書籍詳細
天敵御曹司は愛を知らない偽婚約者を囲い堕とす~一夜限りのはずが、カタブツ秘書は仕組まれた溺愛から逃げられない~
あらすじ
「どんな手を使っても、俺のものにしたかった」
大企業の秘書で真面目すぎる愛実は、素直になれないのが悩み。でもバーで会った男性・優馬には自然と心を許し、そのまま一夜を過ごしてしまう。ところが、彼はライバル会社の御曹司と判明!その上、ワンナイトを秘密にする交換条件は、彼の偽婚約者になることで――「たっぷり愛してやるから」嘘の関係なのに、あまりに甘く囁く彼に翻弄され……!
キャラクター紹介
如月愛実(きさらぎ あいみ)
業界大手・サクラバ食品の秘書。完璧な仕事ぶりとストレートな言動から、周囲には冷たいと思われがち。
風祭優馬(かざまつり ゆうま)
サクラバの競合・風祭フーズの御曹司。社交的でいつも余裕を感じさせるが、根はストイック。
試し読み
「え? 電話?」
びっくりしながらも通話に出ると、すぐに『お疲れ。今どこにいるんだ?』と聞かれた。
「今は……」
聞かれたまま店の名前を告げると、『了解。十五分くらいで着くから待っててくれ』と言って通話は切られてしまった。
着くってことは、迎えに来てくれるということだよね? 申し訳なく思いながらも待っててくれと言われた手前、待つしかない。
気づかれやすい場所に移動して待つこと十五分弱で、一台のスポーツカーが駐車場に入ってきた。ライトが私を照らし、目の前で停車した。すぐに運転席から降りてきたのは優馬さんだった。
「お疲れ、愛実」
「あ……お疲れ様です」
労いの言葉をかけられ、戸惑いながらも答える。すると彼は紳士的に助手席のドアを開けてくれた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
言われるがまま助手席に座ると、ドアまで閉めてくれた彼も運転席に乗り込む。
「珈琲は飲める?」
「はい」
「それはよかった。途中で買ってきたんだ。よかったらどうぞ」
「すみません」
至れり尽くせりで戸惑うばかりの私を乗せて、優馬さんは車を発進させた。少しして、遅くなったことについて謝罪していないことに気づいた。
「あの、遅くなってしまって申し訳ございませんでした」
「なに言ってるんだ? 仕事なんだから仕方がないだろ? 謝ることじゃないし、今後ももちろん仕事を優先してくれてかまわない」
いいの? 仕事を優先しても。だって世の中の恋人はどちらかが仕事を優先したら嫌に思うものではないの?
それともそれはドラマの中の話であって、現実ではこれが普通なの? どう答えるのが正解かわからなくてなにも言えずにいると、優馬さんはクスッと笑う。
「その代わり俺も仕事を優先してしまう時もあるからお互い様だ。だからそんなに考え込むことはない」
「あ、はい」
なにが正解かわからないけれど、彼の提案は私にとってありがたい。やはり私の中で仕事は最優先事項だから。
「会食はうまくいったのか?」
「はい」
「それはよかった。桜葉は順調に人脈を築いているんだな。俺も頑張らないと。まだ国内では知り合いも少ないからさ。今は挨拶回りが主な俺の仕事になってるんだ」
「そうなんですね」
たしかずっと海外支社で働いていたんだよね。それなら色々と大変だろう。ずっと本社で勤務していた副社長でさえ、本来会社を継ぐはずだったお兄様が亡くなられてから、なにかと社内をはじめ、業界内での風当たりが強かったし、不信感を抱かれることも少なくなかった。
相当なプレッシャーだっただろう。それは優馬さんも同じはず。
「だけど違うフィールドに立って新規開拓すると思えばおもしろくもある。重役たちの鼻を明かすために新プロジェクトも思案中だ」
そう話す優馬さんの目は輝いていて、その姿が副社長と重なって見えた。
「優馬さんはお仕事が好きなんですね」
「当然だろ? 好きじゃなきゃできないさ。きっと桜葉も同じだろう。嫌いだったら他人の人生を預かる立場になど立てない」
彼の言う通り、ふたりともいずれは会社のトップに立つ存在だ。仕事に対する思いが強く、責任感が伴わなければ務まらないだろう。
「そういうところ、副社長にそっくりですね」
「そうか?」
「はい、副社長もどの仕事に対しても強い責任感を持っておられますし、なにより仕事をする姿は楽しそうに見えますので」
そんな副社長を尊敬しているから、できる限り仕事上で彼のサポートをしたいと思っている。だから話を聞いて優馬さんに対して好感を抱いてしまった。
その思いで言ったものの、なぜか優馬さんから言葉が返ってこない。不思議に思って彼の横顔に目を向けると、どこかムッとしている様子。
「どうされたのですか?」
「いや、あまりに愛実が桜葉のことを褒めるから嫉妬した」
「嫉妬って……。上司として尊敬しているだけですよ?」
「それはわかっているけどさ、妬けるものは妬ける」
どうして嫉妬するの? そもそも私と優馬さんはそのような感情を持ち合わせる関係ではないのに。
混乱する私をよそに彼は話を続けた。
「まぁ、半分は冗談だ」
笑って言う彼から推測するに、どうやらからかわれたようだ。そうだよね、偽の婚約者役をしている私に嫉妬なんてあり得ないはず。
「話の続きだけど、愛実が桜葉のことをそう思うのも当然だろうな。俺も桜葉の姿を見て尊敬と憧れを抱いて、更生したから」
「えっ! どういうことですか?」
思わぬ話に聞いてみると、優馬さんの意外な過去と彼と副社長の出会い、それからの付き合いを話してくれた。
「面と向かっては言えないがあの時、桜葉に出会えたことに感謝しているんだ。そうでなければ今の俺はいないと思う」
優馬さんは自分の過去ときちんと向き合い、前向きに物事を考えられる人だと思った。だからきっと私がやけ酒しようとしていたところを止めてくれて、話を聞いてくれたのだろう。
車は都内の夜景スポットに到着し、停車した。
「本当は食事に行こうと思ったけど、会食してきたならゆっくりと夜景が見える場所で珈琲でも飲もうと思ってさ。今後についても色々と話し合う必要があるだろ?」
「そうですね」
それは三日前に了承した時からずっと気になっていた。婚約者のフリはいつまですればいいのか、どこまでの範囲でするのか。それによって私にも大きな影響が出てくるから。
「せっかくだから夜景を見ながら話そう」と言われ、彼が私の分の珈琲も持ってくれた。
車から降りて少し歩いた先に公園があり、そこから有名な橋の夜景が見渡せる。近くのベンチに座ると珈琲を渡された。
「ありがとうございます」
少し冷めてしまった珈琲を飲みながら、綺麗な夜景に目を奪われる。
「私、夜景を見に来たの初めてです」
「そうなのか? じゃあ今度はもっと綺麗な夜景を見に行こう」
「今度ですか?」
思わず聞き返すと、優馬さんは大きく頷いた。
「あぁ。夜景だけじゃなくて、色々な場所にふたりで出かけよう」
なぜ彼はそんなことを言うのだろうか。だって私たちは本物の恋人ではないのに。
優馬さんの考えていることがわからなくて困惑してしまう。それに気づいたのか、彼は私の顔を覗き込んできた。びっくりしてのけ反ったら優馬さんは頬を緩める。
「愛実って意外と感情が顔に出やすいよな」
「えっ? そうでしょうか?」
周りからはよくなにを考えているかわからない、いつも厳しい表情をしているから鉄仮面なんて言われているのに?
「わかりやすいよ。現に今は俺がなにを考えているかわからなくて、眉間に皺を刻んでいただろ?」
思わず眉間に手を当てれば、彼は声を上げて笑った。
「ほら、そういうとこ。こんなにわかりやすいのに、どうしてみんな愛実のこと、わからないんだろうな」
そんなことを言うのは優馬さんだけだよ。だって長い付き合いの泉川君だっていまだに私が怒っていないのに、怒ってると勘違いしてくることがあるくらいなのだから。
初めて会った日に弱音を吐いてしまったから? だめなところも全部打ち明けたから、優馬さんの前では感情が表に出るのだろうか。
「悪い、話が逸れちゃったな。婚約者のフリについてだけどさ、無期限にしないか?」
「無期限って……どういうことですか?」
思いがけない話にすぐに聞き返した。
「俺は今のところ、結婚するつもりはない。それは愛実も同じだろ?」
「そう、ですが……でも、期限は設けたほうがいいんじゃないですか?」
彼は風祭フーズの御曹司だ。付き合いが長くなればなるほど、色々とまずい状況になる気がしてならない。
「どう考えてもメリットしかないと思わないか? 俺は愛実がいてくれたら煩わしい見合いをしなくて済むし、取引先の令嬢に言い寄られて困ることもなくなる。愛実だって母親を安心させたいんだろ? 引き受けてくれた以上、愛実のお母さんにもしっかりとご挨拶をさせていただくよ」
たしかに母は私が結婚して幸せになることを望んでいる。その相手が優馬さんなら言うことはない。彼を紹介したら間違いなく大喜びするだろう。
しかしそれは一過性のもの。本当に彼と結婚するわけではないのだから、後々母を悲しませることになる。
とはいえ、今の母は難病を患って気持ちも落ちているだろう。ここで私に結婚を考えている相手がいるとわかれば、今まで以上にリハビリに励み、前向きな気持ちになってくれるかもしれない。
期限を設けないのなら、しばらくの間は母を安心させることができ、治療とリハビリに専念してもらえるのでは?
「そうなると、私も優馬さんのご両親にご挨拶をするべきですよね? でも、私では到底認めてもらえないと思うのですが」
きっと彼のご両親が求める結婚相手は、この前言い寄っていたようなどこかの企業のご令嬢だろう。
「そんなことはない。愛実はサクラバ食品の副社長秘書だぞ? むしろ親のコネはいっさいなくその地位まで上りつめた愛実に、両親は好感を抱くだろう。父さんは実力主義者なんだ。間違いなく気に入られるよ」
すぐに信じることはできないが、仮に彼の言うことが事実だとしても、他にも問題はある。
「それだけではありません、期限を設けなかったら周りは私たちが結婚すると信じてしまうのではないでしょうか? そうなったらどうするのですか?」
仮の関係だというのに、結婚せざるを得ない状況に追い込まれてしまったらどうするの?
「その時は本当に結婚したらいいだろ?」
「はい?」
あまりに優馬さんがあっけらかんと言うものだから、大きな声が出てしまった。
「本気で言っています?」
「俺はいつでも本気だ」
なんて言う彼の顔は笑っている。絶対に違うはず。ジロリと睨めば、「俺の気持ちは伝わらないか」と言う。
「じゃあ、どちらかに好きな相手ができたら終わりにすればいい」
「そんな簡単な話ではないのではないですか?」
私はともかく、彼の周りはきっと結婚を望んでいるはず。副社長だってそうだ、本人の意思とは関係なしに上層部は早くに身を固めて後継者を望む声も多いのだから。
「愛実は難しく考えすぎだ。結局結婚は本人たちの問題だろ? もしもの時は、性格の不一致で婚約を破棄したと言えば問題ない」
本当にそうなのだろうか。彼の立場が悪くなったりしない?
「もちろん俺が責任を持つ。愛実に非はなかったと周りに言うから安心してくれ」
「いいえ、私はどうでもいいんです。優馬さんの立場が悪くなるのではないですか?」
「えっ、俺?」
どうやら私自身のことを心配していたと思っていたようで、彼は自分を指差した。
「はい、優馬さんです。社内での立場が悪くなったりしませんか? イメージがとても大切ではないですか」
副社長を見ていたら、嫌でもトップに立つ者のイメージがどれほど重要かわかるから。
心配で聞いているというのに、なぜか優馬さんは嬉しそうに頬を緩めた。
「優しいな、愛実は。やっぱり俺たち、本気で結婚しないか?」
「しません」
きっぱりと否定すると優馬さんは「だめか」と項垂れた。
「でも本当に俺なら大丈夫。どんなにイメージが下がったとしてもその分、仕事で成果を出すまでだ。だから愛実はなにも心配することはない。もとはといえば、俺から持ちかけた話なんだから」
彼はそう言うが、本当にいいのだろうか。だって私にとってはメリットしかない。一番の気がかりだった母を安心させることができるし、優馬さんと婚約したと周知されれば、社内外で副社長を狙っていると思われることもなくなるだろう。
多少はまた汚い手を使って優馬さんの婚約者になったと陰口を叩かれる可能性もあるけれど、表立っては言われることはないはず。
「いただいた条件で引き受けても本当によろしいのですか?」
最終確認で訊ねたところ、優馬さんはすぐに首を縦に振った。
そういえば、最初は交換条件だったのに、あの一夜の話はまったく出なくなってしまった。私としては、優馬さんが秘密にしてくれるならかまわないけれど……。
「当たり前だろ? じゃあ契約成立だな。これから末永くよろしく頼むよ」
末永くは、できるだけ付き合いたくないところだけれど……。でもなぜだろう。彼との関係が無期限だということに喜んでいる自分もいる。
それは彼が初めての相手だから? 仕事に対する姿勢が尊敬する副社長と似ているから? 私とは違って過去の自分を受け入れ、前向きな考え方を持っているからだろうか。
理由はわからないけれど、ふと昼間に大宮さんに言われた言葉が脳裏をよぎった。
きっとこの提案を拒否したら私は後悔すると思う。だからこの選択は間違っていないと信じたい。
「はい、よろしくお願いします」
彼と向き合って頭を下げると、「硬いな」と言われてしまった。
「これじゃ上司と部下みたいじゃないか。もう少し砕けて話してくれてかまわない」
「そう言われましても、これが私の通常運転なので難しいかと」
泉川君や大宮さんに対しても同じだし、そう簡単に変えることは難しい。
「じゃあこれから頻繁に会って親睦を深めるしかないな」
「と、言いますと?」
小首を傾げる私に優馬さんは顔を近づけてきたものだから、心臓が止まりそうになる。一瞬キスされるかと思ったが、それ以上彼は近づいてこなかった。
「少しの時間でも会おう。それと……そうだな、休日は予定がない限り一日中一緒に過ごすようにしようか」
「一日中ですか?」
私にとって休日は身体を休めて週明けの月曜日に備える大切な一日だ。それを彼と過ごすことに費やせる?
「あぁ、そうだ。平日はお互い仕事を優先する分、休日は時間を共有する必要があるだろ?」
「それはそうかもしれませんが、私にとって休日は仕事で疲れた身体を休める日でもあるんです。せめて半日にしませんか?」
「却下」
優馬さんは私の提案をあっさり切り捨てた。
「一緒に休むこともできるだろ? 大切なのは同じ時間を過ごすことだ。そうしていれば愛実も俺に慣れて、その堅苦しい口調も変わるだろうし」
そんな気はまったくしないのだが、彼は一歩も引かなそうだし、受け入れるしかなさそうだ。