書籍詳細
脱!? 溺甘オフィスラブ~ワイルド御曹司のハードな求愛~
あらすじ
「このまま朝まで寝かせない」
恋も仕事も甘くない!? イケメン上司とスパルタラブ
結月は彼氏と友達に裏切られ、ひょんなことから知り合った謎のイケメン・嶺人の言葉を頼りに転職を決意。ところが嶺人は大手アウトドアメーカーの御曹司で、結月を専務である自分の秘書に大抜擢! 超ハードな日々のなか、ふと見せる嶺人の優しさに、社内恋愛はしないと決めていた結月の心は揺れてしまう。そんなとき、嶺人から思わぬ誘いが!?
キャラクター紹介
織田結月(おだゆづき)
アウトドアが大好きで、体力には自信がある。好きな言葉は努力。
穂村嶺人(ほむられいと)
大手アウトドア会社の御曹司。仕事中毒で部下の条件は体力が必須。
試し読み
「織田さん。現地の資料を見せてくれ。工事の進捗を確認する」
「はい」
私はぎこちない手つきで、美樹本さんから預かったタブレットパソコンをバッグから取り出す。電源を入れ、パスワードを入力してロック解除。
画面を見れば、ファイルがきれいに整理されているので、どこにどんなデータがあるのか一目瞭然だ。【楓山レジャーフォレスト】のファイルを選び、工事進捗状況報告書を開いて穂村部長に渡した。
「こちらです」
「ありがとう」
名古屋の本社を出発して一時間が過ぎた。
車は中央自動車道を走行中。車を運転するのは企画開発部第一課の男性社員。助手席に座るのは同課の課長。そして穂村部長と私が後部席に座っている。
(堂本(どうもと)課長と橋爪(はしづめ)さん。本プロジェクトの担当者である……と)
頭の中の人名録に書き込む。人の名前と顔、所属部署を覚えるのは得意だ。これまでの仕事経験でコツを身に着けている。
「課長、道路の端に雪が残っていますよ」
「お、本当だ。外はさすがに寒そうだなあ。穂村部長、暖房の温度を上げましょうか」
堂本課長が後ろを向き、部長に尋ねた。
「いや、俺はいい。織田さんは寒くないか?」
「私も大丈夫です」
本社を出る前、スーツから作業服に着替えている。その上、冬用のジャケットとトレッキングブーツまで貸してもらったので、防寒対策はばっちりだ。
これらは秘書課の備品だが、美樹本さんは自分専用の作業服を持っているそうだ。こんな立派な貸与品が常備されているとは、さすがアウトドアメーカーである。
もちろん穂村部長と開発部の担当者も、自分用の作業服に着替えている。部長の作業服姿を見るのはキャンプ場以来だ。
スーツとはまた違った男らしさを感じさせる。
かっこいい人は何を着てもサマになるのだなあと思い、つい見惚れてしまった。
「山は雪が積もっているでしょうね」
運転手の橋爪さんは雪が気になるのか、堂本課長にしきりと話しかける。
「現場は高速を降りてすぐだし、この車なら山道も平気だろう」
社用車は七人乗りのスポーツ・ユーティリティ・ビークルだ。車幅が広く、シートもゆったりとして乗り心地が良い。また、悪路に強い車なので、現地に雪が積もっていても問題なさそうだ。
木曽山脈を貫く長いトンネルを抜けると、景色が急に白くなった。山に雪が積もっているのだ。
「わあ、冬景色ですね」
「そうだな」
山に来るのは久しぶりなので、わくわくした。
木曽山脈は中央アルプスと呼ばれる美しい山脈である。最高峰は標高二九五六メートルの木曽駒ヶ岳(きそこまがたけ)だ。
(アルプスか……やっぱり山っていいなあ)
穂村部長が私の横から身を乗り出し、窓を覗いた。目の前にある彼の表情は生き生きとして、瞳も輝いて見えた。
「どうかしたのか」
「えっ?」
「えらく嬉しそうだ」
はっと我に返り、部長から目を逸(そ)らす。
今は仕事中だ。しかも、こんな至近距離で上司の顔をじろじろと見てしまった。
「すみません。久しぶりに山に来たので、心が弾みました」
「ふうん、なるほどね」
(正直に答えすぎたかしら……)
私は冷汗をかきつつ、初日からの失態を反省する。そして、自分が見惚れたのが山の景色だけではないことに気づき、ひそかに動揺した。
「余裕があるじゃないか。その調子なら、資料の読み込みも軽くクリアできるだろうな。施設のコンセプト。サービスの種類。ターゲティング戦略などなど……」
部長がタブレットを私に戻し、にこりと微笑む。
「楓山レジャーフォレストの建設は、全社を挙げて取り組む一大プロジェクトだ。資料を読み込み、より多くの集客のために何が必要なのかアイデアを出してくれ」
「えっ、私がアイデアを?」
大変なことをさらりと命じられた。というか、それは秘書の仕事なのですかと問いたくなるが、部長の微笑みは有無を言わさぬ圧力があり、受け入れざるを得ない。
「……分かりました。最大限の努力をいたします」
「よし。努力は大切だ」
堂本課長が同情の目で私をチラ見し、橋爪さんは無言でハンドルを握る。彼らの雰囲気から、部長が大真面目であることが分かった
もう景色を眺める余裕などない。
私はタブレットと睨めっこして、突如課せられたミッションに集中した。
楓山の建設現場に到着したのは二十分後。といっても、車を停めたのは現場から離れた場所にある山の入り口だ。
「穂村部長。今回も歩いて行かれるのですか」
橋爪が後ろを向き、部長に尋ねる。
「ああ。施設周辺の道がどんな仕上がりになっているか、足で確認する」
「もちろん織田さんも、ご一緒ですよね?」
堂本課長が念のためといった感じで口を添える。
秘書なら当然のことなのに、どうしてあらためて訊くのだろう。私が不思議に思っていると、部長がこちらを向く。
「当り前だ。ほら織田さん、降りるぞ」
「あ、はいっ」
車を降りると、山独特の冷気が頬を刺した。道路は乾いているが、駐車場は隅のほうに雪が残っている。
「織田さん、これを被(かぶ)りなさい」
部長がヘルメットを私に手渡す。建設現場の必須アイテムだ。
「それでは穂村部長、我々は先に参ります。いつものように、現場監督と先に打ち合わせを始めていますので」
「よろしく頼む」
部長の隣に立ち、SUVが坂道を上がっていくのを見送る。
冬色に染まる景色の中、二人きりになった。
「静かなところですね」
ここは南信州。山に囲まれた小さな町だ。学生時代にワンダーフォーゲル部の合宿で中央アルプスを縦走した。そういえば、この辺りをマイクロバスで通った記憶がある。
(どこかのコンビニに寄って、コーヒーを飲んだような……そうだ、月明かりがとてもきれいだった。雪に光が反射して、幻想的で……)
他は特に記憶していない。とにかく、山の他は何もない場所なのだ。それはそれで、味わいがあるけれど。
「あっ、今の車、スノーボードを積んでいました」
「スキーシーズンだからな」
気を付けて見ると、街道を走る車のほとんどがスキー客のようだ。上手に宣伝すれば、彼らをホムラのレジャー施設に呼び込めるだろう。
(でも、そんなことは計画の内だよね)
資料を必死に読み込んだ結果、新規レジャー施設の概要が理解できた。
楓山レジャーフォレストは今年の七月十七日にオープン予定。以降、通年営業する。ハイシーズンの夏はもちろん、真冬も雪遊びやスノーキャンプなどのアウトドアライフを利用者に楽しんでもらう。つまりオールシーズン対応のレジャー施設なのだ。
ホムラグループのブランド力と宣伝効果で前評判も上々。既に多くの予約が入っているとのこと。
今のままでも十分集客が見込めるし、私がアイデアを出すまでもない気がする。
それなのに、どうして穂村部長は私にアイデアを求めるのだろう。
「織田さん、荷物は重くない?」
「あっ、はい。大丈夫です」
余計なことを考えている場合ではない。というか、考えても無駄だと思う。この人は型にはまらない上司なのだから。
私は疑問を脇に置き、部長と向き合った。
「リュックの中身はタブレットと筆記用具だけなので軽いです。それに、荷物を背負っての山歩きは慣れていますし、少々重くても平気ですので」
「それは頼もしい」
穂村部長が嬉しそうに笑う。
まぶしい笑顔が、キャンプ場でのイケメンさんを彷彿(ほう ふつ)とさせた。私はなぜかどきっとして、リュックを背負い直すふりで横を向く。
「それなら、遠慮なくどんどん歩くぞ」
部長が先に立って歩きだす。仕事ではあるが、私は気分が高揚してきた。久しぶりに山歩きを楽しむつもりで、彼の背中についていった。
「あの、部長。遠回りされてますけど、打ち合わせの時間は大丈夫でしょうか」
「俺はいつも遅れて到着する。それに肝心なことは担当者に伝えておいた。現場監督も了承済みだ」
「なるほど。分かりました」
穂村部長は息も乱さず、山道をさくさく歩いていく。楓山レジャーフォレストの敷地面積は広く、しかも坂道あり階段ありの散策コースがいくつも用意されている。
道沿いのあちこちに施工中のキャンプサイトがあり、部長は一つ一つを丁寧に見て回った。要するに、既に視察が始まっているのだ。
「疲れたのか?」
「え……ひゃあっ!」
顔を俯(うつむ)かせて歩く私を、穂村部長がいきなり覗き込んだ。
「ひゃあっ……はないだろう。人を化け物みたいに」
「す、すみませんっ」
あなたみたいな容姿の化け物はいません。と、突っ込みそうになった。端整な顔をいきなり近づけられたら、誰だってびっくりする。女性なら特に。
「それより、どうだ。現場を見ての感想は」
いつの間にか展望台まで来ていた。今は雲があるのでぼんやりしているが、天気がよければ遠くの山々を見渡せるだろう。
「まだ建設中ですが、いろんなサイトや設備があって、驚きました。完成したら絶対に利用したいと思います」
「ほう、嬉しい感想だ」
部長は話しながらデイパックを下ろし、保温ボトルとステンレスカップを二個取り出した。
「コーヒーだよ。飲むか?」
「わっ、すみません。ありがとうございます」
「砂糖とミルクは?」
「あ、ミルクだけいただきます」
部長は片方の手で器用にカップを二つ持ち、湯気の立つ液体を注いだ。
突然差し出された飲み物に感激する。かなりの距離を歩き回ったので、喉が渇いていた。ミルクの甘みが体じゅうに優しくしみわたる。
(上司に飲み物を用意させてしまった。でも、ホントに美味(おい)しい……)
「それで、さっきの話。君は楓山レジャーフォレストを気に入ってくれたようだが、どのキャンプサイトを利用したいと思う?」
「もちろん、グランピングです」
「そうなのか?」
部長は意外そうに眉を上げる。
グランピングとは、グラマラスとキャンピングを合わせた、『魅惑的なキャンプ』という意味の造語である。
例えば、屋外に設えられた大きなテントに、ベッドやソファなどの家具、エアコンや冷蔵庫が揃うのがグランピング施設だ。
テントを自分で設営し、寝袋に入って寝るといった一般的なキャンプとは一線を画す。つまりキャンパーは、自然の中にいながらホテルのような快適な環境で過ごすことができるのだ。
欧米をお手本にしたラグジュアリーなアウトドアスタイルは近年日本に定着し、人気を呼んでいる。楓山レジャーフォレストのグランピングサイトも、既に一年先まで予約がいっぱいだ。
「織田さんほどのレベルなら、ブッシュクラフト(道具に頼りすぎないキャンプ)とか、雪中キャンプとか、不便を追及するコースを選ぶと想像したのだが……」
「いえ、それらはもう、学生時代に全制覇しておりますので」
「マジで?」
いかにも愉快そうに笑う。というより、心から楽しそうな様子だ。
「ですから逆に、贅沢なキャンプスタイルが夢なんです」
「なるほどね」
ふと、瑛二と付き合っていた頃を思い出す。瑛二をグランピングに誘ったとき、ホテルの部屋をまるごと持ち出すようなキャンプは邪道だと突っぱねられた。
でも、実は分かっていたのだ。瑛二が反対する本当の理由は、お金がもったいないから。プライドが高いので、絶対に口にしなかったけれど。
「それなら、一度体験してみようか。俺と」