書籍詳細
二度目のプロポーズ~元カレ社長にほだされて~
あらすじ
「もう一度、俺のものにしたい。」
再会した元恋人の強引アプローチ
会社員の麻衣の前に、最悪な別れ方をした元カレ・裕也が社長として現れた! イケメンかつ御曹司の彼との関係を周りに知られたくない麻衣はつとめて冷静に接するが、裕也はグイグイ迫ってくる。彼への想いには決着をつけたはずなのに、ドキドキ心が揺れてしまう――あんな思いはもうしたくないのに。だけど裕也に婚約者がいると聞いてしまい……!?
キャラクター紹介
皆川麻衣(みながわまい)
真珠の養殖販売会社で働く会社員。趣味はいろいろな習い事。
英 裕也(はなぶさゆうや)
麻衣の会社の新社長で元カレ。ジュエリー会社の御曹司。
試し読み
四月の最終週。
今週末からゴールデンウィークに突入することもあり、慌ただしく日々が過ぎていく。
特に我が株式会社タムラパールの代表取締役社長においては、株式会社ハナブサの部長職との両立で多忙を極めている。
「ハナブサの方の仕事は、俺よりもキャリアがあって信頼できる課長たちが実務を回してくれるから大丈夫」と笑って言っていたが、彼らの決定を確認し、きちんと精査したうえで責任を持って承認を出すのが部長である裕也の仕事だ。
想像するだけでも重い。
加えてタムラパールでの仕事は初めてのことばかりで覚えることだらけ。
効率よく作業を進められないため、その分消耗する気力や体力も多い。
「だからって、こんなところで寝なくても……」
今日私はいつもより早く出社したのだが、まだ七時過ぎにもかかわらず、駐車場にはすでに裕也の車が停まっていた。
やけに早いなと感心しながら事務所に入ってみると、彼は応接セットのソファーで自らのスーツのジャケットを毛布にして寝息を立てていたというわけである。
シャツのシワや髭(ひげ)の伸び具合から推測するに、夜通しここにいて帰宅していないのだろう。
彼はここから車で五分もかからないところに部屋を借りたはずだ。
近場の自宅に帰れないほど仕事に追われているのだろうか。
「社長。起きてください」
軽く呼びかけるが返事はない。熟睡している。
「社長。寝るなら家で寝てください」
私は彼の肩を揺らし、本格的に起こしにかかる。
「ん……やだ……」
目をつむったままだが、少しだけ現実に戻ってきたようだ。
「やだじゃない。起きて!」
大きめの声で呼びかけ、ふたたび彼の肩を揺らす。
裕也は嫌がり顔をしかめ、私の手から逃げるように体をよじった。
「もう!」
こうなったら耳元で叫んでやろうと、少し彼に近づく。
しかし次の瞬間、私は横から加わった力にバランスを崩し、裕也の寝転んでいるソファーに倒れ込んだ。端的に言うと、ソファーに寝転んでいる裕也に引きずり込まれ、抱きとめられたということだ。
その衝撃で、私の頬のファンデーションとチーク、そしてリップの色が、彼の白いシャツに移ってしまった。
大変だ。このシャツも今の私たちの姿も、誰かに見られたら本当にまずい。
裕也は寝(ね)惚(ぼ)けているのか、目を閉じたまま幸せそうにクスクス笑っている。
私はドキドキというよりはヒヤヒヤしながら、彼の腕から逃れる術(すべ)を模索する。
「ちょっと、放して……んぅ!」
顔を上げると唇まで奪われてしまう始末。
ここ、会社なのに!
慌てて唇を離すが、体はソファーの背もたれと彼の腕に閉じ込められており、簡単には逃げられない。裕也の構い方がだんだんエスカレートしている。こんなだから、いつまで経っても冷静に彼と向き合えないのだ。
裕也は半分眠ったまま、この上なく甘い口調で言った。
「ふふ、早く結婚しよう……」
「は?」
沸騰しそうだった自分の頭が急速に冷えていくのを感じる。
裕也は今、早く結婚しようと言った。つまり、寝惚けて私を婚約者だと勘違いしているのだ。
胸に悔しさと嫉妬が溢れ、たちまち怒りへと変わる。
「いい加減にしろ、このゲス野郎が!」
巻きついている裕也の体を、力任せに突き飛ばした。
裕也は「うおっ!」と呻(うめ)き声(ごえ)をあげ、転がるようにして床へと落ちる。
私に対しての愛情表現だというならまだしも、婚約者と間違えてこんなことをするなんて信じられない。
もし起こしに来たのが静香や別の女性スタッフだったとしても、きっと同じことをしていたのだ。
……それに。
寝惚けていたにしろ、あんなにも愛しげに『早く結婚しよう』と言うくらい、婚約者に甘く接しているのがわかってしまった。
もしかしたら裕也が私のことを選んでくれるかもしれない、なんて思っていた自分を引っ叩きたい。
「え? なに? 何事? 麻衣?」
床に落ちた衝撃で目覚めた裕也が、寝惚け眼に私を映した。
私もソファーから体を起こし、自分のジャケットの襟を整える。
「……お目覚めですか、社長」
自分でも驚くくらいに低い声が出た。怒りを抑えるため腹に力を入れたから、低い声が震えた。察しのいい裕也になら、私の感情が伝わっているだろう。
「うわ、もう七時過ぎてる。ていうか麻衣、なんでそんな怒ってんの?」
「なんでって、この状況とその白いシャツに聞いてみたらいかがです?」
自分が寝ていたソファーに横たわっている部下。白シャツの肩口についているファンデーションとチークとリップのシミ。もうひとつおまけにと、私は乱れた髪を整えて見せた。
自分がなにをしたかを察するには十分な状況証拠だろう。
察した裕也はきまりが悪そうに表情を引きつらせた。
「……もしかして俺、寝惚けてなにか言った?」
心当たりはあるらしい。それらしい夢でも見ていたのか。
「いいえ、特には」
私がそう答えると、裕也はホッとしたような顔をして頭を掻いた。
私には婚約者とのことを知られたくないのだろう。
それがわかると、なお悔しさが増す。
私は立ち上がり、ソファーに残っている彼の上質なジャケットと、ティッシュを箱ごと投げつける。裕也はソファーの前で座ったまま、黙ってそれらを受け取った。
「シャツ、見られる前に隠して。口も拭いて」
「くち?」
裕也は私のリップが付着した口元を拭い、そのティッシュを見てようやく自らの余罪を認識したようだ。
肩口のメイク移りはジャケットを羽織れば隠れるが、唇は無理だ。ティッシュで拭いた程度では、グロスのキラキラを取りきれない。
「帰りなよ。寝るなら家で寝ればいいじゃない」
「税理士に出す書類作ってたら力尽きちゃって。仮眠取ってたんだ」
「仮眠って……ちゃんと体休めなきゃ。なんのために部屋借りたの。今日はもう昼頃に来ればいいじゃん」
「いや、いったん帰るけどすぐ戻るよ。今日は十時に田村前社長と約束してるんだ。月末の処理と経理関係のことで、教えてもらいたいことがたくさんあって」
だからといってこんなところで仮眠しか取れないなんて、未練タラタラの元カノでなくとも体が心配になる。
睡眠不足は仕方ないが、食事はちゃんと取れているのだろうか。
まだ二十代だからって、命を削るような働き方をしていてはじきに倒れかねない。
「こんな状態で、ダブルワークやってけるの?」
心配から出た言葉だが、「できないんじゃないの?」と思っているかのような、嫌味な言い方になってしまった。
裕也は弱々しく笑みを浮かべる。
「やれるようにするさ。近々タムラパールにもシステムを導入して、外からでも数字(データ)にアクセスできるようにするし、会計関係はおいおい税理士事務所にアウトソーシングする。でも、社長の俺がちゃんと把握しておかないとね」
システムやらアウトソーシングやら、意味くらいは知っているけれど、こんな田舎の小さな真珠屋には縁のなかった言葉だ。
今っぽいビジネス用語をナチュラルに使用する裕也は、きっと私が見たこともない高度なビジネスの世界で揉まれてきたのだろう。
磨かれたセンスと培われたスキルは言動の端々に滲(にじ)み出て、大人の魅力として映る。
私も六年間、この会社と業界で頑張ってきたつもりだった。諸先輩方にご指導ご鞭(べん)撻(たつ)を頂き、誠心誠意勤めて、若いながらに信頼される程度には成長したつもりだった。
けれど裕也と出会って、自分が渡り歩いているのはほんの小さな世界なのだと思い知った。彼の仕事の早さと視野の広さ、そして意識の高さには学ばされることや学ぶべきことがたくさんある。
「社長としてちゃんとやってくれてるのはわかってる。でも、企画営業と事務方でカバーできるし、今無理して覚えなくても大丈夫だから」
「たとえ大丈夫でも、社長として保つべき面子(メンツ)があるんだよ。特に俺はまだ若いし、ハナブサから来たボンボンだ。社長として歓迎されているのはハナブサというブランドであって、俺自身じゃない。今無理しないと、肩書きだけの名ばかり社長で終わる。麻衣みたいに、会社に本当の意味で必要とされる人間にはなれないよ」
裕也が両腕を上げて伸びをする。どこかの骨がポキポキ鳴るのが聞こえた。
そこまで言われてしまっては、もうなにも言えない。
「起こしてくれてありがとう。いったん帰るよ。十時には戻る」
裕也はバッグから財布とキーリングだけを取り出し、あくびをしながら頼りない足取りで事務所を出ていった。
「はあぁぁ……」
しんと静まり帰った事務所に、私のため息が響く。
またやってしまった。
裕也を責めるつもりで口を開くが、彼の話を聞いているうちに、いつの間にか許してしまう。
再会以来、もう何度も同じことを繰り返している。
婚約者と間違われてあんなに腹が立ったし傷ついたのに、どこでほだされた?
ああ、思い出した。裕也が無理をしているのが社長として認められるためなのだとわかって、心を打たれたあたりだ。さらに私を『本当の意味で必要とされる人間』と評してくれたことに感動を覚えたのもあって、嫌な思いをしていたことなどすっかり頭から消えていた。
また裕也とキスしてしまった。しかも朝っぱらから、会社で。
本当に、私はなにをやっているのだろう。
「とりあえず、みんなが来る前にグロスを塗り直そう」
自分の席に座り、PCの電源を入れてメイクポーチを取り出す。
コンパクトミラーに自分の口元を映すと、裕也のせいで私の口の周りにもグロスが広がってしまっていた。
こんな顔で偉そうに説教を垂れた自分が、なんとも恥ずかしくなった。