書籍詳細
お見合いのち、溺愛~副社長は花嫁を逃がさない~
あらすじ
「結婚を前提にお付き合いしてください」
イケメン御曹司の一途な求愛! お見合いから始まる本気の恋
恋人の浮気現場に遭遇し、失恋した沙友里。傷心のまま上司に取引先のイケメン副社長・久能とのお見合いを勧められる。御曹司相手に尻込みしていた沙友里だが、誠実で包容力のある久能とのデートで傷ついた心が癒やされていく。実はずっと沙友里のことが好きだったと告白され、驚きながらも甘やかされ愛されることに幸せを感じ始めて……。
キャラクター紹介
鍛冶沙友里(かじさゆり)
蛯澤フーズの総務課勤務。真剣に付き合っていた相手に浮気をされ傷心中。
久能啓太(くのうけいた)
蛯澤フーズの取引先の副社長で跡取り御曹司。イケメンだが気さくな人柄。
試し読み
「──鍛治さん」
改札を出たところで後ろから声をかけられ、振り返ったらそこに久能が立っている。
「え? 久能さん?」
一週間ぶりの久能の姿を目にした瞬間、胸がドキッとした。
今日の久能は、先日のお見合いの時と違いスーツではなく私服だ。真っ先に目が行ったのはグレイのジャケット。それから細身の黒のパンツ。ジャケットに合わせているのは、白いシャツで全体的に落ち着いた雰囲気(ふん い き)だ。
久能と向かい合っていると、通りすがりの女性がちらちらと彼に視線を投げかけていくのに嫌でも気づかされる。
(久能さん、素敵だもんね。振り返りたくなる気持ち、わかる)
そんな久能とこれからデートだということを意識してしまい、じわじわと緊張感が押し寄せてくる。
「久能さんも、電車に乗るんですね!」
(……って、何を言ってるの、私!)
緊張のあまり飛び出した意味不明な言葉。自分で自分に突っ込んだけれど、久能はくすっと笑って、さらりとそれを受け止めてくれた。
「車もあるけど、今日は電車で来たんだ。一人で電車に乗れない子供じゃないからね」
「あの、すみません。変なこと言ってしまって……」
恐縮する沙友里を見て、久能は楽しげな笑みを浮かべる。
けれど、今の会話で緊張感が和らいだ。先週の見合いでネックレスをきっかけに会話が弾みだした時のように、スムーズに次の言葉が出てくる。
「運転はよくするんですか?」
「プライベートでは自分で運転するけど、仕事の時は半々かな」
「半々って……もしかして運転手さんが、いるんですか?」
「俺個人では雇っていないよ。家で雇っているから、そちらに頼むことはある」
「わあ……運転手を雇う家って実在したんですね……!」
そんな家で育った人が、沙友里との見合いを望んだというのか。
目を丸くしている沙友里の反応がおかしかったようで、久能は笑いをこらえている。
(……こんな顔もするんだ)
久能の新しい表情を見せられて、どきんと鼓動が跳ねた。それ以上鼓動が速まらないことを祈りながら、沙友里は話題を変える。
「約束の時間まで、まだだいぶありますよね?」
「待たせたらいけないと思って。鍛治さんは?」
「わ、私も久能さんを待たせたらいけないと思って……その、十五分前に着けばいいかなって思っていたんですけど、今日に限っていいタイミングで乗り換えができて」
「それはきっと、運がよかったんだよ。だって、三十分多く一緒にいられるし」
(さ、三十分多く一緒にいられるって……!)
何かすごいことを言われた。
今の言葉は、久能が沙友里と一緒に過ごす時間が多いほうが嬉しいと言ってくれているわけで。
胸の奥がぎゅっとしめつけられ、速まらないようにと祈っていた鼓動が息苦しいくらいに高鳴る。
こんなにドキドキしていたら、今日が終わるまで身が持たない気がしてならない。
「じゃあ、行こうか」
「は、はい……?」
返事はしたものの、そこで思わず固まってしまった。
こちらに差し出されている久能の右手。これはどうしたらいいんだろうか。
「手を繫(つな)ぐのは嫌? 嫌なら、今日はやめておこうか」
「い、嫌とかじゃなくて……!」
(ただ、私にはハードルが高いというか!)
沙友里の慣れない様子を見て、久能は安心させるように笑いながら、顔を覗き込んでくる。
「嫌ではないなら、繫いでくれると嬉しい」
重ねて言われたら、断ることなんてできなかった。
「ヨ、ヨロシクオネガイシマス……」
ぎくしゃくして、言葉も裏返ってしまっている。
けれど、久能はそんなことはまるで気にしていないみたいだった。こわごわと差し出した沙友里の手が、ぎゅっと包み込まれる。
(……やっぱり、男の人の手は大きいんだ)
不意にそんなことに気がついた。
付き合っていたはずの拓真とは、久しくデートらしいデートはしていなくて、手を繫いだのは思い出せないほど前のこと。
(私、本当に都合のいい女だったんだな)
ほろ苦い気持ちになりながら、繫がれた手に視線を落とす。
久能の手はとても大きくて、沙友里の手はすっぽりと彼の手におさまってしまう。
大きな手のひらは乾いていて、沙友里の体温と同じくらいの温かさだ。
ひんやりと冷たい風が頰を撫(な)で、繫がれた手から伝わる久能の体温を強く意識させられる。
心臓の音が耳の奥でやけに大きく響いているのは、気のせいじゃない。
歩き始めた久能より半歩、遅れて歩く。
繫いだ手に少しだけ力を込めたら、同じくらいの強さできゅっと握(にぎ)り返されて、胸がくすぐったくなる。
まるで、初めて誰かを好きになった時みたいだ。
相変わらず久能は女性達の視線を集めているが、その視線も今は気にならない。
半歩遅れているのをいいことに、背後からじっくりと彼を観察する。
染めていないであろう艶(つや)のあるまっ黒な髪は、社会人らしく清潔に整えられているけれど、少し癖があるのか、耳の上のあたりでふわっとしている。
すらりと高い身長に広い肩が素敵だ、とか。グレイのジャケットが似合っている、とか。
言葉にはできなかったけれど、そうやって久能を観察していたら、不意に彼が足を止めて振り返った。
「俺のこと、気にしてくれているのかな?」
「え?」
「さっきからずっと見ているでしょう。俺のこと」
言われてかっと耳が熱くなった。ずっと見ていたのは否定できない。
というより、まるで魅了されたように彼から目が離せなかったが正解だ。
「み、見てたというか……ジャケット、す、すごく素敵だと思って」
「これ? 俺のお気に入りなんだ。もう五年くらい着ているかな」
ごまかすように、地面に落とした視線をうろうろとさせながらそう言ったら、柔(やわ)らかな口調でそう返される。
気まずさが薄らいで、ごく自然に次の言葉が出てきた。
「シーズンごとに買い替えたりしないんですか?」
久能は大企業の御曹司だ。てっきりシーズンごとに何着も買い替えるものだと思っていた、というのは庶民感覚が過ぎるんだろうか。
「物によるかな。スーツは比較的仕立てなおすことが多いよ。客先に出向くことも多いから、印象は大事にしたいしね」
「ああ、そうですよね……」
久能の仕事は取引先に出向くことも多い。副社長という立場もあるだろう。
いくらオーダーメイドのスーツとはいえ、少しでもくたびれたところがあれば、久能に対する顧客の印象が悪くなるであろうことは沙友里にもわかる。
「でも、これは別。気に入っているし、プライベートだからね」
なんてジャケットの胸元を叩(たた)いてみせるけれど、くたびれているところなんて、どこにもない。きっと大切に手入れをして着ているのだろう。
自然に手を引かれながら、そういうところも素直にいいなと思えた。
「うわあ、広い……!」
商業施設内にあるアステリズモスの店舗。
子供の頃から沙友里の憧れだったジュエリーブランド。久能から先日聞かされるまで、インテリアや雑貨に進出しているとは知らなかった。
「すごい! すごく可愛いです!」
獅子座モチーフのクッションは、鮮やかなオレンジ色のカバーに、獅子座のマークがワンポイントで入っている。オレンジだけではなく、ピンクやベージュなど他にも五種類ほどの色があった。
食器のコーナーに行けば、金でモチーフが描かれた白い食器が並んでいる。洋食器だけではなく和食器もあって、どれにしようかあれこれ目移りしてしまう。
「この間、俺が買ったのはこれ」
久能が手にしていたのは、白いマグカップだった。
白い地に黒い線で季節ごとの星座の絵が描かれている。そこに重ねるように銀色でそれぞれの星座を形作る星が並んでいて、落ち着いた雰囲気だ。
それが、春夏秋冬季節ごとに四種類。マグカップも可愛いけれど、隣にあるコーヒーカップとソーサーのセットも捨てがたい。
「十二星座じゃないですよね、これ」
「これは四季の星座だね。四種類とも揃(そろ)えたよ」
「全部欲しくなっちゃいますね」
一人暮らしの沙友里のマンションは、さほど広いというわけでもない。
収納するスペースを考えると、欲しいものを全部揃えるわけにはいかなそうだ。
実をいうと、お値段のほうも……少々お高めだ。
もちろん、生活に潤(うるお)いというのは大事だし、派手な生活をしているわけでもないので買えない値段ではない。
けれど、欲しいものを全部一度に買うにはためらってしまうというか、ものすごい贅沢(ぜい たく)をしている気分になるというか――。
財布の紐をしっかり締めておかないと、大変なことになってしまいそうだ。
貧乏性というより、金銭感覚がしっかりしていると思いたい。
「他には、どんなものを買ったんですか?」
「そのビール用のグラスだね」
「ああっ、これも可愛い! 間違いなくビールがおいしくなるやつです、これ」
繫いでいた手をそっと放し、両手でグラスを取り上げる。細身のグラスは金色で縁取られ、同じ色で星座のマークが縁に沿って一周描かれている。
家でビールを飲むことはほとんどないけれど、これは欲しい。飾っておくだけでもいい。
何を買おうか探している間も、手を繫いだり、離したり。時々指を絡めるように繫がれるのが妙に照れくさい。
あちこちで足を止めながら店内を一とおり見て回ったところで、ようやく沙友里のテンションも落ち着いてくる。
「ちょうど、花瓶が欲しかったんです。どうしようかな……」
悩みぬいたあげく、最終的に選んだのは繊細なガラスの花瓶だった。胴体部分にアステリズモスのロゴ、そのロゴを囲むように十二星座のマークが彫刻されている。
「すみません、花瓶一つ買うのにずいぶん大騒ぎでしたよね」
「いや、俺も楽しかった。花瓶一つ選ぶのが、こんなに楽しいとは思ってなかったな」
「そう言ってもらえると助かります」
店に入って一時間以上が経過している。普通なら、どれだけ付き合わせているのだと怒られても仕方のない時間だ。
たしかに店は広かったし、種類も豊富だったけれど、いくらなんでも時間がかかりすぎだ。
(……あきれられてなければいいんだけど)
「お待たせしました」
「大丈夫。時間はまだあるから、焦らなくていいよ」
会計をすませると、また自然と手を繫がれる。繫いだ手はやっぱり大きくて、妙に安心してしまう。こんな風に考えるのは、きっと間違っているのに。
夕食の時間にはまだ早いと、目についたカフェで一息入れることにする。
休日の午後だから混んでいるのではないかと思っていたけれど、案外すんなり入ることができた。
ゆったりとしたソファ席に向かい合って座る。低い音量で流れているクラシックが心地いい。
「久能さんは、お休みの日って何をしてるんですか?」
久能とこうやって二人でいて、沙友里から彼のプライベートに踏み込んだのは初めてかもしれない。
内心、そわそわする沙友里に気づかず、コーヒーカップを手にした久能は首をひねった。
「……記憶がないな。仕事をしているかジムに行くか。あとは、友人に会うくらいかな。鍛治さんは?」
「おかずを作り置きしたり、掃除したり、買い出ししたり……」
そう口にして気がついた。ものすごく地味だ、こんな週末の過ごし方は。
とはいえ、拓真と付き合っている間は、いつ呼び出されてもいいように友人と出かけることもほとんどなかったので、自然と地味な生活にならざるを得なかった。
例外は、真帆とランチや買い物に行く時くらいだろう。
「録画したドラマの消化をしたり、本屋に行ったり……。ああ、たまに祖父母のところにも行くこともあれば、友達と買い物に行くこともあります」
続けてみたけれど、やっぱり地味な週末だった。
「何かおもしろい話ができればよかったんですけど」
「それは、俺も同じ。家に持ち帰った仕事をしていると、あっという間に週末が終わってしまうかな」
それだけ多忙ということなんだろう。
「副社長なんて肩書きがあるせいか、パーティーだイベントだと、華やかに思われがちだけど。実際の生活は地味なものだよ」
肩をすくめる久能に、沙友里はくすくすと笑ってしまう。
「私も自分のことを話していて、地味だなあと思っていたところです」
今まで知らなかった久能の顔を、次から次へと見せられ、なんだか不思議な気分だ。
家事はどうするのかと思っていたら、その疑問は口にする前に解決された。
「家のことをするのは苦手で。食事は基本的に外ですませるようにしているし、掃除は定期的に人に入ってもらっているんだ」
「お忙しいですもんね……」
ちらり、と視線をテーブルに落としてしまう。その視線を自分が注文したミルクティーのカップに移動させる。半分空になったカップを見ながら考え込んだ。
(せっかくのお休みなのに、私に付き合わせちゃってよかったのかな)
今まで楽しく会話していたのが、急に肩に重たい石を乗せられたような気分になる。久能は、そんな沙友里の様子に気づいたらしく、すぐにフォローを入れてきた。
「忙しくないと言えば噓になるけれど、俺は、鍛治さんのためならどれだけでも時間を作るよ」
真摯(しん し)な顔でストレートに告げられ、どぎまぎしてしまった。熱くなった頰から意識をそらすように、沙友里は前から聞きたかったことを勢いに任せてたずねた。
「あの、前から不思議に思っていたんですけど、私と久能さんは社外でお会いしたことはなかったですよね?」
大林(おお ばやし)にも聞いたけれど、なぜ自分に久能との見合い話が舞い込んだのか、今も理由はわからないままだった。
「ないと言えば、ないかな」
不意に久能がうしろめたそうな顔になる。
(ないと言えばないって──どういうこと?)
それなら、どうして自分にお見合いの話が回ってきたのだろう。その疑問を口にする前に、久能が立ち上がる。
「そろそろ行こうか。予約の時間だから」
「はい……」
釈然としない気持ちのままカフェを出た時には、空は薄暗くなりかかっていた。