書籍詳細
週末の片想い~クールな社長は契約彼女を手放さない~
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あらすじ
「もっといろんな表情を見せて。俺だけに。」
嘘から始まる独占愛
「俺の恋人になってほしい」詩織は平日はOL、週末は家事代行のスタッフとして働いている。ある日、顧客であるクールなイケメン社長・二階堂から突然の告白!――実は望まぬ見合いを避けるための【契約彼女】役を頼まれただけだった。やむなく引き受けたものの、まるで本物の恋人同士のようなエスコートに甘い誘惑……週末限定の偽恋愛のはずなのに!?
キャラクター紹介
英 詩織(はなぶさ しおり)
繊維会社に勤務。週末は家事代行スタッフとしてダブルワークをこなす働き者。
二階堂一哉(にかいどう いちや)
一流アパレル会社の日本支社長。一見クールなイケメンだが優しい一面もある。
試し読み
いつものタワーマンション前で、腕時計を見る。時刻は午前十一時を指している。
二階堂さんとの約束がマンション前に、十一時過ぎ。そして、例のお見合い相手との待ち合わせは十二時だと言っていた。
「英様」
「えっ? は、はい」
ふいに名前を呼ばれ、肩を上げて驚いた。振り返ると、声をかけてきた相手はこのマンションのコンシェルジュで、ときどき顔を見る男性だった。だけど、私の名前までは知らないはず。どうして……?
「二階堂様より、言伝を預かっております」
「言伝?」
ドクドクと跳ねる胸を押さえ、平静を装って聞き返す。
「ええ。一度、部屋まで来るように、とのことですので。どうぞ」
コンシェルジュはエントランスの自動ドアを開け、私をロビーまでエスコートしてくれる。ロビーまで入ることができたら、あとはいつものように二階堂さんの部屋まで行ける。私はコンシェルジュに「ありがとうございます」と頭を下げ、高層階専用エレベーターホールへ足を向けた。
どうしたんだろう。確かに約束は、エントランス前って言っていたのに。準備が間に合わないから、部屋で待てってこと? でも二階堂さんって、約束事はきっちり守るイメージなんだけど……寝坊でもしたのかな。
部屋まで呼び出された理由を思案しているうちに、最上階に到着する。私は慣れた足取りで二階堂さんの部屋の前に立ち、インターホンを鳴らした。
『入って』
たったひとことでインターホンは切れ、私は「失礼いたします」と静かにドアを引いた。広い玄関に、磨き上げられた革靴が一足用意されている。
「おじゃまいたします」
玄関に二階堂さんがやってくる気配がなかったため、私はそろりと部屋に上がる。すると、リビングで二階堂さんがカフスボタンを留めていた。
「コンシェルジュの方に言われてきましたが……なにかお出かけ前の準備や清掃など、お手伝いすることでもありましたか?」
靴はもう磨かれたあとのようだったし……と、首を傾げて言いながら、リビングやキッチンを見回す。ソファもダイニングテーブルも乱れてないし、キッチンも整然としている。
「今日は俺の都合できみを連れ出すんだ。家事の仕事はなしに決まっているだろう。せっかくデートのために服を贈ったのに、それを汚すような頼みをするほどバカじゃない」
二階堂さんは苦笑してリビングから出てくる。
「そ、それでは、なにかほかに……?」
『デート』って言ったって、言葉のあやみたいなもので、真実ではない。それなのに、いちいちドキドキしている自分を戒める。小さな深呼吸とともに心の中で平常心、と唱える。すると、二階堂さんが私を手招きする。彼の行く先は、これまで入ることのなかった書斎で、私は目を剥いた。
「え……。あの、いいんですか?」
おずおずと尋ねると、二階堂さんは、にっと一笑した。私は妙な緊張感を抱きつつ、そっと書斎に足を踏み入れた。刹那、二階堂さんが言う。
「後ろを向いて」
「えっ?」
指示に戸惑いながら、こわごわと言われた通り背を向ける。今、入ったばかりのドアを見つめ、自分の動悸が激しくなっていくのを感じた。ただでさえ、いつもと違う状況だというのに、『後ろを向いて』だなんて、緊張するに決まっている。
しんとした部屋で、二階堂さんが動く微かな物音を感じ、身体を硬直させる。せっかく念入りにメイクしてきたのに、気づけば口紅が取れてしまうほど唇を引き結んでいた。次の瞬間、ふわっと首周りに風を感じる。目を落とすと、自分の胸元に向かって華奢なロングチェーンが垂れ下がっている。その先には、上品なパールがひと粒揺れていた。
「えっ。あ、あの、これって……」
「あとこれも。つけていい?」
二階堂さんの手には、イヤリング。彼は私の返答を待たず、睫毛を伏せて私の耳元へ手を伸ばす。私は耳朶を触れられ、思わず目をぎゅっと瞑った。
「反対側も」
耳介のすぐそばでささやくように言われたあと、耳の裏側を指先が霞めていく。あれだけ緊張で全身に力が入っていたはずなのに、力が抜け落ちそうになる。私の緊張などお構いなしで、二階堂さんは淡々とイヤリングをつけ終える。私は心臓がバクバクと騒ぐのを感じながら、潤んだ瞳を二階堂さんに向ける。
「心配しなくても新品だ。今日が終わったら、そのままつけて帰ればいい。全部詩織にプレゼントするよ」
そんなことを心配しているんじゃない。この動悸をどうしたらいいのか。それだけだ。しかし、やはり彼は私の心境など気づきもしていないようで、淡々と話し続ける。
「思い立って、昨日用意したんだ。これから発売される商品らしい。ちょうど詩織に似合いそうだったから」
「もしかして、これってお母様の……?」
瞬時に思い出した。二階堂さんのお母様は、ジュエリーデザイナーをしているということを。私の勘は当たったようで、二階堂さんは少し恥ずかしそうに顔を背ける。
「そう。まあ、自分の母親を褒めると、いろいろと勘違いされてしまいそうだけど。でも正直言うと、俺は彼女をひとりのデザイナーとして尊敬している」
彼はゆっくりと私に向きなおり、真剣な眼差しで続ける。
「この新作も〝アヴェク・トワ〟の服に……いや。それを着ている詩織にぴったりだ」
「鏡を見ても……いいですか?」
「もちろん」
二階堂さんが、ウォークインクローゼットの扉を開く。これまで見たことのあるウォークインクローゼットの広さの倍はありそうだ。着替えるのに何の支障もない。幅のある中には指紋ひとつないスタンドミラーも設置されている。私は吸い寄せられるように足を向けた。
大きすぎない粒のパールをあしらったネックレス。それと、イヤリングのほうもクリップ部分に、逆三角形に散りばめられたダイヤモンドの先に同じパールが揺れていた。確かに、今、私が着ている洋服にとてもよく似合っている。
しっくりとくるジュエリーを、しげしげ見つめた。それから私は、鏡から目を離さずに、口を開く。
「私、アパレル関連のことはよくわかりませんけれど、二階堂さんのお母様は、すごく仕事が好きで。その思いが強いから、服や人に寄り添うようなジュエリーを作れるのかなあ……それってとても素敵ですね」
〝好き〟が溢れるって、こういうことなのかもしれない。なんて、素人の私が言うなんて笑われそうだけれど。
「二階堂さんのお母様らしいですね。って、お会いしたことなんかないのに可笑しい話ですが」
それも勝手な私のイメージ。没頭できるほど仕事熱心な二階堂さんのお母さんだったら、きっとそういう感じかなって自然と思えた。
「らしい、って。よくわからないな」
二階堂さんは困った表情をして、首をひねった。
「……似ている気がしたんです。仕事に対する思いとか、優しい雰囲気が」
これまでジュエリーを見て、こんなことを感じることなんかなかったのに。
改めて鏡に映るネックレスやイヤリングを眺めていると、鏡越しに彼と視線がぶつかった。私は途端に恥ずかしくなって、目を逸らす。
「あ! 時間! 大丈夫です……か?」
そのときに、初めて気がついた。ウォークインクローゼットの中に、ぎっしりと服がかけられていることに。しかも、半分以上がレディースもので五十着はありそう。
一瞬、特別な女性のものかもしれないという考えが頭を過った。でも、これまで女性が出入りしている雰囲気を感じたことはない。だとすると、仕事上かな……?
私がクローゼットの中身に気を取られている間に、二階堂さんはスーツの上着を纏いながら答える。
「ああ。本当だ。そろそろ出ないと」
私はそっとクローゼットの扉を閉め、二階堂さんの書斎をあとにした。