書籍詳細
本日、プロポーズ休暇いただきます~敏腕社長は秘書に夢中~
あらすじ
「秘書だけじゃない……、きみは俺の恋人だろ」
エリート社長の独占愛が止まらない
「わたしと結婚しましょう」イケメン若社長の冴木遼太郎から、突然すぎるプロポーズを受けてしまった社長秘書・羽衣子。仕事中でも羽衣子を独占したい遼太郎のあの手この手のアプローチに困惑しながらも、彼に惹かれていく気持ちを抑えられない。実は、彼の愛に応えられない秘密を抱えていて……。そんな時、二人を引き裂く事件が起きてしまい!?
キャラクター紹介

周羽衣子 (あまね ういこ)
大手化粧品会社「ステラミューズ」社長秘書。 しっかり者だが、実は超天然。

冴木遼太郎 (さえき りょうたろう)
「ステラミューズ」社長。紳士的なイケメンと意地悪で独占欲の強い二つの顔を持つ。
試し読み
「あの、社長……近いです」
「そうですか?」
とぼける冴木社長も顔がいい。いや、今はそんなこと考えている場合じゃない。
社長室のデスクの傍らに立つ私の目の前、まさに寄り添うようにして、冴木社長は至近距離からこちらの様子をうかがっている。
彼も立っているし、身長差があるから顔自体はそこまで近くない……んだけど、チラチラ視界に映るネイビーのストライプスーツから、なんだかいい香りがして。簡単に香りが届いてしまうこの距離感は、どう考えてもおかしい。
内心ドギマギして仕方のない様子を表に出してしまわないよう、あくまで冷静なフリを続けた。
「仕事の話をするのに、この距離感は不自然です」
「そうでしょうか。周さんが意識しすぎでは?」
「い……っ」
痛いところを突かれ、それまで頑なに逸らしていた視線を反射的に上げてしまった。
瞬時に自分の行動を後悔したのも束の間、目が合った冴木社長は可笑しそうに笑っている。……やられた!
「そんなに警戒しなくても、仕事中にセクシャルな目的で迫ったりはしませんよ。たぶん」
「たぶん⁈」
取り繕う余裕もなく不覚にも動揺を見せた私に、冴木社長は今度こそ声に出して笑った。
「ははっ。さて、今朝のアプローチはとりあえずここまでにしておきます」
そう言ってあっさり私から離れると、社長は黒い本革のエグゼクティブチェアに腰を下ろす。
心臓が、うるさいくらい早鐘を打っていた。簡単にドキドキされられる自分が悔しい。
その思考がおそらく滲み出てしまっている私を、今度はデスクに片手で頬杖をつきながら見上げた。
「不満そうですね、周さん。もしかしてもっと大胆に攻めて欲しかった?」
「そんなわけないでしょう! っあ、いえあの」
とっさに反論してから、感情的になった自分を恥じて口を噤む。
失礼だとは思いつつ、少しでも心を落ち着かせるためにはーっと深くため息を吐いた。
『とりあえず今後も、鈍感な秘書殿に俺の本気が伝わるよう口説いていきますから──覚悟、しておいてください』
冴木社長からの、衝撃的なプロポーズから早数日。
彼はあのときの言葉通り、隙を見つけてはこうして私にちょっかいをかけてくるようになって。
……いや、少しからかわられるくらいなら、以前までもあった。
けどなんというか、最近のこれは……ちょっと危うい意味をあからさまに含んでいるのが、わかるというか。
二十八になるこの歳まで、ほぼ恋愛経験はないに等しい私。冴木社長の“アプローチ”は、刺激が強すぎて毎度かなり精神力を削られてしまうのだ。
そして、彼に対するこれまでの態度でお察しの通り──社長の口から『好きですよ』という言葉を聞いてからも、私は自分もひそかに隠し持っていた想いを伝えるどころか、彼のその気持ちすら信じきれずにいた。
だって、相手はこの、冴木遼太郎なのだ。大企業の創業者一族の長男として生まれ、実際に現在はそのトップの地位につき……おまけに街を歩けば誰もが振り返るような整いすぎた美貌を持った、私の主。
仕事はできるし、性格だってちょっとSっ気はあるけれど男らしくて頼りがいがある。そんな人と、これまでごくごく庶民的な人生を歩んできた……特に突出した才能や容姿も持ち合わせていない自分では、普通に考えて釣り合うわけがなくて。私のどこを好きになってもらえたのかも、正直わからないし。
だから──きっと冴木社長のこれも、一時の気の迷いだ。仕事が忙しくてろくに遊ぶこともできず、そんな中たまたま近くにいた女の私が、なんとなく目に留まっただけ。きっと、それだけ。
そうであってくれなきゃ、困るんだと──私は誰にともなく心の中で言い訳しながら、彼の戯れをなんとか受け流す日々だ。……今のところ。
ひと呼吸置いたことで、少しは頭が冷えた気がする。私は改めて口を開いた。
「……からかうのは、やめてください。あまり度が過ぎると、それに反応する私の態度もどんどん失礼なものになっていきそうで困ります」
「俺は別に気にならないけど。周さん、俺の前ではいつもキチッとキリッとしていたいんだろうなと思ってたから、こうして普通に素を見せてくれるのはうれしいですね」
それは……つまりボロが出ているというのでは……?
にっこり麗しい笑顔で、冴木社長はまたもや反応に困ることを言う。とりあえず、今の自分は頬が赤くなっていないか心配だ。
私が素を見せることがうれしい、なんて。そんな……本当に私に好意があるみたいなセリフ、さらっと言わないで欲しい。
私をまっすぐ見据えたまま、冴木社長がまるでいとおしいものでも見るように目を眇め、色気のある蠱惑的な笑みを浮かべた。
「思う存分困ればいい。困って、もっと俺のことで頭の中をいっぱいにしてくれ」
ささやかれた瞬間息を呑み、とっさの言葉も出なかった。
向けられる眼差しがあまりに熱っぽいから、とたんに心臓が暴れだす。
しかも、こんなときばっかり敬語が抜けるから反則だ。これ以上目を合わせていられなくて、あからさまに顔を背けてしまった。
「も、もう、勘弁してください」
「なぜ? 俺は今、きみが照れている姿が見られて最高にいい気分なのに」
「そういうところですよ……!」
絶対イイ笑顔をしているとわかる声音であっさり返されて、思わず悔しい本音が漏れる。
冴木社長の、笑顔でナチュラルに相手を追い詰めてくるこんなところが恐ろしいのだ。
交渉相手や嫌味な自社幹部に対してそれを発揮する姿は頼もしいけれど、自分がその対象となると話は別だ。何度でも言うが、激しく恋愛経験値の乏しい私には、完全に手のひらの上で転がされている感が否めない。
きっと冴木社長は、これまでにさぞ華やかな女性遍歴をお持ちなのだろう。昔から今もたいそうおモテになっているという話は、いろんな筋から聞いている。
そんなことを考え、胸の奥がモヤモヤしてしまったことなんて気づきたくもない。
チラ、と手もとの腕時計に視線を落とす。今朝の会議までは、まだ時間があった。
少し迷い、けれどもこちらはいつも仕事中も関係なしに不意打ちでドキドキさせられているのだからと思い直す。冴木社長になんとか溢れ出る色気をしまって欲しい私は、ここでずっと疑問に思っていたことを思いきって口にした。
「……そもそも、どうしていきなり『結婚しよう』なのかわからないです。恋人同士でもないのに、不自然でしょう」
そう。このことがまた、冴木社長の言葉に現実味を感じられない理由のひとつだ。
ゆうべ、実家の両親とした電話で『お付き合いしてる人はいないの?』と聞かれたことを思い出す。
……お付き合いをしていたわけでもないのにプロポーズしてきた人がいるだなんて答えていたら、あの人たちは一体どんな反応をしていただろうか。
たとえば、出会いがお見合いならともかく……突然プロポーズって、どう考えても困惑するでしょう?
だというのに彼は、それがたいした問題でもないかのようにあっさりと答える。
「不自然? 俺たちは、これまで二年以上ずっとそばにいました。きみは俺のことをよく知っているし、逆もまた然り。というわけで、今さら恋人期間を設ける必要もないと判断しました」
涼しい顔をして淀みなく言ってのけた社長に、思わずポカンと口を開けてしまった。
……これは、冗談? だってこんなの、あまりにも極論だ。
そんな私の気持ちが伝わったのか、冴木社長は真顔で腕を組む。
「言っておきますけど、今のは嘘でも冗談でもありません。きみがよく知る冴木遼太郎は、本気で、周 羽衣子と夫婦になりたいと思っています」
嘘……でも、冗談でも、ない?
……本気で、夫婦に?
一拍遅れ、私は勢いよく首を横に振る。
「し……っりません、知りません! 私が知っているあなたは、ビジネスマンとしての冴木社長だけです……!」
恋人なんて、甘い関係とはほど遠い。彼と歩んできた二年半という月日が相当濃いものだったことに間違いはないけれど、それは単に、一心不乱で仕事をしていただけだ。
周囲の人間からも、私たちはただの社長と秘書にしか見えていないだろう。私から見た冴木社長は完璧なまでに私の上司であったし、私自身も単なる部下として振舞ってきたから。自分の気持ちの変化に気づいてしまってからも、ずっと、そうするように努めてきたから。
仕事のパートナーとして出来うる限り寄り添いながらも、素を見せすぎない線引きはしている。きっと、冴木社長だって。
そして、私は……彼に一生隠し通すと決めている、秘密だって持っているのに。
無意識にうつむく。すると社長が、そんな私の真意を探るような鋭い眼差しでじっとこちらを覗き込んでいた。
その視線にたじろぐ私の前で、ふと、その目と口もとが和らぐ。
「たしかに、それは一理ある」
椅子から腰を浮かせた冴木社長が、腕を伸ばした。
私は、近づいてくる綺麗な手をぼんやり見つめて動けない。
たどり着いた指先が、左のこめかみに垂れていた髪を耳にかける。
じれったいほど優しいその手つきに、ぞくりと身体が震えた。
「きみは、俺の言葉が信じられないんだろうな。それだけ俺は今まで、きみが戸惑わないよう決定的な言葉や接触を巧妙に避けてきた。タイミングを見計らっていたと言ってもいい」
淡々と話しながら、向けられる瞳には熱がともっている。
「引き金を引いたのはきみだ。俺から離れることを考えたりするから、つい焦って、馬鹿正直なだけの直球プロポーズなんてしてしまった。嘘はないが、少々情緒や配慮に欠けたことは否定しない」
ときめいてちゃダメなのに、ドキドキと高鳴る胸の鼓動がうるさい。
硬直する私の目の前で形のいい唇が弧を描き、その美貌を妖しく引き立てた。
「だからこそ──これからはきみにこちらの本気を全身全霊で思い知らせるために、ただの男としての俺を見せてやると言っているんだ」
おそろしく整ったかんばせに浮かぶ微笑みは、綺麗としか言いようのないもののはずなのに──今、彼の瞳に射抜かれている私には、まるで捕食直前の恐ろしく獰猛な獣のように見えた。
「……ッ」
本能的に逃げ出したくなって、息を呑みながら一歩後ずさる。
冴木社長は動かない。その指先から、私の髪の一房もさらりと逃げた。
ドクドクと脈打つ心臓のあたりでぎゅっと手を握りしめる私を、社長が楽しげに見つめている。
「それでいい。きみは優しいから、そうやってちゃんと自衛しないと悪い男につけ込まれるぞ」
まさにその“悪い男”筆頭のような見目麗しい男が、強烈な色香をだだ漏れにしながらささやくこの状況。
先日からもう何度も繰り返した『ああこのありえない事態は、きっと夢なんだ』という感想を、懲りずにまた頭の中に思い浮かべる。
そんな現実逃避でもしないと、心臓が持ちそうになかった。