが、やがて口を開いた。
「実は……きみにまだ言っていないことがある」
「なにかしら?」
振り向いたセラフィナから視線を逸らしたオスカリウスは、顎に手を当てて考え込むようなポーズをした。
「きみがここに来た初日に言っていた……ツキシロのことだ」
「えっ?」
前世で会社の御曹司だった月城リオンの名前が出たので、セラフィナは驚いた。
オスカリウスが月城ではないかと出会ったときに訊ねたが、彼は知らないと言っていたはず。
それなのに、どうして今頃になってオスカリウスの口から月城の名が紡がれたのだろうか。