書籍詳細
イジワル御曹司の甘美な毒牙~その求愛からは逃げられない~
あらすじ
「この唇を許すのは、俺だけにしてくれよ?」
本当は肉食!?オオカミ御曹司の独占愛執
勤務先の百貨店で常務を務める恭也と再会した紗綾。幼い頃の彼とは違った意地悪で甘いアプローチに戸惑いながらも、忘れようとしていた恋心が再び目を覚ます。彼の蕩けるような優しい愛撫に好きな人から愛される喜びを知り、ときめきが止まらない紗綾。幸せを感じていた時、同じく恭也に恋していた双子の妹と彼が一緒にいるところを見てしまい……!?
キャラクター紹介
西内紗綾(にしうちさあや)
洋菓子メーカーの店舗勤務。 内気だが頑張り屋。恭也とは幼なじみ。
高邑恭也(たかむらきょうや)
高邑百貨店の御曹司で常務取締役。 紗綾と再会し、積極的にアプローチをかける。
試し読み
「お疲れ」
「恭ちゃ……高邑専務の方が早かったんですね。お疲れ様です」
慌てて言い直した私に、彼はクスクスと笑う。
「いつも通りでいい。誰かに見られたところで、不都合はないんだから」
恭ちゃんは特に気にしていないようだったけれど、私は高邑百貨店の関係者に見られない方がいいと思った。人の噂は様々な憶測とともに音速で広まるから、彼の立場やお互いのためにも気をつけておくに越したことはないはず。
警備員の目を気にしながら入口を通り、いつものようにドアを開けてくれた恭ちゃんの車に乗せてもらう。
「紗綾が階段で下りてきた理由はわかったが、そういう気遣いはいらない。それに、もしなにかあれば、俺がちゃんと守るから」
彼は運転席に腰を下ろすと、私を真っ直ぐ見つめて笑みを浮かべた。
いつものように私の気持ちを察してくれる恭ちゃんの優しさに、また救われてしまう。私も彼を支えたいのに、優しさに甘えてばかりだ。
そんな自分自身を情けないと思うけれど、恭ちゃんの前では一秒でもたくさん笑っていたい。せっかくのデートを、台無しにしたくはないから。
私は小さな笑みを返し、今はなによりも彼との時間を楽しもうと決めた。
今夜はホテルのレストランのディナーを予約してくれているらしく、恭ちゃんの車で連れていかれたのは、都内から少し離れた外資系の高級ホテルだった。
芸能人がよくディナーショーを開催することで有名なホテルだけあって、私が簡単に来られるような場所じゃない。もっとカジュアルなレストランで充分だと思いつつ隣を見れば、彼が私の気持ちを見透かすようにクスッと笑った。
「そんなに肩肘を張らなくてもいい。誰も俺たちのことなんて気にしないよ」
私の戸惑いを見抜いた恭ちゃんに、思わず苦笑が零れた。
こんな素敵なホテルにいても、彼は周囲から視線を向けられていて、必然的に私も目立ってしまう。
けれど、当の本人はまったく気にしている素振りはなく、私の腰に手を回しながら颯爽と歩いている。
こうも堂々とされると、私の感覚がおかしいのかと思ってしまうくらい。
「周りの視線なんて気にしなくていい。だが……」
エレベーターに乗り込んですぐ、恭ちゃんは私の耳元に顔を寄せた。
「俺に見られていることだけは、ずっと意識していて」
「……っ」
耳朶に触れた吐息に背筋が粟立ち、熱を感じたそこを思わず手で覆う。咄嗟に見上げた彼の表情はどこか満足そうで、私を見つめる瞳は意味深に緩められていた。
クスクスと笑われて悔しい気持ちもあるのに、恭ちゃんの自然な笑顔が見られるのは嬉しい。
リラックスしている様子の彼を前に、不満の代わりに笑みが漏れた。
「もう……」
呆れたような口調で言ったって、声に滲んでいる喜びは隠せない。
恭ちゃんもそれを察しているのか、無邪気さすら感じさせる笑みを浮かべていた。
「今夜は、鉄板焼きの店にした。肉も魚介類もおいしいから期待していいよ。まぁ、残念ながらお好み焼きはないが」
わざとおどけたような言い方に、小さく噴き出してしまう。ようやく肩の力が抜け始めた私は、彼とともに四十二階のレストランに足を踏み入れた。
窓側のテーブル席に案内された私たちは、白い革張りのソファに並んで座った。
目の前に広がっているのは、ジュエリーボックスのような輝きを放つ街。
「わぁ……! 綺麗……」
その煌びやかな景観に圧倒されて目を丸くしながら呟けば、恭ちゃんがふっと笑った。隣を見た私に、優しい笑顔が向けられる。
「鉄板焼きだとカウンターで食べる方が楽しめるんだが、紗綾はこっちの方が喜んでくれるかと思ったんだ。この間、イルミネーションに感激していたから」
彼と一緒に食事ができるのなら、席なんてどこでも楽しめたと思う。
けれど、恭ちゃんがこの間のデートで私の様子をよく見てくれていたことや、いろいろと考えて選んでくれたことが、よりいっそう心を満たしてくれる。
「ありがとう。すごく嬉しい」
「紗綾が喜んでくれたなら、俺も嬉しいよ」
彼と笑みを交わしてシャンパンで乾杯をしたあと、ウェイターにおすすめを訊き、ふたりでメニューを選んだ。
「このサラダ、おいしいね! カルパッチョも、レモンとオリーブオイルのソースがまろやかで、ホタテも甘いよ」
前菜代わりに頼んだのは、香草焼きにした鰆を混ぜ込んだサラダと、ウェイターがおすすめしてくれたホタテのカルパッチョで、どちらも絶品だった。
「ホタテは焼いたものもおいしいから、それも頼むか。そういえば、エビも好きだったよな? ステーキも絶品だから、あとで頼もう。熟成肉だから、柔らかいんだ」
「そんなに食べられないよ」
「全部シェアすればいい」
「うーん……それでも、お腹がはち切れちゃいそう」
「じゃあ、今度はランチで来て、カウンターで楽しもう。ランチ限定のコースも絶品だし、カウンターだと調理しているところも見られるから」
「それは贅沢だよ。こういうお店って、本当は特別な日に来るものじゃないの? 今日だって、なんでもない日なのに……」
慣れない経験に戸惑いを見せると、恭ちゃんが首を小さく横に振った。
「俺にとっては、なんでもない日じゃない」
「えっ? 今日って、なにかあったっけ?」
重要なことを忘れてしまっているのかもしれないと慌てると、彼がクスリと笑う。
「俺は、紗綾と過ごせるときは、いつだって特別だと思っている」
柔和な表情とは裏腹な真剣な声音で告げられたのは、甘い言葉。
真っ直ぐな瞳が私を見つめ、そっと緩やかな弧を描く。
高鳴る胸の奥が、きゅうっと締めつけられる。今すぐに抱きしめてほしいと思うくらいに嬉しくて、自分の鼓動を強く感じるほどドキドキした。
こんなに幸せでいいのかと、怖くなりそう。
けれど、恭ちゃんと見つめ合っていると、心は多幸感でいっぱいになる。
「だから、紗綾も同じ気持ちでいてくれたら嬉しい」
「うん……。私も……恭ちゃんと会えるときは、いつも特別だと思っているよ」
まだ落ち着かない拍動のせいで恥ずかしさもあったけれど、大切な人の想いに応えるように自然と頷く。
私を見つめる彼は、幸せそうな顔をしていた。
たくさんの料理に舌鼓を打った私は、本当にお腹がいっぱいになってしまって、恭ちゃんに勧められたデザートは遠慮した。
「おいしくて食べすぎちゃった……」
「俺も。こんなに食べたのは久しぶりだ」
クスクスと笑い合う私たちは、穏やかな雰囲気に包まれている。
ホテルに着いたときに感じた緊張はとっくに忘れ、彼との時間を心から楽しんだ。
「素敵なところに連れてきてくれて、ありがとう。恭ちゃんと一緒ならどこでも嬉しいけど、こんなに綺麗な夜景を見ながらご飯を食べられて、すごく幸せだよ」
和やかな空気に背中を押されるように素直な気持ちを伝えると、恭ちゃんは一瞬だけ真顔になったあとで、困ったように眉を下げながら微笑んだ。
「紗綾は、突然可愛いことを言ってくれるね」
「え?」
「……わざとでも微妙だが、無意識だとしたらいっそうタチが悪いな」
褒められたのか貶されたのかわからなくて首を傾けると、彼が「つまり紗綾が可愛くてたまらないってことだ」と囁いた。
甘さを秘めた低い声音が鼓膜をくすぐり、私の心をいたずらにときめかせてくる。
「か、からかわないでください……」
照れ隠しに敬語を使えば、恭ちゃんが笑いを嚙み殺すように肩を揺らした。
彼がこんなに笑うところは、子どものときくらいしか見たことがない。
私の記憶が正しければ、恭ちゃんは中学生になった頃からどんどん笑顔が減って近寄りがたくなっていったし、楽しそうに笑うところなんて滅多に見られなくなった。
疎遠になるまでは勉強を見てもらっていたこともあるけれど、そのときですら彼と話すことはあまりなかった。
恭ちゃんはとても教え方が上手かったから、会話は必要最低限でも問題はなかったとはいえ、それが寂しくもあった。
もっとも、今となってはもう、どれもこれも懐かしい思い出になっている。
だって、目の前にいる彼は、過去の傷を癒してくれた私の恋人だから。
そんなことを考えてると、まだ照れくさい気持ちと幸福感に包まれてふふっと笑ってしまった。
「どうかした?」
「ううん、ちょっと昔のことを思い出していただけ」
「昔のこと?」
「うん。恭ちゃんと過ごしたことや、勉強を教えてもらったこととか……」
「俺は、あまりいい家庭教師じゃなかったな」
懐かしさに目を細めるように答えれば、恭ちゃんが自嘲混じりにため息をついたから、「どうして?」と小首を傾げてしまう。
「恭ちゃんの教え方はわかりやすかったし、成績もちゃんと上がったよ?」
「でも、素っ気なかっただろう?」
つい言葉に詰まったせいで事実だと認めたことになり、彼は申し訳なさそうな微笑を携え、「紗綾はわかりやすいな」と眉を寄せた。
「水族館でも伝えたが、あのときの俺はすでに紗綾に惹かれていたんだ。だが、当時はそれに気づけなくて、紗綾とどう接すればいいのかわからなかった。きっと、そういうときにも傷つけていたんだろうな……」
私を見つめる双眸は、なんだか傷ついているみたい。
もう気にしなくていいと言ってあげたいけれど、たとえ私がどんな言葉を並べたって恭ちゃんが彼自身を許せないんだと思う。
ただ、それを察しているからこそ、ちゃんと伝えておきたいこともある。
「あのね、恭ちゃん。私、本当にもう気にしていないよ」
満面の笑みが自然と零れ、話す声も心の中もとても穏やかだった。
「確かに傷ついたこともあったけど、恭ちゃんはいつも私の本心に気づいてくれたから、たくさん救われていたんだ。なにより、今の恭ちゃんは、私のことをすごく大切にしてくれているでしょ? 私は、今が幸せだからそれでいいの」
一緒にいられないときでも、恭ちゃんが私のことを考えてくれていることくらいわかっている。
だから、忙しい合間を縫って、こうして私との時間を作ってくれているんだ。
彼は『償うチャンスをくれないか』と言っていたけれど、今の私に必要なのは過去のための時間じゃなくて、〝これから重ねていく時間〟だと思う。
「だから、恭ちゃんも同じ気持ちでいてほしい」
その想いを込めて微笑むと、恭ちゃんが眉を下げた。
「紗綾は、昔から優しすぎるな。たまには怒ってもいいのに……」
「怒る理由なんてないよ。だって、恭ちゃんはちゃんと謝ってくれたじゃない」
困り顔で微笑んでいた彼が一度瞼を閉じ、再び私を真っ直ぐ見つめた。
「ありがとう、紗綾」
静かに紡がれた言葉に、首を横に振る。
あえてなにも言わずにワイングラスを手にすれば、小さく揺れる淡い黄金色の液体の向こうで、街を包む光の粒が輝いていた。
「紗綾」
程なくして、そっと囁くように呼ばれて左側を見ると、向けられていたのは甘さを孕んだ蠱惑的な表情。
トクンと高鳴った鼓動は、まるで次の言葉を察するように暴れ出す。
「一晩中、紗綾を抱きしめたい……と言ったら、受け入れてくれるか?」
艶を帯びた誘惑は、私の心を大きく揺らして搦め捕ろうとしてくる。
甘やかな熱が混じった恭ちゃんの視線に体温が高まり、呼吸を忘れてしまいそうになったけれど、彼から瞳を逸らせない。
答えは、きっと最初から決まっていた――。