書籍詳細
かりそめ婚約者に溺愛されてます~一途な御曹司は失恋女子を捕まえたい~
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あらすじ
「君に触れていたくて仕方ない」
憧れ上司からの溺愛!? かりそめの関係は、想像以上に甘々で…
美緒は社内恋愛での失恋を乗り越え、憧れの上司・伊織の元で前向きに仕事に励んでいた。失恋相手である元彼と後輩の婚約が進み、美緒は元彼との関係を誤解され、社内でよくない噂を立てられてしまう。そんな美緒を守るように、伊織は元彼の婚約祝いの場で「自分と美緒は婚約者同士だ」と宣言! 【偽りの婚約者】として、急接近しはじめて……!?
キャラクター紹介
染谷美緒(そめやみお)
入社三年目のOL。社内恋愛で失恋をしたが、今は立ち直り仕事をこなしている。
榛名伊織(はるないおり)
美緒の会社の創業者一族で、運営本部課長。何かと美緒をフォローし、助けてくれる。
試し読み
「伊織さん! 向こうに行ってみたいです」
食べ物だけでなく珍しい小物が沢山並んでいる店を見て、美緒は弾んだ声を出した。
昔から雑貨が大好きなのだ。気になった店に入ると美緒好みの和風の小物が並んでいて、気分が上がった。
伊織は嫌な顔をせずに付き合ってくれるから、のびのびと楽しめる。
「これ可愛い」
手に取ったのは赤い石が付いた簪。石の大きさは控えめだけれど、深みのある赤が気に入った。
「美緒の好きそうな色だな」
伊織が、簪をじっと見ながら言う。
「そうなんですよ……あれ? 私、好きな色を言いましたっけ」
「美緒は仕事で広告のデザインなんかを選ぶとき、まず赤系に興味を持つから好きなんだろうと思ってたんだ。あまり派手ではない落ち着いた印象の赤を好むんだなって」
彼の洞察力の高さに感心する。デザインを選ぶ際、そんなことにまで気が回るなんて驚きだ。
(私は伊織さんが何色を選んでいたか覚えてない)
目の前の仕事に精いっぱいで、周りの人を気にしている余裕なんてなかった。
もしかしたら伊織は、美緒に付き合っているプライベートの今も、一方で仕事のアイデアを探しているのかもしれない。
「私にも伊織さんくらいの観察力とか、マルチタスクな能力があったらいいのに」
心の声を呟けば、伊織は曖昧に笑った。
「俺だっていつも観察力が高いわけじゃないけどね」
「そうなんですか?」
「関心のない相手の好みなんて気にしない。美緒が相手だから覚えてる」
「え……」
思わずドキリとした。美緒は特別だと言われているように感じたからだ。
彼がそう言ってくれるのは仮の婚約者をしているからだと頭では分かっているのに、真剣な瞳と視線がぶつかったとき、それ以上の感情があるように思えて心が揺れた。
(伊織さんにそんな気持ちがあるわけないのに……)
いちいち勘違いしそうになる自分が嫌だ。
「美緒、どうかした?」
目を背けたからか、伊織が怪訝そうに問いかけてくる。
「……伊織さんが意味深な言い方をするから、動揺してしまいました」
「動揺?」
「私が相手だからなんて言うから……そういうの言われ慣れてないので、さらっと流せないんです。あまりからかわないで下さいね」
美緒としては結構本気の訴えだけれど、重く受け取られるのも嫌だったので、後半は冗談っぽく笑って言った。
いつもの彼なら冗談めかして笑うところだ。けれど今はそうせず、まっすぐに美緒を見つめている。
「からかってなんてない。俺は本気で言ってるんだ」
「……え?」
思いがけない返事に、美緒は目を見開いた。
(本気ってどういう意味? 私を本当に特別だと思ってるの? いえ、まさか……そんなわけない)
彼の周りには、美緒よりも遥かに綺麗で賢くて家柄も良い女性たちが大勢いる。
(それなのに私が選ばれるはずない……伊織さんだって好きな人がいると言ってたじゃない)
以前聞いた一目惚れしたという女性の話を思い出しながら、美緒は目を閉じた。
(落ち着かなくちゃ、勘違いしたら駄目なんだから)
きっと伊織の言う〝特別〟は美緒の思うそれと意味合いが違うのだろう。
「ありがとうございます。私にとっても伊織さんは特別ですよ」
「美緒、それって……」
「特別に親しみを感じている先輩です」
笑顔を向けると、伊織の顔に落胆が浮かんだ気がした。けれどすぐにそれは消える。
「そう言ってもらえて光栄だ。そうだ、お礼にその簪をプレゼントするよ」
「ええ? そんな、いいですよ。何か欲しくて言ったわけじゃないし」
「俺が贈りたいんだよ。それにこの簪は美緒に似合いそうだ」
伊織は美緒が手にしていた簪をそっと引き取る。その瞬間に手が触れ合い、胸の鼓動が強まった。
「でも……私、上手く扱えないですよ」
簪のコーナーには〝簪の使い方〟の動画が流れているが、その通りに出来る自信がなかった。
伊織は動画をちらりと見て言う。
「俺が着けてあげるよ」
その申し出に、美緒は目を丸くした。
(まさか、今見ただけで覚えたの?)
唖然としている内に伊織は会計を済ませ、美緒の手を引いて店を出た。
通りに幾つもあるベンチに美緒を座らせると、買ったばかりの簪で器用にハーフアップを作ってくれた。
彼に髪に触れられて、とても緊張した。鼓動が速くなり触れられた部分を強く意識してしまう。
その時間はそれほど長くは続かなかったけれど、伊織に「出来たよ」と言われたとき、美緒の頰は赤く染まっていた。
店舗のガラスに映った美緒の髪は綺麗にまとまり、伊織の言った通り赤い簪はよく似合っていると思った。
「凄い……伊織さん、ヘアサロンでも働けますよ。本当に何でも出来るんですね」
伊織は大げさだなと苦笑いを浮かべる。
「そうでもないけど、手先は結構器用な方だから」
「ありがとうございます。とても嬉しいです」
伊織の眼差しが一層柔らかくなる。
「どういたしまして。喜んでもらえて嬉しいよ」
「嬉しいですよ! 帰ったら沢山練習して自分でも使えるようになりますね」
「教えようか?」
「え? ……じゃあ、どうしても出来なかったときには」
でも男性にヘアアレンジを教えてもらうのってどうなのだろう。そんな疑問を持ちながら答えると、伊織は楽しそうにうなずいた。
「車と簪、美緒に教えるのが楽しみだ」
「教わること沢山ですね、仕事でもプライベートでも」
「そうだな」
伊織はそう言うとさりげなく美緒の手を掴んできた。掴まれた手から、彼の体温が伝わってくる。自分の心臓の音がやけに大きく鳴り響き、頬がかあっと熱くなるのを感じた。
そのままふたり並んで歩き出す。
(手を繋いで歩くなんて、本当に恋人同士みたい)
内心かなり意識していながらも、楽しい雰囲気を壊したくなくて、なんでもないふりをする。
「伊織さん、あのお団子美味しそうです。食べませんか?」
しばらく歩いて美緒がそう言うまで、手は繋がれたままだった。
それから数多くのお店が並ぶ通りを歩き、昼過ぎには古風な店構えが目を引く海鮮料理の店に入り食事を楽しんだ。
それまでも食べ歩きをしていたためふたりとも満腹で、苦しいお腹を落ち着かせるために、午後は足を延ばして少し離れた場所にあるパワースポットだと有名な神社に向かった。
大きな鳥居をくぐると緑の木々が視界に入る。まるで森にいるような気分になった。
「空気が澄んでるみたい。なんとなく神聖な感じがしますよね」
「ああ、そうだな」
「ここには縁結びの神様がいらっしゃるそうですよ」
美緒が事前に調べておいた情報を伝えると、伊織は眉を上げてから微笑んだ。
「それはいいな、お参りして行こうか」
「はい、そうしたいと思ってたんです」
境内には小川が流れ、涼やかな風が吹いている。
小川にかかる橋を渡った先の拝殿の前で、伊織と並んで手を合わせた。
(良い縁に恵まれますように……)
結構真剣にお願いをしてから目を開くと、伊織が綺麗な姿勢で礼をしているところだった。
美緒も彼に倣って礼をしてから、拝殿を離れる。
「伊織さん、何をお願いしたんですか?」
「秘密。話したら叶わなくなるって言うだろう?」
悪戯っぽく笑って返される。
「あ、そうでした。でも伊織さんのお願い気になるな……」
少しがっかりして呟くと、伊織は仕方ないなと言いながら優しく目を細めた。
「美緒との縁が続きますようにって願ったんだよ」
「え?」
予想していなかった返事に美緒は目を丸くする。伊織はそんな美緒の手を自然な動作で掴んだ。
「これからもよろしく」
親しみのこもった笑顔を向けられて胸が温かくなった。
「はい! こちらこそよろしくお願いします」
張り切って返事をする。美緒の方こそ、伊織と過ごす時間は心地よく満たされた気持ちでいるのだから。
この先も……仮の婚約者ではなくなった後も良い関係でいられたらと願っている。
伊織とのデートは楽しくてあっという間に夕方になった。そろそろ帰らなくてはいけない時間だ。
駐車場に向かう途中、名残惜しい気持ちでいっぱいになり、ついそれが声に出てしまった。
「凄く楽しかったです。もっといたかったな」
その声が聞こえたのか、伊織もふわりと微笑んで相槌を打つ。
「そうだな。俺も楽しかったよ」
「本当ですか? よかった」
自分と一緒で楽しめるのかと心配だったから、彼が満足している様子なのは嬉しい。
「観光パンフレットを見たら、ちょっと歩けば見どころがまだ沢山あるみたいなんです。さすがに一日で全部回るのは無理みたいですね
パンフレットを開きながら言うと、伊織もそれを覗き込んで同意する。
「そうだな。気になるけど今日は帰った方がいいな、美緒の足が心配だし」
「えっ?」
思いがけない彼の言葉に、美緒は目を瞬く。
「だいぶ疲れてるだろ? 痛みもあるんじゃないか?」
「い、いえ、靴擦れはしていないので大丈夫なんですけど、やっぱり疲れちゃったみたいで。よく気付きましたね」
「歩き方を見ていればね……」
そう言った伊織は、不意に足を止めた。
「伊織さん?」
彼の視線は美緒の背後に向いている。追いかけるように後ろを振り返ると、【足湯カフェ】の看板が目に付いた。
「あ、足湯カフェ。こんなところにもあるんですね」
「ああ、歩き疲れた観光客向けみたいだな」
「へえ、実は私、足湯って経験ないんです。なんとなく靴下を脱いでまで入る気になれなくて」
「じゃあ、行ってみる?」