書籍詳細
偽装恋人のはずが極上御曹司に激愛されすぎています
あらすじ
「君のすべてが欲しい」
期限付きの溺愛契約で独占されて…!?
ジュエリーショップで働く梓は、再会した大学の同期で大グループ企業の御曹司・圭吾に迫られ見合い避けの偽装恋人になる。さらに、失恋の傷が残る梓を常に甘やかしてくれる圭吾の溺愛猛攻で、強引に同棲することに!?「君に飢えてたんだ。ずっと欲しくてたまらなかった」――身も心も甘く融かされ、いつか別れが来るのにと思いつつも惹かれていき…。
キャラクター紹介
長野 梓(ながの あずさ)
しっかりものだが地味なのがコンプレックス。いつか別れるはずなのに、と思いつつ圭吾に惹かれていく。
有坂 圭吾(ありさか けいご)
日本を代表する企業グループの次期トップ。梓とは大学時代の同級生。偽装恋人になった梓を溺愛する。
試し読み
よほど疲れていたのだろう。梓が夕食の後、そっと寝室を覗いてみると、有坂はまだぐっすりと眠っていた。
梓はその日、一人の時間のほとんどを地下のシアタールームで過ごした。小さな映画館と呼ぶべき立派な設備にまず驚き、揃えられた作品の充実ぶりに感心しているだけで軽く一時間は経ってしまった。
眠る前にもう一度、有坂の様子を見に行った。音をたてないように扉を閉め、忍び足でベッドに近づく。常夜灯の淡い光が、眠っていてさえ端正な彼の面をほのかに照らしている。夕方、覗いた時より頬の赤味が引いていた。
(熱が下がったのかな?)
願いをこめて、そろりと額に触れてみる。
(よかった。さっきよりも冷たい)
梓は部屋のなかを見回した。窓辺に置かれた椅子をベッドの傍らまで引いてくる。
(ごめんなさい。少しの間、そばにいさせてね)
本当は彼にねだられるまでもなく梓も付き添っていたかったのだが、やはり病人には障りがあるように思えて控えたのだった。
静かだった。
梓は瞼を閉じた。
自分たち以外にも別荘には数人のスタッフが詰めているはずなのに、まったくそんな気配はなかった。木々の揺れる音がかえって寂しさを増すような山の静寂が、建物ごと自分たちを包み込んでいる。
外に出て見上げれば、星空が広がっているだろうか?
梓は有坂と眺めたプラネタリウムの空を思い出していた。あの夜、星たちに見守られ、まるで世界に自分たち二人だけしかいなくなったような気持ちになった。
梓は熱いため息とともに目を開いた。
(私はあなたの一時の恋人になったことを後悔していない)
今なら梓は、はっきりとそう答えられる。
梓にとってのリハビリは成功している。誰かに恋する楽しさや嬉しさを、好きな人と一緒にいられる苦しいほどの幸せを、有坂は思い出させてくれた。いや、そうではない。すべてを彼が教えてくれた。
有坂も成功していればいいと思う。彼の負った傷も癒えつつあるのなら、梓も嬉しい。
(有坂君、私、知りたくなったの)
梓は有坂を見つめている。
(あなたがこんなリハビリが必要なほど真剣に好きだった女性は、どんな人なの?)
その女性は今も彼の近くにいるのだろうか? 梓は知りたかった。
いつの間にか心の片隅に巣くったその思いは危険だと、梓の本能が訴えている。そこまで踏み込んではいけない。ルール違反は彼に新しい傷を負わせる。自分自身も辛くなるだけだと、赤信号が瞬きはじめる。
ふいに頬に触れられ、梓はハッと息をつめた。
「キスしてくれるのを待ってたのに」
「え……?」
冗談だと思った梓を、彼の真っ直ぐな瞳が見上げていた。有坂は笑ってはいなかった。梓は熱情を帯びたその眼差しを受け止めきれずに視線を逸らした。
「熱、下がったみたいね」
「らしいな。すごく身体が楽になった」
「あ……、水は?」
「飲む」
梓は頬に残る指の感触を振り払うように、立ち上がった。サイドテーブルの上に置いてあったピッチャーを手に取り傍らのコップをなみなみと満たすと、有坂の手元に運んだ。有坂は受けとるや、一気に飲み干した。
「生き返った」
そうして有坂は、コップをテーブルに戻した梓が戻ってくるのを待っていた。
「ありがとう、長野さん」
当然のように梓の手を捕まえ強く握った。振り払えない梓は、おとなしくもう一度椅子に座るしかない。
「お礼なんて。私、何もしてないのに」
「俺は長野さんのおかげで、思い切り引っくり返ることができた」
「え……? どういうこと?」
「気が弛んだんだ。長野さんといる間は、仕事している時とは別の自分でもいいかなって気分になれる」
「別の有坂君?」
「年相応に悩んだり迷ったり、逃げたがったりしてる俺だ」
そういう自分を解放したとたん、肉体のなかに溜まりに溜まっていたストレスが一気に噴き出したというのが、彼の診断だった。
「再会して最初に食事に行った時にはもう、俺、会社のおじさんたちへの愚痴を聞いてもらったもんな」
「ええ……」
「大学の頃、あいつが君の前ではしょっちゅうわがまま言って甘えてるのを見てたせいかも……」
有坂の梓の手を握る手に、静かに力が込められた。
「そうだ。この前、長野さんが俺の仲間だとわかったのも、気を張らなくてすむきっかけにはなったな」
「仲間って?」
「長野さんがお姉さんを撃退した時だ」
有坂は父親が幼少の頃から神童と呼ばれるほど優秀で、自分の年齢には年下の部下たち全員に一目置かれていたことを話した。
「父には叔母以外に兄が二人いるんだ。一番年が下の父が祖父の跡を継ぐことが決まった時、二人の伯父も含めて誰からも文句はでなかったそうだ」
「周りの人たち全員を納得させるだけの力があったんだね。神童は大人になるとただの人になっちゃうことも多いって聞くけど、お父さんは本物なんだ」
「その父のただ一人の後継者として、父親同様の力を望まれるんだ。俺が劣等感を抱いたとしても、無理はないだろう? だから、お姉さんに正面切って向かって行った長野さんには励まされた」
「有坂君が劣等感?」
「幻滅した?」
梓は強く首を横に振っていた。弱いところがあった方が、むしろいい。苦しい気持ちを抱えながらも普段はそれを微塵も感じさせないところが、カッコいい。
「良かった。有坂君と仲間で」
有坂が目を上げた。
「そばにいるだけで力になれる存在は、お互いすごく大切だよね。ほかの誰にも代わりはできないぐらい」
梓はそう言ってしまってから、急に恥ずかしくなった。うっかり告白したようなものだと思った。
顔を伏せてしまった梓の手を、有坂が強い力で引いた。ベッドの彼との距離が一気に縮まる。
「また眠たくなってきた」
「だったら早く目を瞑って。私は向こうへ行くから」
「ここにいて」と、再び手を引かれた。
「添い寝をしてくれれば、たぶん良い夢が見られる」
時々姿を現す強引な有坂に、なぜかいつも逆らえない梓だった。そのうえ今夜の彼は病人なのだ。三度目に手を引かれた時には、とうとうベッドの上に乗っていた。
「訂正。たぶん、じゃない。絶対だ」
緊張で縮こまっていた梓は、あっと言う間に組み敷かれてしまった。
「長野さん」
見つめられ、梓は彼から目を逸らせない。
寄せられる唇に、恐ろしいほど胸が高鳴った。
今は恋人同士なのだから。
今だけは、彼は私だけの彼なのだから。
柔らかく唇を吸われ、綻んでいく心があった。いつも胸の奥に隠している梓の願いが顔を覗かせる。梓は有坂に愛されたいのだ。愛されて甘えたい。
「……長野さん……」
時折離れては囁くように名前を呼ぶ唇が、やがては頬に流れる。繰り返し押し当てられていたかと思うと、顎のあたりを彷徨いはじめた。
「長野さん……」
息ができないほど強く抱きしめられて、梓は僅かに背をしならせた。そうして剥き出しになった梓の喉に、次のキスが落ちてくる。薄い皮膚を通して、彼の唇をはっきりと感じた。
「……有坂く……ん……」
彼に口づけられたところが、火に翳したように熱くなった。その、どこにも逃がしようのない熱が、ブラウスに包まれた梓の胸へと飛び火した。
「ん……」
布越しに乳房に触れられ、梓の意識はふわりと遠くなる。有坂のためらいにも似た優しい口づけは、梓の肉体の深いところに今まで経験したことのない疼きを呼び覚ます。
(有坂君……)
今、梓のなかをいっぱいに埋め、苦しくしているのは、決して羞恥だけではなかった。気がつけば梓は、胸にある彼の頭を抱いていた。
「長野さん、このまま眠ってもいい?」
梓は有坂の身体からゆっくりと力が抜けていくのを感じていた。
「胸枕っていうんだよな」
「そんなの、聞いたことない」
「一度試してみたかったんだが、頼みたい相手がいなかった」
また有坂の何気ない一言が、梓の鼓動をドキリと震わせる。
「ごめんね。使い心地に自信がないかも」
梓は巨乳ではない。残念なことに、どちらかと言えば小さい方だった。
「俺にはちょうどいい。これぐらいが好みなんだ」
そう言って胸に深く顔を埋める仕種をした有坂に、梓は頭のてっぺんから湯をかぶったように熱くなった。
「眠るまでこうしてるから、目を瞑って」
おずおずと彼の髪を撫でた。有坂はその心地好さに浸るように目を閉じた。
「明日は、午前中は森のなかを散歩しよう。少し歩くが、ヤマユリの群生地があるんだ。長野さんにぴったりの場所だろう」
「本当に? 楽しみ」
「午後はプールに入る」
「プール!?」
(そんなものまであるの? すごすぎない? たまに有坂君がどこの誰か忘れてしまうけど、本物の御曹司なんだなあ)
「あ……、でも、水に入ったらまた具合が悪くならないかな」
「ならない。少しぐらい悪くなったって楽しみの方が勝るから平気だ」
「楽しみって?」
「長野さんの水着姿が見られる」
どうやら新しい眠りの船に引き込まれつつあるらしい有坂は、うとうとしながらもまたもや梓を赤面させることを言い出した。
「残念だけど、水着は持ってきてません」
「この俺にぬかりはない」
有坂は梓のために選んだ水着を何点か、すでに用意してあると言った。
「君を何度かこうして──」
有坂は梓をぎゅっと抱きしめた。
「サイズの見当はついていたから、何の問題もなかった」
(見当って……。恥ずかしすぎる)
「ここにいてくれ」
有坂は眠ってしまった。
梓は指に触れる彼の髪を見た。梓の目には暗い部屋のなかにあってさえ輝きを放って映る、王子様の冠。卒業パーティーの夜、梓を救ってくれたヒーローの象徴でもあったそれが、今こうして自分の腕のなかにあるのが不思議だった。
「夢みたい……って、半分夢なんだけれどね」
梓には、できるならいつまでも見続けていたい夢だった。
翌日、見事に復活を遂げた有坂は、医者のいいつけを守ってしっかり朝食を取った後、予定通り梓を連れて森のなかに入った。散策のための小道は、トレッキングの楽しさを損なわない程度に整えられていた。
梓は目的地までの約一時間、途中、ぽっかりと視界の開けた草地で鳥の囀りに耳を傾けた。見とれるほど透明な湧き水にぶつかった時には、有坂に倣って両手にすくい、その冷たさに声を上げた。
(好きな人と二人きりで花に囲まれてるなんて、なんだかロマンス映画のワンシーンみたい)
六枚の花弁を大きく開いた白い花たちは、遠くからでも目についた。いつまでも眺めていたくなるその圧倒的な存在感は、梓がユリに抱いていたイメージを変えた。美麗さよりも力強さの勝る、まさに野の花の女王だ。
有坂がふと瞼を閉じる。
「いい匂いがする」
「本当……」
花屋の店頭では強すぎる香りが、自然のなかでは不思議と和らいで感じた。有坂と自分を包む空気まで甘く幸せなものに変えていくようだ。
(一日目は潰れちゃったけど、来てよかった)
別荘に戻ってからも続いていた梓の浮かれた気持ちは、だが、昼食後には吹き飛ぶことになる。
原因はビキニだった。プールに入る前にいったん部屋に戻った梓を、有坂が用意してくれたという水着たちが待っていた。
梓はペーパーバッグから一着一着取り出し、広げてみる。
「全部お土産にくれるって言ってたけど……。うそでしょ。十着もある!」
さすが御曹司、太っ腹! などと感心している場合ではなかった。
「十着全部ビキニっていうのは、どうなの?」
貧乳……もとい、つつましやかなサイズの自分の胸とは、どれも相性がよくないのではないだろうか? 高い露出度に耐えうるだけの魅力がこの身体にあるとも思えない。
梓は有坂の言葉を思い出した。
『俺が長野さんに着てもらいたいものを選んだんだ』
テーブルに並べた色とりどりのビキニたちから無意識のうちに遠ざかっていた梓は、もう一度そろりと近づいた。
(私に着せたいってことは、彼の好みってことよね?)
「じゃあ……、しかたないか」
(まさか裸で泳ぐわけにはいかないんだもの。身体に自信のない分、せめて水着ぐらいは彼の趣味に合わせた方がいいわけだし)
姿見の前で一人ファッションショーがはじまった。
何しろ三年は着ていないので、決めるのに一時間近くかかった。明るいコーラルピンクのトップは、ショルダーとバストの下にフリルがついている。ボトムはハイウエストのショーツ。イメージがセクシーなものより可愛いものに絞って、そのなかからできるだけ肌色度の低いものを選んだ。
「やっぱり水着に負けてる気がするんですけど」
梓は鏡のなかの自分を見つめた。けれど、こんなふうにいかにも自信なさげに縮こまっていては、ますます負けてしまう。梓は目線を上げ、ゆっくりと背筋を伸ばすと、胸を張った。
悔しいことに、試着した水着はどれもサイズ的には梓にピッタリだった。
『サイズの見当はついてたから、何の問題もなかった』
梓はそう囁いた有坂を思い出し、彼に抱きしめられた時の感覚まで一緒に蘇りそうになり、慌てて打ち消した。