書籍詳細
クールな御曹司は新妻に溺れる~嘘から始まった恋で身ごもりました~
あらすじ
「ママはパパの大切な人だからあまり横取りするなよ。」
ハイスペックな彼に愛され妊婦ライフ
双子である社交的な茜と、顔はそっくりなのに性格は正反対の明日香。ある日、パーティーで茜になりすまして得意のピアノを披露することに。そこで出会ったイケメン御曹司・洸貴と強く惹かれ合い、甘い一夜を過ごしてしまう。自分が身代わりだと打ち明けられず、茜として彼に愛される苦しさに悩む明日香だが、洸貴の子どもを身ごもったことを知って!?
キャラクター紹介
木内明日香 (きうち あすか)
ピアノ講師。双子姉妹の妹。 内向的な性格で、人づきあいが苦手。
成田洸貴 (なりた こうき)
大手不動産会社の副社長。
試し読み
「あっ、成田さんは座っててください」
だが成田さんは首を横に振った。
「近くで聴きたい。ダメ?」
さっきから何度も『ダメ?』とねだられているけど、その言葉と表情にとんでもなく破壊力がある。
本人はわかっているだろうか。
もちろんダメですとは言えず、私は「ダメではないです」としか答えられなかった。
グランドピアノの鍵盤に触れる。
とても優しい音だ。
すると弾きたい曲がパッと思いついた。
「私の好きな曲を弾いてもいいですか?」
「ああ」
私はシューマンの『クライスレリアーナ』という曲を選んだ。
これはシューマンがクララという恋人との結婚を反対され苦しんでいた時期に生まれたとされている楽曲で、全部で八曲からなるピアノ曲だ。
私はその中でも特に二曲目が好き。
田舎の静かな町を連想させるような曲調だが、全く違うインテルメッツオが挿入されている。テンポが速くなるため、私は速くなりすぎないように弾くように気をつけている。
頭の中で情景を思い浮かべながら音を奏でる。
相変わらず一度弾きだすと没頭してしまい自分の世界に入ってしまう私。ロマンチックな音色に我を忘れてしまった
やがて拍手の音で私は我に返った。
成田さんはピアノから一メートルほど離れた窓際の椅子に座っていた。
「今のはなんて曲?」
「シューマンの『クライスレリアーナ』っていうピアノ曲の一つです」
「シューマン……名前は聞いたことがあるが、ごめん」
その言葉には少し驚いた。
私のピアノを気に入ってくれたのは、もともとクラシックが好きだからだと思っていたからだ。よくわからないと言われるとは思っていなかった。
「成田さんって、普段クラシックはお聴きになるんですか?」
成田さんは首を横に振った。
「お恥ずかしい話だが、音楽自体あまり聴かないんだ」
「え? だったらなんで……」
「初めてだったんだ。誰かの演奏に心を奪われたのは」
「え?」
成田さんは椅子から立ち上がると私の隣に座った。
「その細くしなやかな指で鍵盤を叩く姿に、君を自分のものにしたくなったって言ったら驚く?」
「じ、自分のものに……ですか?」
思わぬ言葉に心臓が跳ね上がる。
「こんなことを言うと失礼かもしれないが、敢えて言わせてもらう。普段店で見る君は明るくて積極的で……でもその一方で俺にどこか似て戦っているイメージだった。だけど、今日の君は全く違っていた。急に頬を赤く染め、恥じらいを見せる。そうかと思えばピアノの前では自由で心の底から表現している。そんな姿に目が離せなかった」
私は彼の言葉をどう受け止めればいいのか困惑した。
確かに茜は強い。芯が強いのだ。
どんな時も自分の気持ちに真っ直ぐ向き合い、リーダーシップも取れる自慢の姉だ。
だけど成田さんは茜のことをよく知った上で、目の前の偽物の茜、つまり私と重ね合わせている。
このままではまずいことになると思うのに本当のことが言えない。
それは、私を見つめる彼の瞳に今までに感じたことのない感情が生まれていたから。
今は茜の仮面を被っているけど、成田さんは、目の前にいる私を一人の女性として見てくれている。
それがたとえ茜とのギャップ萌えだったとしても、私にとっては二十六年の人生で初めての体験で、それはまるでお伽話の主人公になった気分だった。
でも、こんなことで浮かれちゃダメ。
私は気持ちを落ち着かせようと、水を飲むため椅子から立ちあがろうとした。
だが、それを手で制される。そして成田さんは新しいグラスにワインを注ぐと再び私の隣に座った。
その途端、胸が早鐘を打ち始めた。
スイートルームで超絶イケメンが私の隣に座っているからなのか。
はたまた『君を自分のものにしたくなった』という言葉が引き金になったのか……。
うまく表現できないのだけれど、身体中の血液の巡りが急に活発になるというか、とにかく初めて出会った人なのにもっとこの人と一緒にいたい、もっと彼のことを知りたいと思っていたのだ。
こんなことを考えているなんて……自分が恥ずかしい。
私は立ち上がった。
「あ、あの……私、帰ります」
「え?」
「こんな素敵なピアノを弾かせてもらえて十分満足です……本当にありがとうございます」
このまま帰ってしまえばお伽話で済む。
だが、私の思いとは裏腹に、成田さんは私の手を掴んだ。
「何が満足なんだ? 俺は全然満足なんかしてない」
「え?」
お願い、そんなこと言わないで。じゃないと後戻りできなくなる。
「初めてなんだ。こんなに誰かに執着することも……独り占めしたいと思ったのも」
彼の熱い眼差しに私は困惑する。
「成田さん、私……」
茜じゃないんですって、喉元まで出かかっているのに出せない。
だって成田さんが独り占めしたいのは私自身ではなく、茜なのよ。
それがすごくショックだった。
私はどうしたいの? 私は茜のまま振る舞っていればいいの?
それとも私自身に戻っていいの?
どちらも今の私には辛い選択だ。
どうでもいい相手なら、なりきったまま適当な言葉でこの場から立ち去るのは容易なことだ。でもそれができないということは……まだ一緒にいたいという気持ちが心の底にあるからだ。
「君は本当に帰りたい?」
再度尋ねられ気持ちが大きく揺らぐ。
頭の中で茜の顔がチラつく。茜になり切っている以上、迷惑をかけたくない。
だがその反面、茜になったからいつもの私じゃない自分になれて、彼と一緒にいられるんだという気持ちもあって、私の中では二つの思いが交差していた。
「あの……もう一曲弾いていいですか?」
曲を弾いている間、答えを見つけようと思ったのだ。
成田さんはほっとしたように「ああ」と言うと、掴んでいた手を離した。
私は一度気持ちを落ち着かせるために、大きく深呼吸をすると、ショパンの『ノクターン第二番』を弾き始めた。
誰もが一度は耳にしたことのある、ショパンの曲の中でも最も有名な曲だ。
日本語では「夜想曲」という意味で、しっとりと、でもちょっと切なく感じる曲は今の私の気持ちにとても似ているような気がする。
私はこの曲を弾きながら、昂った感情をなんとか平常に戻そうとした。
そして四分ほどのこの曲が終わるまでに、自分の気持ちにけじめをつけようと思っていたのだ。
だけど、どんなに冷静になろうとしても、成田さんとの出会いは私にとってとても大きく、湧き上がる感情をうまく処理できずにいる。
私は茜のまま振る舞っていればいいの?
それとも私自身に戻っていいの?
同じことを、繰り返し何度も自問自答する。
曲が終わりピアノから手を離すと、成田さんは拍手を送ってくれた。でも私は下を向いたまま、次に言うべき言葉を探していた。
「茜さん?」
「は、はい」
「どうかした?」
やっぱりこれ以上いたら、彼のことを好きになってしまう。
「ごめんなさい。やっぱり私、帰り??」
ます、と言おうとしたが、成田さんがそれを阻止するかのように私を抱きしめた。
「行かないでほしい……いや、帰さない」
「な、成田さん?」
「今ここで君を帰したら、きっと俺はすごく後悔する」
どうしよう。
だって成田さんはいつもと違う茜に対して、こんな甘い言葉を投げかけている。決して私本人にではない。
わかっているのにすぐに拒否できない。
だけど自分でもびっくりするぐらいときめいてドキドキしている。
まさか彼の言葉で自分の本当の気持ちを確信するなんて。
「もし俺と一緒にいるのが嫌なのなら俺を突き放して出て行ってくれていい。だけどもし、少しでも俺と一緒にいたいと思うのならこのままでいてほしい」
そんなのずるいよ。
だって自分から突き放せないからこうやって悩んでるのに……。
でも本当はどうしたいかわかっている。
ただ一歩踏み出す勇気がないだけだ。だが、成田さんが私の背中を押すように「茜さん?」と名前を呼んだ。その一言で私は素直になれた。
「もう少し一緒にいたいです」
すると成田さんは私を見つめ、この上なく優しい笑顔を私に向けた。
「やばいな。今すごくドキドキしている」
同じことを思っていたなんて信じられなかった。
「だったら私の方がずっとずっとドキドキしてます」
「それはどうかな?」
成田さんはクスッと微笑むと私の手を取り、その手を自分の胸に当てる。
初めて触れる男性の胸はすごく硬くて熱く、ドクッと大きな鼓動が伝わってきた。
「君のこのしなやかな指で奏でるピアノと君本人にものすごくときめいてる」
「私も……こんなに胸が張り裂けるほどドキドキするのは生まれて初めてです」
「こういうのをなんていうか知ってる?」
「え?」
もう片方の手に成田さんの手が触れる。
そして逃さないとばかりに指を絡ませた。
「両想いっていうんだ」
え?
自分には絶対に縁のない言葉だと思っていた。
小さい時から異性に話しかけられると緊張して、相手の目を見て話すことができなかった。
そんな私だから、誰かを好きになることも好きになってもらうこともないと思っていた。
今の今までは。
「信じてない?」
「信じてないというか……両想いなんて経験したことがないから」
戸惑う私を見て成田さんは少し驚いたように目を見開いた。
「本当に? でも君の周りにはいつも男性がいるイメージが……」
しまった。ちょっと気を抜くと私自身に戻ってしまう。
「確かにそうだけど、自分から好きになったことはなくて……」
どうしよう。なんとかごまかしたつもりだけど……。
追求されるのではないかと心臓がバクバクする。
「じゃあ……俺が君の最初の両想いの相手ってことでいいのかな?」
正確には、茜ではなく明日香として初めて好きになった人だ。
「はい。でも急に好きって言っていいのかなって」
成田さんは胸に当てていた手を緩めると、優しく私の頭を撫でた。
「人を好きになるのに時間は関係ないんじゃないかな? 俺だって同じだよ。君のピアノを弾く姿に見惚れて声をかけずにはいられなかった。きっとあの時、一瞬にして君に恋をしたんだ」