書籍詳細
お見合いから逃げ出したら、助けてくれた陸上自衛官に熱烈求婚されることになりました
あらすじ
「約束する。一生かけて幸せにするって」一途で甘々なエリート自衛官に迫られて――
実母から虐げられて育った利香は人付き合いが苦手。ある日お見合い相手から強引に迫られ困っていたところを、陸上自衛隊の精鋭部隊・第一空挺団に所属する巡に助けられる。熱烈なアプローチを受け彼に惹かれる気持ちを自覚するも、自信のなさから踏み出せない利香。けれど巡の甘く包み込むような愛情で、固く閉ざしていた心は熱く溶かされ――。
キャラクター紹介
栢木利香(かやきりか)
自分の気持ちより周りを優先しがちな優しい性格。過保護な自衛官の兄が二人いる。
廣永 巡(ひろながじゅん)
陸上自衛隊・第一空挺団所属の自衛官。恋愛に淡泊だったが、利香へは一途に愛を注ぐ。
試し読み
『大陸まんぷく飯店』の店内は、日曜日だけありかなり賑わっていた。
入口では古いホテルのロビーに吊るされているような、小さめのシャンデリアが出迎えてくれる。開店した当初は煌びやかな内装が流行っていたのか、高い天井に金色に似た壁紙。背の高い観葉植物があちこちに置かれ、レジ下のショーケースのなかには子供向けの簡易なオモチャが並べて売られていた。
当初は高級志向だったのかもしれない、そんな名残のあるお店だ。
入店した私に気づいて出迎えてくれた店員さんに、すでに先に家族がきていると伝える。
『大陸まんぷく飯店』の広い店内はテーブル席とお座敷で仕切られている。だいぶ年季の入った店内だけど、清掃が行き届き脂でベタつく不快感などはまったくなく、ほぼ満席だ。
排煙システムが働いているので煙たくはないが、空腹を刺激する焼けた肉のいい匂いで満たされている。
私がはじめて連れてきてもらったときから、『大陸まんぷく飯店』はすでにいまでいうレトロな感じだった。ファミリーレストランのような雰囲気で、子供連れでも来店できる気兼ねない造りだ。
ずっと長い間、たくさんのお客さんに愛され営業を続けているのだろう。私たち家族も、節目やお祝いのときなどに食事の候補に挙げるお店だ。
子供の笑い声やはしゃぐ声、肉の焼ける音があちこちから聞こえる。
店内に進みきょろきょろと見渡すと、奥のテーブル席から逞しい腕が私に向かいひらひらと振られていた。それから、涼兄ちゃんが中腰で顔を出す。
「利香~っ」
涼兄ちゃんが周りを気にしながら、あまり大きな声にならないボリュームで私を呼ぶ。
私は小さく手を振り返しながら、一番奥のテーブルに近づいていった。
「利香、日曜日に呼び出してごめんなぁ」
翔兄ちゃんが、申し訳なさそうに私に謝る。
「いいよ、大丈夫。それに今日は翔兄ちゃんのおごりだって、涼兄ちゃんから聞いてるから」
翔兄ちゃんが気にしないように明るく振る舞うと、翔兄ちゃんの隣、奥側に座っていた男性が私にぺこりと頭を下げた。
──……っ、心臓が止まるかと思った。状況が呑み込めなくて、目を丸くしてしまう。
どこのアイドル、または俳優さん?と兄たちふたりまとめて聞いてみたくなるほどのイケメンがそこにいた。
聞いてない。いや、後輩さんがいるとは聞いていたけど……えっ、もしかしてお兄ちゃんたちと同じ自衛官なんだろうか。
「はじめまして。涼先輩と翔先輩にお世話になっています。2等陸曹、廣永巡と申します」
狭いテーブル席でもなんなく立ち上がり、自分の名前を名乗った男性は深く頭を下げて挨拶をしてくれた。
綺麗に整えられた眉にくっきり二重の目、すっと高い鼻に、薄く形の良い唇。口角が上がり、ひと目で誰もが好印象を持つだろう、明るい雰囲気がある。
背も高く、清潔感もある。お兄ちゃんたちの後輩さん、自衛官ではなく芸能人かその関係の人みたいだ。
黒髪が窓際から入る陽光に当てられキラキラと光り、パーカーとジーンズというラフな服装なのに、ここは撮影現場か?と思うくらいにそこだけ次元が違っていた。
私を見つめながら、にこっと笑みを浮かべている。
「びっくりするよな、巡がかっこよくて」
「……っ、ごめんなさい! 兄たちがお世話になっています。妹の、栢木利香です」
私は涼兄ちゃんの声で、後輩の廣永さんの顔に思いっきりみとれてしまっていたことに気づいた。
慌てて挨拶をして頭を下げると、涼兄ちゃんは「利香はこっち」と私を隣に座らせてくれた。
窓際の涼兄ちゃんに、その隣には私。向かいには翔兄ちゃんと、窓際には廣永さんだ。
私と廣永さんは、斜めに向かい合い改めて顔を見合わせお互いに頭を下げた。
「巡はオレらと同じ、空挺団所属なんだよ。歳はオレのふたつ下なんだ」
涼兄ちゃんから紹介されて、この人も空から降りてくる人なのだとわかった。
私はすぐに自分の鞄と一緒に持っていた小さな紙袋を廣永さんに差し出した。
「あの、これ良かったら……。お誕生日おめでとうございます。涼兄ちゃん、あ、兄から電話でお誕生日の食事会だと聞いていたので」
さっき駅で見つけた、チョコレートの詰まった小さな缶の入った紙袋を廣永さんに緊張しながら手渡す。
「わ、いいんですかっ」
わあっと、嬉しそうに廣永さんは両手で紙袋を受け取り、一瞬目を見開いた。
「チョコレートなんです。良かったらおやつにでも食べてください」
「ありがとうございます……! これ、テリーヌのコラボ限定品ですよね」
中身を見て、すぐに気づくなんて驚いた。
テリーヌとは、昔から国民的人気のある白い犬のキャラクターの名前だ。ふわふわの小さな子犬がモチーフで、シンプルな一筆書きに似たタッチがさりげなく可愛いと長く評判なのだ。
シンプルゆえにどの世代からの支持も高く、色々な企業とのコラボグッズ展開やコラボカフェもオープンしている。
廣永さんに買ったチョコレートも、綺麗なブルー一色の細長い缶の中央に、寝転んだテリーヌがしゅっと小さく描かれていた。
たまたまポップアップストアを見つけて、なんとなく気になって並んで買ったのだった。
「そうです、限定品みたいです。駅近くのポップアップストアに行列ができていて、ひと目で可愛くて釘付けになってしまい並んじゃいました」
テリーヌとチョコレートがコラボした小粋なポスターを見たとき、このデザインなら男性に贈っても問題なさそうだと判断したのだ。
「嬉しいです。有名なパティシエ監修で、チョコレート会社とコラボしてるんですよ。この缶は今回の限定品です、まさか貰えるとは思わなかったです」
キラキラと目を輝かせ一気に語る廣永さんに、涼兄ちゃんが不思議そうに聞く。
「巡、詳しいな」
「あっ、や、SNSでも話題なんですよ。転売も多くてなかなか手に入らないって」
廣永さんはそう言うと、私にまた丁寧にお礼を言い大事そうに紙袋ごとチョコレート缶を自分の鞄にしまった。
それから話題を変えるように、廣永さんは端に寄せてあった未開封の布おしぼりを手渡してくれた。
「お水のグラスも、渡しても大丈夫ですか?」
七輪が狭いテーブルに置かれているので、グラスや皿などは各自工夫しないと置けない。廣永さんはそれを考慮してくれているようだ。
「はい、平気です。置けなかったら手に持ってるんで……」
うっかりした私の返事に、翔兄ちゃんが楽しそうにふっと笑う。それを見て、しまったと思った。
変なことを口走ってしまった。
片手にずっとグラスを持ったまま、肉を焼いたり食事をするなんてへんてこな光景だ。空いたお皿は迅速に下げてもらったりして、いつもは上手くスペースを作っているのに。
緊張のあまり、なにも考えないでポロリと答えてしまった。
それが顔に出ていたのか、翔兄ちゃんはフォローするように声をかけてくれた。
「じゃあ、利香が食べてる間は僕がグラスを持ってるよ。それか利香に焼肉をあーんして食べさせてあげる」
翔兄ちゃんは背が高く体格も良くて、パッと見は涼兄ちゃんと同じ完全な体育会系だ。だけど性格は賑やかな涼兄ちゃんとは正反対。穏やかで静かで。いつもぼそっと小さな声で冗談を言ってくれる。
「翔兄ちゃんっ」
「冗談だよ。先に頼んだものが届くと思うけど、利香もメニュー表を見て好きなの頼むんだよ。とりあえず飲み物はなにがいい?」
大きなメニュー表を手渡され、私は火照ってしまった顔を廣永さんから隠すように広げた。
そのうちに、次々と肉をのせた皿が運ばれてくる。脂が輝くカルビ、目を惹くロース、ぷりぷりのホルモンに、ドンっと厚く切られレモンが添えられた牛タン。どの皿も五人前以上は肉がのっている。
四人でなんとかその皿をテーブルに置き、涼兄ちゃんは追加で貰ったトングを各自に渡した。
「今日は誰にも気を遣わないでいいから。七輪の、この陣地を四つに分けて自分のペースで焼くように」
煉炭で熱気を放つ七輪の網の上で、涼兄ちゃんはトングを使って十字を切った。
「レンジャー!」
廣永さんが、楽しげに返事をする。
厳しい自衛隊のなかで、更に過酷な教育課程を経てなれるのが“レンジャー”だと、お兄ちゃんたちから聞いている。
たとえどんな酷い状況でも率先して飛び込んでいくための訓練中、許された返事は『レンジャー!』のみだと。
精鋭部隊である第一空挺団の隊員たちも“空挺レンジャー”という課程が必要なんだと教えてもらった。
国防に関する仕事なので、家族に話せない秘密も多い。それに危険を常にともなう体を張った仕事を心配する私に、お兄ちゃんたちは熱意とやり甲斐を伝えたくさんの説明をしてくれる。
家族を、大事な人を守りたいと語る兄たちは、とても頼もしい。なにかあっても全力でやった結果だから悔いはないと、そう手紙を貰ったときには母と大泣きしてしまったこともあった。
廣永さんの返事に笑う兄たちからは命を預け合う信頼関係が見えた。
兄たちが心から信頼している人に会わせてもらえて良かった。
この人は私みたいに守られてばかりでなくて、兄たちを守ったりもできるんだ。
頼りにされているのが、羨ましく思う。
私は嬉しい気持ちに笑い、ほんの少し寂しい気持ちは顔に出さないように呑み込んだ。
それからはもう、楽しい焼肉会になった。
私たちきょうだいが子供の頃から柔道を続けていた話や、廣永さんの弟さんの話。ふたつ年下で性格は大人しめで、いまは都内で生活をしてらっしゃるそうだ。
あとこれは秘密なんだけど……と、隊舎にまつわるちょっと怖い話を教えてくれた。
お兄ちゃんや廣永さんはご飯の大盛りを何回も頼んで、お肉もどんどん焼いていく。
隣に座る涼兄ちゃんは、自分の陣地で焼いた厚切り牛タンをさりげなく私のお皿にのせていく。
『大陸まんぷく飯店』特選厚切り牛タン。二センチはありそうな厚さで、よーく焼くのが好きだ。
ちょうど良い頃合に網からおろされた牛タンに、すり下ろしたばかりの生わさびと岩塩をのせ、端に搾りたてのレモン果汁をちょっとだけつけた。
「いただきます」
「食え食え、一年分の牛タンをいま食っちゃえ」
涼兄ちゃんは、また自分の陣地に牛タンを並べる。
口に運んだ牛タンは贅沢に厚いのに、よく焼いたからか食感は軽くサクリとしている。それから噛み締めるたびに口のなかに広がる旨みに、ツンとしたわさびの風味がアクセントになっていい刺激だ。
「……!!」
あまりの美味しさに、その場で跳ねだしたい衝動を必死で抑える。毎回、生まれてはじめて食べたようなリアクションをしてしまうのは、この牛タンが美味し過ぎるからだ。
拝むような気持ちでありがたく食べていると、廣永さんとばっちり目が合ってしまった。
「妹さん、牛タン好きなんですか?」
おかわりしたご飯大盛りの茶碗を持って、目を細めた廣永さんが私に笑いかける。
不意打ちなイケメンの微笑みに、私の心臓はドキッと跳ねた。
「は、はい。このお店の牛タンは世界一です」
「なら、食べないで帰ったら後悔しちゃいますね。俺もいただいちゃおうっと」
廣永さんは牛タンの皿に手を伸ばし、ひょいっと自分の網の陣地にのせた。
彼氏も男友達もいない私には、この眩い笑顔は毒にも近いものがある。父や兄たち以外の男性とはあまり接点がないものだから、少し笑いかけられただけで鼓動が激しくなってしまう。
……廣永さんは、きっと私に気を遣って話しかけてくれているだけ。私がお兄ちゃんの妹だから。
それに、こんなに良い感じの人に彼女や奥さんがいない訳ない。
左手の薬指には指輪がないけれど、普段は外している可能性が十分ある。廣永さんの笑顔にいちいち反応してしまう自分を、ふわふわするなと戒める。
男性にこんなにもときめいたのは学生時代ぶりで、どんどんひとりで勝手に意識してしまいそうになるのが恥ずかしくなってきていた。
「彼女がいない巡に、僕も牛タンを焼いてあげよう」
翔兄ちゃんの言葉に廣永さんは否定せず、「あざっす!」と嬉しそうに答える。
「巡はどのくらい、彼女がいないんだっけ?」
まるで私の思考を覗いたかのように、涼兄ちゃんが烏龍茶のグラスに口をつけながら聞く。
私は素知らぬ顔をしながらも、耳だけはしっかりと会話を聞き逃さないように研ぎ澄まして白米を頬張る。
「どのくらい……。わ、やばい。俺、入隊してからは、彼女作ってないです」
一瞬の沈黙。そして網の肉から脂が落ち、ジュワッと音を立てて炭火が燃え上がる。
顔には出さなかったけれど、驚いた。こんな、感じがとても良くて顔整いな男性、周りが放っておく訳がないのに。
「えっ」っと声を上げたのは、翔兄ちゃんだ。
「お前、いくつで入隊したんだっけ?」
「うちは片親なので、母親の負担を減らしたくて高校卒業してそのまま入隊です。最初のうちは彼女がいたらって少しは思ってたんですが、いまは命を預け合ってる先輩や隊員たちと一緒にいる方が落ち着くんで」
廣永さんは照れくさそうに笑って、網の上の片面が焼けたお肉をひっくり返しはじめた。
「彼女、これだけの期間いないって男としてやばいですかね」
廣永さんは黙って聞いていた私に、話題を振るように明るく話しかけてきた。
その様子は、彼女の有無はさほど気にしてはいない感じに思える……けど、私の思っていることを聞きたがっている風にも見えた。
やばいとか、やばくないとか、私にはわからない。だって、生きてきていままで一度も彼氏ができたことがないのだから。
だけど廣永さんなら、その気になればすぐにでもきっと素敵な人が恋人になるだろう。
「上手く言えませんが、やり甲斐のあるお仕事をされていて充実しているなら、人の生き方として羨ましいです。それに、大切に想える人に出会えたら、そのときは彼女になってもらえるように頑張ったらいいんだと思います」
廣永さんなら、大事にしたいって想える人ができたら、きっと上手くいくだろう。
「廣永さんなら絶対に、その人に好きになってもらえます」
今日が初対面だけど、その気配りや明るさは人としてとても好ましい。きっとこれから出会っていく人たちだって、そう思うはずだろうから。
「妹さんにそう言われたら、やばいなんて言ったのが逆に恥ずかしいです」
ぱあっと、そんな効果音がつくような納得がいった表情で、廣永さんが私を見る。
途端に自分がとんでもなく生意気で、そして恥ずかしいことを言ったのだと気づいた。
慌てて頭を下げる。汗がじわりと額に浮いた。
「な、なんか偉そうに言ってしまって申し訳ないです。私なんて生まれて一度も彼氏がいたことがないんですから、廣永さんがご自身をやばいと言うなら、私はその上をいくやばさなので許してください」
ご縁がありそうなのに選ばなかった廣永さんと、縁がなくて年齢イコール彼氏いない歴の私では立ち位置がそもそも違うのだ。
「利香はやばくないだろ。利香の彼氏になる男は、オレが信頼して認めた男でないと」
涼兄ちゃんが、すかさず横から口を挟む。
「そうそう。まずは僕、それから涼にぃが納得するような男でないと利香は任せられないよ」
翔兄ちゃんからの援護射撃に、私は乾いた笑いを浮かべる。
「ご縁もない上に、屈強で強烈に妹想いの兄がふたりもいるもので……」
多分縁があっても、私はその誰かの手を簡単には掴めない。
自分がもし……産みの母のようになってしまったら怖いのだ。彼氏に頼り切り生きる母、子供を抱きしめることがなかった母。
恋愛の熱に浮かれた姿、情緒を乱された発言、私はあんな風になりたくない。
「涼先輩と翔先輩に大事にされてるんですね」
大事に。うん、私は大事にされているんだから、こんなときにも産みの母を思い出しているなんて良くない。
「……はい。ありがたいことです」
ふっと視線を落とした先、汗をかいた烏龍茶のグラスから水滴がテーブルにじわりと広がるのを見た。