書籍詳細
極上ドクターの溺愛カルテ~甘い秘密は恋のはじまり~
あらすじ
「今夜は君を逃がさないことにした」
エリート医師の抱き枕? 彼の腕の中で一晩中……
看護師の結菜は、凄腕と評判の医師・片桐が体調を崩しているところに居合わせる。見かねて自宅に送り届けるもベッドに倒れ込んだ片桐の下敷きになり、意図せず彼の部屋で一晩過ごすことに! 仕事中のクールな態度と違う、無防備かつ男らしい様子の片桐にドキドキが止まらない結菜。数日後、片桐に「俺と一緒に寝てくれないか?」と頼まれて……!?
キャラクター紹介

小川結菜(おがわゆうな)
働き始めて二年目の新人看護師。面倒見がよく、困っている人を放っておけない性格。

片桐智也(かたぎりともや)
凄腕の小児外科医。一見冷たい雰囲気だが、患者思い。看護師とは必要最低限しか話さない。
試し読み
ソファーにかけるように言われて従うと、「水かコーヒーしかないんだ」と小さく苦笑した片桐先生は、ミネラルウォーターを置いてバスルームへと消えた。
それからは居た堪れないような気持ちで待つことしかできなくて、お風呂上がりのせいだけじゃない頬の熱を一刻も早くどうにかしたかったけれど……。思いのほか、先生が戻ってくるのが早かったから、それは解決することはないまま顏を合わせるはめになってしまった。
「顏が赤いな。暑いか?」
「いえ……」
普段、こんな風に片桐先生から気にかけてもらえることなんてないから、戸惑ってしまう。
しん、と静まり返った部屋は、先生とふたりきりなのだということを余計に意識させる。そのせいで、胸がドキドキと騒いで仕方がなかった。
口を開けば自分の首を絞めることになりそうで、片桐先生の視線を感じながらも言葉が出てこない。このまま無言を貫いて先生の反応を待とうとしたとき、ハッと思い出してバッグを漁った。
「あの……これ、先日のタクシー代のお釣りです。あのときは、ありがとうございました。本当はもっと早くにお返ししたかったんですが、タイミングがなくて……」
茶封筒を差し出すと、片桐先生が一瞬だけ固まった。
あの日からバッグに入れていたけれど、すっかり返すタイミングを失っていた。
まさか仕事中に持ち歩けないし、かと言って職場以外で会うこともなかったから。
「そんなもの、返さなくても……」
「そういうわけにはいきません。タクシー代はお言葉に甘えさせていただきましたが、これはきちんとお返ししないといけないものです」
手を引っ込めない私に、先生は「本当に変わっているな」と微笑した。
それはきっと、素直な笑顏だったのだろう。
嫌味や呆れた雰囲気のない表情はとても優しげで、心臓がドキリと高鳴った。
「君みたいな真っ直ぐな子は初めてだ。……失礼を承知で一応訊くが、俺のワガママに付き合うのだから、それくらいは報酬だと思ったりはしないのか?」
言葉通りに受け取るのなら、失礼な質問なのかもしれない。
だって、『お金で解決しよう』と受け取れなくもないから。
ただ、片桐先生が言いたいことは、きっともっと優しい意味なんだと思う。先生はどこか申し訳なさそうで、『せめてそれくらいは受け取ってくれ』と言いたげな瞳からは罪悪感のようなものが伝わってきたから。
「もちろん、これでは安過ぎるが……。でも、返す必要なんてないだろう。君にとって今回の決断は簡単だったわけじゃないということくらいは、これでも理解しているつもりなんだ」
案の定、先生は私への気遣いを見せてくれた。
それに……私はもう、知っている。
ナース嫌いで、一匹狼のような気難しい片桐先生は本当は優しい人なのだ、ということを。
いくら悲しいことがきっかけになったとしても、冷たい人ならこんな風に苦しんだりせずに済んだはず。知られたくないことを話してまで私に頼まなければいけないような状況に陥っているのは、きっと先生がとても優しいから。
それを知ってしまったからこそ、私はこの人の力になりたいと思ったのだ。
「先生。さっきも言いましたが、私が先生のお願いを聞くのは、先生だけのためじゃありませんから」
「参ったな……。でも、俺がこれを受け取らないと、君は納得しないんだろう」
困ったように苦笑した片桐先生に、「はい」と大きく頷いた。先生はなんだかリラックスしているようにも見えて、その表情につられるように瞳を緩めて見せる。
「なら、一旦受け取っておこう。今度お礼をするときは、これでご馳走するよ」
そうなってしまうと、結局は間接的に私が受け取ることになるのだけれど……。ひとまず片桐先生の手に茶封筒が渡ったことに安堵して、先生を見ながらもうなにも言わないでおこうと決めた。
それに、〝今度〟という言葉が少しだけ嬉しくもあったから。
次があるのかな、なんて考えると笑顏が零れそうだった。
「おかげで、少しは吹っ切れたよ。これでも一応、私情に巻き込んだことを申し訳ないとは思っているからな。……でも、今夜は君を逃がさないことにした」
不意に力強い瞳にじっと見つめられて、胸の奥がキュウッと締めつけられるような感覚に陥った。
ただ、治療の延長みたいな添い寝をするだけのはずなのに……。低い声音で紡がれた言葉と真っ直ぐな視線は、まるで恋人のために用意された甘い雰囲気のようにも思えてしまう。
だけど、そんなことは絶対にありえないとわかっているから、勘違いしてしまいそうになった心を慌てて引き止めた。
間違っても変な感情を持ってはいけない、と頭と心に何度も言い聞かせる。
だって、片桐先生がなにげなく口にする言葉にいちいち過敏になってしまったら、自分では手に負えない感情が芽生えてしまいそうで怖かったから……。
きっと、先生とこんな風に接点を持っていられるのは今だけ。
それなのに、心が惹かれてしまったら、取り返しがつかなくなるかもしれない。
「行こうか」
胸がドキドキと騒ぐせいで、小さく頷くだけで精一杯だった。
ほんの僅かな時間だけ訪れていた穏やかな雰囲気は、少しの影もなくなっていた。
小さな衣擦れの音と、ふたり分の息遣い。
静かな寝室で耳に届く音たちは、私にこれ以上ないほどの緊張を与えてくる。
この間だって朝まで一緒に過ごしたけれど、ハプニングなのか自ら選択したのかでは、やっぱり緊張の度合いも気まずさも全然違う。
クイーンサイズのベッドはフカフカで、自宅や旅行でこれを堪能していたらあっという間に眠れただろうと思うけれど……。少し体を動かすだけで触れられるような距離に片桐先生がいる今は、眠気すら起きない。
先生も寝つけないようで、会話こそないものの起きている気配がする。
気まずくて背中を向けているから、確信はないのだけれど。
「眠れないのか?」
「……っ」
不意に話しかけられて、大きな声を上げてしまいそうなほどに驚いた
ほとんど言葉を交わさずにベッドに促された私は、この寝室に足を踏み入れてから『失礼します』と『おやすみなさい』しか口にしていなかったし、片桐先生も『ああ』と『おやすみ』としか返してくれなかったから。
簡単な質問をされただけなのに、すぐに声が出てこない。
「眠ったのなら、それでいいんだ」
すると、独り言のように落とした先生がなんだか苦しそうな気がして、考えるよりも先に唇を開いていた。
「お、起きてます……けど」
「そうか。……お互いに眠れないな」
ぎこちない会話が、静かだった寝室でそっと交わされる。
緊張も拍動も激しいままなのに、片桐先生の声が聞けたことで少しだけホッとしていた。その理由はわからないけれど、先生の声をもっと聞きたいと思う私がいる。
「先生は眠くありませんか……?」
「どうだろうな。それなりに疲れているとは思うんだが、よくわからない」
答えてくれたことは嬉しい反面、疲れているのに寝つけないのは気になる。
片桐先生は私と違って緊張で眠れないというわけではないだろうし、ベッドに入ってから一時間は経っているはず。私もなかなか眠れない日はあるものの、先生の〝眠れない〟というレベルは私が思っているよりも深刻なのかもしれない。
「えっと……私、これといった特技はないんですけど……。子守歌か絵本の読み聞かせくらいなら、少しは……」
「え?」
零された声に顏が熱くなって、バカなことを口にしてしまったことに気づく。
その声音だけで怪訝な顏をされているのがわかって、慌てて言い訳を考えた。
「すみません! 今のは忘れてください! 弟たちが幼い頃にしてあげていたことなんですけど、そういうことじゃないですよねっ……!」
一気に言い切った私の声が、静けさを破った。それが余計に自分自身のマヌケさを際立たせ、穴があったら入りたいと思うほどの羞恥を感じる。
「君は本当に、俺の予想とは違う言動をするな」
程なくして耳に届いたのは、優しい声音。
まるで微笑んでいるかのような言い方にきょとんとしていると、ベッドがゆっくりと軋んだ。その直後、鼓動が大きく跳ねた。
片桐先生に背中を向けたままだけれど、先生との距離が近づいたのはわかる。
「そういえば、この間は抱き締めていたんだったよな」
しばらく続いた沈黙を破ったのは、耳心地のいいバリトン。
胸の奥を掴まれたような錯覚に陥りそうになって、息ができなくなるかと思った。
「はい……」
それでも、必死に平静を保ったけれど、振り絞るようにして答えた声が震えた。
「なら、この間と同じようにしていいか?」
キシッと鳴ったベッドが、私たちの距離がまた近づいたことを告げる。
意識していなければ呼吸を忘れてしまいそうな私に反して、片桐先生の声音は優しさを孕んだままで余裕があるのだと悟る。
「……嫌なら、首を横に振ってくれればいい」
そんな言い方、ずるい……。
だって、嫌だとは思っていないから。
『ダメなら』とか『無理なら』と言ってくれたら首を横に振れたのかもしれないのに、そんな風に言われてしまったら逃げ場なんてなくなってしまう。
コクリ、と首を縦に小さく動かす。
それが精一杯だった私を先生は見逃さなかったのだと気づいたのは、数秒の静寂のあとにベッドがひと際大きく軋んだから。
上にしていた左腕にそっと触れられ、息をひそめるように瞼をギュッと閉じてじっとしていると、そのまま体を引っ張られた。
「ひゃっ……」
驚きの声を上げてしまった私が思わず目を開けると、視界に入ってきたのは真剣な面持ちの片桐先生だった。
先生の真っ直ぐな瞳と目が合って、胸がキュウッと苦しくなる。
自然な動作で私を抱き寄せた片桐先生の腕の中に収まっていることに気づいたときには、きっと息が止まっていた。
てっきり後ろから抱き締められるのだとばかり思っていたから、目の前に先生の端正な顏があるこの状況に緊張はピークに達してしまい、鼓動は今まで聞いたこともないほどに暴れている。
そんな私の体がさらに片桐先生の方に引き寄せられ、額には逞しい胸元が触れた。
「あったかいな、君は……」
聞いたこともないほどに優しく零された言葉が鼓膜をそろりと撫で、私たちの距離がゼロであることを教えてくる。呼吸すら上手くできないほどに胸が苦しいのに、先生の腕を振り解くことができなかった。
片桐先生の腕の中に収まってからどれくらいの時間が経ったのかはわからないけれど、数分ほど前から規則的な吐息が聞こえるようになった。
先生は、もう眠れたのだろうか。
声をかけようか悩んだけれど、そのせいで起こしてしまうわけにはいかないし、なによりも片桐先生が起きていたとしたら今度こそ間が持たない。
背中合わせで横になっていたときだって余裕はなかったのに、先生に抱き締められたまま会話を交わせるはずなんてなかった。
片桐先生の腕は一度も緩められることはなく、だけど苦しさは感じない。
心臓は未だに騒いだままだし、緊張でいっぱいの心は一向に落ち着きそうにないのに……。お互いの服を隔てて伝わってくる体温がなんだか心地好く感じて、このままずっとこうしていたいと思いかけてしまった。
そんなこと考えちゃダメだよ……。今日だけ、なんだから……。
車の中で抱いていた予感がいつの間にか大きくなっていたのは、きっと先生にこんなにも優しく抱き締められているせい。
期待なんてしてはいけない、と自分自身に何度も言い聞かせてみるけれど、そのたびに片桐先生の温もりに心が揺れる。
「ん……」
小さく漏らされた声とともに体をキュッと抱き締め直されたとき、胸の奥が締めつけられた。
そんな現実を認めるのが怖くて瞼を閉じたけれど、視界を閉ざしたことで先生の体温と鼓動をますますしっかりと感じて、今夜こそ眠れそうになかった。