書籍詳細
強引上司に迫られてます!?~キスからはじまる契約恋愛~
あらすじ
「俺のそばにいたいって思うようにさせてやる」
上司からの強引なアプローチに、淡い恋心が急加速して……!?
友人の結婚式でお酒に酔った花絵は、偶然居合わせた勤め先の常務・城沢倖人と勢いでキスをしてしまう。憧れの人への大胆な行動に思わずその場から逃げ出してしまった花絵。翌日出勤すると倖人から「キスした責任とってもらおうか」と告げられ…なんと、恋人になるよう迫られた! 断ろうとする花絵に、倖人は自分に惚れさせてみると宣言してきて…!?
キャラクター紹介
池本花絵(いけもとはなえ)
飲料メーカー『シロサワ飲料』に勤めるOL。自分に自信がなく、恋愛にも消極的。
城沢倖人(しろさわゆきと)
花絵が勤める会社の社長の息子で、常務取締役。強引だが、優しい一面もある。
試し読み
「池本さん。役員宛の書類まとめてもらっていい?」
「わかりました」
月曜日の昼前。声をかけてきたのは、綺麗な黒髪をさらりと耳にかけた美人な総務部の主任、今仲さん。清楚に見えるけど実はとてもお喋りで活発な人だ。
指示を受けたわたしは返事をして、渡された書類を確認する。
総務部の仕事は主にオフィスの備品管理や社内広報の制作、受付業務やイベント準備、その他雑務と幅広い。
「ところで、城沢常務が池本さんのことを呼んでいるみたいなの」
「えっ……!?」
「池本さん、なにか悪いことしちゃったの?」
「そ、そんな、しませんよ」
冗談っぽく言われて曖昧に笑っておいたが、呼んでいると言われて顔が引きつった。
〝常務〟と聞いても平然としていようと思ったのに、無理だった。二日前の土曜日。ホテルの中庭でのことを思い出してしまったから。
城沢常務がわたしを呼ぶ理由はやはり、あの日のことだと思う。
彼と別れて二次会の会場に戻った後も熱はさめなくて、友人たちと話をしていても常務とのキスが頭から離れなかった。
今日の朝、社内の照明の確認に回っていたとき、常務室の前ですれ違った彼がこちらを見ているような気配を感じたけれど、わたしは目を合わさないようにしてお辞儀をし、早足で総務部に逃げ戻った。
社内で会うようなことがあったら、いつも通りでいなければと考えていたのに、どうしても気まずかった。
「ちょうど休憩時間ね。用件を伺うついでにそのまま書類を秘書室に届けてくれるかな」
「はい、わかりました……」
今仲さんに返事をしたわたしは、そっと息をついた。
あの日、ジャケットを貸してくれたのに雑な返し方をしてしまって、失礼だったように思う。しかも逃げ出すなんて……。酔ったわたしを心配してくれた常務にたいして、最低だよね。
自分の態度を反省したわたしは、デスクから立ち上がった。
できればまだ顔を合わせたくないけど、呼ばれてしまったのだから行かないとまずい。そう思って、役員室のある階へ向かった。
それぞれの役員の担当秘書に書類を届けた後、常務に呼ばれていることを伝えると、事前に彼から聞いていたようで、「常務室にいます」とだけ言われた。
そのまま常務室に向かってドアの前に立つと、緊張でいっぱいになる。ひとりで訪ねるなんてことは、はじめてだった。
ひと呼吸してからドアをノックし、「失礼します」と中へ入る。
高級感のあるソファとテーブルの奥にある、茶色いデスクに着いていた城沢常務が顔を上げ、わたしに目を向けた。
相変わらず、綺麗な風貌だ。
「総務部の池本花絵です」
普段通りの自分を保つように言い聞かせながらデスクに近づく。
この後取るべき行動は……。自分から用件を尋ねるべきだろうか。そう思いながらも気まずさが先行して言葉が出ない。
「君は逃げ足が速いんだな」
デスクの前で立ったままでいたわたしは、静かに響いた声にビクッと肩を揺らした。
「どうして呼ばれたのか、わかるだろ?」
ゆっくりと顔を上げると、口もとを緩めている城沢常務と目が合う。わかりません、なんて嘘を言えるような雰囲気ではない。
「申し訳ありません、あの……」
「キスまでしたのに逃げるなんて、ひどいな」
あのときのことを思い返して、弁解しようとしたわたしの頬がいっきに熱くなった。
やはり彼は怒っている? そういうことをしておいて逃げ出すなんてありえないと 思っているに違いない。
ちゃんと事情を説明しないと。
「わたし、あの日は酔っていて」
「酔っていたら誰でも誘うのか?」
「ち、違います! 誰でもというわけじゃ……」
相手が城沢常務だったから、気持ちが膨らんで体が近づいてしまった。でもそんなことを本人に言えるわけがない。
困って口籠っていると、小さく笑った彼は椅子から立ち上がってわたしの隣に立ち、デスクに寄りかかるように手をつく。
「君と会った日、俺は大事な人と待ち合わせしていたんだ」
「大事な人……?」
「結婚前提で一応付き合う予定だった人」
彼の言葉に、思考がぐるぐると動き出す。
若くして会社の経営に関わり、女性を魅了する容姿を持っている彼。だから女性関係の噂は、耳にしないことはなかった。
取引先の社長の娘と親しくしているとか、有名企業の優秀な女性社員と付き合っているなど。しかし最近はそういった女性がいるという話を聞かなかった。
でも、付き合う予定の女性がいた?
大事な人……それって、社長の紹介で付き合いをはじめようとしていた人なのかもしれない。
社長はよく、『息子にはそろそろいい女性を見つけて、結婚してほしい』と話しているというのを聞いたことがあった。
「も、申し訳ありません。そのような方がいらっしゃるなんて知らずに……」
どうしよう、わたしは本当に失礼なことをしてしまったんだ。謝って済む話ではないかもしれない。それでも慌てて謝るわたしに、城沢常務は目を細めた。
「別に俺は君のことを怒っているわけじゃない。だいたい、その女性には当日すっぽかされて電話で『付き合えない』と言われたのだから」
付き合えないって言われた?
城沢常務を振る人がいるなんて、と思っていると彼はわたしをじっと見つめてきた。
「簡単に言えば、俺は君に興味がある」
「はい……?」
どういうことだろう。落ち着きのある声色だけど、その言葉はわたしのことを面白がっているように感じた。
「俺をその気にさせておいてとぼけた顔するなよ」
口もとを緩めた城沢常務が手を伸ばし、わたしの顎を掴む。その一瞬にドキッとして、体温が上がったように顔が火照りだした。
その気にさせたって、わたしが彼を?
「責任とってもらおうか」
なにか悪いことを考えているような、だけど魅惑的な表情をする彼に体が硬直してしまう。
そして〝責任〟という言葉に動揺してしまった。それくらいまずいことをしてしまったという自覚は、自分にもあったのだ。
どういったかたちで責任をとらされるのだろう。まさか、会社を辞めさせられたりしないよね?
「あ、あの、本当に申し訳ありませんでした。責任は、わたしにできることならなんでもします。なので、仕事はこのまま続けさせてください!」
今まで安定した生活をしていたのに、急に無職になるのは嫌だと思ってとにかく頭を下げた。そんなわたしの肩を城沢常務は軽く叩く。
「なんでもしてくれるんだな?」
彼の意地悪く微笑む顔に少しの不安を感じた。だけど、会社を辞めさせられる以外のことならなんでもしようと思う。意を決して、わたしはゆっくりうなずいた。
「それなら、俺の恋人になってほしい」
「……こ、恋人?」
不敵な笑みを浮かべる城沢常務の顔を見ながら、わたしは目をぱちぱちさせた。恋人って、どういうこと?
「実は社長にしつこく言われているんだ。そろそろ結婚しろとね。見合いを何度も勧められて断っているし、レストランで会うはずだった女性も紹介された人だった。仕方ないから食事くらいはして失礼のないように対応はしているが、こっちはまだ結婚なんて興味がないから困っているんだ」
思った通り社長が紹介した人だったんだ。たしかに、社長の立場もあるから断るのにも苦労するだろう。
「だったら、結婚を考えている恋人がいると言えば干渉も少なくなると思った。ちょうどいいから君のことを恋人だと社長に告げて、面倒な結婚の話から解放されたいんだ」
淡々と説明をする彼だけど、わたしにはまだ意味が理解できそうにない。
城沢常務はわたしのことを好きでもないのに、付き合おうって言っているんだよね? 社長の干渉を少なくするために……。
「難しいことはなにもないよ。俺と付き合っているってことにすればいいだけだ。ある程度時間が経って、君が望むなら終わりにしていい。期間限定の恋人でいいんだ」
「でも、それに気持ちは伴わないんですよね……」
小さな声で零したわたしに、彼は首をかしげた。
城沢常務のことが気になりはじめて、わたしも周りの女性社員たちみたいに、彼を素敵だって言いたい気持ちがあったけど、憧れを口に出すことはできなかった。
特別な感情があっても、なんとも思っていないように、彼の噂に興味がないフリをしていよう。
そう思いながら今まで気持ちを秘めてきて、まさかこんな関係を頼まれるなんて信じられなかった。
本当なら、恋人ってお互い好きになって成り立つものではないの?
いくら彼のことが好きでも、付き合えるならなんでもいいなんて、わたしはそんなふうに思えない。
ずっと隠して大切にしてきた彼への気持ちなのに。
「申し訳ありませんが、恋人にはなれません」
断ったわたしに、城沢常務はわずかに眉をひそめた。
そもそも、彼のことを好きなわたしが平然と彼の隣にいるのは無理だと思う。時間が経ったら終わってしまう関係なのに、期待をしてしまったらどうするの?
「なんでもするんじゃなかったのか?」
「そう言いましたが、たとえ期間限定だとしても、わたしなんかが城沢常務の恋人なんて考えられません。それに、お付き合いというのはお互い好きじゃないとダメだと思うし……」
好きじゃないとダメなんて、こんなことを城沢常務に話していることがだんだんと恥ずかしくなってくる。
すると彼は「そうか」と目を細め、わたしに顔を近づけてきた。
「それなら〝本気〟になればいい」
「……はい?」
聞き返すわたしに、彼は余裕のある間をおいて微笑む。
「よろしく。話は終わりだ」
「ちょ、ちょっと待ってください! ほ、本気って……そんな、どうして……」
スタンドハンガーにかけていたスーツの上着を掴み、袖を通している城沢常務にわたしは動揺を隠せないまま声をかける。
だって、突然そんなことを言われても、すぐに理解なんてできるわけがない。こちらは混乱しているのに、一方的に話を終わらせないでほしい。
そう思っていると、彼は振り向いて再びわたしに近づき、甘くささやいてきた。
「花絵は俺が嫌い?」
「っ……」
声が背筋まで響いて、頬が熱くなってくる。急に名前で呼ばれたことに焦ってしまい、すぐに言葉を返すことができなかった。〝常務と一般社員〟という関係だったものが、変わったように感じた。だけど彼の表情はどこか意地悪っぽくて、ただわたしをからかいたいだけなのかもしれない。
なにか反論しないといけないのに、どうしよう。ドキドキして頭が追いつかない。
慌ててしまうわたしに城沢常務はふっと笑って、ドアの方へ歩くよう促す。
「そういうことだ。じゃあな、花絵」
納得しただろ、という視線を寄越した彼は、常務室を出ると「仕事が終わったら俺のところに寄れ。家まで送るよ」と微笑んでいた。
通路を歩いて去っていく彼をよそに、わたしは口もとを両手で押さえながら固まってしまう。
名前で呼ばれたことで、いっきに距離が近づいたような気がした……。常務という立場ではなく、恋人としての態度を見せられたのかと思うと、もうどうしていいのかわからない。
『俺が嫌い?』と聞かれて答えられなかったわたしの心の中を、彼は見透かしてい たように感じた。
だから彼がわたしのことを好きになれば、適当な恋人関係も本気に変わるって?
どうして城沢常務はわたしにあんなことを言ったのだろう。やはり、面白がられているのかな。
〝好きになってもらえたら〟なんて、ありえないことを考えるだけ無駄だと、わたしは短く息をついた。
それから、家まで送るってどういうこと?
わたしは常務室の前でしばらく呆然としていた。