書籍詳細
焦れ甘オフィス~クールな御曹司の独占欲~
あらすじ
「俺はお前しか好きになれない」
いきなり秘書兼家政婦にご指名! 24時間溺愛されちゃう!?
社内一のイケメン・楠龍之介の女性との修羅場を目撃してしまった優香。実は彼は跡取り息子で、副社長代行に就任したとたん、口止めするための監視と称して自分の秘書に優香を指名してきた! しかも手厳しい龍之介は臨時家政婦まで命じてくる。渋々ながらも彼のマンションに通い、彼のために食事を作る優香だったが、ある日突然熱いキスをされて…?
キャラクター紹介
足立優香(あだち ゆうか)
松丸百貨店の販売員。突然副社長代行の秘書に抜擢され戸惑いを隠せない。
楠 龍之介(くすのき りゅうのすけ)
松丸百貨店の敏腕副社長代行。現社長の孫に当たる。口は悪いが根は真面目な性格。
試し読み
「こんばんは。優香です」
引き戸を開け中に入ると、ふわっとうなぎのタレのいい匂いがした。
「優香ちゃんいらっしゃい。できてるよ。ちょっと待っててね」
「すみません。忙しいのに……」
ここは田舎に住んでる私の母の友人の店で、母が東京に遊びに来ると必ずここのうなぎを食べにきている。
実はうなぎの美味しい時期というのは夏ではなく、冬なのだ。
土用の丑の日というのがあるが、あれは夏バテをしやすいから精のつくものを食べて暑い夏を乗り切ろうという意味だといわれている。
でも本当に美味しい時期は冬だというのを私はここの女将さんから教わった。
冬のうなぎは脂がのって美味しいのだ。
しばらくすると、女将さんが厨房から出てきた。
「はい、お待たせ。うな重の上二人前ね」
「いただきます」
お金を払って商品を受け取ると、紙袋から美味しそうなうな重の匂いがして、できることならここで食べてしまいたい衝動に駆られてしまう。
「それにしてもちょっと見ない間にすごく綺麗になって……もしかして彼氏でもできた?」
女将さんにいきなりとんでもないことを言われ、紙袋を落としそうになった。
「いいえ……そんな人いません。仕事が忙しくて」
「そう? 前にここに食べに来た時よりもなんだかキラキラしてたから、誰か好きな人でもできたのかなって思ったんだけどな〜」
「だといいんですが」
好きな人か……仕事を覚えることに夢中でそれどころじゃないし、たとえ誰かを好きになっても不幸な結果に終わるかもって考えるとなかなか踏み出せない。
私はペコペコと頭をさげると逃げるように店を出た。
「は〜〜っ。好きな人なんて……いるわけないし」
そして待ってもらっていたタクシーに乗り、副社長のマンションへと向かった。
いつものようにカードキーをさして部屋に入る。
すると玄関に副社長の靴がある。珍しく私より先に帰ってきているようだ。
だったら早速うな重を食べようと、足取り軽くリビングへと向かう。
「副社長。今日の夕飯は奮発しちゃいました……って、あれ? いない」
灯りは点いているが副社長の姿が見当たらない。
とりあえず、うな重の入った袋をダイニングテーブルに置くと、上着を脱いで、もう一度広いリビングをぐるっと見渡す。
だが、やはり副社長の姿はない。
もしかしてお風呂にでも入ってるのかな?
声だけでもかけようとバスルームへ向かったが誰かがいるような気配はなかった。
あれ? どこにいるんだろう〜。
あと探すといえば二階? でもまだ二階に行ったことがない、私。
ふと嫌な予感がした。
最近本当に仕事がハードで、ご飯を食べている形跡はあるが、家には寝に帰るだけのようだ。
でも会社にいるときは副社長は普段通りだったはずだけど……。
「副社長? 副社長どこですか?」
もし、疲れて寝ているのなら別にいいのだが、何かあったら困ると思い、二階へ続く螺旋階段を登ろうとした時にハッとした。
この部屋にはソファが二つある。一つはテレビを見たり、くつろぐためのものでグレーの布製の大きなソファだ。
そしてもう一つ。景色を眺めるためのソファで大きな窓の前に置かれている。
螺旋階段近くにあるので最初は気がつかなかった。
そのソファに、視線を移すとうつ伏せで手をだらんとたらして寝ている副社長を発見した。
「ふ、副社長? 大丈夫ですか?」
「ん……ん」
副社長はぐったりした様子で首をかすかに動かした。
「すみません。ちょっと失礼します」と言って右手で自分の額をおさえ、左手を副社長の額に当てる。
すると副社長の額の方がはるかに熱く感じた。
どうしよう。とにかくこんなところで寝ていてはダメ。寝室で寝てもらわないと。
だがそこでハッと思い出した。寝室が二階だってことを……でもここでは無理だ。
「副社長。お布団のあるところで寝ましょう。寝室まで行けますか?」
「……ああ」
副社長は微かなうなり声を出しながらゆっくりと起き上がると、小さな声で「すまない」と言って立ち上がった。
初めて聞く声に、胸が痛む。私がもっとしっかりとスケジュール管理をしていればここまでにはならなかったかもしれないのに……。
何より、今こんなにぐったりしてるということは今日一日体調が悪かったに違いない。それを全く見抜けなかったことが悔しいし、情けない。
うなぎなんて買っている場合じゃなかった。
これじゃあ本物の秘書になる前に失格よね。
「掴まってください」
力を貸そうと手を差し出すと副社長は首を横に振った。
だけど、相当体調が悪いのか一歩足を出した瞬間、バランスを崩しそうになり私は慌てて彼を支えた。
「大丈夫ですか? 私の肩に掴まってください」
副社長は大丈夫だと言って階段の手すりに手をかけたが、体力が落ちているため踏ん張りがきかない。
私は副社長の横に並ぶと腕を持って自分の肩に乗せ背中を支えた。
「私こう見えて力持ちなんです。いいですか、ゆっくりでいいのでいち、に、さんで上がりますよ」
副社長は力無く頷いた。
「じゃあ行きます。いち、に、さん」
副社長はゆっくりと足をあげ、階段を一段一段慎重に上がる。
私も掛け声を出しながら同じように階段を上る。
副社長との身長差があり、思っていた以上に大変だったが、何とか二階まで上がることができた。
二階にはキングサイズのローベッドと、その奥には本棚がありたくさんの本が置いてある。
「足元気を付けて寝てください」
「あ……りがとう」
私が布団をめくると副社長は、倒れこむようにベッドに横になった。
それから布団をかけ眠ったことを確認すると私は立ち上がった。
階段を降り、冷たいタオルを用意して再び副社長のもとへ。
再び額に手を当てると、さっきより熱く感じる。
冷たいタオルを額に乗せたが、こんなんじゃ全然ダメだ。
私は階段を駆け下りてダイニングテーブルに置いたバッグを掴んだ。
うな重の入った袋が目に入ったけど副社長には食べられる余裕などないかもしれないと諦めつつ急いでドラッグストアへと向かった。
店に着くと、解熱剤と冷却シート、それにスポーツドリンク、体温計をカゴに入れる。
あとは……こういう時って何を買えばいいんだっけ。
誰かのためにこんなことをするのって初めてで、悩んでしまう。
とりあえず必要だなと思うようなものを買い込んですぐにマンションに戻った。
そして買ってきた体温計と冷却シートを持って副社長が眠っている二階へと向かった。
副社長は眉間にしわを寄せ、辛そうな表情を浮かべながら眠っている。
私は額にのせたタオルを取り、代わりに買ってきた冷却シートを貼った。
熱はあるものの、できるだけのことはした。
安堵感と共に、気が抜けてどっと疲れが出た。
なんとなく窓の方を見ると、外の夜景が目に入った。
五十階から見る夜景はまるで街全体に電飾をつけたようだ。
だけど今の私にはそれを眺めるほどの心の余裕はない。
「まったく……仕事のしすぎです」
眠っている副社長に小さな声で語りかける。
最近の副社長は多忙を極めていた。どんな仕事も絶対に断らないし、その全てを自分一人で背負い込む。
そのくせ心配して何度声をかけても「自己管理はできている」の一点張り。
手抜きができない不器用な人なの?
それとも……彼が楠龍之介だから?
異動するとき部長が言ってたことを思い出す。
『まあ、いろいろとしがらみか何かがあるんだろう』
もしかすると松丸の家に生まれてきたことで、いいことも悪いこともいろいろ経験してきたのだろうか。
特に祖父も父も会社のトップだと周りの期待が大きい分、頑張りすぎていたのかもしれない。
セレブな生活を羨ましいと思ったけど、それなりの重圧に耐えながら生きていたのかな……。
そんなことを今頃気づく私はダメだな……。
副社長がぐっすり眠ったので一度階段を降り、ソファに座るとスマートフォンと手帳を取り出す。
遅い時間だとわかっていたが、とりあえず林田課長補佐にだけは連絡を入れておこうと電話をした。
電話に出た課長補佐はかなり驚いた様子で、全く気がつかなかったと言っていた。
とりあえず明日、どうなるかわからないのでスケジュールの調整をお願いした。
『明日は特別重要な案件はないから、副社長にはこっちで調整するから休養を取るように伝えてくれるか』
「はい」
よかったと私は安堵のため息を吐く。
するとそこで課長補佐が『ところでどうして副社長のことを知った?』と尋ねた。
びっくりした。まさか副社長のお宅へ毎晩ご飯を作りに行ってますとは言えない。
「電話が入ったんです。熱が出たって……それでです」
課長補佐は納得して電話を切った。
だが私は逆にどっと疲れた。
すると二階の方から副社長の声が聞こえた。
私は急いで階段を駆け上がる。
「副社長大丈夫ですか?」
副社長は喉が渇いたと言ってゆっくり起き上がったところだった。
私はペットボトルのスポーツドリンクにストローをさしたものを差し出した。副社長はそれを少し飲むと大きく息を吐いた。
「すみません。一度熱を測っていただきたいんですが」
枕元に置いた体温計を差し出すと副社長はそれを受け取ってゆっくりと脇に挿した。
それから待つこと三十秒でピピッと測定完了の音が鳴った。
ゆっくりと体温計を取り出すと、副社長はしかめっ面で私にそれを差し出す。
「……三十九度五分……ありますね。寝てください」
私に言われて副社長は緩慢な動きで横になった。
しかし予想以上に熱がある。
私は改めて、ここまでの異変に気づかなかったことに肩を落とす。
すると私の膝をポンポンと副社長が叩いた。
「そんな顔するな」
弱々しい声で彼は私に声をかけた。
「大丈夫ですか?」
思わず身を乗り出してしまう。
「ああ。もしかしてここまで運んでくれたのか?」
副社長覚えてないんだ。それほど体は悲鳴をあげていたんだ。
「すみません。私がもっとちゃんとしていればこんなことにはならなかったのに」
全く、自分が情けなくなる。
「それは違う。足立は慣れない秘書の仕事をよくやってくれてるよ。これは俺が足立の忠告を無視した結果。自業自得だ」
副社長は辛そうにしながらも私に笑顔を向けた。
「そ、そうですよ。副社長は機械じゃないんですよ……自分の体を休ませることも仕事の一つです」
すると副社長は虚ろな目をしながらも驚いた様子で私を見ると、口角を上げた。
「生意気なこと言いやがって」
「す、すみません……」
副社長に言われて、私はつい調子に乗ってしまった事を後悔した。
だが副社長は辛そうに首を横に振った。
「君は最高の俺の秘書だよ」
副社長はゆっくり目を閉じた。
私はこんな時にも関わらず、副社長の言葉にドキドキしてしまった。
それからどのくらい経っただろう。
熱のある副社長を一人にするのが心配で側にいたらいつの間にか眠ってしまっったらしい。
目が覚めると間近には副社長の顔があって、私は飛び起きた。
び、びっくりした。こんな至近距離で眠ってたなんて……これじゃ看病したうちに入らないじゃない。
時計を見ると六時少し前だった。一体私はどれだけ寝ていたの?
副社長のおでこに貼った冷却シートに目をやるとかなり乾いている。
交換しなくてはと手を伸ばした時だった。
私の手を副社長がパッと掴んだのだ。
そしてその手をぐっと引き寄せ、次の瞬間私たちは今にもキスできるほどの距離に近づいていた。
だけど副社長はかなり驚いた様子で私を見ていた。
「ずっとここにいたのか?」
ど、どうしよう。こんな至近距離なんて恥ずかしすぎる。
「は、はい。すごい熱でしたし……」
まともに顔を見れず私は視線を逸らした。
すると掴んだ手がゆっくり離れたので、私はさっと距離をとった。
副社長は自分で冷却シートを剥がすと、ゆっくりと起き上がった。
「熱を……測りましょう」
さっと体温計を差し出すと、副社長はそれを脇に挿す。
「俺、昨夜のことあまり覚えていないんだが、そんなに酷かった?」
やっぱり覚えてないんだ。
っていうことはきっと『君は最高の俺の秘書だよ』と言ったのも覚えてないんだろうな。
って、私がっかりしてる?
いや、熱で朦朧としていたんだから、言ったことも覚えてないし、そもそも本心だったかも定かじゃないかもしれない。
「昨夜は三十九度五分の熱が出てたんです。私は副社長の身に何かあってはいけないと思い、失礼を承知でここにいました」
「すまなかった」
副社長が頭を下げると同時に体温の測定が終わった。
熱は三十六度六分まで下がっていた。
「よかった。下がりましたね」
「君のおかげだ」
顔色もすっかり良くなって、昨夜の高熱が嘘のようだ。
「いえ、私はただ横にいただけです。それよりお腹すきましたよね。何か消化の良いものを作ります」
立ち上がろうとすると、腕を掴まれた。
「副社長?」
副社長と思いっきり目が合う。
昨日の熱に侵されて潤んでいた瞳とはまた違う。なんだか違う熱がこもったような目で見つめられて、今まで感じたことがないほどドキドキしている。
このままじゃあこのドキドキが加速するばかり。私は咄嗟に視線を避けてしまった。
「ありがとう」
それはとても優しい声だった。単なるお礼なのに、胸の奥がキューンと締め付けられた。
自分の顔が熱くなっているのがわかって私はサッと立ち上がった。
「ご飯作ってきます。それと昨夜はたくさん汗をかいたと思うのでお風呂の用意もします」
早口で言いたいことだけ言うと私は螺旋階段を勢いよく降り、逃げるようにキッチンへと向かった。
そして、ダイニングテーブルの上に置いてあったうな重の入った紙袋に気づく。
一緒に食べようと思ったけど置きっぱなしにしてしまい、冷蔵庫にも入れていなかった。流石にチンして食べてくださいとは言えず、私は気づかれないように袋を持っていって玄関に置いた。
そしてお風呂にお湯を張ると朝食の準備をした。
「今日はスケジュールを全てキャンセルしましたのでゆっくり休んでください。私はこれからうちに帰って、着替えて出勤しますので」
「ほんとうにありがとう。今日は休ませてもらうよ」
すっかり元気になった副社長を見て安心した私はうな重の入った紙袋を持ってマンションを出た。
まだ人もまばらな早朝。
熱にうなされて弱っていたからだとわかっていてもあんな優しい副社長に私は不覚にもドキドキしてしまっていた。
そして一瞬だがもう少し一緒に居たいと思ってしまった自分に私は驚いている。
なんでこんなこと思っちゃったんだろ。
私は足を止めると振り返って副社長の住むタワーマンションを見上げた。
今自分の立っている場所と副社長の部屋との差が自分の置かれてる立場に比例しているように思えて、ため息を吐くと、近くの駅までの道を早歩きした。