書籍詳細
恋愛指導は社長室で~強引な彼の甘い手ほどき~
あらすじ
「プライベートでも俺のパートナーになってくれないか?」
イジワル社長のギャップに翻弄されてます
元デザイナーで、今は社長秘書を務める沙良は、社長である隼人に恋愛経験がないことを知られてしまう。それをきっかけに、なぜか彼から恋愛指南を受けることに。強引でイジワルな隼人に翻弄されるも、たまに見せる優しさに惹かれていく沙良。でも、彼には彼女が居るようで――抑え切れぬ想いからキスをしてしまったことで、隼人との恋が急加速して……!?
キャラクター紹介
新垣沙良(にいがきさら)
社長秘書を務める元デザイナー。クールビューティーと言われているが、実は恋愛経験が少ない。
黒澤隼人(くろさわはやと)
フィールデザイン事務所の社長。社員の前ではクールな一面を見せるが、沙良に対しては俺様。
試し読み
「どうした? 怖い顔して」
赤信号で車が停車したタイミングで黒澤社長が私の顔を覗き込んでくる。
「べ、別に……普段からこういう顔です」
緊張していることがバレるのがイヤで助手席の車窓へと視線を流すも、黒澤社長の長い指に顎を掴まれ強引に彼の方に顔を向けられた。
「なぁ? なんであの口紅付けないんだ?」
「えっ……」
「お前に似合うと思って買ってきたのに……」
不満そうな顔をする黒澤社長から目を逸らし、心の中で嘘ばっかりと呟く。
あれはエルフ化粧品のロゴコンペの為の資料。私に似合うからという理由で買ってくれたわけじゃない。
信号が青に変わり車が動き出すと、私は小さな咳払いをして偽りの理由を語る。
「あのですね、黒澤社長は男性ですから分からないかもしれませんが、メイクをする時は、チークやシャドーと色を合わせるんです。口紅だけ色が違ったら変でしょ?」
「なんだ……まだ封も開けてないのか」
「えっ? なんですか?」
「なんでもない。ほら、着いたぞ」
その声にドキッとして前を向くと、車が白い建物の一階駐車場に入って行くところだった。
本来の目的とは違うけれど、私にとっては生まれて初めてのレジャーホテルだ。
建物の裏にある関係者用の通用口から中に入ってオーナーが待つ事務所へと向かう。事務所の壁には多くのモニターが並んでいて、それを見ただけでイケナイ妄想が膨らみ冷静ではいられない。
「このホテル、つい十日前まで営業していたんですよ。まだ客室の方も手付かずで、ベッドや備品もそのままになっています。取りあえず客室の中を見てください」
オーナーに案内され狭いエレベーターで二階に上がり、普通のビジネスホテルとは雰囲気が違う薄暗い廊下を歩いて行く。そしてオーナーがひとつのドアの前で立ち止まってドアノブに手をかけた。
「部屋によって間取りが違いますので、確認をお願いします」
興味津々で開け放たれたドアの向こうを覗き見ると、独特な空気と匂いが漂ってくる。
その艶めかしい雰囲気にドキドキしながら窓のない室内に入り、図面片手に写真を撮っていたのだが、硝子張りで丸見えのバスルームや、やたら大きいベッドを目の前にすると、またイケナイ妄想が頭の中で駆け巡り仕事どころじゃない。
赤くなっているであろう頰を押さえチラリと黒澤社長を見れば、俯き気味にオーナーの話を聞いていた。
黒澤社長、なんか変だな。いつも視察の時はクライアントを質問攻めにして希望を確認しているのに、今日はやけに大人しい。
不思議に思いチラチラと視線を向けていたら、オーナーのスマホが鳴り出した。
数分後、電話を終えたオーナーが黒澤社長に何やら耳打ちをして部屋を出て行く。
「オーナーさん、どうかしたんですか?」
「あのオーナーは他にも都内で幾つかホテルを経営しているんだが、池袋のホテルで問題が起こったそうだ。戻って来れないかもしれないので視察が終わったら事務所に居る職員に声を掛けて帰ってくれって言われたよ」
……ということは、この艶めかしい部屋に黒澤社長とふたりきり?
そう思った途端、あり得ないくらい心臓が騒ぎ出した。
ダメだ。私、黒澤社長のことを意識し過ぎて自ら変な空気を醸し出している。ここは何か話を振って雰囲気を変えないと……あっ、そうだ。あのこと……。
頭に浮かんだのは、黒澤社長に言われた〝鈍感〟という言葉。
気持ちを落ち着かせ、ベッドの横に立ち資料を眺めている黒澤社長にその意味を聞こうとしたのだが、突然彼が咳き込みベッドに座り込んでしまった。
「黒澤社長? 大丈夫ですか?」
驚いて駆け寄るも、黒澤社長の咳は止まらず苦しそうに顔を歪めている。
もしかして、風邪がぶり返した? だから様子がおかしかったの? でも、いつから調子が悪かったんだろう?
……まさか、私がコーヒーでワイシャツを汚してしまった時、暫く裸でいたから? あれが悪かったのなら、また私のせいだ。
責任を感じ、黒澤社長の横に座って夢中で背中を擦っていると、徐々に咳が治まり落ち着いてきた。
「あぁ……良かった」
しかし安堵したのも束の間、偶然触れた黒澤社長の手は燃えるように熱かった。
手が熱いってことは、随分前から熱があったってことだ。
「黒澤社長、調子が悪いならそう言ってくれないと……いったいいつから熱があったんですか?」
思わず強い口調で問うと黒澤社長が気怠そうに顔を上げる。
「あ……」
こんな時に不謹慎だけど、熱を孕んだ瞳に射抜かれ僅かな時間呆けてしまった。が、その直後、黒澤社長の体が揺れゆっくりこちらに倒れてくる。
えっ? な、何?
慌てて支えようと踏ん張ったが、力が抜けた男性の体は思った以上に重く、そのまま巻き込まれてベッドに倒れ込んでしまった。
押し倒されたような体勢になり、驚きで声も出せず固まっていると、上になった黒澤社長が肩で大きく息をしながら掠れた声で呟く。
「もう、限界なんだけどな……」
……限界?
それは、初めて聞く黒澤社長の弱音だった。
納期が迫り徹夜が続いても決して後ろ向きなことは言わない黒澤社長がそんなことを言うってことは、相当辛いんだ。
言葉の意味を理解した私はハッと我に返り、一瞬にして仕事モードに切り替わる。
黒澤社長の腕の中から抜け出し「やはり、病院に行きましょう!」と叫ぶ。
さっき車の中で咳をしていた時、もっと強く病院行きを勧めるんだった。私がもう少し気に掛けてあげていれば、こんなに悪化せすに済んだのかも……。
激しく後悔するも、黒澤社長は大したことはないから事務所に戻ると言って聞かない。
「絶対、ダメです! 自分でもう限界だって言ったじゃないですか!」
「そういう意味で言ったんじゃない。そろそろ気付けよ……鈍感」
「えっ? また鈍感?」
本日二度目の鈍感発言に困惑して首を傾げた。
「いったい私のどこが鈍感なんですか?」
「もういい。あまりデカい声を出すな……頭に響く」
その言葉を最後に黒澤社長は何も言わなくなり、また咳をして苦しそうに眉を顰める。
私はすぐに戻ると黒澤社長に声を掛け、部屋を飛び出し全速力でホテルの事務所まで走ると職員の男性を連れて部屋に戻った。
その男性に手伝ってもらってなんとか黒澤社長を車の後部座席に乗せ、自分は運転席に乗り込む。
「おい、お前、運転できるのか?」
意識が朦朧としていても私の運転は心配のようだ。
「任せてください。ゴールド免許です」
そう啖呵を切ったものの、ここだけの話、四年近くハンドルを握ったことがない生粋のペーパードライバーだ。それに、左ハンドルの高級車なんて運転したことがない。
ええい、ぶつけたら素直に謝って保険で直してもらえばいい!
覚悟を決めエンジンをかけてアクセルを踏み込む。
途中、高速の合流でちょっと戸惑ったが、なんとか無事に会社の近くまで戻って来ることができた。
そして会社の健康診断でお世話になっている医院で診察してもらうと、肺炎の心配はなくただの風邪だと判明。でも、熱が高めなので安静にするようにと指示された。
「このまま自宅までお送りします」
「いや、タクシーで帰るからいい」
「いいえ、これも秘書の仕事です。それに、こんな病人が乗ったらタクシーが迷惑ですよ」
渋る黒澤社長を再び後部座席に乗せ、自宅マンションに向け出発する。
ナビの案内で到着した場所は立派な家が立ち並ぶ閑静な住宅街だった。その中でもひと際目立つおしゃれな低層マンションが黒澤社長の自宅。
わぁ、素敵なマンション。私もこんなところに住んでみたいなぁ。
車を駐車場に入れて羨望の眼差しでマンションを眺めていたら、黒澤社長が「お前はもういいから帰れ」と言って車から降り、歩き出した。だが、すぐに足がもつれて倒れそうになる。
見かねて玄関までのつもりで付き添うも、真っすぐ歩くこともできない黒澤社長をひとり置いて帰ることもできず、半ば強引に家に上がり込んだ。
何これ、まるでモデルルームじゃない。
大理石が敷き詰められた玄関ホールの先には幅の広い長い廊下が続いていて、片方の壁は全面が硝子張りになっている。そこから見えるのは、手入れが行き届いた緑豊かな中庭。
黒澤社長の体を支えその廊下を行き、突き当たりのドアを開けると落ち着いた雰囲気の広いリビングが現れた。奥には立派なオープンキッチンも見える。
「あの、寝室は……?」
黒澤社長が力無く指差したドアを抜け、再び廊下を歩いてようやく辿り着いた寝室には、レジャーホテル並みのキングサイズのベッドが鎮座していた。
ふらつきながらなんとか黒澤社長をベッドに座らせたのだが、私の支えがなくなると倒れ込むようにベッドに横になり、肩を大きく上下させ苦しそうな荒い息を繰り返している。
これは思ったより重症だ。
取りあえず彼のネクタイを解き、フカフカの掛け布団を静かに体に掛けた。
この様子じゃ起き上がるのは無理だ。手が届く所に飲み物を置いておかないと……それと消化がよくて簡単に食べられるもの。あとは氷嚢があればいいのだけれど……。
寝室を出てリビングに戻った私は改めて部屋を見渡してみた。
それにしても……綺麗過ぎる。
見事なまでに整理整頓されているリビングには塵ひとつ落ちていない。本当にここに人が住んでいるのかと疑いたくなるほど生活感が全くなかった。
確かに黒澤社長は綺麗好きだけど、ここまでとは……。
感心しつつキッチンに行くと、ここもピカピカで顔が引きつる。
でも、よくよく考えてみれば、黒澤社長は一日の殆どを会社で過ごし自宅にはほぼ寝に帰るだけ。そんな生活だから散らかす暇もないのかもと無理やり自分を納得させ、冷蔵庫の前に立つ。
勝手に人の家の冷蔵庫を開けるのは抵抗があったが、今は緊急事態だから仕方ない。
ミネラルウォーターくらいは入っているだろうと期待を込めて冷蔵庫を開けたのだが……。
「えっ? 嘘……」
予想に反して冷蔵庫の中は多くの食材と調理済みの料理が整然と並んでいた。
筑前煮に煮込みハンバーグ、白身魚のカルパッチョにロールキャベツ……何これ?
暫くフリーズしてやっと気付いた。
そういうことか……部屋を完璧に片付け、この料理を作ったのは〝宮川瑠奈〟。黒澤社長の彼女だ。どうしてすぐに気付かなかったんだろう。
黒澤社長の彼女は私が思っていた以上に家庭的な女性だった。仕事以外は並以下の私とは大違いだ。
言いようのない敗北感が胸を締め付けどんより落ち込むも、すぐに顔を上げる。
……なんで私がショックを受けているんだろう。そもそも彼女と張り合うつもりなんてないし、どんな女性だろうと私には関係ない。
素早く冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出すと「そう、私には関係ない……」とあえて声に出し、小走りで寝室に向かう。