書籍詳細
私をダメにしたい社長~激甘同居を迫られて~
あらすじ
「近くに置いて、守って、愛して、甘やかす!」
がんばり女子に甘やかしラブ
「君を徹底的に甘やかし、ダメ人間にして、自分に依存させたい」頑張りすぎて倒れてしまった雪乃に社長・直樹が突然、宣言。家賃タダの魅力に負けて直樹のマンションで同居することになったものの、自立した大人を目指す雪乃はなかなか素直に甘えられない。かわいい、愛してる、抱きしめたい!と迫る直樹の甘やかし攻撃に毎日はドキドキの連続で――!?
キャラクター紹介
森田雪乃(もりたゆきの)
地道な生活を心情に、自立を目指してがんばっている会社員。
河内直樹(こうちなおき)
雪乃の会社のイケメンでやり手の社長で、サッカーの腕前はプロ並み。
試し読み
私のスマートフォンが震えていることに気付いたのは、隆彦がトイレに立っている時だった。
【着信 河内直樹】
ディスプレイにはそう表示されている。
仕事のことでなにかあったのかもしれない。
ちょうど隆彦もいないので、私は個室の中で電話に出ることにした。
「はい、森田です」
『友人との時間を邪魔してすまない。今、少しだけ大丈夫か?』
「はい。大丈夫ですよ」
『広告代理店からクラウディアのストアの資材について問い合わせが――』
「それでしたら、私のパソコンを立ち上げてもらって――」
やはり仕事のことだった。もう八時前だけれど、彼はまだ会社にいるらしい。
最近私にはなかなか残業させてくれないくせに、自分ばっかりずるい。私だってもっとクラウディアの仕事をしたいのに。帰ったらそう抗議しよう。
『ああ、あったあった。ありがとう。助かったよ』
「いえ。それじゃあ私は――」
そろそろ電話を切ろうという頃、個室の扉が開いた。
「なぁ雪乃。俺そろそろ……ああ、電話中か」
隆彦が戻ってきた。帰りの時間が迫っているようだ。
『……雪乃?』
「ああ、すみません。友人が戻ってきて」
『雪乃、今どこにいる?』
気のせいだろうか。直樹さんの声が、ちょっと低くなった気がする。
「品川ですけど」
『品川のどこ?』
「どこって、港南口の方のお店です。友人がもう帰らなきゃいけないみたいなんで、切りますね。すみません」
直樹さんはまだ切ってほしくなさそうだったが、隆彦と別れたらかけ直そうと決め、いったん通話を切る。
「大丈夫なのか?」
「うん。用事はもう済んだから」
身支度をして会計を済ませ、隆彦と店を出た。
少し路地を歩いて横断歩道を渡れば、すぐにふれあい広場だ。エスカレーターを登って少し歩けば品川駅である。
ただし、新幹線、JR、京急線、どれに乗るかによって改札の場所が変わる。
ふれあい広場前の横断歩道で足を止めた。車が通過するのを待ちつつ隆彦に尋ねる。
「どうやって帰るの?」
「東京まで出て、新幹線」
「そっか。それじゃあ私も……」
同じ電車に乗るよ、と言おうとした時。
近くで車のクラクションが二回鳴り、見覚えのあるドイツ産のSUVが目の前を通過。横断歩道を過ぎたところに停まった。
「雪乃!」
ハザードを出して車を降りてきたのは、直樹さんだ。
「え、うそ」
私は思わずそう呟く。電話を切ってから十分弱しか経っていない。まさか、私が電話を切ってすぐに車を飛ばして来たの?
「知り合い?」
隆彦が首を傾げるので、私はただひと言こう答える。
「一緒に暮らしてる人」
それを聞いた隆彦の顔が引きつる。
「え、マジ? あれが?」
高級車から現れた長身の超絶イケメンだ。大概の男性なら気後れするだろう。
そんな彼の恋人(だと思っている私)を言いくるめて妻にしようとしていた隆彦なら、気まずさも加わってなおさらである。
「直樹さん、どうしたんですか?」
「雪乃を迎えに来たんだよ」
「広告代理店からの問い合わせは?」
「このあとすぐ回答する」
直樹さんはそう言って、隆彦に目を向けた。隆彦に緊張が走ったのがわかる。
「そういうわけなので、見送りはここまででよろしいでしょうか」
「は、はいっ。ここからは道もわかりますので、お構いなく」
まるで蛇に睨まれた蛙……なんて言ったら失礼だろうか。
直樹さんはナチュラルに私の右側に来て、左腕で私の腰を抱いた。
「すみません。では失礼します」
そう言って軽く頭を下げ、私の腰を引く。
「じゃあ隆彦、またいつか。みんなによろしく」
私は慌てて別れの言葉を告げ、直樹さんに引っ張られるまま車の方へ。
「おう、またな」
隆彦は啞然とした顔で手を振り、車に乗せられる私を呆然と眺めていた。
キーボードを打つ音が静かなオフィスに響く。
品川で車に乗った私たちは、ひとまず会社にやって来た。それから直樹さんは「すぐに終わらせる」と言い、私のPCを見ながら自分のPCを操作しはじめた。
さっき言っていた広告代理店からの問い合わせに回答するメールを打っているのだろう。本当に、私が電話を切ってすぐに車に乗ったようだ。
「あの、直樹さん」
「なに?」
直樹さんが不機嫌な気がする。
「どうして迎えに来てくれたんですか?」
彼は数秒溜めを作ってから、静かに答える。
「……電話で男の声がしたから」
今日会うのが男性だとは伝えていなかった。付き合っているわけではないのだから、そこまでする必要はないと思ったのだ。
でも、そのせいで直樹さんを不機嫌にさせてしまった。
今さらだけれど、やっぱり知らせておけばよかった。心配しないでと、伝えておけばよかった。
「あいつ、雪乃を名前で呼んでたな」
「あー……、そうですね」
「どんな関係?」
非常に答えにくい質問だ。
「今はただの古い友人です」
「昔は?」
「……東京に来る直前まで、お付き合いしていました」
私が正直に答えると、彼はキーボードを打つ手を止めた。
画面に向いていた美しい顔がこちらを向く。不機嫌度が増したのは言うまでもない。
「あの、直樹さん。ひとつ謝らなければならないことがあるんですけど」
「なに?」
「ちょっと、彼との会話の中でいろいろありまして」
「いろいろって?」
これもまた答えにくい。しかし話を切り出したのは私の方だ。
また彼を嫌な気持ちにさせるだろうが、正直に話すしかない。
「私の親が、私と彼を結婚させて、私を地元に連れ戻そうと考えていたみたいで」
「はぁっ!?」
直樹さんがすごい形相で立ち上がる。
「きっぱり断りました! 私にはそのつもりがありませんから!」
彼は安堵したように息を吐き、腰を下ろす。
「それで、断る際になんですけど、私が直樹さんと暮らしていることを話したんです。直樹さんを恋人だと思わせて、私には相手がいるからと……。状況を都合よく利用しました。すみません」
私の話を聞いた直樹さんは、PCに目を戻しふたたびキーボードを打ち始めた。
「謝る必要はないよ。むしろ、仮の相手に俺を選んでもらえてよかった」
彼がキーボードから手を離し、トラックパッドを二回タップした。そしてPCを閉じ、私の方のPCの電源をオフにする操作をする。メールの送信が完了したらしい。
「そんなことより」
彼が立ち上がり、私が座っている応接セットの方へとやって来た。
私の隣に勢いよく腰を下ろしたから、私の体も一緒に弾む。
「雪乃」
彼は背もたれと肘掛けに手をつき、長い腕の檻に私を閉じ込めた。
「あの、直樹さん?」
「俺、嫉妬で狂いそう」
切なげに眉を寄せそう告げた彼の顔が、少しずつ迫ってきている。
「そんな大げさな……」
「元カレと会うなんて聞いてない」
「心配かけたくなくて」
「しかも結婚とか」
「しませんってば!」
ぐぐ、と、彼が歯を食いしばる音が小さく聞こえた。
「そういうことじゃないんだよ」
「んぅ!」
なにが起きたか、すぐには理解できなかった。
数秒後に彼の吐息を感じて、ようやく彼から口づけを受けたことを自覚する。
その瞬間、全身の血液が沸騰した。
条件反射で閉じていた目を、そっと開く。印象的な彼の瞳が至近距離に見えた。
私はなにも考えられなくなって、無意識にふたたび目を閉じた。
まるで自らキスを求めているみたいだと、閉じてしまってから気付く。
直後、今度は強く唇が押し当てられた。離れる時に「ちゅ」と、合意のキスらしい湿っぽい音がした。
「あいつともキスしたんだろ?」
彼の声が痛々しい。肯定するのがつらい。
「そりゃあ、当時はしましたけどっ……」
それを聞いた彼が、ムキになってふたたび唇を押しつけてきた。
彼がより私の方へと重心を移し、ソファーがギッと鈍い音を立てる。
次第に押し当てるだけのキスではなくなり、唇をついばむような動きのあるものになっていく。
血が激しく巡り、全身に力が入っている。彼の動きに合わせて衣擦れの音と振動を感じる。その振動が巡りのよくなった血に交じり、体の隅々に伝播する。
互いの呼吸が乱れはじめた。だけど不思議と苦しくはならない。
キスのリズムとタイミングが合うのだろう。
そこまで考え至って、気付いた。
私は彼のキスに、懸命に応えている。
次の瞬間、舌が触れ合った。痺れに似た強い感覚が頭のてっぺんから爪先までを駆け巡る。こんな感覚は初めてだ。
「……んっ……」
私の小さな喘ぎがオフィスに響いた。すごくいけないことをしている気がする。
初めは遠慮がちに触れただけの舌が徐々に深く侵入してきて、刺激が強くなるほどに私は頼りない声をあげては彼に縋った。
受け入れることがやっとで、もうリズムやタイミングに応えることはできない。ただ彼のペースに翻弄されるだけ。クラクラする。
キスでトロトロにされるとはこういうことをいうのだろう。
正気が保てなくなりそうだ。
「ちょ、待って……直樹さん……」
呼吸の合間にそう告げ、彼を制止する。
彼はキスをやめてはくれたけれど、私を抱く腕は解かない。
「待たない。あいつには、これ以上のことも許したんだろ?」
「許した……けど」
けれどそれはあなたと出会う前のことであって、今日したわけじゃない。
彼は苦り切った表情を浮かべ、喉を潰されたような声で呻くように言う。
「死ぬほどうらやましいよ。俺は、こんな……」
「んっ」
不意に、ふたたび口付けられる。
一度禁を解いてタガが外れてしまったのか、遠慮がない。
「こんな一方的な形でしかできないのに」
「直樹さ……ん……」
私が拒否していないことを、彼はわかっている。
付き合ってもいない上司による理不尽な罰が、あまりに甘くて激しい。
「雪乃を独り占めしたい。俺だけのものにして、あの家に閉じ込めて、もう誰にも見せたくない。好きなものをなんでも与えて、やりたいことをなんでもやらせて、もう俺でないと満足できない女にしたい。どうしたらいい?」
しばらく口にしていなかったけれど、今でも私をダメ人間にしたい願望は健在だったようだ。
「どうしたらって……、そんなの困ります」
私は精神的にも経済的にも自立して、自分で人生を確立するために田舎を捨てて上京した。
「わかってる。本当に閉じ込めようと思ってるわけじゃない。でも、そうしたいほど雪乃が好きなんだ」
私も好きです。
それが言えない。
言えばきっと、直樹さんは私をうんと愛してかわいがって、幸せにしようとしてくれるだろう。
それでも言えないのは、私の心の問題だ。
直樹さんに釣り合う自信がない。彼が前に好きだったさゆりさんと比較されるのが怖い。
直樹さんと付き合って自立心を保つ自信がない。もし別れてしまったら自力で生きていけなくなるのが怖い。
恐怖心が恋心より大きくて、好きだと告げる勇気が出ない。
「堪え性がなくてごめん。でも……キス、許してくれてるよな」
指摘されたのが恥ずかしくて顔が熱くなる。彼のキスにしっかり応えていたのだから、否定はできない。
「それは……嫌じゃ、なかったから」
けれど私はまだ、関係の進展を望んでいるわけではない。
それを察して辛抱強く待ってくれる彼は、とても誠実な人だ。
「俺にも可能性があると思っていい?」
彼の気持ちに応えたい。応えられるようになりたい。恐怖心に打ち勝ちたい。
だから、私は一度だけ深く頷いた。それだけでも、結構勇気を使った。
「心の準備ができるまで、待ってくれますか?」
私の質問に答える前に、直樹さんは触れるだけのキスをした。
「待つよ。当たり前だろ」
そんなに苦しそうな顔をさせてしまってごめんなさい。
私はそう思いながら、ふたたび迫ってきた彼の唇を迎えた。
私たちがグレースタワーに帰ったのは、それから一時間ほど経ってからだった。
各々の浴室でシャワーを浴び、まだ痺れの残る唇をもう一度だけ触れ合わせ、挨拶を交わして眠りについた。
私がなかなか寝付けなかったのは、言うまでもない。